第五話 8
僕は今日の仕事を終え、またもや芳子のクリニックのベッドに寝転んで、催眠療法を受けていた。とにかく失われた記憶全部を早く取り戻したいという焦りでいっぱいだった。芳子はそんな僕の不安を感じ、「焦らずゆっくりでいいと思うよ」と言いながらも、僕の我儘に付き合ってくれているのだった。
目の前に、工房の光景が広がった。今よりも随分歳若い祐樹の父と母がいて、不器用な僕に丁寧に工具の扱い方を教えてくれている。ジュエリーを作るという仕事は、根気のいる仕事だった。特に沢山の小さな石を一つ一つ金属に埋め込んでいく作業は、本当に疲れる仕事だった。しかし、苦労した分、出来上がった時の喜びはひとしおで、祐樹の父は完成した指輪を光にかざしては、何度も何度も嬉しそうに眺めていた。僕の担当は男物だったので、女物よりは大づくりな感じの物を作ろうとはしていたが、デザインに気を配る必要があり、僕は若者の間で流行っているデザインをリサーチすることに躍起になっていた。色んな男性誌を開いてジュエリーのデザインの研究をしていたら、工房のドアがバタンと開く音がした。大学の授業を終えて祐樹が帰宅したらしい。いつもの光景だと思っていたのに、「祐樹! その格好、どうしたの!」といつもと違う驚く祐樹の母の声が辺りに響いた。工房にいた祐樹の父と僕は、びっくりして祐樹のほうを振り返った。すると、そこには昨日までの黒髪、チェックのシャツにジーンズとスニーカーという大人し目な若者の格好の祐樹ではなく、金髪ツンツンヘアーの黒革ジャケットに黒ジーンズとエンジニアブーツ、そして歩くとジャラジャラと音がするほど長いチェーンを腰に付けたロッカーの祐樹がいた。しかし、祐樹は母の驚きの声をよそに「別にどうもしないよ」と無愛想に返事をした。
「別にどうもしないって、あまりにも昨日と違い過ぎるでしょ! 何かあったの!?」
「なんにもないよっ! サークルに入っただけだよっ!」
「サークルって?」
「大学のサークルでロックのバンドを組むことになって、僕がボーカルになったから、それなりの格好をしただけだよ!」
「そ、そうなの……。ロックのバンドってそういう恰好をしなくちゃいけないの?」
「そうだよ。これが普通だよ」
その二人のやり取りを聞いて、僕が「もしかして今流行りのビジュアル系ロックバンドというヤツ?」と訊いたら、祐樹はいつもと違い、何故だか不機嫌に僕をギロッと睨み付けただけで無言だった。
恰好が大胆になると性格まで大胆になるのか? 昨日までの大人しい祐樹は一体どこに? そんなことを考えていて、そういえば、昨日の朝、祐樹は、今日は優菜の通っている女子大の女の子たちと合コンだとはしゃいでいたことを思い出し、「昨日の合コンで、可愛い女の子はいたか?」とニヤニヤしながら訊いてみたら、どうやら気に障ったようで、祐樹は「亮ちゃんに関係ないだろっ!」と叫び、工房のドアをバタンと閉め、バタバタと二階の自分の部屋への階段を上って行ったのだった。祐樹の父と母は、その様子を見て、目を丸くした後、ため息を吐いていた。祐樹の父は「アイツは中学高校の時も反抗期らしい反抗期もなかったし、遅れてきた反抗期ってヤツかもしれないな」とボヤいていた。とにかく、その日を境に、祐樹の容姿は激変したのだった。
次の日、工房で祐樹と二人きりになる機会があったので、たった今、僕が作り終えたばかりのシルバーの男物の指輪を祐樹に「やるよ」と差し出した。今の祐樹の恰好によく似合うようなデザインのものだった。祐樹はその指輪を受け取ると「ありがと」と呟き、左手の人差指にはめた。僕は、やっぱり気になっていたので、「なんで急にそんな恰好になったんだよ?」と訊ねたら、祐樹は「亮ちゃんみたいなワイルドな恰好をしてたら、女の子にモテるのかなと思ったから」と言った。そういえば、勤めているのが工房だから、自分もきちっとした恰好をしているわけではなく、髪も伸ばし放題にはなっていたが、別に女にモテたいと思ってそんな恰好をしているわけではなかった。しかし、昨日の祐樹の様子から、おそらく合コンで何かあったんだろうなということは分かった。それで、優菜に連絡を取り、その理由を聞いてみたが、優菜も祐樹が豹変したことを知らなかったらしく酷く驚いていた。でも、優菜は「人がどんな恰好をしようと自由でしょっ! 亮ちゃんもちょっとは気を遣いなさいよっ!」とお終いには切れていた。全く訳が分からない。なんで僕が怒られるんだろう? とにかく祐樹の豹変問題には触れてはいけないのだなということは脳裏に深く刻まれたのだった。




