第三話 9
そして、また場面が変わった。僕は祐樹と共に、勝手に拝借して海に落として壊してしまった原付の元の持ち主の自宅に、稼いだバイト料で買った新品の原付を弁償しに訪れていた。持ち主の高校生の女の子はあいにく留守で、代わりに彼女の母親が対応してくれた。
「まぁ、こんなにピカピカの新品じゃなくても良かったのに……。あの子の原付はもっとボロだったでしょう。なんだか逆に悪かったわね。でも、二人とも、怪我がなくて良かったわ。もう二人乗りなんかしちゃだめよ」
僕と祐樹は怒られるのを覚悟していたのに、そんな風に彼女の母親が笑顔で温かな言葉をかけてくれたので、思わず泣きそうになっていた。横に立っていた祐樹の顔を見た。やはり祐樹の目も赤くなっていて、その祐樹の顔は、僕の目の前で溶けるように消え失せていった。そこで僕は、これは現実ではなく過去の記憶なのだと気付いていた。
そして、もうそろそろ現実に戻らなければと思っていた時、どこからともなく老婆の声が聞こえ、いつの間にか僕は四角い白い部屋の真ん中に一人でポツンと座っていた。老婆は僕のすぐ前にいるらしいのだが、何故だか顔が見えない。
「お前の成績は十点満点中、わずかに一点! お前は、何故こんなに成績が悪いのかも分かってはおるまい。何のために人間は生きているのか、よく考えなおせ。こんな成績では死なせるわけにはいかぬ。もう一度やり直して来い!」
そう老婆は僕に向かって叫んだ。僕は、びっくりしていた。太蔵爺ちゃんの駄菓子屋で聞こえて来た老婆の厳しい声と同じだった。しかも、話の前半部分、「お前の成績は十点満点中、わずかに一点! お前は、何故こんなに成績が悪いのかも分かってはおるまい。何のために人間は生きているのか、よく考えなおせ」まで正確に聞き取れていた。僕は、前回同様、驚いてがばっとベッドから起き上がった。すると、またもや目の前に、少しびっくりして心配そうな様子の芳子の顔があった。
「大丈夫!?」
「う、うん……」
「この間より、随分長い時間遡ってたね」
「うん……」
「それでどうだった?」
「思い出したいことが思い出せたけど、最後、訳の分からない映像が入ってきた」
「訳の分からない映像?」
「四角い白い部屋の中にポツンと一人で座っていて、老婆に怒られてるんだよ」
「え……」
「お前の成績は一点で、成績が悪いから死なせるわけにはいかないと怒られてるんだ」
「え、本当?」
「うん、本当」
「もしかして、夢と記憶が混濁しちゃってるのかもしれない。統合失調症には、幻覚幻聴はよくおこる現象だけど、亮は統合失調症じゃないと思うけどな。起きてる時にも、しょっちゅうそんな現象は起こってるの?」
「ううん、しょっちゅうじゃない。一回きり」
「一回か……。ちょっと気になるけど、まぁ一回だったら大丈夫かな。でも、起きてる時に、訳の分からない声が聞こえたり、あるはずのないものが見えたらすぐに教えて」
「うん。でも、今回、思い出したいものが思い出せて良かったよ」
「そうなんだ、良かったね」
「だけど、やっぱり、全部一度に思い出すのは難しいみたいだ」
「焦らず、少しずつでいいんじゃない?」
「そうだね」
芳子とそんな会話をして、僕は診察室を出た。診察室を出る時に、僕はタオルケットを被った山田さんとすれ違った。山田さんは僕を見ると恐がって避けるのかと思っていたら、山田さんは僕に会釈をしたので、僕も山田さんに会釈をしたら、またもや山田さんは僕に会釈を返してくれたのだった。山田さんは、やっぱり良い人なのかもしれない。




