第三話 2
工房に着くと、祐樹の両親も渉さんもすでに仕事を始めていて、祐樹の父は僕に「おい、早く仕事しろ」と言った。祐樹の父と母はオールマイティに何でも制作しているようだったが、渉さんは若い女性向きの繊細な技術を必要とする小ぶりのものを、僕は男性向きのやや武骨なものを担当しているようだった。しかし、僕の頭の中には十七歳以降の記憶が残っていないのだから、再開しようにもまともに仕事ができないだろうと思っていたのに、どうやら手のほうは色々と覚えていたようで、祐樹の母に色んな手順を教わりながらも、僕が手早く要領を飲み込んでいくので、僕も含めてみんなもどうやら安心したようだった。
昼休みになり、祐樹の母が昼食を作ってくれると言ってくれたが、僕は周辺を散策して早く記憶を取り戻したかったので、丁重に断って外に出た。
商店街を抜けたところにある一膳飯屋で昼飯をとると、そのまま記憶を辿るように高校時代に祐樹とよくうろついていた駅前を目指していた。すると、驚いたことに、芳子の上の子供ののんっちゃんの手を引き、ベビーカーに下の子供の光を乗せ散歩している祐樹が、車道を挟んだ通りの向こう側を歩いているではないか! 祐樹に声を掛けようと思ったのだが、祐樹はのんちゃんを急かし、一心不乱にベビーカーを押して速足で歩いている。彼の様子をよく観察していると誰かの後を付けているようだった。子連れで何をやっているんだろう?と思ったが、祐樹が後を付けている人物は、どうやら三十歳前後の女性で、彼女は祐樹をどんどん引き離して、青信号が点滅している横断歩道を小走りで渡り切ってしまい、ついには祐樹はその女性を見失ってしまったようだった。
祐樹は赤信号の横断歩道の前で憮然と突っ立っていたが、やがて諦めたのかくるりと踵を返して、自宅へ引き返そうとしているようだった。そのまますんなり商店街へ向かうのかと思ったら、今度はサングラスを掛けた黒づくめの別の男が現れ祐樹に話しかけていた。その男は祐樹の知り合いなのか、腰をかがめて中腰になり、のんちゃんを嬉しそうに眺めた。そして、ポケットから飴玉を一つ取り出すと、のんちゃんに見せた。途端にのんちゃんの目は輝き、「おじちゃん、ありがとう!」と言って、差し出された飴玉を受け取り、もぐもぐと食べ始めた。祐樹はそのやり取りを憮然とした様子で眺めていたが、のんちゃんをその男から引きはがし、ベビーカーを押してその男から逃げるようにして走って離れた。
僕は、その様子を通りのこちら側からずっと眺めていた。ポケットから携帯を取り出して時間を確かめると、あと十分で昼休みが終わりそうだった。仕方がないので僕は工房へ帰ろうとしていたのだが、祐樹もやっぱり自宅へ帰ろうとしていたのか、僕を見つけて後ろから「亮ちゃんじゃないか!」と声を掛けてきた。僕は振り返って祐樹を待ち、のんちゃんと光と四人で工房へ向かった。
「そうやって、ベビーカーを押してると立派な父親に見えるな」
僕が冗談めかしてそう言うと、祐樹は「カモフラになるからいいんだよ」と言った。
「カモフラ?」
「うん、カモフラ」
「何のカモフラなんだよ」
「人を尾行する時の」
「なんで尾行してるんだよ」
「姉貴の患者さんの治療のための調査を手伝ってたりするわけ」
「えーっ……、お前、そんな探偵みたいなことをやってんのかよ」
「うん。病気の原因を突き止めると治癒することが多いから、それで手伝ってるんだよ。患者さんを見てたら、自分の小さい頃にそっくりで、だから僕も役に立てないかなと思ってさ」
「それで、さっき、女の後を付けてたんだな」
「え、見てたの?」
「うん、見てた」
「あの人はね、山田さんの病気の原因かもしれない人」
「あ、そう」
「守秘義務があるから誰にも言わないでよ。彼女は、山田さんの会社に来てる保険外交員の米田って人」
「俺が誰に山田の秘密を漏らすって言うんだよ?」
「はぁ、たしかに……」
「しかし、なんかそのフレーズ、どっかで聞いたことがあるな……」
と言いつつ、思い出していたら、昨日、芳子がいちご大福とみかん大福とキウイ大福をトメ婆ちゃんのおやつカゴに投入して得た情報だったということに気が付いた。
「そ、それで、何か米田について分かったのかよ?」
「それが、尾行してる途中で引き離されちゃってね、ベビーカーを悠長に押してる場合じゃなくて、子連れだと無理みたい。彼女、すごく速足だから」
「そういえば、そうだったな。信号で離されてたし……」
「そうなんだよ」
「でも、お前、あんまり無理するなよな。走ると心臓に良くないんだろ?」
「うん、ありがとう。まぁ、どれくらい走ると良くないとか、ちゃんと自分で分かってるから大丈夫だよ」
「そうか、それならいいけど。それはそうと、あの男は一体何者なんだ?」
「ああ、アイツは亮ちゃんとは関係ないから忘れろよ。というか、思い出さなくていいよ」
「思い出さなくていい? ということは、俺も知ってたヤツってこと?」
僕がそう言うと、祐樹は急に黙り込んでこっちを睨み返し、ため息を吐いた後、「亮ちゃんが思い出すと、大変なことになってみんなが大迷惑する男」と言った。
「お前、アホだな! そんな風に言われたら、余計に知りたくなるじゃないか!」
「はぁぁぁぁぁ……」
と祐樹は大きくため息を吐いた。




