第二話 7
「弟が亡くなって、庭の池はすぐに埋められたけど、両親の心に開いた穴は、全然埋まらなかったの。あの頃のお母さんは、ほとんど毎日泣いてたんじゃないかな。泣かなくなったのは、私が五歳の時に祐樹が家に来てくれたからだと思う。祐樹は生まれつき心臓に穴が開いてて、それで手術をしてるのは知ってるわよね?」
「うん」
「私もまた弟が出来て本当に嬉しかったの。でも、赤ちゃんは病気でしかも手術が必要で、だけど子供の私は、何も出来なかった。どんなに彼の力になりたいと思っても、ただ心配することしかできなかった。だから、心臓外科医になりたいと思ったの。小学生の頃から勉強だって人一倍頑張ったわ。中学生の時、親友ができて、その子は本当に心の優しい子だったの。私が勉強を頑張ってる理由も彼女に話したし、彼女も私の気持ちに共感してくれてた。彼女ね、私より頭が良かったんだよ。だから、私は彼女に苦手な数学をいつも教えて貰ってた。望って子、覚えてる?」
「望?」
「うん」
「あー、そういえば、ここで何回か会ったような気がするな……。ショートカットの小柄な子じゃなかったっけ?」
「そう」
「その望となんか関係あったりするわけ?」
「うん」
「どんな?」
僕がそう訊くと、芳子はため息を吐き、一呼吸置くと、「自殺したのよ」といった。
「え……」
「望ね、時々腕に痣があったから、理由を訊いたりしたこともあったんだけど、彼女の自宅は家から遠かったし、しかも小学校は別の学校だったから、小学生の時の交友関係まで私は知らなかったし、望が『何でもない』といつも言い張るから何も訊けなかったの。でも、ある日、学校へ行ったら、担任の先生が望が亡くなったと言ったの。ショックだった。なんで急にいなくなるの?と思った。苛めていた犯人は捕まったし転校もしたけど、私はずっと混乱したままだった。望のお母さんがね、彼女の日記を私に見せてくれたのね。そこにね『桜木さん、友達になってくれてありがとう。初めて親友と呼べる人ができて嬉しかったよ。私はずっと桜木さんのことを忘れない』と書いてた。私、それ見て、号泣した。泣きすぎて、次の日、目が開かなくなるくらい泣いた。なんか情けなかったんだよ。私は何をしてたんだろう?と思った。望にちゃんと話が訊けてたら、望を苛めてたヤツらをぶっ飛ばしに行くことが出来たかもしれないのに……。何のために柔道やって鍛えてるんだろうと思った」
「……そうか、そんなことがあったんだ。芳子さんて俺と違って子供の頃から優等生だったから、悩みなんてほとんどないんだろうなと思ってたよ」
「お気楽そうに見えて、結構ハードな経験してるんだよ」
「それで、芳子さんの子供も、希ちゃんていうんだね」
「うん、そう。字は違うけどね。二人合わせて希望だよ。望は死んだけど、望みたいに優しい子になって欲しいから、希にしたんだよ。精神科に来る患者さんてね、不器用な人が多いんだよ。でも、真面目で純粋な人が多いの。まるで亡くなった望みたいな人ばっかり。私はそういう人が好きだから、精神科の医者をやってるんだと思う。ちなみにね、うちの旦那も私の元患者」
「えっ? 渉さんが?」
「うん。アイツもね、ほんとに不器用なんだよ。会社員をやってたんだけどね。まぁ、人生色々、向き不向きがあるよね」
「さっき、チラッと渉さんが作ってた指輪を見たけど、すごくセンス良かったよ」
「そうでしょ。うちのお父ちゃんより、全然良いと思う。だから、これで良かったのよ」
「うん。渉さん、何の会社に勤めてたの?」
「銀行。為替ディーラーをやってたの」
「えーっ、為替ディーラーって高給取りじゃなかったっけ?」
「うん、そうらしいわね。でも、それで神経がすり減ってたんだから、未練はないと思うよ」
そんな話を芳子としていたら、工房から芳子の父母と渉さんの笑い声が聞こえてきて、僕と芳子は顔を見合わせてクスッと笑った。
治療を終えた後、優菜と二人で家に帰ろうとしていたのだが、祐樹のカフェを出る時、またもや芳子の患者と見られる人物とすれ違った。顔を真っ白に塗った中年の女性で、しかも着ている服も上から下まで真っ白といういで立ちだった。僕はまたその患者を見て呆然と突っ立っているだけだったが、優菜は見慣れているのか、普通に彼女と「こんにちは」と挨拶を交わしていた。




