第二話 6
初めて入った診察室は、病院の診察室という感じより、普通の一般家庭の居間みたいな作りになっていた。応接セットが部屋の真ん中にあって、ソファーの上にはクッションも置いてあった。しかし、一応、診察用のベッドは隅に置いてあって、そこに僕は寝かされた。そして、芳子はメトロノームを鳴らし始めた。規則正しいカチカチという音は、母親の胎内にいた時に聞いていただろう心臓音のように感じられ、リラックスできるから鳴らすのだという。
「じゃあ、始めようか? まず、どこに行きたい?」
「うーん、どこに行きたいと言われてもな……。やっぱあれかな」
「あれって?」
「事故した日」
「いきなり事故した日?」
「うん」
「大丈夫?」
「うん、大丈夫」
「亮が、そう言うんならいいけど……。じゃあ、目を閉じて、音に集中して。これから事故が起こった時まで遡ります。まずは事故が起こった七月二十日に行きましょう」
それから、芳子にちゃんと目を閉じろだの、リラックスしろだの、余計なことを考えるなだの、色んなことを言われて、漸く七月二十日に意識が辿り着いた。
「七月二十日は、暑かったよね?」
「うん、暑い」
「今、目の前に何が見える?」
「アタッシュケース」
「その中には何が入ってるの?」
「工房で作った指輪やネックレス」
「それを宝石店へ納めに行こうとしてるのね?」
「そう」
「どこのお店?」
「元町」
「元町まで、バイクで行こうとしてるの?」
「うん」
「今、何が見える?」
「白いワンボックスカー」
「その車の後ろを走っているの?」
「うん。でも、すぐ後ろじゃなくて、四、五台後ろを走ってる」
「亮はその車が気になるのね?」
「うん」
「どうして?」
「どうしてだか分からない……」
「でも、気になったから追いかけてるんでしょ?」
「うん。でも、今、その車、交差点で右折しようとしている。納品先は真っ直ぐ行かなきゃいけないから、もう後を追えない」
「追えないことが残念なの?」
「うん。また、見失うと思った」
「また? 前から探していたの?」
「うん、探してた……あ、ちょっと待って! 危ないっ! うわあああああ!!!」
僕は、そう叫ぶと同時に、ベッドからがばっと起き上がった。目の前に、心配そうな芳子の顔があった。
「女の子の姿が見えたのっ?」
「う、うん……」
僕がそう言うと、芳子は「今日はこのくらいにしておこうか」と言ったので、僕も無言で頷いた。
「やっぱり、いきなり事故のことを思い出すのは、良くなかったんじゃない?」
「十七歳から後の記憶がなくなってるんだから、事故のことを思い出したら、全部一気に思い出せるかなと思ったんだよ」
「それでどう? 全部記憶が戻った?」
「ぜんぜん……」
僕がそう言いながら首を横に振ると、芳子はふぅとため息を吐いた。
「じゃあ、少しずつ思い出していくしかないわね。亮は記憶を取り戻したいんでしょ?」
「うん。思い出せないのは、やっぱりなんか恐い」
「そうでしょうね……」
「また、頼むよ」
「仕事が暇な時、試してみればいいわ」
「しかし、なんで芳子さんは、医者なんかやってるんだよ」
「あら、前に話したことがあるじゃない」
「前に?」
「あ、ごめん。記憶がなくなったんだったわね」
「やっぱり、祐樹に関係があるの?」
「うん」
「そっか」
「亮、うちの兄弟、本当は三人兄弟だったのは知ってる?」
「え……」
「私の三つ下に弟がいたの。でも、歩き始めたばかりの一歳の時に、庭の池に落ちて亡くなったの」
「……」
「その弟が水死したのがショックだったというのもあるし、祐樹が病弱だったのもある。でも、精神科を選んだのは別の理由」
芳子はそう言うと、どうして医者になったのか話し始めた。




