第二話 2
とにかく、僕が四週間の眠りから突然目覚めたということで、病院中大騒ぎになっていた。僕を担当していた脳外科医は、僕の顔を見る度に、「奇跡だ!」を連発した。しかし、意識はしっかり戻ったようだが、事故した時に頭を強く打っていたし、どうやっても十七歳から四十歳までの記憶が戻ってこない。それに、四週間寝ていたおかげで、体中の筋力が落ち、取り戻すのに随分時間が掛かった。しかし、元々じっとしているのが苦手な性分だったので、時間が許す限りリハビリに勤しみ、驚異の回復力で病院を退院した。
退院日に迎えに来てくれた祐樹と優菜は、僕の希望で、まず祐樹の家に連れて行ってくれるという。あんまり病院に来られなかったトメ婆ちゃんが、元気になった亮の顔を見たいとしきりに言っていたというのを聞かされていたからだった。しかし、連れて来られた祐樹の家は、僕の知っていた家とは随分違っていた。まず、看板を見てびっくりした。「ジュエリー工房 SAKURAGI」ではなく「Café Hard Rock YUKI」という看板が掛かっていた。はぁ? なんでジュエリー工房がカフェになっているんだ? 祐樹の親父さんは転職でもしたんだろうか?
違和感のある看板を眺めて訝る僕を、祐樹は「さぁさぁ、どうぞ」という感じで、にこにこしながらカフェのドアを開け、中に入れてくれた。店の壁には、名前の通り、エレキギターやロックのレコードのジャケットが所狭しと飾られていた。
僕は店内をただ茫然と眺めていたが、祐樹が「そこのテーブルに座ってくれる? 今、コーヒーを淹れるから」と壁際の四人掛けテーブルを指差したので、僕は優菜と二人で座った。祐樹によると、カフェは今の時間は閉じていて、営業は夕方六時からだという。名前の通り店主は祐樹で、祐樹が淹れたコーヒーを飲んでみたら、なかなか美味かった。
祐樹は、カウンターの向こうから「何かリクエストある?」と言った。「え? 何? 何か作ってくれんの?」と僕が訊くと、祐樹は笑いながら「食べ物じゃないよ。曲だよ、曲」と言った。
「知らねぇよ。俺、ロックなんか詳しくないしな」
「えーっ、マジ? 亮ちゃん、デヴィッド・ガールに嵌ってたじゃん!」
「そ、そ、そうか……。じゃあ、そのデヴィッドなんとか、かけてくれ」
「う、うん……」
祐樹は、カウンターから出て、ラックの中からデヴィッド・ガールのレコードを取り出すと店の隅にあるレコードプレーヤーにセットした。すると、店に設置してある巨大なスピーカーから音が流れ始め、デヴィッドの心地良い低い歌声が店内に響いた。
「ねぇ、亮ちゃん。祐樹くん、バンドやってるんだけど、知ってる?」
「え、し、知らない」
僕がそう言うと、テーブルの向こう側に座っている優菜もカウンターの向こうの祐樹も、悲しそうな顔をした。しかし、優菜にそう言われて、ああそうか、だから祐樹は、モヤシみたいだった十七歳の頃と違って、長髪で革ジャンを着たロッカーの格好をしているんだと今更ながら気付いた。
「ほんとに全部忘れちゃったんだ……」
「……」
「あのカーテンの向こうにね、ステージがあってね。週末にライブをやってるの」
「へー」
「すごい流行っててね、チケット当選した人しか店に入れないんだよ」
「ほー」
「ルシックというバンド名なんだよ。今度、亮ちゃんも一緒にライブに来てみようよ」
「あ、ああ」