第九話 10
そして、クリニックを出て帰ろうとしたら、カフェで祐樹に呼び止められた。
「婆ちゃんが呼んでるよ」
「え、俺を?」
「うん。話があるんだってさ」
祐樹にそう言われたので、トメ婆ちゃんの部屋に行くと、台所のテーブルの上にわらび餅があるからそれを取って来い、と言う。僕が、はいはいという感じで、皿に乗ったわらび餅を取って来てトメ婆ちゃんに渡すと「こら! きな粉と黒蜜がかかってないじゃないか! テーブルの上にあっただろうに」と言った。ああそうかと思い、もう一度台所に引き返して、わらび餅にきな粉と黒蜜をかけてトメ婆ちゃんに渡した。
縁側に座って、日向ぼっこをしながら、二人でわらび餅を食べていた。
「今日のわらび餅は特に美味しいだろう? アタシが作ったから」
「えーっ、マジで?」
「マジだよ」
「うん、美味いと思う」
僕がそう言うと、トメ婆ちゃんは笑顔になった。
「ところで、トメ婆ちゃん、話って何なんだよ?」
「昨日の夢にな、亮の母ちゃんが出てきたんだよ」
「へー、それで?」
「今回は特に気を付けろ、だとさ」
「は? 何を?」
僕がそう言うと、トメ婆ちゃんはしかめっ面になり「アタシにも分かんないね」と言った。
「でもな、亮の母ちゃん、ものすごく恐い顔してアタシに言ってたんだよ。お願いだから、絶対亮に伝えてくれって」
「ふーん」
それで、二人で縁側に座って、わらび餅を食べていたのだが、「この中にバニラアイスとか白玉団子とか一緒に入れて食べたら美味そうだな」と僕が言うと、トメ婆ちゃんは「おお、それはいい考えだ! 亮、冷凍庫にアイスがあるから取って来い!」と言ったので、僕は、台所の食器棚の抽斗を勝手に開けて大きめのスプーンを取り出し、冷凍庫からカップに入ったバニラアイス一個を取り出すと、バニラアイスをスプーンですくって、わらび餅の皿の中に落とし込んだ。やっぱりアイスを入れて食べたら美味いな、などと思いながら、さっきトメ婆ちゃんが僕に言った言葉の意味を考えていた。しかし、やっぱり、何を特に気を付ければいいのか、さっぱり分からなからない。そして、あることに気付いた。
「あのさ、トメ婆ちゃん、もしかしたら、おやつカゴの中にお菓子を入れるから、ピンと閃いて色んなアドバイスをしてたんじゃなくて、ただ、夢で見たことを教えてくれてただけだったのか?」
「そうだよ」
トメ婆ちゃんは、ごく普通にそう返事をした。
「なんだよ! そうだったのかよ!」
「でも役に立っただろ?」
「うん」
「企業秘密なんだから、誰にも漏らすんじゃないよ」
「ああ、うん、分かった」
そんな会話をトメ婆ちゃんとしながら、しかし、それにしても、そういう夢を見ること自体、やっぱり凄いことなんじゃないかとは思った。
「トメ婆ちゃん、うちのお袋、夢の中で他にも何か言ってなかったか?」
「なんだい、何か気になることでもあるのかい?」
「さっきの催眠療法でお袋が出てきたんだけど、俺、お袋のこと、何にも分かってなかったんだなと思ったんだよ」
「そうか」
「うん」
「まぁ、そんなもんだろうよ。子供だと大人の考えてることは分かりづらいというのもあるんだろうけど、一番近くにいる親子でもそうなんだから、他人だとどれだけ相手のことを何にも分かってないかってことだよ」
「きっとそうなんだろうな」
「人間ってものはさ、相手のことを何にも知らないくせに、見た目や少し話しただけで、勝手に相手のことを決めつけてるんだろうよ。アタシの実家はね、呉服問屋だったんだよ。だから、色んな人間が買い物に来たけど、帰れーっ!と言いたくなるくらい、腹立つ客はほんのわずかだったよ。三百人中一人いるかいないかくらいなもんだよ。その腹立つヤツはね、自分が天然記念物なみの希少な種類の人間なんだと自覚する必要があるとアタシは思ったね。まぁ、ソイツも何か勘違いして生きてるだけなんだろうけどさ。世の中、そうそう悪い人間なんかいるもんじゃないんだよ。亮の母ちゃんはね、若くして親になったから、周りからとやかく言われたり、一人で子育てしたり大変だったと思うけど、不幸になりたくて子供を産む女なんかいないよ。幸せになりたいから産むんだよ。それは間違いない。亮の母ちゃんは、亮を可愛がって真面目に子育てしてたとアタシは思うよ」
「そうか……。トメ婆ちゃん、ありがとう」
僕がそう言うと、トメ婆ちゃんは笑った。