<Ⅱ>
「あの、すみません。お母さんのお見舞いに来ました」
私がそう言うと、受付の看護師さんは「いちいち言わなくてもいいよ? もう顔覚えちゃってるし」と言って、笑ってくる。
それでも私は「一応、ちゃんとしときたいので」とだけ言って、もう位置を覚えてしまったお母さんの病室へ急いだ。
受け付け横の廊下をまっすぐに進み、突き当りのエレベーターに乗り、八階のボタンを押す。
しばらく上に上がっていく感覚がし、ドアが開くと、顔見知りのおばあさんと挨拶をした。
おばあさんと入れかわりでエレベーターを降りた私は、左に曲がると、そのまま突き当りの病室まで歩いた。
「801 上城 明香 様」と書かれたドアの前で、一度大きく深呼吸をしてから、私は静かに部屋のドアを開いた。
「……おかえりなさい、紫苑」
制服姿のままの私に、お母さんはそう言って笑った。
「ただいま」
そして私も、笑顔で返した。
静かにドアを閉め、私はお母さんのベッドの横に置かれた椅子の上に座る。
「みんなは、どう?」
お母さんはベッドの上で上半身を起こし、ゆっくりと私に聞いた。
「スギさんも、カエデさんも、アヤメさんも、タンポポさんも、桜ちゃんも、蕨も、みんな元気だよ」
私の言葉に、お母さんは「そう」とだけ言って、こう聞いてきた。
「お父さんは、帰ってきた?」
「……ううん、まだ」
私の中に、何か冷たいものが落ちてきたような気がした。
しかしお母さんは、ただ「そう」と穏やかな表情で言った。
「ごめんね、気分を悪くさせちゃったかな。何か、楽しいこととか、なかった?」
私の表情が暗くなっていたのか、お母さんはまた、不器用に話を変えた。
「そう! そういえば昨日ね、桜ちゃん、初めてニンジン食べたんだ! 蕨なんて、八歳でも食べられなかったのにな〜って言ったら、蕨、『……昔のことだろ』とか言ってすねちゃって」
私が笑いながら言うと、お母さんも、静かに笑った。
そして。
「さて、紫苑。今日って確か、成績表が返ってくる日じゃなかったっけ?」
三十分ぐらいいろいろと話したところで、お母さんは急にそう話を変えた。
途端に、体中から冷や汗が噴き出る。
「……な、なんのこと?」
「そんなに隠すっていうことは、また悪かったの? 高校からは成績悪いと留年しちゃうよ?」
必死に隠すも、結局見破られてしまう。
まぁ、お母さんと同じ学校に行っているのだ、仕方ない。
「……はい」
言い逃れできなかった私は、素直に自分の非を認めた。
お母さんはため息をつくと、とりあえず成績表を見せなさいと、そう言ってきた。
私は通学カバンからガサゴソと成績表を取り出すと、窓の外を見ながらゆっくりと渡した。
「…………」
私の成績表を見て、お母さんも何も言えないみたいだった。
「……ねぇ、これって――」
「聞かないで!!」
個人的には、もうこのお話はやめにしたかった。
絶対怒られる、そう思って私は目を閉じて肩をすくめた。
「……ふふっ」
しかし、お母さんは怒るどころか、静かに笑いだした。
あきれ返って笑ってしまったのか、そう思って私がゆっくりと目を開くと、お母さんは、ほんとにおかしそうに笑っていた。
「まさか、こんなところまで私に似るなんてね。ほんと、遺伝って怖いなぁ〜」
お母さんはそう言って、一人でずっと笑っていた。
「……もしかして、物理のこと?」
私が聞くと、お母さんは「それだけじゃないわ」と言って、成績表を指さした。
「英語ができないのも、一緒だなぁ〜って」
そう言って、お母さんはまた、静かに笑った。




