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◎狐獣人(ヴェルペ)の家出少年と万聖節の前夜(3)

 「ん……」


 ソファで眠るノインが寝言を言った。


 「パパ……、パパ、」


 字面だけ見れば微笑ましい寝言ではあったが、彼の眉間にはしわがより、苦しそうだ。何を思い出しているのか、腕は宙でもがいている。


 「パパ、やめて……っ!」


 ぼくは頭をかいて、二階の自室から毛布を持ってくる。ぼくは彼が嫌いだ。お金持ちだし、いたずら好きで迷惑をかけられているし、なによりウルを狙っている。


 ぼくと正反対なところも嫌いだし、どこか共通しているところも、それはそれで嫌いだ。同族嫌悪というやつだろう。


 でも。


 「さすがにほっとけないよなぁ」


 何があったのかは知らないけれど、こんなにも怯えているノイン=シュヴァンツ=マクローリンを見るのは初めてだった。いつもひょうひょうと金持ちの余裕をひけらかしているというのに。


 ぼくは毛布を握りしめるノインを見つめて考える。


 虐待でもされているのか? それとも父親が新しい愛人でも連れてアンティキティラに帰ってきたのだろうか。想像の域は出ないが、あのノインが屋敷を飛び出て、このクロックワイズ・メカニクスに逃げ込んでくるなんて、かなり理由は限られてくる。


 カタカタ、カタカタカタカタ!


 「う、うぉ!」


 窓ガラスが啼いていた。続いて、ドン、ドンドン!とクロックワイズ・メカニクスの扉が叩かれる。その向こうには白い人影。時は午前三時の、丑三つ時と呼ばれる時間だ。


 「……おいおい」


 ウルは眠っているし、ノインもうなされている。いま、この状況で対応できるのは、ぼくしかいない。


 「……き、緊急の修繕かもしれないしな」


 自分を奮い立たせ、営業スマイルで決まり文句を言おうとしたその瞬間、扉が蹴り破られた。割られた硝子が床に散らばる。


 「な、なんだなんだ!」


 その向こうには、白いタキシードを着た壮年の男性が、渋い顔で立っていた。頭には金色の毛に包まれた耳がぴょこんと立っている。狐獣人ヴェルペだ。


 「ク、クロックワイズ・メカニクスへようこそ!」

 「ふん」


 男は忌々しそうに、壁にかけられている無数の時計を見つめた。


 「せがれが邪魔をしているようだ」

 「せがれ?」

 「クスト君、君は私の顔を見忘れたのかな?」


 そこまで言われてようやく気がついた。鋭い目つきの彼は忘れもしない。祖父のクロックワイズ・メカニクスを潰すため、職人の時代を終わらせるため、大量生産の時代を招こうとしている事業家、アハト=シュヴァンツ=マクローリン。


 ぼくは気づかぬ間に毛を逆立たせていた。


 『パパ、やめて……っ!』


 ノインはそう叫んでいた。事情はわからないが、彼は父親を相当の理由で避けている。ノインを助けてやる義理はない。ない、けれど。そう、貸しを作ってやらないと後々めんどくさいから、うん。


 ぼくは汗の滲んだ手を握りしめる。


 「アハトさん、お久しぶりです。アンティキティラに帰ってきていたんですね。ノイン君をお探しのようですが、あいにくぼくは知りません。そもそもクロックワイズ・メカニクスに来る理由が——」

 「扉のことなら弁償しよう。嘘はよくないぞ、クスト君」

 「……!」


 言葉が詰まってしまう。さすが貿易港ストラベーンの一大事業家だ。ぼくなんかとはくぐり抜けてきた修羅場がちがう。狡猾でしたたかな、狐獣人。その鋭い視線に、ぼくは気圧されていた。


 でも。


 怯えているノインの顔が脳裏に浮かぶ。


 「ノイン君とは、おたくの階差機関ディファレンシャル・エンジンの修繕でよくお世話になっています。その関係で伺ったのですが、彼はあなたをとても恐れているようなのです」


 虐待か、愛人か、それとも。

 とりあえずはアハトの様子を伺う。


 「なにか、心当たりはありますか?」

 「君には関係のないことだ」

 「ですが……」

 「話にならないな、クスト君」


 彼は胸ポケットから一本の金色の毛を取り出した。彼がそれを見つめると、いくつかのオレンジ色の粒子が集まりだすのがわかる。


 魔法。

 光子を介して、法則を説き伏せる魔なる方法だ。


 「せがれの毛にかけた『絡み合う双子座のマナ』は、まちがいなくここと共振をしているのだがな」

 「それは——!」


 用意周到だ。ぼくは寒気をおぼえた。


 ノインが逃げ出すとわかっていて、彼はノインの毛を一本抜き取っておいたのだ。そして、ザン=ダカ商会のラジオの原理である『絡み合う双子座のマナ』で共振させた。


 ぼくが白々しい嘘をついていたのも、お見通しというわけだ。


 「なぜ、そこまで……」

 「なぜ? 妙な質問だ。私の子どもなのだから、可愛いに決まっているだろう」

 「ですが、ノイン君は怯えています!」

 「まったく。逃げるものを追い詰めるのが、私のビジネススタイルだ」


 ぼくは後ろ手にヘビーレンチを構えた。幼いころに逢っただけだけど、この男はふつうじゃない。野放しにしておいたら、ノインのいのちだって危うい。


 いや、彼のことが心配なわけじゃないけど、きっとウルがなんとも言えない顔をするから、それが嫌なのだ。もしかしたら、泣いてしまうからもしれないから。


 「クスト君、いけないね、そんな物騒なものを構えて」

 「な!?」

 「狐獣人は古来から妖かしの術が得意でね、ほら、こういうこともできる」


 彼がひと睨みするだけで、ぼくの右腕が動かなくなってしまった。光子の動きは見逃さなかったが、まさかここまで強力な術を行使できるとは。


 いや、ちがう。『狐獣人は古来から妖かしの術が得意でね、ほら、こういうこともできる』という言葉自体が、詠唱と同じ役割を持っているのだ。これを聞いた『法則』は、たやすくその威に屈してしまい、アハトに都合の良いように法則改変を行ったのだ。


 「……パ、パパ!?」


 階段の奥から、怯えた声が聴こえた。扉を蹴破られた音、ぼくたちの会話、それでノインが起き出して来たのだろう。


 「パパ、どうしてここに!?」

 「ノイン、手間をかけさせるんじゃない。お前は私の言うことを聞いてさえいればいいんだ」


 駆け出して、彼らのあいだに入ろうとしたが、今度はアハトの金縛りが右脚にかけられる。つんのめり、すんでのところでバランスを取る。


 「ノイン、逃げろ!」


 ぼくの声も虚しく、ノインは階段下で立ちすくむばかりで、アハトは悠々と一歩一歩進んでいく。くそ、ぼくはなんて無力なんだと拳を震わせる。


 ノインとアハトとの距離はもはや数歩といったところ。座り込んだノインを、アハトが父親とは思えないような眼で睥睨する。ぷるぷると震えるノインに、アハトが腰をかがめて近づいていく。


 「やめ——」


 途端にアハトの顔が破顔した。


 「トリック・エクスクルーシブオア・トリート! お菓子をくれなきゃ、悪戯しちゃうぞぉ☆ のいのいは〜、お菓子を持っていないから〜、悪戯しちゃうぞ☆」


 目が点になっているぼくをよそに、アハトはノインに対して半ば強引に抱きついていき、頬を擦り寄せる。ノインは「うぁーん、パパ、やめてー! 威厳、いげん〜!」と呻いていた。


 「困っている顔もかわいいなぁ〜、のいのいは〜!」

 「やめろ〜!」


 という応酬が繰り広げられる、午前三時のクロックワイズ・メカニクスである。


 いま見せられているものが、何かの幻覚トリックであることを祈るばかりであった。


 ※


 「クスト君、見苦しいところをお見せした」

 「……もう、なんと言ったらいいか」

 「ストラベーンの工場地帯はまもなく完成する。奴隷術者を使った蒸気機関による歯車機構工場ギアファクトリーだ。この歯車街アンティキティラとともに、産業革命の波に飲まれるがいい」

 「はぁ」


 ※


 クロックワイズ・メカニクスの朝は早い。


 結局あんなことがあって眠れるわけもなく、そもそも扉が蹴破られているので防犯も兼ねて、ずっと工房で仕事をしていた。嵐のような出来事で、いまだに現実のものだとは思えなかった。アハトさんに関しては、経営者として尊敬しているところもちょっとあったのだけど……。


 ノインが終始顔を真赤にしていたのが面白かった。


 階段から足音が聞こえる。いつもの寝間着に、ケムリュエから持ってきたお気に入りのクッションを抱きしめて、うちのお姫様が起きてきた。そして、眠たげな眼をまんまるにして驚いていた。


 「クスト、おはおは〜、って、わたしが寝ているあいだにいったい何が……」

 「もう何と言って説明をしたらいいのか……。たぶん聞いても、ウルは信じられないと思うけど。まぁ、とりあえずコーヒーでも飲む?」

 「のむー」

 

 ※


 いつもは一ヶ月に一回は入ってきたマクローリン家の階差機関ディファレンシャル・エンジン修繕依頼だったのだけど、ノインが顔を合わせづらかったのか、その事件から三ヶ月は、依頼が来ることはなかった。

 その分、工房にお金が入らなくて、ふたりしてひもじい思いをしたのは、また、別のお話。

これで第三話がおしまいになります。

次回からはなろう版第四話『星霜骨董箱庭堂へようこそ!』が始まります(*´ω`*)

よろしくお願いします!

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