羊獣娘(オビスアリエス)の来訪者(3)
「心は決まった?」
エルエル=ドリィメリィが再び訪れるころ、まだぼくたちの関係はぎくしゃくとしていた。ウルは相変わらず、すでにぼくの理解をはるかに超えた歯車機構に没頭していた。
それがぼくには、技師として、最後の作品を仕上げているようにしか見えず、なかなか声をかけることができなかった。
ウルはほぼ徹夜で続けていた作業を中断し、工房で大きく伸びをした。
「待ってた。いままで色々迷惑かけてごめんなさい、エル」
「何をいまさら……。たった一時間生まれるのが遅れただけでこんな目に遭って、継承権もなく、よりによってわがままで出て行った姉を迎えに行っているうちの気持ちがわかるの!? うちとあなたを組み立てているものは、何一つ違わないというのに! うちは群れに何ひとつ必要とされていない!」
『翳り逝く宵闇の星配置』。
特等皇女として持て囃された(それが本人にとって良いかどうかは別として)ウルとちがって、彼女は群れの中でも村八分に近い扱いを受けてきたのだという。
ウルよりも羊獣人に必要な魔法的技術は遥かに優れており、自由気ままなウルと違って、虐げられながらも群れに貢献してきた彼女。ぼさぼさの毛並みに隠れた眼には、常闇の怒りが滲んでいるように思えた。
ウルは手にしていたマイクロドライバーを作業台の上に置き、ベルトに並んでいる工具入れのポーチを片っ端からその隣に並べていく。ウルの代名詞とでも言うべき作業着を脱いで椅子にかけ、白いシャツのラフな格好になった。
「何のつもり?」
エルエルが訝しげな眼をしているが、ぼくにだってその理由はわからない。ただわかるのは、ウルが迷いのない眼をしているということだけだ。
「簡単なこと。ウルウル=ドリィメリィ特等皇女は、ケムリュエに帰るわ」
手のひらに汗がじっとりと滲む。覚悟をしていたことではあったけど、実際に目の当たりにすると、胸の奥底で何かが暴れているようだった。声を荒らげて、何なら力に任せてでも彼女を止めたいとぼくは思っていた。
「だから大金はこのクロックワイズ・メカニクスに置いていって」
「……姉さまは本当にその選択をするの?」
「当然」
エルエルからしてみれば、それを望んでいたとしても、とんでもないわがままに見えることだろう。皇女として生まれ、都市で自分のやりたいことを奔放にやったあと、その血筋を利用して安定したところに戻ってくる。それはエルエルには何一つできない選択肢のオンパレードだ。実際、彼女の両手は強く握られ、怒りに打ち震えている。
「そして、エルエル=ドリィメリィは代わりにクロックワイズ・メカニクスに残るの」
「「は!?」」
ぼくとエルエルは同時に声を上げてしまった。
「うちにそんな技術があるわけないでしょ!?」
「そ、そうだよ、ウル。あの修行の日々を忘れたのか。ここの仕事は君だからこそ――」
ふふん、とウルは不敵な笑みを浮かべた。
「だから、入れ替わるのさ。エルはウルウル=ドリィメリィ特等皇女として群れに帰り、わたしはエルエル=ドリィメリィとしてこの街に残る。エルエルが帰らなくても、『群れに何一つ必要とされていない』ので問題はない。お金はここに入るし、全員が満足!」
「そ、そうは言うけど、無理……」
エルエルはもじもじと指を突き合わせる。
「うちは姉さまにはなれっこない。毛だってぼさぼさだし、肌も汚れてるし」
「『うちとあなたを組み立てているものは、何一つ違わないというのに』?」
たしかに生まれてくるのがズレただけで、双子には違いない。群れの視線と育ってきた環境がこの二人を分けたのであって、立ちふるまいさえ気をつければ、外見上入れ替わることは可能なのかもしれない。ただひとつの事情を除けば。
「でもこの眼が……、バレるに決まってる……」
幼いころ熱病で喪われた眼。これがウルとエルエルを隔てる決定的な違いになってしまっている。が、ウルがそれを考えていないわけがない。ここに来てようやくぼくにも分かってきた。ウルがこの一週間、どれほどの難問と戦ってきたのか。
「『魔法と歯車の混合技術』による義眼。これをあなたにプレゼントする。わたしたちの機械力学は、歯車がベースになっているから、このサイズの義眼を造ることなんて不可能。でも魔法ならマイクロメートル単位で回路が組める。それを科学で箱詰めする。ただし、その魔法の制御だけは、エル、あなたが行わなければならないけれど。ギミックを小さなところに詰め込むのは、時計屋さんの得意技のひとつよ」
「だから姉さまは時計の工房に――、でも、本当に、できるの……?」
「わたしを信じて。きちんと動く眼があれば、逆にそれだけエルだと疑われることもないわ。それじゃあ、まず毛並みを整えるために、お風呂に入りましょう!」
※
「何一つ違わないわりには、なんだこの胸囲の格差社会は……」
「自然にこうなっただけだし、姉さまの方に問題があるのでは」
「……削るか」
「うえぇ!?」
※
「法則改変絶縁の交換や高度なメンテナンスが必要だから、定期的に遊びに来て欲しいな。それにいつか、『魔法と歯車の完全調和』によるもっと完璧な義眼を、あなたにプレゼントしたい」
シャワーを浴びて、義眼を嵌めたエルエル=ドリィメリィは見違えるほど綺麗になった。双子というのも納得で、ウルの隣に経つと、これだけ長く一緒にいたぼくでさえ一瞬迷ってしまうほどだ。エルエルの長い毛並みをウルが梳き、予備の作業着を着させる。
「こんにちは。ウルウル=ドリィメリィ特等皇女さん」
「こ、こんちには……。エルエル=ドリィメリィさん」
着ている服は違えども、二人はお互いの顔をまじまじと見た後に、ふふふと鏡写しのように笑った。ウルの格好をしたエルエルは、いままで簡素な服しか着慣れていなかったのか、物珍しそうに服の至る所を触っている。
「もう。それじゃ、群れに帰ったときが心配だわ。もっとすごい服を着るんだから」
「うち、大丈夫かな……?」
「『わたし』、ね?」
多少のアラがあったとしても、もう何年もウルは群れに帰っていないのだ。ケムリュエには幼いころいただけ。いまのウルと多少のズレがあっても群れにはバレないだろうという、ウルの予想だった。おずおずとエルエルがぼくを見上げる。
「これ、似合いますか?」
「うん、とっても」
にぱっと、彼女は笑った。耳が真っ赤で照れている。
ウルがなんかすごい眼でぼくを見ていた。
※
「で、結局、あの不機嫌はなんだったんだ」
「ずっと頭のなかで回路を組み立ててたの! オーバーヒート寸前! それに――」
「それに?」
「わたしがいなくなると思って困るクストの顔が見たかったから」
「あのなあ」
ペロと舌を出して、ウルは笑う。
「それじゃあ、頂いた大金でご馳走を食べに行きましょうー!」
「ないよ」
「へ?」
「ないって。エルエルに貨幣を使った買い物の仕方を教えたら、際限なく使っちゃったみたいで。お陰でこの街の外食産業は潤ったみたいだけど、『飲食店潰しの片眼の羊獣人』って都市伝説が出来たみたい」
『えーっとね、このケバブとコーラと焼き鳥とー、そこのラーメンはカタメでー、それと唐揚げにポテト! 全部、LLで!』
群れでは『星配置』のせいもあって、美味しいものを食べられなかったのだろう。ぼろぼろの格好でも大金は持っている。出店側もあまり強くは言えず、ただただ暴食の注文に答えていったらしい。これから特等皇女として振る舞うエルエルが、ケムリュエの食糧を食べ尽くさないといいんだけど……。
「でも、ウルがそばにいてくれて安心する。お金なんてなくていいんだ。これからもずっと一緒に頑張っていこうよ、ね?」
「……ばか」
理由はわからないが真っ赤になったウルに小突かれるぼくだった。
これでぽっぷこぉーんに寄稿した第一話+第二話が終了となります。
次回からは、『狐獣人の家出少年と万聖節の前夜』
ここからはぽっぷこぉーんにも載せていない書き下ろしになります(*´ω`*)