羊獣娘(オビスアリエス)の来訪者(1)
「簡単なこと。ウルウル=ドリィメリィ特等皇女は、ケムリュエに帰るわ」
『クロックワイズ・メカニクスへようこそ!』
~羊獣娘の来訪者~
クロックワイズ・メカニクス。
それがぼくの務めている歯車機構工房だ。
大きな時計塔が見下ろす蒸気の街『アンティキティラ』、その西の外れに位置している。いまでこそ多くの歯車機構工房が建ち並んでいるが、ぼくの祖父が立ち上げたこの工房こそがその第一号。まだ理論段階だった技術に本格的に取り組んだ、当時は最先端の工房だった。
ぼくの名前は、クスト=ウェナティクス。犬耳に犬尻尾がチャームポイントな犬獣人の血族。種族の特徴としては忠誠心の高さが挙げられて、リンケイシアの騎士団では重宝されているみたいだ(運動がからっきしのぼくには関係ない話だけれど)。
祖父は蒸気を利用した歯車機構技師の第一人者だった。街の時計塔をはじめ、階差機関を利用した解析技術、いまだに模倣すら出来ないとされている虫歯車の特徴的な技術など、多くのことを為した。しかし、その機械式撥条時計で培った想像力の翼は、皮肉にも寿命という時間を味方につけることはできなかった。多くのことを成し得ず、それは弟子の課題として遺された。
弟子――、クロックワイズ・メカニクスの主任技師はぼくではない。祖父は一時期、ぼくに技術継承をしようとしたのだけど、結局は飛び込んできた一番弟子にこの工房を継がせることにした。ぼくはただの事務員であり、そのことにとても満足している。
「ふわああぁぁあ、おはよー」
「おはようございます、ウル」
階段から降りてきたのはパジャマ姿でクッションを抱えたままの少女。ナイトキャップからは可愛らしい巻き角がはみ出ている。
ウルウル=ドリィメリィ特等工女。羊獣人。本来、人間社会を嫌い、群れで生活をしている羊獣人であったが、彼女はへんてこで、とあるきっかけでこの工房に飛び込んで弟子入りを志願してきた。彼女こそが祖父の一番弟子であり、現在この工房のただ一人の主任技師でもある。
食卓のテーブルで眠そうにだれている彼女に、朝食の用意をするのはぼくの役目だ。彼女は朝がとても弱く(そのわりに羊らしく夜はすぐ眠ってしまうのだが)、お昼くらいにならないとエンジンがかからない。
「今日のドレッシングは何にしますか?」
「おまかせで~」
基本的には草食の彼女に合わせ、大盛りのサラダと目玉焼きがいつもの朝食だ。それに眠気覚ましのコーヒー。彼女の好みの砂糖とミルクの量は間違えたりはしない。コーヒーの芳しい薫りに鼻をひくひくさせながら、彼女は寝ぼけ眼でサラダを食んでいる。
食事をしながら、いつもの朝の打ち合わせが始まる。
「マクローリン伯爵の階差機関の件ですが……」
「こないだ直したばかりなのにまた壊したの!?」
「みたいですねえ」
「一ヶ月はいかないよ! どうせ使ってないんだし!」
ウルは頬を膨らませてぷりぷりと怒る。本人は気づいていないが、マクローリン伯爵のとこの少年は、ウル逢いたさに定期的に壊しているらしいのだ。その度に、数千というギアで組まれている機構を診なければならないため、ウルの怒りはもっともだった(ただし、定期的にまとまったお金を落としてくれるので、あまり無下にはできないのだけど)。
「他にはー?」
「ありません」
残念ながら、当時は最先端を行っていたクロックワイズ・メカニクスも、いまでは新規参入業者に遅れを取っているのが現実だ。注文はマクローリン伯爵のような祖父と縁があったものくらいで、それがなくなってしまえばぼくたちは食べていくことはできなくなる。今日も、発注があったのはその件だけで、あとは非常に簡単な修繕や定期メンテが控えているだけ。ザン=ダカ商会からの補助金も、緊縮財政の中であまりアテには出来ないし……。
真剣に将来を憂いているぼくとは正反対に、ウルは途端に眼を輝かせ始めた。
「じゃあ、主任技師は一日部屋にこもって研究を行いますので」
ぱくぱくぱくーっと朝食を平らげて、彼女はすたこらさっさと二階の自分の部屋に帰っていった。大掛かりな機材を除いてほとんどの工具は、工房から彼女の部屋に運ばれている。
彼女には成し遂げたい技術があるのだ――、それは祖父が遺した技術の可能性であり、とある技術者が部分的に成し遂げた『魔法と歯車の完全調和』。
※
半年前、この工房に懐中時計の修繕依頼があった。
依頼主は狼獣人のローラン=ロムルスレムスという傭兵だった。ウルが分解して調べてもその時計が動かない原因はわからず、ひとつの仮説を頼りに、ぼくたちは街の東側に立ち並ぶ貴族街へと向かった。そこでローランと鉢合わせし、殺されかけたところで、猫獣人のガブリエッラ=クァンテリア=フェレスリュンクスに助けられたのだった。
「ご明察。さすがはあのクロックワイズ・メカニクス。さて、そこの狼さん、貴方は何をしているのかしら?」
「え、あ、あぁ、これはだな――」
ガブリエッラは戦争孤児であり身体に重い障害を負っていた。それを戦地で助けたのが傭兵のローランであり、その後、フェレスリュンクス家に預けたのだそうだ。
戦場でいつ死ぬかわからないローランに持たせた一対の懐中時計。そこには魔法で編まれた部品が組み込まれていた。狼獣人にはあらゆる魔法をキャンセルアウトする特性があり、彼がこの時計を持っている限り、この時計は動かない。『絡み合う双子座のマナ』により、どれだけ離れていてもその時計と常に同じ動作をするガブリエッラの手元の時計も動かない。これが動き出したら、それは彼の死の宣告に他ならない――。
独学の天才技術者ガブリエッラが当たり前のように解説をしたその技術は、クロックワイズ・メカニクスの祖父がついに実現できなかった『魔法と歯車の完全調和』のさきがけに他ならなかった。これほど合理的に魔術の特性と機械の特性を併せ持った懐中時計が現れたものだから、ウルの技師魂に火が着かないわけがなかった。
それからのウルウル特等工女は人が変わったように、『魔法と歯車の完全調和』の可能性を模索し続けている。ぼくにはその背中を応援することしかできない。事務方であるぼくのやるべきことは、工房を維持するための資金の工面だ――。
※
カランコロン――。
ソロバンを弾きながら家計簿と睨めっこを続けていると、不意に玄関の扉のベルが鳴る音がした。ぼくは反射的に立ち上がり、そちらのほうにお辞儀をした。
「クロックワイズ・メカニクスへようこそ!」
「依頼があって来たんだけど」
「はい! クロックワイズ・メカニクスになんでもどうぞ!」
「このあたりに羊獣人の少女はいない? 時計に興味を持った――、そうそう、生きていれば、ちょうどうちくらいの年齢の。知らないかなぁ」
予想もしていなかった質問に、ぼくはゆっくりと顔を上げた。見慣れない少女が、工房のあちこちをじろじろと見つめている。一族の特徴的な民族衣装を身にまとってはいるが、薄汚れてぼろぼろである。毛並みはぼさぼさで、右目が隠れている。
羊獣人、どうしていまさら……。
ぼくはウルが部屋から出てこないことを祈りつつ、彼女を見据えた。
「羊獣人の少女ですか? はて? この街にも羊獣人は少ないですし――」
「じゃあ、なぜこんな毛が落ちているの?」
彼女がひょいと拾い上げたのは、ウルの抜け毛だった。朝念入りに掃除をしていたのだが、朝食のくだりで抜け落ちてしまったのだろう。ウルは一族から逃げ出してこの街に来たと聞いている。追手かなにか知らないけど、ここでぼくが頑張らないことには。
「朝に羊獣人のお客さまがいらしてですね、忘れていたなあ!」
「そう。お転婆娘を群れに帰さなきゃいけないんだけど」
「そ、そうなんですか」
「そうそう。ちょうど、あそこの影で震えているような、さ」
弾かれたように振り返ると、階段の上にはウルが座り込んでガタガタと震えていた。集中したらしっぱなしの彼女だったが、ちょっと休憩でもしようと部屋を出てしまったのだろうか。いくらなんでもタイミングが悪すぎる。
「……どうして、あなたがここに」
捻り出すようなウルの声に、目の前の少女はくつくつと笑った。
「お迎え。さ、群れへ帰るよ。あなたは羊獣人なんだから」
「どうして、あなたが……」
「こんな霧っぽい街では息が詰まるでしょ。ほら、そこの君からも言ってあげて。この工房をまるまるリフォームして、さらに二三軒は造れる資金なら一族の長から預かってきてるから」
その言葉に、資金繰りに苦労している事務員としてのぼくの耳はピコンと跳ねてしまった。いやいやいや、と首を振る。確かにそれは魅力的ではあるけれど、この工房にとってウルを失うことは考えられないことだ。
「どうしてそんな大金を積んでまで、ウルを引き戻そうとするんだ……?」
「あれ、全然教えてなかったの? ケムリュエ南部の誇り高きドリィメリィ一族のおてんば姫。ウルウル=ドリィメリィ特等皇女。姉さま、放蕩の時間はもうおしまいだよ」
「……姫?」
おそるおそる振り返ると、ウルが涙をいっぱいに溜めた眼でこちらを見つめていた。こんな姿は初めて見る。祖父にこっぴどく叱られた時も、お金がなくてその辺の雑草に塩をかけて食べていた時も、彼女はこんな表情はしなかった。
単なる家出娘だと思っていた。それが一族の姫だなんて……。見たこともない彼女の表情とその驚きの事実にぼくはどうしたらいいのかわからず、顔を逸らしてしまった。羊獣人の少女がぼくの顔を覗きこんだ。
「おやおや、困ってるね。では、こうしよう。数日したら迎えにくるから、それまでに心を決めてよ。ただ、ノーといった場合でも、必ず姉さまはケムリュエに連れて帰りますので、よろしく。それじゃあ、姉さま、またね。元・気・そ・う・で・な・に・よ・り!」
カランコロンとドアベルが鳴り、重たい沈黙がぼくとウルを包み込んだ。ときおり聴こえるしゃくりあげるような声が、ぼくの胸を締め付けた。もう何年も祖父と一緒に頑張ってきた。彼女の出自を考えないことはなかったけれど、家族のように過ごしてきた――。
今日の後に続くはずの当たり前の明日。
それがこんなにも急に、終わりを告げるなんて。
※
「あ、あのさ、コーヒーでも飲む? なんか喉乾いちゃったよね」
「エルエル=ドリィメリィ……」
コーヒーカップに口をつけたウルが、何時間ぶりに声を出した。
「わたしの双子の妹。生まれてくる僅かな時間の差で日付が変わって、彼女は皇女継承の資格を失った。天星図が『輝き征く暁光の星配置』から『翳り逝く宵闇の星配置』へ切り替わるその瞬間」
「そんなことって……」
「たしかに、そんなこと。でも、羊獣人の一族にはこれが何よりも大切。そのせいでわたしは何もしなくても縁起のいい星のもとに生まれたと『特等皇女』と呼ばれ、彼女は同じ血筋のはずなのに、何の恩恵にも預かれなかった。むしろ迫害された。それが許される『星配置』だったから」
本来、羊獣人たちの暮らす地域というのは、こんな人の多いところではなく、草原のようなところだ。商人を通じて交流はあるものの、外部からの流入も少なく、古くからの慣習は多く残っていると聞く。大草原においてもっとも絶対的なものは天体の動き。星配置による占術を大切に思う気持ちもわからないではないけれど――。
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