猫獣人(フェリシアス)の少女と不思議な時計(3)
「ガブリエッラ=クァンテリア=フェレスリュンクス。幼いころ、紛争地域でローランに助けられて、このフェレスリュンクス家に拾われたんです。そのときの傷で身体の自由が利かないことが多いので、ほら、この特別な車いすで」
膝にかけられたブランケットは、その奥にあるべき厚みがなく、腕にも何らかの障害を負っているように見えた。にも関わらず彼女は明るく自己紹介をし、車いすの手元にある部品を操作する。
すると、蒸気機関のけたたましい音がして、車いすの背もたれ部分が展開し、サブアームが飛び出してきたではないか。わきわきとマニピュレータを動かして、器用なことにぼくたちにティーカップを運んでくれた。
「……すごい」
ウルの技師としての魂が刺激されたのか、その不思議な機械に見とれていた。
「さて、ようこそ。フェレスリュンクス家へ。いろいろとお話は伺いたいのですが、まずはそこのお馬鹿さんを叱ってやらなければなりません。こら」
「……すまん」
こっちがいたたまれなくなるほど、狼傭兵は小さくなって頭を下げた。彼に返却された懐中時計は、もう動いてはいない。試してはいないが、この状態でゼンマイを巻いても動かないだろうというのがウルの見立てだった。
「名探偵さん、それじゃ解決編をよろしくどうぞ」
「……その前に、この時計を造ったのはあなた?」
「ええ」
「お一人で?」
「もちろん。でも、かなりの時間は費やしました、なにせ、特製ですから」
ウルは意味ありげに頷いた。
「その時計はもしかしてもう一つ、対のものがあります?」
「ご名答」
ガブリエッラは車いすのサブアームを器用に動かして、背後のベッド近くのタンスからまったく同じ懐中時計を取り出した。中身を開くと、針は動いていない。
「結論から言えば、いまローラン=ロムルスレムスが持っている懐中時計は壊れていない。『いくらゼンマイを巻いても動かない』というのがこの時計の存在意義だから。では、動かない時計に何の意味があるのか。それは『動き出すという事態に備える』ため」
ウルはポケットから、懐中時計の機構が描かれた紙を取り出して広げてみせた。
「ゼンマイを巻く。多少動力が迂回したり、煩雑な経路を通っているが、そこまでは理解できるギミック。けれど、最終経路の途中にある猫の紋章が描かれた小箱。ここにこの時計の秘密がある」
「いったいどんな秘密かしら?」
「わたしのような技術屋には、何年かけてもこんな構造は思いつかなかったかもしれない。唯一創始者である師匠が言っているのを聞いたことがあるけど、実在していると思わなかった。『魔法と歯車の完全調和』」
マギアヘーベン。
魔法は物理法則を説き伏せ、従わせて己の意志を発現させるもの。歯車は物理法則を解き明かし、それに従い緻密な機構で動くもの。
最初から矛盾をしている。
実現さえすればさまざまな技術が可能となる。が、そのための技術的ハードルは、いまの時代のぼくたちにはあまりにも高く、解決すべき課題はあまりにも多く残されている。
「まさか、そんな……」
「でも、これはその前段階といえるレベルのもの。さしずめ、『魔法と歯車の混合技術』」
「ちょっと待って、ウル」
ぼくはティーカップを置いて立ち上がる。マギアヘーベンは百歩譲って飲み込むとしよう。でもその前に、大きな矛盾がその見立てには立ち塞がっている。
「狼獣人に『魔法と歯車の混合技術』? 何のために?」
ウルは何のこともないように悪戯気な笑みでこう返した。
「狼獣人に『魔法と歯車の混合技術』の時計を渡すため」
この状態のウルはいくら聞いても、回答をそのままくれたりはしない。ぼくはゆっくりと椅子に座り、考え込んだ。
狼獣人。
ハイランド由来の獣人で、気性が荒い戦闘部族。魔法的な親和性はまったくなく、あらゆる魔法が効かず、あらゆる魔法を使用できない。それゆえ戦闘のみに特化した社会を構成しており、各地に傭兵として派遣も行っている。
「ん?」
――魔法的な親和性はまったくなく、あらゆる魔法が効かず、あらゆる魔法を使用できない。
「そうか!」
「そう。あの猫の描かれた箱は、ヴォイニッチ朱鋼の論理絶縁。おそらく中には、魔法で編まれたギアが組み込まれていた。ゼンマイを巻けば動力が問題なく時計の針まで伝わる。わたしやクストなら影響はないけれど、狼獣人はあらゆる魔法をキャンセルアウトしてしまう」
「……すると時計は動かない。でも、何のために?」
「おそらく傭兵である彼の安否を確認するため。解析をかけたら、『絡み合う双子座のマナ』の痕跡があった。ザン=ダカ商会のラジオと同じ原理。ただし、術者は常に魔法を発動していなければならないけどね」
ザン=ダカ商会のラジオは、『絡み合う双子座のマナ』の発動で、はじめてラジオとして機能する。だから、日夜、ガブリエッラという女性はもうひとつの懐中時計を手に祈り続けていたのだろう。
「あの小箱のギアが動き出せば、どんな距離を隔てても、もうひとつのガジェットと同期させることができる。ローランの特性が活きている限り、時計は動き出さない。つまり、ガブリエッラの持つもう一つの時計が動き出したとき――」
「ローランは死んだのだと諦めるつもりだったわ」
ガブリエッラは伏し目がちにそう言った。
「そこの馬鹿狼は私の生命の恩人。私はこんな姿でなんの役にも立てない、動かない時計と同じ。でも、こうして祈ることはできる。貴方が生きて帰ってきて、その時計を私に返すその瞬間まで、私の時間は止まったままなのだと――」
そこまで言ったところで、彼女はジトッとした眼で狼を見つめた。
「もっとも『うわやべえ壊しちまった、でもあいつに壊したなんていったら怒られるぅ!』なんてテンパッて、こんなに待ってる私に帰って来た報告もせずに、ひそひそと工房に修理を頼むなんて、思いもしなかったけれど。もっと男らしい方だと思っていましたわ。巻き込んでしまってごめんなさい」
ガブリエッラはくすくすと笑う。こちらからは傭兵狼の表情は伺えないが、耳まで真っ赤になっていた。
※
「ところでガブリエッラ、『魔法と歯車の混合技術』だっていうなら、基本的には時計として動いていて、俺が死んだら魔法が発動して針が止まるって構造もできたんじゃないのか?」
「あら。それは、大切なものを壊してしまって焦る貴方の顔が見たかったから」
「……あのなあ」
※
「とりあえずこれで一段落ですね。報酬もいただけましたし」
フェレスリュンクス家から迷惑代として相場の何倍もの金額を包んでくれた。実質的にぼくたちは何もしていないのだから、こういうお金をもらうのは技術者としてのウルの嫌うところなのだが、今回は何も言わなかった。どころか、ガブリエッラの部屋にあった我流の歯車機構に興味津々といった様子だった。
「ウル……?」
「悔しい」
「はい?」
「『魔法と歯車の完全調和』は知識としては持っていても、あの女性のように実現に近づくまで至らなかった。でも、もう少し考えていればできたはずなんだ。もう一度クロックワイズ・メカニクスを歯車機構の最先端にできはずなのに――」
ウルは道路の真ん中で立ち止まって俯きながらそう言っていた。こういうひたむきさと素直さは極めて彼女らしい。ぼくも祖父もそこが気に入って、クロックワイズ・メカニクスを継がせたのだから。
しかし、ウルは魔法的なものやオカルト的なものに対してトラウマがあるらしかった(でなければ、群れを好む羊獣人がひとり街に出てきて、技師にはならないだろう)。だから、頭ではわかっていても、魔法の絡む技術を無意識的に忌避していたのかも知れない。
「ウル」
――ぼくでは君を支えることしかできないけど、でも、君を支えることだけはできるんだ。
「もう一度、フェレスリュンクス家に遊びに行こう。美味しい紅茶とお茶菓子と自慢の工芸品を持ってさ。きっと彼女も喜んでくれる。今日はあの狼と猫がいちゃいちゃしはじめてゆっくりできなかったけど、そのときに技師同士ゆっくり語り合えばいいよ」
「クスト……」
「ガブリエッラは独学で独創的なものを生み出したかもしれないけど、ウルにだって正統な技術継承が師匠からされているんだ。二人は方向性が違うだけで、優劣はない。あの人からウルが学べるだけ、ウルがあの人に教えられることもあるはずだよ」
※
クロックワイズ・メカニクス。
それがぼくの務めている歯車機構工房だ。
大きな時計塔が見下ろす蒸気の街『アンティキティラ』、その西の外れに位置している。いまでこそ多くの歯車機構工房が建ち並んでいるが、ぼくの祖父が立ち上げたこの工房こそがその第一号。まだ理論段階だった技術に本格的に取り組んだ、当時は最先端の工房だった。
「ウル、階差機関で解析しないといけないのはわかりますけど、それ蒸気機関なんですからね! 薪割るの手伝ってもらいますよ!?」
「それはクストの仕事ー」
「ぼくは水蒸気のついた工具を拭うので精一杯なんです!」
「がんばれー」
今日もぼくたちは無理難題な依頼に東奔西走しながらも、クロックワイズ・メカニクスの看板を背負って生きている。ウルの秘密兵器は彼女の計算ではそろそろ完成するのだろうけど、機械的挙動と魔法的特性のすり合わせに難航しているらしく、ぼくではもう設計図が読めないレベルにまで達していた。それでもウルは毎日楽しそうに、細やかな作業を続けていた。
新聞を読みながらそんな姿を眺めていると、ドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ、クロックワイズ・メカニクスへようこそ!」
次回からは『羊獣人の来訪者』。
ケムリュエという田舎に群れをなして住んでいるはずの羊獣人の少女が、クロックワイズ・メカニクスを訪ねてくる物語です。
今回と同様の三話構成です。