猫獣人(フェリシアス)の少女と不思議な時計(2)
クロックワイズ・メカニクスの朝は早い。
いつもは遅くに起き出してくるウルが、工房でまだ作業をしていた。
「あれ、ウル、おはようございます」
「ん、ああ、クスト。おはよ」
「結局徹夜ですか」
細かな部品を凝視することで酷使されたであろう彼女の眼は真っ赤。身体中が凝っているのだろう、しきりに首を鳴らしたり伸びをしていた。
手元を見れば、例の懐中時計の分針がカチリと動くところだった。
「直ってるじゃないですか、ウル!」
「そーなんだよ」
その割には随分と不機嫌そうだった。眠気や疲労のせいではないだろう。たいていこういうとき、ウルは飛び上がって喜ぶものだ。それが彼女をあんなに悩ませるような複雑な機構の修理だとすれば、なおさら。
「直ってしまったんだ、何もしていないのに」
ウルの話はこうだった。
複雑な歯車の機構を取り除いていくと、中に極小の箱のようなものが組み込まれていたという。黒く塗り潰された箱には、白い猫の紋章。そんな部品はいままで見たことがない。けれど、重要な動力の通り道に組み込まれている。
これが原因なのか、と思ったのが、午前三時ほど。うとうとしているとカチリと何かが内部で噛み合う音がして、試しに元通りにしてゼンマイを巻いてみれば、一切の問題なく懐中時計が機能し始めたということらしい。
「納得がいかない!」
作業机をダンと叩く。いくつかの工具が転がって落ちてしまった。ウルはくまの浮き出た機嫌の悪い眼でぼくを睨みつけて「寝る!」とだけいって、お気に入りのクッションを抱きしめながら二階に上がっていった。大きな欠伸の声が聴こえる。
技師としてウルは少しも納得がいっていないようだが、ぼくからしてみれば、部品も何も消費せずにひとつの案件が終了したのでほっとしていた。
これであの狼が来ても、毅然と対応できるだろう。『分解してみましたがよくわかりませんでしたし、動きもしませんでした』では、洒落にならない。
――カチ、カチ。
手の中の懐中時計は、たしかに時を刻んでいる。
※
――カチ、カチ。
手の中の懐中時計は、たしかに時を刻んでいる。
機械式撥条時計。
正確に時を刻む、そのためだけに生まれてきた機械。
果たして、時を刻むことのない時計に意味はあるのだろうか。
「はぁ……」
覚悟はしていた――、けれども受け入れがたいこの結果に、私はため息をついた。
箱の中の猫は、生きているのか、死んでいるのか。
※
朝食を終えて二階に登ると、ウルが豪快ないびきをかいていた。その寝相の悪さに掛け布団が剥がれており、ぼくは苦笑しながら直してあげた。鼻には時計の分解作業で触ってしまったのだろう、黒い油がついたままだ。
羊獣人。
西部バースの田園牧草地帯、ケムリュエ土着の獣人。耳にある羊の角が特徴。大人しく、魔力との親和性は高い。羊獣人は非常に群れたがる性質を持ち、群れから引き離されると強いストレスを受けるという。
だから彼らは独自のコミュニティを築き、『星配置』というものを信仰している。街でも見かけるがほとんどが出稼ぎのようなもので、街に定住する羊獣人はほとんどいない。
それを思うと、ウルウル=ドリィメリィはへんてこな羊獣人だった。
『あの時計を造りたいんです!』
そう言ってこの工房に飛び込んできたのは、まだウルが十二歳のころだった。ケムリュエを訪れた行商人が持っていたクロックワイズ製の機械式撥条時計に感動し、集落を飛び出してきたのだという。
そしてこの街のあの大きな時計塔を見て、興奮のあまり卒倒しそうになったらしい。その後、なんかやんかあって祖父は彼女を弟子として受け入れ、工房を継がせた。
機械時計というものの存在は、明らかに魔法文化から科学文化への変遷を意味する工芸品だった。非戦闘魔法に長けた羊獣人のウルがそれほど科学に傾倒する理由はわからないが、それでも彼女の時計に対する情熱は本物だと思う。でなければ、祖父のあのシゴキには耐えられなかっただろう。
「う、うぅん」
寝返りを打ったウルの無防備な表情に不覚にもドキッとしてしまったぼくは、彼女を起こさないようにゆっくりと部屋から出た。
※
「おいこら! 動かねえじゃねえか!」
「え、あれ!? おかしいな、さっきまでは動いていたんですが……」
二階でウルが可愛いいびきをかいているころ、ローランと名乗った狼獣人の傭兵が来店した。ぼくは自信満々で懐中時計を差し出して、さて、いくらぼったくろうかと歯車演算機構を弾いていたところだった(ウルがいると「何もしていないのに金を取るなんて!」と怒るので、これはチャンスだったのだ)。
が、時計は彼が持ち込んだときのまま。
何故か時を刻むことはなく、ピクリとも針は動かなかった。
「馬鹿にしてんのか、てめえ」
胸ぐらを掴まれ、息ができなくなる。カウンターの上に置かれた懐中時計はたしかに時を刻んではいない。彼がやってきてからゼンマイを巻いたので、動力が足りないわけではない。
どこかが空回っている? でも、ぼくたちはたしかにあの時計の針が動いているのを見たはずだ……。首をかしげていると、どこか静電気のように肌がピリつくような違和感があった。
「おい、ここは何屋だ?」
「……クロックワイズ・メカニクス。歯車機構の修理を」
「なら、直せるよなあ?」
酸欠状態になりながらも、必死に頭を縦に振る。工房創始者である祖父からの教育でもあった。たとえ無理とも思える注文でも受けるのがこの仕事なのだと。そして直すのは機械ではなく、お客が抱えている問題なのだと。
狼獣人の鋭い眼光が光る。
「お前は直せると言った。俺はそれを聞いた。明日また来る」
急に手を離されて咳き込んでいると、ドアのベルが鳴るのがわかった。ローラン=ロムルスレムス。時計が直った暁には、どのような経緯で手に入れた時計なのか聞き出そうと思っていたのだけど、とてもそんなことを聞けるような感じではなかった。やはり盗品で高く売ろうとしているのだろうか。
動かない時計に価値はない……。
「いったい、何が起こっているんだ……?」
――チッ、チッ、チッ。
針の動く音。この工房の大時計ではない。時を刻む音。今朝、ウルとともに聞いた音だ。
二階から降りてくる寝巻き姿のウルが目に入った。
「狼は帰った?」
「ええ、よく眠れましたか、ウル」
「怒鳴り声がするから起きちゃった」
咳き込んでいるぼくには目もくれず(歯車機構ばかりではなく、もう少しぼくの心配をして欲しいところであるけど)、カウンターに置かれている銀色の懐中時計を手にとった。
「……やっぱりそうか」
ウルはポケットから丸めたノートを取り出していくつか万年筆で書き込みをした。もうその瞳から眠たげな雰囲気は払拭されている。
ノートを覗いてみれば、昨日解体した時の細かな部品の記載や動力の伝達経路が記されていた。手計算でできない部分は、我が家の階差機関を使ったのだろう。道理で夜中うるさかったわけだ。
「クスト。彼はこの時計を壊してはいないようだ」
「……どういうこと?」
※
「必ず生きて帰ってください」
「ああ」
「約束ですよ?」
「ああ」
「何処かで死んだりしたら、わたしも後を追いますからね」
「ああ」
「……無事を祈って、この時計をあなたに」
「ああ」
「大切なものです。壊したり失くしたりしたら承知しませんよ?」
※
「ここで匂いは途切れていますが」
「貴族街か、狼獣人がねえ」
犬獣人であるぼくの嗅覚を利用して、ローランの行方を追った。工房のある西区を離れ、人混みのある商店街を避け、はじめて通るような裏路地をいくつかくぐり抜ける。どこにたどり着くのかと思えば、貴族の屋敷が立ち並ぶ区画で匂いが途切れていた。彼の姿は見えないが。
「ここはフェレスリュンクス家の屋敷?」
「猫獣人ですね。狼獣人ではないはず。名前は聞いたことがあります。ザン=ダカ商会にも出資している、由緒ある家だというくらいですが」
猫。ぼくたちは否が応でも思い出してしまう、あの懐中時計のブラックボックスに描かれた猫の紋章を。あれさえなければ、多少複雑な懐中時計ということで修理も可能だった。しかし、あの箱がおそらく気まぐれに時計を動かしたり止めたりしているのだ。その法則にウルは気づいているのだという。
その証拠に、いま、時計は動いている。
「呼び鈴鳴らしてみましょうか」
特に何も考えずそう呟いたぼくは、ウルのほうを振り返った。するとその瞬間に、突風のような何かに身体を突き飛ばされてしまった。
「痛ッ、たぁ……」
体当たり?
こんな貴族街で一体誰が……。
「ひっ、」というウルの怯えた声が聴こえる。尻もちをついたまま見上げると、例のあの狼傭兵が殺意剥き出しの瞳で見下ろしていた。いったい何処に隠れていたのか、まったく気配を伺うことができなかった。
「何のつもりだ、犬っころ」
「ぐっ、あなた……、こそ」
ローランは腰から歯車機刃とギアボックスを取り出し、その箱をナイフに嵌め込んだ。箱に封ぜられたゼンマイの動力がギミックナイフに伝わり、ギザギザの刃先が唸りをあげて回転し始める。理屈では知っていたが、初めて見る『人を殺すための機械』に腰が立たなくなる。
「どうしてここが――、そうか、嗅覚か。直せないからって、ズルはいかんな」
ぼくの前にウルが立ちはだかった。
「クロックワイズ・メカニクスにあの懐中時計は直せません」
「あぁ?」と怪訝な顔をされるが、彼女はもう隠れることはなかった。そのままぼくの前で手を広げ、まっすぐに狼を見つめている。
ぼくの位置から見れば、脚ががたがた震えていたが……。
「お前があそこの技師か、羊っこ。壊れた時計を直すのがお前の仕事じゃねえのか!? 別に俺はほかの工房に依頼したっていいんだぞ」
「ウルウル=ドリィメリィ特等工女。壊れていないものは、直せません。製作者の意図に沿わない挙動を壊れたと呼ぶのなら、むしろ壊してしまったのはわたしたちのほうでしょう」
ウルの宣言に、ぼくと狼がぽかんとする。
ぱちぱち。
屋敷の方から拍手の音が聴こえ、ぼくたちは反射的にそちらを振り向いた。豪奢な門扉の向こうの中庭で、車いすに乗った猫獣人の女性が柔らかな微笑みでこちらを見つめていた。
状況がわからず沈黙してしまう。拍手とギミックナイフの駆動音だけが聞こえていた。
「ご明察。さすがはあのクロックワイズ・メカニクスですね。さて、そこの狼さん、貴方は何をしているのかしら?」
「え、あ、あぁ、これはだな――」
さきほどの傭兵らしい殺意は何処へやら、車いすの華奢な女性に、ローランは慌てふためいていた。まるで母親に悪戯を見つかった子供のようだ。
「とりあえずそんな物騒なものは仕舞って。話すべきことは山ほどありますが、まずは屋敷にいらっしゃいな。そちらの名探偵さんも。歓迎いたしますわ」
◯主にTwitterで呟いています:@aimiele(https://twitter.com/aimiele)
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