狐獣人(ヴェルペ)なメイドの勤務日誌(2)
「ウルさん、あれはなんでございますか? マクローリン家の屋敷にも似たようなモノがあったと思いますが」
それからクゥは結局数多くの硝子を割り、細かなギアの入った小袋をぶちまけていった。いくつか年代物歯車機構も破壊していった。メイドらしく後片付けもやってくれるし、代わりの品はノインの財布から出すというので損はしていないのだけど、わたしはげっそりと疲れてしまった。
「あの機械、屋敷で動いているところをあんまり見たことがないんでございますの。ノイン様が綿密に故障させて、あなた方がのこのこと修理をしに来るところしか見たことがありませんわ」
酷い言われようだったが、それは置いておいて(金づるだし)、クゥはこの工房の中でもっとも壊してはならないものに眼をつけてしまった。
馬鹿のひとつ覚えみたいに触りに行くクゥを全力で羽交い締めにして、接近を妨げる。悪意もなくそんな破壊行為を続けられるなんて、なんなの、世界の破壊者なの?
「あれはどういう歯車機構でございますか?」
「階差機関」
わたしはしぶしぶその名を告げた。
クゥが興味を持ってしまったそれは、様々な工具や歯車機構が並ぶこの工房の中でもひときわ大きく、そして重厚。使われている歯車の数もゆうに千を超えるため、人の力ではもはや回すことができない。そのため、アンティキティラらしく、蒸気機関の力を借りてごりごり回している(クストが必死に薪を割って)。
「そんなに歯車を使って何をするのでしょう。エンジンとはいいますが、見たところ、歯車自動車のように動き出すわけでもなさそうですし。ノインさまのところの階差機関も、動いているところを一度も見たことがありませんわ」
こちとら必死こいて毎回直しているのに、この言われようである。わたしは技師として、盛大なため息をついた。さて、階差機関をこの雌狐にどう説明したものか。
「この機械はね、わたしたちの仕事を補助してくれるものなの。歯車機構の発展によりアンティキティラが栄えてすでに三十年が経つわ。その間に、歯車機構は異常なまでのスピードで高度に発展していった」
「歯車計算機や歯車自動車、歯車巨大自律機械ですわね。いまではそれがないと、社会が成り立ちませんわ」
「そう。歯車機構が人々の手のひらのサイズで高性能化していったということは、その中身はますます複雑化しているということ。師匠がこの工房を立ち上げたころでは、まだ手計算で機構の挙動を計算することができたんだけど、いまではどうやったって無理なの」
師匠からは図面の引き方からみっちりと習った。時代の流れを意識していた師匠だったが、やはりこの部分での基礎があったからこそ、クロックワイズ・メカニクスといえる精緻な製品を仕上げることができる。
「でも計算でございましょう? がんばればそんな機械使わずとも計算できますわ」
「うわ、馬鹿っぽい!」
「んまっ! 失礼ですわ」
「世の中には人の手では厳密に解けないような方程式が多く存在しているの。むしろきちんと解ける方が稀。さまざまな歯車、ぜんまいばね、スプリングにベアリングを組み合わせて、どこがどのように動いて、どのような出力を発揮し、どのような負担がかかってしまうのか、計算しなければわからないことも多い」
世の中にはそれを気にせず、動けばいいと思っている工房も多いけれど、そのあたりを気にすると気にしないとでは、耐久年数に十数年の違いが出てしまう。量産化が進んでいるとはいえ、まだまだ高い歯車機構だ。ほんとうに客のことを思う師匠のこだわりだった。
「でもその方程式は『解けない』のでしょう、計算は無理じゃございませんこと?」
「厳密にはね。でも階差機関でニュートン近似をかけてごりごり気合いで計算をすれば、実用に耐えるレベルの近い値を得ることができる。その繰り返しは人間業ではないわ。このパンチカードに指示を書いて、計算してもらうの」
ソフ=ウェナクィテスは階差機関の可能性にいち早く気づき、そのアイディアの段階からバベッジ伯爵に積極的に関わって、クロックワイズ式階差機関を考案したほどだ。逆に言えば、ただの職人と、ソフ=ウェナクィテスとのちがいは、そこにあったのかもしれない。
「例えば、これ。いまわたしが設計している天体軌道歯車機構だけど、これの軌道計算がこの数式なの。おかしなことにこの世界から見える星空は、地動説を採用しても計算が合わない箇所がある。だから、ケムリュエなんかは『星配置』なんてオカルトに走ったりするんだけど、これは合理的に軌道を計測・予測するもの。人の手で計算したら何日かかるかわからないわ。だからいま、これをテイラー展開してパンチカードに落として――。って総和記号とか積分記号とか読めないか」
「読めますわ。マクローリン家のメイドたるもの、そのくらいの教養は修めていましてよ。でもこの程度の演算だったら、別に機械を使わなくても……」
「は!?」
わたしのノートを見つめるクゥの表情が一変する。金色をした瞳孔がきゅうぅっと狭まり、おちゃらけているような表情が引き締められる。目線はそのまま、机の上の切れ端に絶対真理を記述する自動筆記のように、次々と数字が書き連ねられていく。
「とりあえず単位時間の整数倍で十までって感じございます。有効数字は五桁でよろしかったですか?」
「え、ええ!?」
わたしは目の前で起こっていることが信じられなかった。
「ちょっと理解ができないんですけど。もしかして、でたらめ?」
「その階差機関とやらで計算をするとわかると思いますわ」
怪訝な顔をしていると、雌狐が微笑んだ。
「もともと狐獣人は幻術が得意でしょう? だから他の種族よりも繊細なマナのコントロールが要求されるんですの。だから、自然と演算能力だけは発達しているんですわ」
それにしても異常過ぎる。
わなわなとメモ用紙を手にとって震える。この計算結果を得るために、わたしたち技師は、蒸気機関を使ってまで何千という歯車を廻しているのだ。いったいなんなんだこれは。しかもいまわたしが設計している天体軌道歯車機構は、いままでのどの歯車機構よりも複雑だ。それなのに――。
狐に頬をつままれた。
「夢じゃありませんわよ、ウルさん?」
「いひゃい。いひゃいって、くふ。それにしてもおかしいよ。狐獣人だからって程度があるでしょう。みんなそんなレベルで計算ができるなら、師匠はマクローリン家に一級品の階差機関を贈っていない」
ようやく頬から指を話したクゥは、わたしの名推理を受けて、少し顔を曇らせた。そして手元の極小歯車の詰まった紙袋を、机の上にぶちまける。
「ちょ、」
「六百七十九個。そのうち五百八十八個は袋に書かれているとおり、九七式プトレマイオスギアなんでしょうけど、残りの九十一個はよく似た粗悪品ですわ。掴まされましたわね」
「な――!」
「数えることだけは得意なんです、私。何故こんな能力を身につけたのか、どんな過去があればこんな芸当ができるのか、もしこれが短編小説であれば、紙幅の都合でつらつらと過去を語るんでしょうけど、それは私のプライバシーに関わるものですから、ひみつですわ」
「はぁ」
「それにしても階差機関、やっと私の次に計算が速いやつができたというわけですわね」
※
「そんなに計算がすごいならどうしてもっと早くに技師を目指さなかったの? あれ暗算でできるなんて、かなりのアドバンテージだし、誰にも真似出来ない」
「それなんですが――」
がしゃーん。ぱりーん。どごーん。……ぽんっ。
「私、不器用でして」
※
「ウルさんは、クストさんとお付き合いされているんですか」
「……ッ! いきなり何を!?」
「いえ、異種族なのに仲が良さそうなので。それにずっとこの工房のひとつ屋根の下で暮らしているんだとか。夫婦の契りは交わしたんですか?」
クゥは綺麗な金色の眼で見つめてくる。
「……そんなんじゃないわ」
「そうですか! それなら安心しましたわ!」
「あんしん?」
ゾクッと背中に冷たいものが走るのを感じた。
雌狐は満面の笑みで微笑んでいた。
※
しばらくすると、ザン=ダカ商会からクストが帰ってきた。
「やぁ、ただいま、ウル。クゥさんと仲良く過ごせた? って、なんだこれ――」
「えっとね、キッチンが爆発したよね」
とりあえず小休止ということでお茶にでもしようと思ったら、クゥが「それならメイドの私がいれますわー! ウルさんはゆっくりくつろいでいてくださいませー! ローズヒップでよろしゅうございますかー!」としゃしゃり出てきて、任せたところ、これである。
クストが眼を丸くしていた。
「ごめんなさい、ご主人様」
しゅんと耳を垂れたクゥが、上目遣いでクストを見つめる。もふもふの尻尾が左右にゆっくり揺れている。クストが何故か、頬を赤らめた。
「申し訳ありませんですわ。私、こんな貧乏くさいキッチンを使うのが初めてで――、もとい、こんな慎ましいキッチンは初めてでございましてよ」
「……そ、そうなんだ。いろいろごめん」
「すぐに片付けますわ。それにしてもこんな惨事をご主人様に見せてしまうなんてメイドの名折れ。どうか許してくださいませ〜!」
そういって、あろうことかクゥはクストの腕に絡みついたのだった。狼狽えているクストだったが、それを外そうとはしない。すりすりと擦り付けるクゥ。主張の強い胸がそれに合わせてかたちを変える。
口に運ぼうとしていたクッキーが砕け散った。
「ちょっと! クゥはさっさと片付ける! すぐにレクチャーを再開するから、覚悟をしていてよ!」
「あいあいさーですわー」
とこちらの意図など理解していないような口調で、クゥはキッチンへと向かっていった。さっきから片っ端から壊しているので、掃除道具は出しっぱなしだ。
「あの、ウル、なんか怒ってる?」
「怒ってないよ少しも怒っていないし晴れ渡るような穏やかな気持ちだよそれともクストなにか怒られるようなことでもしたのかな」
「い、いえ、なにも」
――こいつが一番わかっていない!
冬を迎える前のリスのように頬をぷんぷんに膨らましても、こいつは少しも察してくれない。まったくもぉ。
そんなわたしをよそに、クストは書類を広げながら、『ヴァン会長から指摘されたんだけど、魔法と歯車の完全調和の実現可能性についてだけどさ――』とか『このプランが実現すれば、かなりまとまったお金が入るはずなんだ。そうすれば、ウルも――』とか、そういう話をし始める。
そんなにお金が好きなら、マクローリン家の子になっちゃえ。
「もういいよ! 散歩してくる!」
胸の中のもやもやが我慢できなくなって、わたしはクロックワイズ・メカニクスを飛び出した。エルエルから貰ったなけなしのお金がポケットの中にある。
今夜はこれで飲み明かそう……。
「クストのばぁか!」
※
「ウル、なにかあったのかな?」
「さぁ、虫の居所が悪いんじゃありませんか。さぁ、ご主人様、クゥお手製のローズヒップティーでございま――、ってきゃあ! ごめんなさい。ご主人様のおズボンに溢してしまって! すぐに拭いますわ!」
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◯クロックワイズ・メカニクスの小説本及びコミカライズ版2を、ぽっぷこぉーんさんの協力のもと製作中であります(*´ω`*)
◯この『狐獣人なメイドの勤務日誌』の初出は、2016年12月の『PopCorn!vol.10』です。
◯主にTwitterで呟いています:@aimiele(https://twitter.com/aimiele)
◯ブログはこちら:http://aimiele.hatenablog.com/




