狐獣人(ヴェルペ)の少年(1)
ウル、ぼくと一緒になってほしいんだ。必ず幸せにしてあげるから。
『クロックワイズ・メカニクスへようこそ!〜狐獣人の少年〜』
クロックワイズ・メカニクスの夜は遅い。
ぼくの名前は、クスト=ウェナクィテス。犬獣人。この時計工房の経理をやっている。世界的に進んでいく産業革命の波に飲まれないよう、古き良き時計工房をぼくの代で潰してしまわないように、帳簿とにらめっことをしている毎日だ。
「んー、どう工面しても色々無理があるんだよなぁ」
月光に照らされた机の上、にっちもさっちもいかなくなったメモ用紙に、万年筆でぐるぐる書きなぐって、丸めて捨てる。切り詰めるところはあらかた切り詰めた。三ヶ月ほど前にあった、羊獣人の来訪者から始まった事件では大金を手に入れるチャンスだったのだが、その子がどうしようもなくポンコツだったために、ほとんどお金は入ってこなかった。
「……クスト、クスト!」
ぼくの名を呼ぶ声が聞こえて振り返ると、部屋のドアが少しだけ開けられていて、我がクロックワイズ・メカニクスの職人、特等工女のウルウル=ドリィメリィが小刻みに震えていた。
「ウル、珍しいね、どうしたの? おねしょはだいぶ前に治ったでしょ」
「ちがうよ!」
冗談は置いておいて、ウルがこんな夜更けに起きだしてくるなんて本当に珍しいことだった。地震があっても、雷が落ちても、近くで火事が起こっても、いまは亡き祖父が怒り散らかしていたとしても、一度寝てしまえば梃子でも起きないのが羊獣人の彼女だった。
「ゆ、ゆゆゆゆゆ、幽霊が」
「幽霊?」
プスーっと吹き出してしまったぼくを見て、ウルが頬を膨らませた。いくらこの工房がボロいといっても――、もとい、由緒正しい風格溢れる建物だとしても、さすがに幽霊なんてお目にかかったことはなかった。ウルも科学の申し子である技師であり、それをよく知っているはずなのに、産まれたての子羊のように涙を震えている。
涙を浮かべた眼で見つめられて、ぼくはたじろいだ。
「わかった。どこ?」
「廊下。ぼやーって光って……、カタカタカタ、って!」
とりあえず武器になるかどうかはわからないが、祖父の使っていたスパナを握りしめて、おそるおそる廊下に出てみる。ウルは不安そうにぼくのシャツの裾を掴んでいた。いつもウルに振り回されるぼくだけれど、たまにはこういうのも悪くはない。
「さて、と――」
この深夜、ふたりきりで暮らしているこの工房の廊下は、たしかに裏寂しい雰囲気があった。月光が届かないところには、溶けるような闇がざわついている。観葉植物の影、遠くで聞こえるケモノの鳴き声、不規則な風の音。
「クスト、クスト、大丈夫?」
「ん、大丈夫だよ。なんにもいない」
たしかに不気味な様相を見せるこの廊下だったけれど、言ってしまえばそれまでだった。ウルのいうような幽霊なんてない。ウルが寝ぼけて何かを見間違えたか、あるいは夢のつづきを歩いているのだろうと思って、ぼくは彼女を部屋に帰そうとした。
「……むり。ぜったいにむり」
「は?」
「きっとクストがいると出てこないんだ」
ふんすっ、と踵を返したウルは、あろうことかぼくの部屋に入っていき、ベッドにダイブした。そのまま布団を頭まで被って、籠城を決め込んだ。まだふたりとも小さかった頃ならともかく、おとなとは言わないまでも、年頃の男女がこういうのはよくないと思うんだ。と、ぼくは思うのだけど、ウルはそう思っていないらしい。
きっとあのころの兄妹のような関係のままでいるのかも知れなかった。それは嬉しくもあり、やはりどこか寂しくもある。月光に照らされる彼女の寝顔は美しかった――とか描写したいんだけど、完全におはぎみたいになってるし。
「じゃあ、ぼくはウルの部屋で寝ようかな」
「いじわる!」
「はいはい」
とりあえずまだヤるべき事務作業は残っているから、それを片付けることとして、ぼくは椅子に腰掛けた。インク壺に浸して、ザン=ダカ商会に対する補助金の申請書や工房互助会への請願書を書かなくちゃいけない。
万年筆を握ってみるも、どうしても集中できずに、ちらっとベッドの上を見やる。
「……男は狼だって、誰かに習わなかったのかなあ」
ぼくは犬だけどさ。
誰にも聞こえないそんな独り言をよそに、ウルは安らかな寝息を立て始めた。
※
結局その日は一睡もできず(できるわけがない!)、祖父の遺したノートを読み続けて眠気を誤魔化していた。何度か眠気に負けて机に突っ伏したことはあるが、いざ寝ようとすると、ウルの寝息が耳について眠れず、逆にもう襲ってやろうと立ち上がっては自己嫌悪することしきりだった。
「ふあぁ〜あ」
クロックワイズ・メカニクスの朝は早い。大きなあくびをしながら、朝食用のサラダをこしらえる。半目になりながら珈琲を淹れつつ、船を漕ぎながら目玉焼きのフライパンを振るう。
「ふわああぁぁあ、おはよ、クスト」
「ふわああぁぁあ、おはよう、ウル」
今日はぼくの枕を抱きかかえて階段を降りてくるウルだった。いつもの大きなあくびに、今日はぼくも釣られてしまう。っていうか、あれだけぐっすり寝ててまだ眠いのかこの娘は、と呆れてしまう。
「コーヒー、ふあぁ、いかがです」
「ふぁふぁ」
「ふわああ」
こんなんで仕事になるわけがなかった。あくびとあくびの無限応酬、いわばあくびのウロボロスに飲み込まれてしまったぼくたちは、朝食を済ませて、一緒に歯を磨いた後に、倒れこむように工房のソファで眠りこけてしまった。
そして眼が醒めたのは夕方頃で、慌ててぼくたちは夕食の支度をした。食べたら食べたで、いつもの生活習慣が発動し、眠くなってしまう。ほとんど仕事が済んでいないことが愕然としながらも――、そして1日誰も呼び鈴を鳴らされなかったこの工房の需要のなさに呆れつつ、深夜、いつものように仕事をしていると、ウルが飛び込んできた。
「……クスト、クスト! また!」
「幽霊?」
ウルの幽霊騒ぎはほとんど毎日のように続き、そのたびにウルはぼくの部屋で寝泊まりするようになり、慢性的な寝不足になるぼくだった。勤勉で知られる犬獣人の片隅にもおけない。
まったくもって仕事が手につかなかった。色々と我慢をしているぼくの身にもなって欲しいくらいだった。それにそろそろ工房のなけなしの資金も底をつこうとしている。なにせ、ぼくたちが食っちゃ寝のぐーたら生活を送っているのだから。
「ぼく、犯人がわかった気がする」
「不思議とわたしも。原因はわからないけど、犯人だけはわかったような気がする」
「行こう」
「行こう」
そういうことになって、幽霊騒動が始まって三日後、ぼくたちは、貴族街のフェレスリュンクス家を尋ねた。車椅子の猫獣人ガブリエッラ=クァンテリア=フェレスリュンクスと、その恋人である狼獣人ローラン=ロムルスレムスが出迎えてくれた。
「あなたが幽霊騒動の犯人でしょう」
「お、俺じゃねえよ!」
ローランは慌てて首を横に振った。だが、ぼくたちは疑いの眼を止めやしない。あの懐中時計の事件だって、エルエル=ドリィメリィの件だって、トラブルはいつもこいつが持ってくるのだから。
すったもんだを三十分ほど続けたところで、ガブリエッラが車椅子を動かして、仲裁に入ってくれた。
「まぁまぁ、この馬鹿にそんな悪戯をするような知恵はありません」
「たしかに」
「おい!」
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◯クロックワイズ・メカニクスの小説本及びコミカライズ版2を、ぽっぷこぉーんさんの協力のもと製作中であります(*´ω`*)
◯この『狐獣人の少年』の初出は、2016年8月の『PopCorn!vol.9』です。
◯主にTwitterで呟いています:@aimiele(https://twitter.com/aimiele)
◯ブログはこちら:http://aimiele.hatenablog.com/




