猫獣人(フェリシアス)の少女と不思議な時計(1)
「大切なものです。壊したり失くしたりしたら承知しませんよ?」
『クロックワイズ・メカニクスへようこそ!』
〜猫獣人の少女と不思議な時計〜
クロックワイズ・メカニクス。
それがぼくの務めている歯車機構工房だ。
大きな時計塔が見下ろす蒸気の街『アンティキティラ』、その西の外れに位置している。いまでこそ多くの歯車機構工房が建ち並んでいるが、ぼくの祖父が立ち上げたこの工房こそがその第一号。まだ理論段階だった技術に本格的に取り組んだ、当時は最先端の工房だった。
ロビーの古時計が午前六時のベルを鳴らす。朝焼けとともに、この雑多な街も眼を醒まし始める。にわとりの鳴き声が響き、もうしばらくすれば美味しそうな朝食の香りが街を包むことだろう。
「ん〜、今日もいいお天気!」
パジャマから着替えて、冷たい水で顔を洗ったぼくは、ここの工房を継いでから毎朝欠かさず行っている儀式――、掃除に取り掛かることにした。玄関のガラスを拭いて、工房の看板を出し、箒で隅から隅まで掃いていく。獣人の技師にとって、抜け毛は天敵。職人の生命たる工具もぴかぴかになるまで磨き上げる。
「ふぁあああぁ~、おはよー」
「おはようございます、ウル」
掃除が終わったころには、ウルが二階から降りてくる。ずっと使っているもこもこのパジャマ姿で、手には愛用のクッションを抱きしめたまま。欠伸を噛み殺しながら、寝ぼけ眼でテーブルにつく。
「ドレッシングは何にしますか?」
「おまかせー」
彼女はとても寝起きが悪く、この時間にちゃんと起き出せるようになっただけでも大きな進歩だった。ベッドから出てきても、彼女のゼンマイが巻かれるまで時間がかかる。
フォークを握りしめる彼女の前に、焼きたてのパンとサラダ。薫り高いコーヒーを並べると、準備完了。工房の創始者である祖父に二人して想いを馳せながら、商売繁盛のお祈りをして、朝食が始まる。
BGMはザン=ダカ商会の提供する都市内放送。
魔法の一種、『絡み合う双子座のマナ』の一方を宿した親デバイスがその商会には設置されている。それと同期した『絡み合う双子座のマナ』を宿した子機を持っており、その魔法をこちら側で発動させれば、どんな距離があっても音声による振動を共有することによって、放送を聴くことができる。
ここで募集される様々な相談や街の情報などから、機械修繕の営業もかけることも多い。もちろん天気予報から洗濯のスケジュールを考えたりもする。密かに楽しみにしているのは占いのコーナーだったが、目の前のオカルト嫌いな少女は黙々と食事を続けている。
ウルウル=ドリィメリィ特等工女。
羊獣人の彼女がこの工房の主任技師である。そう、いま目の前でむしゃむしゃとサラダを食んでいる眠そうな彼女こそが、由緒正しいクロックワイズ・メカニクスの名を背負ったたった一人の技師なのだ。このぼく、犬獣人のクスト=ウェナクィテスは、あくまで彼女をサポートするための事務員に過ぎない。
「テイラーさんところの柱時計の修繕ですが――」
「んー、あれは香箱車の経年劣化と第二コペルニクスギアの部分欠損が問題だったよね。あとは応急処置で治りそう」
昨日受注があった修繕案件だ。屋敷が建ち並んでいるいわゆる貴族街のテイラー氏から依頼があった。どうも祖父と交流があったらしく、この工房を頼ってくれたようだった。
一度見積もりにいったとき、その柱時計には祖父の若い頃の作品であることを示す銘が刻まれていた。
「朝一で行きます?」
「うんにゃ、1732式の第二コペルニクスギアって特殊だから、在庫なかなか見つからないし。たしかこの工房にすらもうなかったよね」
「それなら新しい時計を勧めましょうか?」
「いやいや、工房の人づてを駆使して在庫を探すよ。なかったら、わたしが削りだす。師匠があの家の結婚祝いに贈ったものなんでしょ。そう簡単には諦められないね」
「はい、ではその旨伝えておきます」
師匠とは、ぼくの祖父のこと。正直、工房の乱立で受注が減って、火の車の家計を担う事務方としては、ここで新品のひとつでも営業しておきたいところだったが、たった一人の技師にそう言われてしまってはお金の面は諦めるしかない。技師には技師なりの矜持があるのだ。それが彼女の師匠が遺した逸品となれば、そこにかける想いもひとしおだろう。
「それでは、次の案件、マクローリン伯爵の階差機関の不調ですが――」
「あそこはまずいつも悪戯する男の子をどうにかしなさい。半年前も修繕に行ったのに!」
頬を膨らませてぷりぷりと怒る。本人は気づいていないが、マクローリン伯爵のとこの少年は、ウル逢いたさに定期的に壊しているらしいのだ。その度に、数千というギアで組まれている機構を診なければならないため、ウルの怒りはもっともだった(ただし、定期的にまとまったお金を落としてくれるので、あまり無下にはできないのだけど)。
こうして朝食を頬張りながら、ふたりきりのミーティングは進んでいく。ここで出張の予定が決まれば、その内容に合わせて、ウルの工具箱のセッティングを行う。必要な工具、機材、予備の部品、持ち運べるのには限りがあるので慎重に選ぶ。歯車自家用車などこんな貧乏工房ではとても買えない。
ただ、今日は1732式の第二コペルニクスギアが工房にないため、出張に出ることもない。階差機関の方はたぶん今日のウルの感じでは面倒臭がって行かないだろう。幸いあの家はアンティークとして置いてあるだけだから、多少修理が遅れても誰も迷惑しない。
「……となると」
「ごちそうさまー」
「今日も仕事ゼロですか」
基本的には怠け者でダメ羊人間なウルは、短い尻尾を震わせながら台所に皿を重ねて運んでいった。
※
「ねぇ、蒸しパン食う?」
「結構です」
「真面目だねえ。おいしいのにー」
来客用のソファで寝転がっているウルはそう言いながら、我が家の高速演算階差機関が吐き出す水蒸気で蒸したパンにパクついた。
完全にだらけている。そもそも勤勉で知られる犬獣人と穏やかな性格の羊獣人で差があるとはいえ、あまりにもだらけている。彼女が祖父のところに飛び込みで弟子入りしてからもう何年もそんな姿を見ているので、いまさら何も言う気にはならないが。
「あーあ、せめて低電圧領域で電圧に対して電流がexpで応答する素子でもあれば、水蒸気で階差機関回さなくても済むのになー」
「そんな都合のいい素子があるわけがないでしょう?」
ぼくは眼鏡を直しながら、帳簿のチェックを続けていく。
「一方向にのみ有意な電流を流す素子でもいいんだけどなー。クストは何をしているのー?」
「去年一年の帳簿の確認です。そろそろ申請書を出さないことには、ザン=ダカ商会からの補助金も受けられないので。去年の分の実績報告も出さなくちゃいけませんね。あそこの経理は細かいですし、ヴァン=デルオーラ=ヴェッターハン会長の追及に答えられるようでないと……」
「補助金なんて貰ってるの?」
「貰っているんです。我らクロックワイズ・メカニクスは設立当初は先進的で立派な工房でしたが、いまではさほど珍しいわけでもなく、いまでは歯車機構の大量生産の時代も来ようとしています。まだ祖父の縁で受注もありますが、なにか革新的な技術でもなければお先は真っ暗です」
「ふぅむ」
パンのかすがついた指を舐め、ウルは大きく欠伸をした。
「わたしは技師だし、そのあたりはクストが考えてくれればいいさ」
「頑張りますけどね――って、ウル、さっそく起きてください!」
カランコロンとドアに付けられていたベルが鳴る。そのころには飛び起きたウルとぼくで精一杯の営業スマイルを作り、
「クロックワイズ・メカニクスへようこそ!」
と反射的にお辞儀をしていた(脊髄反射で行ってしまうほど、祖父に仕込まれたためだ)。
「おう、ここで時計の修理をやっていると聞いた」
ドスの聞いた声に恐る恐る顔を上げると、片目に眼帯をした人相の悪い狼がいた。狼獣人。ハイランド由来の獣人で、気性が荒い戦闘部族。魔法的な親和性はまったくなく、あらゆる魔法が効かず、あらゆる魔法を使用できない。それゆえ戦闘のみに特化した社会を構成しており、各地に傭兵として派遣も行っている。
「時計の修理、できるのかできねえのか聞いているんだが」
「……は、はい! もちろん承ります。どのようなお品物ですか?」
彼がつけているジャケットからは、戦場の熱が感じられた。頬の生傷、ジャケットの傷跡にブーツの埃。戦地帰りなのかもしれない。それにしても戦闘民族である狼獣人が時計なんて珍しい――と思っていたら、深窓の令嬢が持つような瀟洒な懐中時計が腰袋から出てきた。無骨な指でカウンターに置かれる。
「開けてもよろしいですか?」
「おう」
竜頭を押すとパカリと蓋が開く。見たところ(装飾はともかく)普通の懐中時計のようだった。どうも大切にしているらしく、ほとんど傷や歪みもない。使われている金属や装飾の類から察するに、かなりの値がしそうではあるが……。
「たしかに動いていませんね」
何の変哲もないゼンマイ式機械時計のはずだ。しかし、ゼンマイを多少巻いても針は動かない。軽く揺すってみても、中でパーツが外れているような音もしない。「ウル、どう思いますか?」と小声で隣に聞いてみたところ、彼女の姿はなかった。
「あれ、ウル?」
近くの柱時計の影に隠れて震えている。
「えっと、主任技師が現在留守にしておりますので、しばらく預からせてください。連絡先をこちらによろしいですか?」
「大切なものだ、直せなかったらわかってるな?」
「は、はひ……」
汚い字で伝票に残された名前は『ローラン=ロムルスレムス』。
「あの、住所は? 一度技師が診てご連絡に伺いますので」
「いい。明日また来る」
それだけ言って、狼獣人ローランは控伝票を奪うように受け取って、店を乱暴に出て行った。様々な獣人種が息づいているこの街、こういったお客さんはよくあるわけではないが、皆無ではなかった。「明日か……」伝票をちぎりながら、深刻な問題を起こしている羊娘の方を振り返る。
「それでどうしたんですか、ウル」
「狼……、狼、怖い」
「あー」
読んで字の如く子羊のように震えているウルがゆっくりと柱時計の影から出てくる。狼獣人と羊獣人の相性の悪さは、そもそも神話の時代まで遡る。その昔、羊の七匹の眷属たちが乱暴な狼一匹に食い散らかされたという伝説が残っている。卵が先か鶏が先かになってしまうが、歴史が残っているその当初から、羊は狼を恐れている。
「ぼくも犬科ですけど?」
「あなたはいいの!」
ぷりぷりしながら、階差機関の蒸気バルブを捻り、ウルは両手をそれにかざした。そうして細かな埃や毛を払う。ぼくのようにグローブを常につけていれば問題はないのだが、ウルは祖父と同じで手先の感触を重視する歯車機構職人だ。手袋を介して作業をすると、細かな異常が探知できないとのことだった。
「これ、盗品かも知れませんね」
「盗品?」
「ええ、彼はきっと傭兵でしょう。どこかの村で略奪してきたか、戦利品として奪ってきたか。いずれにせよ、狼獣人がこんな時計を大事に持っているなんて聞いたことがありません」
「自分のものじゃないのに、どうして直すの?」
「高く売るためじゃないですか」
ウルは抜けている。かなり田舎で独特の土着文化を持つケムリュエ出身であることもその理由のひとつ。アンティキティラに来てからも、師匠のもとで一心不乱に技師として努力を続けてきたので、一般的な常識というものが欠落している。
「いずれにせよ、修理してくれと言われたものを修理するのがわたしの仕事。見せて」
壁に掛けられているマイクロモノクルレンズを手に取り、息を殺して細部を観察する。
「合金神銀細工? あれだけ加工が難しい神銀をここまで細かく彫れるなんて……。歯車機構に神銀を使うなんて珍しい。あ、でも考えなしに装飾しているわけではないか。たぶん耐久性を第一に考えている」
完全に技師としてのゼンマイが巻き上がったようだった。ここまでくれば余計な手出しは不要。ぼくは彼女の肩越しに細かな作業を見守る。マイクロドライバーを駆使して、文字盤を外した。
「たしかにゼンマイを巻いても動き出す気配はないか。どこかで空回っているのか、でもそれにしてはどこか妙な気もするけど……。ずいぶん小さなところにギミックを詰め込んだわね。ここから香箱車で第二コペルニクスギア、第三プトレマイオスギアにケプラーギア、もしかして動力迂回させてギア数を稼いでる? 我流か何かか、変な構造……」
ひとつひとつ丁寧に歯車を取り外していき、マイクロモノクルレンズで覗いては歯車の毀れを確認していく。
虫よりも小さな部品を扱う姿には、先程までのぐーたら感は微塵も感じさせない。クロックワイズ・メカニクスの名を背負うに値する主任技師だ。
この過集中状態、通称『ウルウルぱわー!』の状態になると、地震が起こったとしても彼女の集中力を途切れさせることはできない。
「とりあえずここまでは損傷なしか。あの狼、ああ見えて随分大事にしていたんだな、この懐中時計。筒カナと日の裏車はと――」
※
「ウルー、ご飯できましたよー」
「……」
「食べちゃいますよー」
「……」
「お風呂先に入っちゃいますねー」
「……」
「お先におやすみさせていただきますー、無理しないでくださいねー」
「おやすみー」
◯お久しぶりです。執筆担当のえみると、編集担当の山田の、ふたりでひとりの仮面ライター『山田えみる』でございます。
◯主にTwitterで呟いています:@aimiele(https://twitter.com/aimiele)
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