「入学日テンション下降事件」
兄弟そろっての入学式に、騅の新しい生活が始まる小学校。
一体担任はどんな人なのか?
優しい? 厳しい? それとも――
2000年4月10日
ワゴン車 車内
後醍醐 騅
僕はもうあと少しで小学校に着く気配を感じながら1人目を瞑っていた。
それはこれから始まる小学校生活への期待と不安を寄せつつ、小学校という建物の全景を直前まで見たくない、という想いもあった。
――そのようなことを考えている時ふと思い出したのは、お母さんとお父さんの考え方の違いだった。
「こんなに美しい金髪……ねぇ、騅。お母さんね、この子、独り占めにしたいの。」
これはお母さんが1年前のある日愛おしそうな目で僕を見つめ、口にした言葉だった。
そんな僕は小さい頃から金髪で、お母さんと詠美姉さんに英語ばかり教えられてきたせいで幼稚園ではかなり苦労した。
例えば金髪が災いしてお友達も出来なくて、1人でこの金髪を掻きむしっていたり、先生たちからは面倒そうな顔をされ、ジェスチャーで色々教えてもらっていたり、運動会等の行事では誰も手を取ってくれない等、散々な日々であった。
しかし、お父さんは違った。僕に、こんな僕に、手を差し伸べてくれた。
それはたったの1年で、5歳の男の子が生活に困らない程度の日本語を――厳しくはあったが――詰め込んでくれたのだ。
今そのことを思い出すことだけでも血を吐きそうになるのだけれどね。
そしてお父さんは、“お父さん直伝!日本語熱々教育指導講座!”の最後にこう笑顔で言っていた。
「騅。お前は将来後醍醐初の養子当主となるのだ。しっかり日本語も、恐らくは母語とされる英語も話せないといけないのだ。それは騅……お前には、少しだけ酷な将来を与えることになるかもしれないな。だけど、それは明も同じだ。お前は母さんと詠美にも感謝しつつ、兄弟たちと手を取り合って、必ずその運命を乗り越えて欲しい。これが、父さんの願いだ。」
そういえば僕の運命って、何だろう?
明も同じ運命。一体何のことだろう?
後醍醐初の養子当主。僕は、養子……?
でも養子って、どういう意味なのだろう?
あ、教えられなかった言葉……ということは僕にはまだ知らなくても――
「こら、騅! おーきーなーさーいー!!」
と、耳元で大声で言われ、回想の世界から重いまぶたをゆっくり開け戻ってくると、運転席から僕の肩を優しく手で叩く詠美姉さんの心配そうな顔がうっすら見えてきた。
「あ……姉さん。」
「あ、姉さん。じゃないわよ! 全く。入学式、遅れちゃうわよ?」
「す、すみません。あの、他の――」
「みんなはとっくのとうに降りて、会場に向かったわよ。」
「え!? あの、ごめんなさい。」
「はぁ……誰に似たんだか。まぁいいわ、行きましょ。」
と、運転席から華麗に降りる詠美姉さんを見て、僕は思わず眉をひそめた。
そしてもう一度自分の脳内で、今の姉さんの言葉をリピートした。
――【誰に似たんだか。】……って、え!?
「僕が、“養子”ってこと、詠美姉さんは……し、知らない!?」
と、空のワゴン車内で口に出してしまった程に僕は驚いた。
そんなモヤモヤな気持ちを抱えつつ、僕は詠美姉さんに手を引かれ、入学式の会場である体育館へと向かった。
白河小学校 入学式会場
後醍醐 騅
入学式会場となっている体育館の広さは、間口30m、奥行80m、高さ15m、2階通路付きのかなり広いものであった。しかもお祝いムードの大きな花瓶と放射線状に広がる花が飾られたステージは、おおよそ8m~10mはありそうだ。床や壁は焦げ茶色で統一されており、入学式だからであろうか床には2階のカーテンの色と同じ青色の革製のカーペットが全面に敷いてあった。それに何千席もの座りやすそうなクッション付きのパイプ椅子が、1mmもズレずに並べられていた。
僕と兄弟たちは“保護者席”と、活字で書かれた椅子群の傍で立ち話をしていた。
「いや~、懐かしいな。変わっていない。」
と、昔の自分を思い出して涙ぐむ詠飛兄さん。
「ふん、校長も代わっていないし……。お前が心配だ。」
と、傑兄さんは唇を噛む。
「そうかなぁ。意外と楽しそうだよ。って、あれ……?」
と、自分たちの斜め前あたりに居る人物を指差す純司兄さん。
その人物は後ろ姿だが襟足にかからない程短い黒髪に、背は詠飛兄さんと同じくらいの高さ。それに背中を見る限りとても筋肉質な人で、温厚さも兼ね揃えてそうな印象を受けた。だけど僕と明以外は、背を向けるような仕草をした。
それを聞こうと口を開こうとした瞬間、詠飛兄さんに口を強く手で塞がれた。
「騅。少しだけ大人しくしててくれ。あの御方には逆らわないのが第一だし、後醍醐にあまり良い印象を持っていない。……とりあえず、入学者席に遠回りして行ってくれ。」
と、耳元で囁くようにまた緊迫感のある声で言われ、僕は頷くことしかできなかった。
しかし、僕より幼い明は違っていた。
何も考えずにその男の人に話しかけたのだ。
その様子を見た詠飛兄さんは慌てて駆け寄った。
「申し訳ございません!」
と、深々と頭を下げる詠飛兄さんの頭上で男の人の上品な笑い声が響く。
「いいんですよ。こんなクソガキなのに、おい、だなんて言ってきましたし、なかなか良い目をしていますし、なんでしょう……良いモノを見させていただいて、むしろお礼を申し上げたいくらいです。」
男の人は屈んで明の頭を撫でようとしたが、見事にバシッと強めにはたかれてしまい、その人は苦笑いを浮かべていた。
その時も、詠飛兄さんは何度も謝っていた。
一体あの人は誰だったのだろう?
僕はそう思いながら、入学者席に駆けて行った。
白河小学校1年4組 教室
後醍醐 騅
僕は結局、あの男の人の正体を知らぬまま入学式に臨み、背後から多数の視線を感じながら、何とか無事に終わってくれたことに感謝した。
そんな落ち着ける場所である筈の教室に入ると、緊張してしまっていて一言も教室内に言葉は行き交っていなくて、縮こまっていたり、指遊びで紛らわせていたり、震え上がっている子さえもいた。
僕の後に入ってきた子たちも、みんなと同じように震えていた。だが隣のクラスはうるさい、と思わず口に出そうな程、笑い声やふざけあう声で溢れかえっていた。
みんながこうなってしまったのには勿論理由があった。
それは入学式の担任紹介の時であった。
数十分前……
入学式
後醍醐 騅
「さぁ、みんな! 先生を紹介していくよ! 今年は4クラスもあるから、“副”校長先生としても発表が楽しみです。保護者の皆様も先生1人1人に拍手を送ってくださいね。ほら、みんなもだよ~?」
と、テンションの高い、いや、それに対し我慢を感じてしまう副校長先生が前説をすると、子どもたちには大受けで盛り上がっていた。
「さぁ、1組さんから紹介するよ! 1組は、小川 真弓先生でーす!」
保護者から拍手が起き、子どもたちは各々喜びの声をあげていた。
「次は、2組さん。高橋ゆうか先生でーす!」
また同じことが起きる。そして、
「3組さんは、相澤あつみ先生でーす!」
ここでも、同じことが起きた。それなら僕たち4組も!と、目を輝かせるのは当然のことであろう。
しかし、4組は……
「4組さんは、新米教師くんの夏霞凍雨先生でーす!」
保護者からは拍手が起こったが、それはあくまでも礼儀上であろう。
しかし、子どもたちからは、笑顔が消えた。というのも、夏霞先生は一般的に顔は美形と言われるようだが、身長は隣にいる相澤先生と比べても遥かに高く、小動物を今から全て食い漁るかのような目線の鋭さで圧をかけ、短髪というよりもむしろ坊主頭で、黒い上下セットのジャージには名前が大きく入っており、胸のあたりには金字で家紋のようなものが縫い付けてあった。
おまけに、男性教師。一気に子どもたちのテンションは下がってしまった。
そしてあの威圧的な目で見られた子ども達は震え上がり、今に至るのだ。
白河小学校 1年4組教室
後醍醐 騅
先生たちはまだ会議中らしいが、あの後泣き出す子も出ていたので、恐らくこのクラスは集まりが悪いのだろう。
そう言えば、泣き出してどこかへ行った数人がまだ戻っていない。
保護者の元に行ったにしては長すぎる。
お願いだから……先生が来る前に……!
と、4組の生徒、誰もが願っていた時であった。
文章の間違い、誤字・脱字の指摘、ご感想等、幅広いご意見をお待ちしております。