「騅と兄弟、そして母親」
詠美の心配している兄弟との出会い。
騅は一体何を思うのか?
※4,500字程度です。
2011年某日
後醍醐家本棟 自室
後醍醐 詠飛
俺は詠美から貰った膨大な両親の日誌の他に、幼い字で書かれた何十冊もの日誌も預かっていた。そのタイトルは『すいのにっき。Diary.』であった。
俺は何気なくページをパラパラと深く読むこともなくめくっていたのだが、ふと気になるページに当たった。
それは丁度、騅が俺たち本棟の兄弟の元を訪れた時のものであった。以下は読みやすく俺が別の日誌に書き換えたものである。
1999年某日
僕が5歳になった年の“お祝い”として、本棟に居る他の兄弟に会うことになった。
僕にとっては初めて開ける本棟の玄関扉。
それは蔦が絡まり、少し腐った木の扉であったが、僕には人の暖かさを仄かに感じ取ることができた。そんな扉を心配症の母親と共に開く。
ほんの数秒の出来事であった。
扉を開けたその先に広がっていたのは、異国柄の赤い20m円の丸 絨毯が映える濃茶のフローリング。それと同じ色の壁には今までの当主の肖像画が掛けられ、どの当主様も晩年の髭を蓄えた時のものであった。
そして玄関にあがると、一段上がったところにブルーフォックスの毛でできた上質なスリッパが二足置いてあった。僕と母親はそのスリッパに履き替え靴を揃えると、絨毯の柔らかさを楽しみつつ、100m先の洗練された白い幅の広い階段を上り、その先の踊り場から左右に分岐した階段の内、左方の階段を上り2階に上がった。
2階には左方に兄弟たちの部屋が、右方に風呂場、お手洗い、納戸、執事の部屋などがある。コの字型の廊下は1階とはうって変わり青い異国柄のカーペットであったが壁は1階と統一されていた。
そして僕が一番気になったのは右方左方の違いなんかではなく、真ん中の大ホールを思わせる壁いっぱいの大きな白いきらびやかなドアであった。だがその部屋には用がないらしく、母親から咎められてしまった。
僕と母親はまず僕とは2つ歳が下だという明の部屋へと向かった。
彼の部屋は一番階段に近い部屋であった。
母親曰く、僕と同じ拾い子でかなり頭脳明晰だという。
だが、血が違うとか訳のわからないことを母親は言っていた。
後醍醐家本棟 後醍醐明の部屋
後醍醐 騅
白い四角の金のアラベスク模様の扉から部屋へと入った瞬間、僕は衝撃を受けた。
というのも3歳児の部屋とは思えないほど地味なモノクロ基調の部屋であったからである。それに勉強机、椅子は檜製。だが壁の至る所にあるクレヨンによる落書きや計算式のようなものは、彼が3歳児であることの唯一の証明でもあった。そして明は2人に気がつくと、軽く会釈をした。
「こんにちは。後醍醐明です。よろしくお願いします。」
明の声や容姿こそは幼いが、発音は明瞭であった。
彼の机の上には、10個くらいクロワッサンが並んでいて、本人の幼児服にもクロワッサンが大きくプリントされていた。今度誕生日にクロワッサンのおもちゃでもあげようかな。
そんな彼と僕の目の色、肌の色、とにかく顔や背の高さは似ているのに、髪の毛が黒かったのが少し悲しかった。だから少しいじけた声で、
「騅です。えっと……よろしく。僕のことは、そうだな、きんきら騅って呼んでよ。」
と、言っていた。それに対し明は首をかしげていたけど、きっと呼んでくれると思う。そんな僕の自己紹介が終わるとすぐに、
「明。次のお兄ちゃんのところに行くからね。」
と、母親が苦笑いをしながら言い僕の手をしっかりと引き、明の部屋を後に……された。
半ば無理矢理外に出された僕に、大人しくしなさい、と咎めた母親であったが、少し口元が緩んでいたので、本気で怒ってはいないのだろう。
そしてそのまますぐ隣の部屋へと僕らは入っていった。
後醍醐家本棟 後醍醐純司の部屋
後醍醐 騅
純司は僕の2つ上のお兄さん。この人の部屋でも、僕はまた衝撃を受けた。
というのも、コンクリート打ちっぱなしで小さい通気孔が無数開いた壁、床もコンクリートで、カーペットも何も無い。家具はこの部屋の端を全て埋める程のコの字型の古い焦げ茶の長机。
そこには意味不明な薬品や調合表が沢山置いてあり、長机におさまらなかったものは机の下に裸のまま置かれていた。
当の本人は長机に比べれば一際サイズの小さい勉強机の上に、薬品の影響だろうか所々錆びている青いスタンドライトを光らせ、貧乏揺すりをしながら調合表とにらめっこをしてはフラスコを振っていた。
そんな純司に母親が優しく声をかけると、フラスコをスタンドに置き耳にかからない短い黒髪を揺らして振り向いた。
「お母さんだ!元気そうでよかった~。」
純司は嬉しそうに立ち上がり様々な色に染まった白衣の裾を翻し母に抱きついた。
純司は明とはまた違い呼んだらすぐ来る、従順な秋田犬のようなイメージがあった。
声は僕より高く、目は垂れ目気味で黒く、鼻は高く、口はハムスターに似ていたし、顔は小さかった。
そんな純司に母親はベタベタで、何度も名前を呼んでは背中を愛おしそうに撫で続けた。
――僕はとにかく悔しかった。
僕だけのお母さんだと思ってたのに。
2人が抱き合っている間、僕はそんなことしか考えていなかった。
しばらくして2人が離れるとすぐに母親の腰に抱きつき、母親の陰から純司を睨んだ。
すると純司は一瞬驚きの表情を見せたが、すぐに何故かパッと笑顔になり、
「君が弟の騅か!よろしくね、純司です。えーっと、一応科学者志望です。」
と、後髪を恥ずかしそうに掻きながら言った。
それからしばらく無言の時が流れたので母親に促され、
「騅です。きんきら騅です。」
と、ぼそぼそと下を向いて言うと、純司はなんと大笑いし、
「そうか!きんきら騅!君の金髪、たしかに……!それ、今度研究させてね。」
と、椅子に座りフラスコを振りながら言ったのが、僕には理解できず走って出て行った。
僕はまたその隣の部屋の同じ模様の扉の前で地団駄を踏んでいた。
こんなことなら、兄弟なんかに会わなければよかった。
僕だけの世界に篭っていればよかった、という後悔だけが僕の心に雲を増やしていった。
だけどいつの間にか母親は僕の隣にいて「次はここよ、ごめんね」と、頭を下げた。
よく見れば、母親も黒い髪であったし長かった。もちろん父親も。
後醍醐家本棟 後醍醐傑の部屋
後醍醐 騅
傑は僕の6つ上のお兄さん。別棟で一緒の詠美姉さんの8つ下。そして僕はまた他人の部屋で衝撃を受けてしまう。
今度は何かというと、彼の部屋は今までの2部屋と違い、家具も壁に掛けているものもなく、唯一何かあるとすれば、開け放された窓で踊る黄色基調の無数の茶色いシミ付きのカーテンであったが、それはまるで彼の自由さを物語るかのようだった。
部屋に入った時本人の姿は無かったので諦めて踵を返したその瞬間、重い銃声が轟き、銃弾は僕と母親の間のギリギリのところを抜け壁に数センチの穴を開けた。
僕が恐る恐る振り返ると、――母親は既に振り返っていたが――本人は窓枠にまだ煙が漂う拳銃を持って居たのだ。
彼の黒い前髪は長く、片目を覆うように伸びきっていた。だがもう片方の目は切れ長で大きく、2人のことをまるで獲物を見るかのように鋭い眼光で見ていたが、数秒もするとガラリと眼の色を無に変え拳銃をおろした。片膝を折っている状態で座っている兄は、正直言ってすごくカッコ良かった。
「今帰ったところだよ。」
傑は純司よりもかなり低い声で言うと、艶やかな笑顔を騅に向けた。
「傑くん! 危ないから、降りなさい!」
母親は僕の手を先程よりも強く握り、目に涙をため訴えるように言った。
すると傑は素直に窓枠から降り、床に音をたてずに着地した。
「久しぶり。元気にしてた?」
そう言う傑の声は癖がなく、心にすっと入り込む声であった。その声を聞いて安心したのか、母親は傑に近づき、
「えぇ! 元気だったわ!」
と、笑顔で抱きしめようとしたが、傑はひらりと躱してしまった。
そのことに母親は雷が天から脳天へと突き落とされたかのようなショックを受け、その場で目をしきりに泳がせることしか出来なかった。
その様子を見て傑は口の端をゆっくりと歪ませたが、すぐに無表情になり、
「俺たち兄弟じゃなくて、突然入ってきた訳のわからない子ども“だけ”を、懸命に愛しているお前に、名前を呼ばれることはおろか、話しかけられたくもない!!」
と、叫んだ。その目は昔の日本絵画の武将のように吊り上がっていた。
母親はそう言う傑に対し、更に涙を浮かべた。
「そんな、“だけ”に注いでなんていないの……傑? 騅にはこの家に、この家を早く好きになってほしくて…‥! だから、少しだけあなたたちには――」
「なるほど。それなら、明のように別棟で教育せず、俺たち兄弟に任せればよかった。何でそこまでして3人で背負う?」
傑は母親の言葉を遮り、先ほどの怒りの声とは違った戸惑いの表情と震えた声で言い、窓枠に飛び乗り外へと出て行った。
また無言の時間が流れた。母親は窓の方に歩み寄りそこからピクりとも動かず、風によって静かに自由に揺れるカーテンが母の頬を撫でていた。
僕は母親が泣いていると思い、そっと部屋を出ようとすると、
「――騅。」
と、愛おしい母の声が背中で聞こえた。
振り返れば、遠慮がちな笑顔を僕に向けていた。
それからまた頭を下げ、「ごめんなさい」と、消え入るような声で謝った。
僕は何も言えなかった。だけど僕だけがこの家のことを何も知らなかったことは、もう充分よくわかった。
母親に手を引かれ今度は1階に降りた。そして大きな階段の裏側、父親の仮肖像画をそっと押すと、そこに部屋は現れた。
後醍醐家本棟 後醍醐詠飛の部屋
後醍醐 騅
詠飛は16歳も上のお兄さん。次の当主様で5年前僕を拾ってくれた人、と母親は教えてくれた。
そんな部屋の中は簡単に言うと「古い」感じがした。
この人の為に作られた部屋ではなくて、もう何人も過ごしてきた跡が残っていた。そして僕の鼻をついたのはアロマの匂い。ラベンダーの濃すぎる香りは僕の鼻を執拗にくすぐり、ついに嚔を連発してしまった。
すると詠飛は机を左手で数回叩き、
「そこの子ども。……騅と言ったな。風邪を引いたのか?」
と、部屋全体に響くような低い声と神妙な面持ちで聞いてきたので、僕は何度も何度も頷いた。だがそんな僕の嘘はすぐに見破られ、彼はアロマのスイッチを切りコードを無理に引っこ抜いた。
「ばびぼおごじゃびばぶ……べいび。(訳:ありがとうございます……詠飛。)」
僕は鼻をつまらせ、鼻水は垂らし放題にし感謝した。
すると詠飛は微笑みを僕に向け、次に母親の方に向き直り、
「そうだ、母上。詠美は達者か?」
と、少し声を高くして言った。普段はこんな声なのだろう。
「えぇ。元気よ。相変わらず、よく働くし!」
「・・・」
詠飛は、母親の嬉しそうな表情を見、それきり黙ってしまった。
黙りこんだ詠飛に僕は簡単に挨拶をし、今にも踊り出しそうな程嬉しそうな母親と共に部屋を後にした。
僕は何であの時詠飛さんが黙ったのか、わかりませんでした。
2011年同日
後醍醐家本棟 自室
後醍醐 詠飛
俺は、一通り日誌を読み終えると、ふぅと息をついた。
「あの時俺が黙った理由、か。いつか話してやらなくもないぞ。それと、騅。知ってるか? 後醍醐家の継承順位は特殊だってことも。」
俺は騅の幼い字に向かって、つい諭すように独り言を言ってしまった。
そんなことはまだ知らんでもいいだろう、17の君は。
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