「騅に関する日誌」
詠飛の予見した騅の運命とは何なのか?
騅は後醍醐となり、世間を動かすことができるのか……?
後醍醐家本棟 自室
後醍醐 詠飛
内線電話の内容は日誌を取りに来いという2つ下の妹、詠美からであった。俺は別棟に日誌だけを取りに行き自室で読んでいた。
騅が後醍醐家別棟に来てから数ヶ月が経った頃、騅にとある変化が起きたのだ。
それは産毛が黒髪ではなく金色の毛が生えてきたのだ。
そのことに両親は気が動転し、外国人の子どもだと決めつけ、あらゆる英語の教材を執事やメイドに買わせ、畳み掛けるように覚えさせていたが、日本語は子どもとして困らない程度にしか教えなかったのだ。
そして一年も経つと口をパクパクと動かし、言葉にならない音を声として出すようになっていった。
両親はそのことに感動し『今までの後醍醐家には居なかった英才児』と、世間に発表したのであった――
しかし私立の幼稚園に入園した時、衝撃的な出来事が起こった。
騅は4歳になっていた。
英語しかまだしっかり話せなかった騅はクラスで孤立しており、先生ともコミュニケーションが取れず、1人で床を石で傷をつけていたという。
それも地毛の金髪が災いし、英語に自信のないクラスメイトや先生が近寄ってこなかったことが原因だ。それは90年代の日本のどんな有名企業の御令息やご令嬢でも、幼稚園から英語を話させようとする家は極稀で、騅の通っている幼稚園には1人もいなかった。
そして月日が流れると、それはいじめへと姿を変え、みんながみんな怖い顔をして、騅にはわからない言葉で怒鳴っていたという。
それが1年も続くと騅はついに幼稚園には行かなくなり、近くの公園で1人で遊んでいるところを両親に保護され、問いただしたところいじめの事実を知ったそうだ。
それから両親は幼稚園に乗り込み、個室を半ば無理矢理作らせて幼稚園側に英語の先生を雇わた上にマンツーマンで授業をさせた。だが両親は英語しか教えてこなかったことを微塵も後悔していない、と別棟で発見した日誌には書いてあった。
後醍醐家別棟 自室
後醍醐 詠美
訳あって別棟いる私、後醍醐詠美は、騅に対し一つの不安を抱えていた。
――それは兄弟を知らないこと。
両親に進言して早2年。
ついに両親は承諾し、兄弟全員に会わせることとなったのだった。
詠飛、私、傑、純司、明、そして、騅。この6人は仲良く過ごすことなんて出来やしなかった。プリンス・詠飛の次の継承順位2位は他の家では絶対にありえない女である私。
そのことを知らなかった騅と明が……あの2人が人生の道を踏み外していくことになるとは、私はこの時気づきもしなかった。
次回は兄弟の紹介です。