「殺しの指導」
月道直伝の殺人。
初心者でも出来る!?やり方ですが、しっかり出来ないと痛い制裁が……。
2012年9月5日…
後醍醐 騅
もう9月なのに残暑の影響でかなり蒸し暑かったので、学校の前に車が停まっているのを見た瞬間僕は安心していた。
それにプリウスという車は思ったよりもかなり小型で、黒色というのもあるかもしれないが、学校の正門前に停まっていてもそんなに目立っていなかった。
その運転席から出てきた黒スーツの40代くらいのおじさんは、僕を見つけると嬉しそうに手を振っていた。
「こちらですよ~。」
「あ、はーい!」
僕は小走りで近づき、車に乗った。
車内は空調が効いていたのでとても涼しくて居心地も良く、おじさんの視線も構わず汗ふきシートで全身を拭いてしまっている。
それに乗り心地も良くて、つい足を伸ばしていると、
「後醍醐の名家出身のわりに自由人だね。」
と、おじさんに優しい口調で話しかけられた。
僕は思わずハッとしてしまった。
普通の人からするとやはり上品なイメージがあるのだろう。
「え、あぁまぁ……。あの、あなたが月道の信頼している方ですか?」
「うむ。わしのことは、片桐組運転手部の1番偉い人だと思ってくれ。」
と、バックミラー越しに笑いかけてくるので、僕もつられて笑ってしまった。
「わかりました。あの、暑い中ありがとうございます。」
「お礼は言えるんだな。若いのに見あげたものだ。そうだ、月道様の名前の由来は教えて頂きましたか?」
またバックミラー越しにこちらを見てくるが、今度は目が笑っていない。
僕が首を横に振ると、おじさんはまた笑顔に戻った。
「黒は血の色、そして河は狙撃で殺す様が河の如く穏やかなこと。月道は射撃の正確無比なところから、月まで届くのではないかと言われているからです。彼は片桐組に入った時から優秀でしてね、当時のエーススナイパーらからかなりの信頼を得ていたそうですよ。」
僕はその話を聞いて、知らない内に感心してしまっていた。
それに人を殺すことに対して優秀なことが良いことだ、と思っている自分が少し怖くなった。
今までの僕はどこに行ったのか。
「そうなんですか……。」
僕はそれしか言えなかった。
そして目線を落とすと、膝の上で握る手も足もガタガタ震えていた。
僕は今まで人間・黒河月道と話していると思っていたけど、一殺し屋と口を利いているのか、と改めて実感させられる。
たしかに傑兄さんが殺し屋学校で上級生に絡まれていたとき、いつの間にか4人が死んでいた。
その時は恐ろしさしか感じなかったけど、今は何となく名前の由来から納得がいく。
あれは確かに優秀な殺し屋かもしれない。
僕がそんなことを考えている内に片桐組に着いたらしく、車がゆっくりとスピードを落として止まった。
運転手のおじさんと一緒に外に出ると、やはりそこは涼しかった。
だが、降りた場所が片桐組のどこかはよくわからなかったのできょろきょろしていると、
「おじさんは寮に近づけないから、方向だけ教えるよ。」
と、おじさんはジェスチャーで分かりやすく道を教えてくれた。
道順を頭に入れつつも、僕の頭の中にはいくつもの疑問が開花している。
しかもずっと聞きたい衝動に駆られていたが、おじさんは道を教え終わるなり車に乗り込み、どこかへと走り去ってしまった。
山ほど花が咲いてしまったのに。
僕はうつむき唇を噛みながら、言われた通りに道を進んでいった。
すると確かにあの時の寮に辿り着いた。
入り口には月道が1人で待っていてくれていた。
「きんきら騅。こっち。」
月道はいつも通りの冷たい口調だが、今日は何となく嫌な感じがしない。
濃い曇りガラスの扉を過ぎあの部屋に入ろうとすると、そこには烏がたむろしていた。
「……えっと?」
「はぁ……」
月道は烏を見下ろし、腰に手を当てて珍しく大きな溜息をついている。
2人で床を突っつく烏を途方に暮れて眺めていると、
「ごめんごめ~ん。」
と、後ろから調子の良い男性の声と、
「藤堂エース、いい加減にしてください。」
という少し低めの女性の声が聞こえてきたので、月道よりも一歩遅れて振り返ると、そこにはもしゃもしゃの黒い白髪交じりの髪を伸ばし放題にした170cmも無い20代~30代の男性と、黒縁メガネの似合う中肉の150cmくらいの短く整えられた黒髪の10代の女性がこちらに歩いてきた。
「藤堂エース、恋。」
月道は2人の方を向いてはいるが、目を合わせたくないのか僕の方をチラチラ見ている。
僕もどうしたらよいのかわからず、2人の方を見たり月道を見たりしている。
「るろちゃんだ。相変わらず接しにくいけど何の用?」
と、月道が恋と呼んでいた女性は毛先を指で弄びながら言った。
「恋ちゃん、プライベートじゃないんだからあだ名は止めなよ~? 黒河エースだろ?」
藤堂さんはニヤニヤ笑いながらもしゃもしゃ頭を軽く引っ張ったり、烏を肩の上に乗せながら言った。
「あ、そうでした!」
恋さんは舌をペロッと出して何だか嬉しそうに言っている。
「……お二人共。ここは鷹階です。」
見かねた月道が氷のような声で言うと、2人は背筋をブルッと震わせた。
「ごめんごめ~ん。黒河エース、今回の調査も問題無しだったよ~。あと、アレが7分の1に減ってるけど、黒河エースの指導のおかげかな~?」
「そうだと良いのですが。」
「冷たいな~。おっと、別に俺らは2人の愛の時間を邪魔しに来たんじゃないから、ここらへんでお暇するね~。」
と、僕と月道を交互に見て言う藤堂さんの様子からするに、僕も殺し屋だと思われてる……?
「こちらの方は重要なクライアントです。内密な話をするので――」
「知って~るよ。俺も伊達にエースインフォーマーをやってるんじゃないからさ~。よし、恋ちゃん行こうか!」
「はい。またね、るろちゃん。」
「うん。またね。」
その時の月道の口調は少しだけ氷が解けたような優しい口調だった。
2人が烏を回収しながら去っていくのを見送っている時も、恋さんの背中をじっと見ているような……
もしかして……?
と、月道の方を見ていると明らかに嫌そうな表情をしてきた。
「何その顔?」
「えっ?」
「無意識なんだ。すごくニヤニヤしてた。」
月道にそう指摘され、僕はカーッと顔が熱くなっていくのを感じた。
「ほ、ほら! 早く、入ろう!」
僕は恥ずかしさを悟られたくなくて、月道を半ば強引に部屋に連れ込んだ。
今日は何だかいつもと違う匂いがする。
あの時は体液の臭いが鼻をついたけど、香水にしては官能的すぎるし……。
「離して。」
月道に言われてよく見てみれば、僕は月道の白い腕が赤くなってしまう程強く握っていたようだ。
「ご、ごめん! その……」
「きんきら騅には、この匂いに惑わされない強さがある。」
「……へ?」
「これ、意志の弱い人間が嗅ぐとそういう関係になるの。」
「そうなんだ。あの、月道?」
「何?」
「今日ここまで送ってくれたおじさんに月道の名前の由来を聞いたのだけど、すごく格好良い名前だね。」
僕が目を輝かせて言うと、月道は今の言葉が聞こえているのかわからない無表情のまま足音を忍ばせて段々僕の方に近づいてくるので、とりあえずゆっくり後退りをしていると、
「そのまま。」
と、一言だけまた氷に戻った声で言われた。
しばらく後退りをしていると、何かが膝の裏にあたったので振り返ると、そこには……ベッド!?
まさか……でも、恋さんと仲が良さそうだし、それは無いにしても……!
「え!? 待って、月道!」
と、月道の方を見た瞬間、僕の景色は揺らいでいって――
ボフッという柔らかい感触が僕の背中を迎え入れた。
そんな僕に馬乗りになっている月道の眼は、欲望のそれではなくて血に飢えているような、何と言うか、眼の奥に嫌なものを感じる眼であった。
そして太腿の横のポケットから小型のナイフを取り出し、僕の首に突き刺し……って、刺さってない!?
何と刺さっている筈の小型のナイフは、僕の首にあたってぐにゃと刃先が曲がっていた。
「偽物だよ。この前殺し方を伝授するって言ったよね?」
いつの間にか、月道の表情はいつも通りの無表情に戻っている。
殺し屋には常に2つ以上の顔がある気がして、違う一面を何度か見ていても疲れてしまう。
「はぁ……」
僕はつい安堵の溜息をつき、腕を思い切り広げて少し休憩でもしようと思っていたのだけど、どうにも腕が言うことをきかない。力一杯やっているはずなのだけど。
「動かないでしょ?」
月道に言われて腕の方に視線をやると、見事に月道の細い脚で動きを抑えられていた。
こんな細い脚なのに、どうして押さえていられるんだろう?
僕にはそれが不思議で仕方がなかった。
それに僕の身体は完全に買った時の人形のような直立姿勢の状態で、辛うじて動くのは首だけだった。
「きんきら騅には、今俺がやったみたいに殺してほしい。押し倒したのは、相手が寝てる時間だから。」
たしかに夜は割りと早めに寝る詠美姉さんのことだから、寝ている姿勢で殺しを実践するのは普通だろうけど、妙にドキドキしたし説明してほしかった。
「……ナイフで一突き?」
「うん。怖い?」
月道の挑戦的な表情を見ると、どうしても僕というものは強がるみたい。
「こ、怖くなんて……」
と、月道から目を逸らすと、フフッという小さな笑い声が聞こえた。
「怖くない訳ない。まぁこのナイフは刺しても痛くないから、寝た振りした俺にやってみて。」
というと、月道は僕に偽物ナイフを渡し、僕から離れて布団を被って寝てしまった。
仰向けに寝るのは詠美姉さんの癖だ。
僕が教えた覚えは無いから、月道は自分で色々調べているのだろうか?
僕は月道にゆっくり近づき、音を立てないように馬乗りになった。
月道の寝顔は幼いけど、なぜだかやましいことを考えていたから、両頬をパシパシと叩いておいた。
そして思い切り首にナイフを両手で突き刺そうとすると、下半身に言葉に出来ない痛みが走り、思わずナイフが手からこぼれ落ちた。
顔がいろんな方向に歪んだ状態で藁にもすがる思いで月道の方を見ると、無表情のままで一言、「甘い」と言われただけであった。
そしてベッドの上でゴロゴロと転がりながら痛みに悶絶していると、月道は起き上がって僕を白い目で見ている。
「痛かった?」
月道の同性とは思えない心無い言葉に、
「……酷いよ。膝蹴りなんてないよ……ねぇ。」
という助けを求めるような言葉しか出てこなかった。
「きんきら騅。腕の抑えも甘いし、腰をふらふら浮かせていたら今みたいに蹴られるよ。それと、殺気は出し過ぎないこと。」
と、矢継ぎ早に言われて僕は口をぽかんと開けることしか出来なかった。
そんなこと言われても……と、反論したくはなるけど、失敗すれば間違いなく月道に迷惑がかかるのだ。
僕がやるって言ったんだからね。
その後も何度も下半身を蹴られたり、腕の抑えが甘い時はナイフを奪われたりもしたが、何回か繰り返す内にコツというものがわかってきた。
そしてもう何十分も経った頃にやると、見事にナイフが首にぐにゃと刺さった。
「やった……!」
僕があまりの嬉しさに腰を浮かせると、
「一撃で死ぬとは限らないよ。」
という氷どころか吹雪のような恐ろしい言葉と共に、下半身に痛みが走り飛び退いた。
僕はもう泣きそうだったけど、月道は首をさすりながら起き上がった。
「きんきら騅、次は逃走ルート。」
月道は髪の乱れを整えながらベッドから降り、ソファに座った。
完全にあれだ……仕事人肌だ。
「あ、うん。」
僕は返事をしつつも、月道の異常に気が付いてしまった。
ベッドから降りた時に若干ふらっとしていたような。
でも立ちくらみなら誰でもあることだから、と放っておくことにした。
逃走ルートは行きと一緒のルートを使わざるを得ない状況であった。
というのも、森の中を通るのはあまりに危険な上、他に街に続く道は無いからだ。
だけど、月道と一緒に逃げられるなら僕は喜んで受け入れた。
「きんきら騅。これで大丈夫だから。」
「わかった。はぁ……」
僕はついに人を殺してしまう。
今からでも遅くない断ろうという良心が僕の心のドアを叩いている。
越えてはならない一線を明日越してしまう。
「何?」
月道は顔はこちらに向けず、目だけで僕を睨むように見ている。
「なんでもない。」
「あっそ。じゃあちょっと待っててくれる?」
月道は僕の返事を聞く前に出ていってしまったが、僕はそれからしばらく経って「うん」と誰も居ない部屋で1人返事をした。
数分も経たない内に月道は小さなバスケットと黒の四角いハードケースと共に帰ってきた。
その中には沢山のクロワッサンと2本の缶コーヒーが入っている。
「はい、これ。」
と手渡されたので、缶コーヒーをありがたく受け取り、クロワッサンも取ろうとすると、
「それはだめ。」
と、手を退けられてしまった。月道がクロワッサン好きなことは知っていたが、ここまでとは。
そして月道はバスケットを抱えこんでそれを食べ始めた。
てっきり無表情で食べているのかと思いきや、この時は携帯のライトを目に当てられた鋭い眩しさのある笑顔で食べていた。
はっきり言って、話しかけづらいを通り越して話しかけられなかった。
「ねぇ月道?」
「今はだめ。この時間だけは邪魔されたくない。」
月道は3個目を食べ終えたところでそう言ったが、少しでも口の中に残っていたらまだクロワッサンタイムなのだろうか?
僕は缶コーヒーを少しずつ飲みながら様子を見ていると、じぃっと目元を見てきたので「どうしたの?」と話しかけると、
「殺したことのない人の目は綺麗だよね。」
と、うつむいてぼそぼそと言うので、僕は思わずコーヒーを吹き出してしまった。
まるで傑兄さんみたいなことを言うなぁ! と思ったけど、それを口に出したら絶対に怒られるから、僕は何か言われるまで黙ろうと決め込んだ。
すると月道は気に食わなかったのか、何だかムスッとした顔で僕の方を睨んでいる。
そのまま何分過ぎたことか。
流石に何か話しかけよう……ん~何にしよう?
――そうだ!
僕は名刺を探した時に見つけたクロワッサンのキーホルダーのことを思い出し、月道の名を呼んだ。
「クロワッサンのおもちゃ、覚えてる?」
僕のその一言に月道は、白い顔をみるみるうちに赤く染めていった。
怒りの導火線だったのかな? マズイ。
「そ、それは……」
月道は俯いて足をぎゅっと寄せて、体育座りの体勢にして顔を埋めている。
だけどボソッと、「大事にしてる」と言われた時は、僕の心臓がドクンと跳ね上がった。
多分、素直に嬉しかったんだと思う。
その後また訪れた沈黙。だけど、先程のように重い沈黙では無かった。
むしろ、少しだけ心地よかった。
そして沈黙を破ったのは、月道の一言だった。
「この後仕事があるけど来る?」
そんな月道の何気ない言葉に僕は完全に氷になってしまった。
殺すところを見に来るか、なんて言う殺し屋は他に居るだろうか……?
僕は目をパチクリさせながら、月道のことをじぃっと見つめていた。
「聞いてる?」
「うん。」
「来る?」
「……うん。」
僕は戸惑いながらも結局は頷いてしまった。
すると月道はバスケットと一緒に持ってきていた黒の四角いハードケースから徐ろに狙撃銃を取り出した。
僕が思わず「ひぃっ!」と両手をあげて声を上げると、月道はそれを無視し何やら狙撃銃をしきりに弄っているだけで僕を撃つ気は無いようだ。
そしてそれが終わると今度は軍服のような上着を脱ぎ、ハードケースの中に入っていた防弾チョッキを着てまた上着を羽織った。
「えっと……」
「お待たせ。そろそろ行かないと時間に間に合わないから。」
そして月道は入り口に居るように伝えると、またどこかへ行ってしまった。
殺し屋も忙しいんだなぁ……って、感心したら駄目なんだって。
僕は何を言っているんだ?
明日人を殺したら目つきもきっと変わるだろうから、もう感心していいんだよね……?
僕の心はまだ揺れている。良心はまだ扉をノックし、まだ間に合うと口々に言っている。
今の僕って、何なんだろう?
そう思いながら待っていると、月道は髪も結い直していてとても格好良かった。
「ちょっと待ってて。車がもうそろそろ着くから。」
月道はすっかり暗くなった空の下でも何となくオーラかなんかで栄える人だった。
僕は違う意味で栄えるけど、それが何だか羨ましかった。
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