春は曙
「ほらみんな起きて、作戦行動、始めるよ」
梨花ちゃんの声が響く。
ぱしっ!!
顔面に、地味に痛い衝撃が走る。目を開けると、白い猫が私の顔に猫パンチを入れていた。この六左衛門め、起こせば良いと思いやがって。スマートフォンで確認すると、時刻は朝の4時。まだ外は真っ暗だ。私がのそのそとベッドから降りると、先に起きていた舞香ちゃんが水の入ったコップを渡してくれる。
「ありがと。顔とか洗う時間あるかな?」
出来たら起きたままの状態は避けたい。まぁ、全員いつでも出動できるように制服のままで寝てたんだけども。
「大丈夫。第一、時間無いとくるみが起きない」
舞香ちゃんがそう言ってベッドの1つを指差す。梨花ちゃんが必死に呼びかけているが、寝ているくるみは何の反応も示していない。
「はぁ……。梨花ちゃん、ちょっと代わってくれる?」
私は梨花ちゃんを押しのけてくるみのベッド脇に陣取る。そしてくるみの瞼をそっと掌でなでながら秘密の呪文を唱える。
「くるみー、朝ご飯だよー」
次の瞬間。
くるみは目をぱっちり開くと、上半身を起こして背伸びをする。梨花ちゃんが「おぉ〜!!」と歓声を上げる。
くるみは一度寝るとなかなか起きないのだ。かくいう私もこれ以外に確実な起こし方は知らない。
「はい、くるみ。ちゃっちゃと食べて」
私はお泊まりセットの中に用意していた薄生地つぶあんぱん(5コ入り)を3袋くるみに渡す。これは二度寝防止策だ。そしてくるみがもそもそと食べ始めるのを確認すると、私は顔を洗う為に洗面所へ向かった。
顔を洗ってメイクを済ませる。くるみがくれたリップもなかなかいい感じだ。
リビングに戻ると、くるみはすっかり目を覚ました様子で、シャツを着替えたりしていた。
「さすがあいらちゃん。くるみちゃんの親友なだけあるね」
そんな事を言ってくる梨花ちゃんは既に準備が終わっているようだ。
「まぁ、付き合い長いからね」
私はそう言ってさりげなく口元を触った。付き合いが長いのだ。くるみが聞き耳を立てているのは丸わかりである。
私がくるみの方をみるとーーあ、目を逸らした。
まぁいいや。私もおおかた準備は終わった。
舞香ちゃんは……、うわぁ。銃の動作確認中だ。それ、クリス・ヴェクター? ストライクヘッドが付いてるけど……。
ただでさえ異形な次世代型サブマシンガンのクリス・ヴェクターに、銃で人を殴る為の改造であるストライクヘッド。この前のガトリングガンでも思ったけど、この子、容赦ないな。あとガンマニアなんだろうか。クリス・ヴェクターも私が知っているより一回り小さい気がするし。
「舞香ちゃん、元気? 補給しとく?」
小声で話しかけてみる。舞香ちゃんはちょっと迷った後、恥ずかしそうに顔を赤らめて「……うん」と一言。う〜ん、良いねぇ。この子の恥ずかしがる表情。私の方が元気補充されてる気がする。
整備の邪魔をしないように、後ろにまわる。
私はブレスレットを外して舞香ちゃんの首筋に手を当てる。
「さ、そろそろ移動するよ。バス出してくれるらしいから、作戦会議はその中でね」
梨花ちゃんが掃除機を肩に掛けて、ぱんっ! と手を打つ。それに従ってくるみも立ち上がる。
かくして舞香ちゃんの魔力補給は何とも中途半端な状態のまま、私たちは部屋を後にする事になったのだった。
「こうして移動してるから予想はついてると思うけど、工作科によると上部組織の件はクロ。岐阜県加茂郡八百津町で訓練場が見つかったみたい」
梨花ちゃんが状況を説明する。今回の作戦は始業式の時とは違い、事前にパーティーを組んでいる。そのため状況も一斉送信ではなく、より秘匿性の高いリーダーへの口頭伝達となっているのだ。
私たちは今バスで現場近くまで移動中。バスとは言ってもやはり魔法がかかっているため、さっきから電柱に登ったり壁をすり抜けたり瞬間移動したりと揺れが激しい。
くるみは車酔いで既にグロッキーだ。桜の葉っぱの食べ過ぎで肝機能がおかしくでもなったんじゃないだろうか。
私は私で、変な所にブレスレットをぶつけたらバスがすり抜けられずに壁に激突しやしないかとヒヤヒヤしていて、作戦どころじゃない。
と、全員の胸元でピコーンと音がなる。
「ターゲット潜伏地の輪切り解析が終了しました。場内の人数は284名。すべて組織のメンバーと断定しました」
ブレザーの襟元に着いているバッジから、魔法通信が入る。あ、今回はちゃんとオペレーションもついてるのか。なんとなくまた梨花ちゃんが兼任するのかと思ってた。
立体解析のデータが転送されてくる。5階建てのオフィスビルと、その横に隣接された寮、そして体育館か倉庫のような訓練場の3つが合わさっている。大半のメンバーは寮で眠っているみたいだが、すでに5時をまわっているためちらほらと動く人影も見える。明日の夜にでも奇襲を掛けた方が確実なんじゃないかとも思うが、魔法事件でそれは許されない。
魔法の威力には、上限が存在しない。理論上、ノータイムで個人が国を消滅させる事も可能なのだ。もちろん、個人が生成できる魔力には限界があるが、私と舞香ちゃんがやったように、魔力は授受ができる。たとえ一人では抱えきれない量の魔力でも、供給を上回るスピードで放出すれば、生身だけで大規模な破壊行動も可能なのだ。それに魔法というのは追跡がしづらい。リアルタイムでそのまま放出されている魔力はともかく、既に魔法として現象化された魔力は痕跡が残らない。ゆえに魔法を使った攻防は常に先の読み合い、先手必勝という図式になる。今回の事件も、相手側が魔法を使って逮捕された時点で、もう出来る限り早くすべての関連事項を収束させる以外の道はないのだ。
「さ、あと数分で到着だよ。だいたい一人70人を捕まえて京都旅行をゲットだ!」
梨花ちゃんはそう言って杖を抜く。
「術者の象徴! 復唱。一、常に惑わず勇敢であれ」
「「「常に惑わず勇敢であれ」」」
東の空が少しずつ白んでいく。のどかな山奥でそんな景色を見ていると自然と心が落ち着いてくるけど、緊張感を忘れてはいけない。敵はすぐ側に居るのだ。しかも今回はこちらから敵地に奇襲をかけている。敵陣に攻め込んで勝利するには3倍の戦力が必要だそうだ。相手が284人、こっちは4人。単純計算でこっちは1人当たり敵213人分の戦力が必要ってわけだ。魔術師機構も随分と厚い信頼をぶつけてくれる。正直ちょっと困る。
私たちは足音を殺しながら、アジトの塀に近づく。
「モコ!」
くるみがモコを呼び出す。モコは空気中に拡散して無色透明になると、塀の上に張られた赤外線を辿って防犯装置を見つけだす。
「おっけー、グッジョブモコ。じゃあバトンタッチっと」
くるみが舞香ちゃんと掌を打ち合わせる。すると舞香ちゃんは近くにあったマンホールに手を乗せ、魔力を送り始める。地属性の使い魔などのポピュラーな呼び出し方だ。ほどなくガサガサという音が聞こえ始め、それはだんだん近くなってくる。私がなんだろうと思っていると、突然マンホールの蓋が浮かび上がり、赤く光るトカゲの群れが濁流のように流れ出てきた。
「わっ!!」
私は驚いて尻餅をついた。
小さなトカゲのような姿に、黒い鱗。背中には金色の斑点が並び、鱗の隙間からは赤い光と強い冷気を放つ。教科書で見た事がある。火蜥蜴だ。その冷気が触れる範囲の炎を燃え上がらせ、その中でも死なないとされる、4大元素のうちの『火』をつかさどる精霊だ。舞香ちゃんはそれを群れ単位で使い魔にしているらしい。
そしてその群れが全匹揃ったのを確認すると、舞香ちゃんは持って来たスーツケースを開いて全員の顔を見回した。
「突入フェイズ。良い?」