一難去ってまた一難が来る前
梨花ちゃんは用事があるとかで先に行ってしまった。くるみも陸上部のミーティングだそうだ。あんた殆ど参加してないじゃん、と言ったら、新入生に顔を売っておきたいんだって。現金な奴だ。
私はどうしようかと考えた結果、買い物に寄って帰る事にした。くるみの家はわたしの家より学校から遠い。部活に行った日は大抵うちにご飯をねだりにくるのだ。
教室を出て下駄箱に向かう。雨はすっかり止んだ。廊下の窓からは入日の御光に照らされた汐留のビル群が覗く。ホント、世界的に貴重な魔女育成機関だからって、良いとこに建ってるよね。
そんな事を考えながら前衛科棟を出ると、体育館脇の水道で顔を洗っている赤髪の生徒が1人。
「里さん」
生徒が振り向く。やっぱり里さんだ。体操服にビブスを着てロングの赤髪は後ろでまとめている。意外だな、バッシュ持ってるよ、この子。
「バスケ部なんだね、里さん。休憩中?」
私が聞くと、里さんはこくりと頷く。
「……今日雨降って床つるつるだから、顧問がキレて練習にならない」
うわぁ、バスケ部の顧問って薬学の西村だっけ。大変だなぁ。あの先生はきっと床が滑ることじゃなくて、雨自体が嫌いなんだと思う。この前の雨の日にも、クロゴケグモの粉末が湿気ったとかいって大騒ぎしていたし、その前は傘が濡れたと言ってわめき散らしていたし。
「じゃあちょっとおしゃべりしていかない? 私も時間が余っちゃって」
そういうと里さんは、こくり。頷いてついてくる。かわいいなぁ、もう。
体育館裏のベンチに2人で腰掛ける。ここは自販機とベンチが並ぶ休憩所。すぐ横には海路から魔女関連物資を運び入れる船着場がある。
「私はメロー・ブルーにしようかな。里さんは? 同じので良い?」
私が聞くと里さんは一瞬首を縦に振ろうとして、少し考える。
「……ポーション」
そういって里さんは1000円札を2枚渡してくる。
ポーションとは、経口魔力回復薬のことだ。これはさっき隠蔽魔術科の後輩である夏目まひかに聞いた話なのだが、朝の現場では銃弾や硝煙反応は出なかったそうだ。ということは、里さんはあの銃弾を全て錬成していた事になる。たしかにその方が安くあがるが、300Mpちょっとであの量は魔力不足で倒れかねない荒技だろう。
私たち魔女にとって、魔力が足りない感覚は貧血のそれに似ている。頭がくらくらして、耳鳴りがしたりだるくなったりするのだ。私もブレスレットを着け始めてすぐの頃はさじ加減が分からず、よくそんな風になった。この子はそれを隠してバスケなんかやっていたらしい。周りに心配をかけさせたくないのは私もよく分かる話なのだが、これは褒められた事じゃないな。今日会ったばかりの私が言うのもなんだけど。
それとポーションは高い。里さんが出した金額からも分かるように、安いメーカーでも300ミリリットルで1500円は下らない値段なのだ。それに味もひどい。なんと言うか、生木にチョコレートと福神漬けを混ぜたような味がする。回復するまで頭痛に耐えろとは言えないけど、どうしたものか……
私は里さんから受け取った2000円を返すと、素早く自販機で飲み物を2つ、買ってしまう。里さんは無言のままあわあわと慌てた表情をしているが、計算通りだ。かわいい。
それはいいとして、この自販機、2つ同時に買ったせいか、中々缶が取れない。やばい、素早くしないと里さんがこっちに来てしまう。そうなると私のもくろみは失敗だ。
やっとこさ缶を2つ取り出すとベンチまで走って戻り、腰を浮かせかけた里さんの首に後ろから腕を回し、体重を掛けて再び座らせる。ぽふっ。里さんのスカートが小さな音を立てて、ざくろと石鹸を合わせたような香りがする。ギリギリセーフ。
「はい、里さん。メロー・ブルー」
私はそう言って、2つ買ったメロー・ブルーを片方渡すと、後ろから抱きついたまま、里さんに見えない位置でそっとブレスレットを外す。
里さんはずっとあたふたしている。私が後ろでごそごそやっていても気づく気配もない。この子、一度テンポが狂うととことんダメなタイプらしい。
首筋は太い魔力線が体表の近くを通る部位だ。里さんのそこに指を沿わせ、ゆっくりと、直接魔力を注ぎ込む。最も原始的な魔力回復術だ。魔力の弱い人に行うと摂取過多で気分が悪くなる事もあるが、あれだけバカスカ撃っていた里さんなら大丈夫だろう。
4年前だったか、私は魔力の量を買われて、とある魔法専門の中学校(魔法高の系列校だ)に推薦入学した。そこで私は、せっかくの魔力を無駄にするのももったいないと、補給系、回復系の魔術をかじったことがあるのだ。その後、どうにも繊細な調整の苦手な私は、結局前衛科に転科し、高校にも同科で合格した。私が転科すると聞いた時、担任だった先生は何か言いたげな顔をしていたが、結局あれは何だったのだろうか……。
「麦嶋さん?」
里さんが私の方を振り返る。私が魔力を注いでいる事に気づいたらしい。
「あ、ごめんね? しんどかったりした?」
里さんはふるふると首を横に振る。考え事をしていたせいで魔力を注ぎすぎたりでもしたかと思ったが、大丈夫だったようだ。
ブレスレットをはめなおして、里さんの隣に座る。里さんはしばしオドオドとしたあと、自分の飲んでいた缶を私に差し出してきた。
「……飲む?」
「同じジュースだよ、これも」
私は自分の缶を開けてひとくち飲む。
「……そう」
里さんは俯いてしまった。そっか、この子、私にわるいと思ってるんだ。まぁ、この子には言っておいても良いかな、引け目を感じられても嫌だし。
「私ね、魔力が余ってるんだ。自分で魔法を錬成しきれない程魔力が湧いてきちゃって、普段はこのブレスレットで相殺してるの」
里さんは私の話を真剣な表情で聞いている。ちょっと真面目風味に切り出しすぎただろうか。
「さっき相手の魔法を消したのも私じゃなくってこのブレスレットってわけ。だから魔力が足りなくなったらいつでも言いに来てよ。余ってるのにこれに吸わせて無駄にするのももったいないしね。それよりーー」
いい加減、里さんの視線に耐えきれなくなってきた私は話題を変える事にした。
「里さん、私が攻撃された時、名前で呼んでくれたよね? 『あいらさん』って」
「…………あれは、2人が言ってたから……」
里さんは火でも着いたように顔を赤くすると、俯いたままごにょごにょとしゃべる。
目の前には隅田川越しに見えるレインボーブリッジが、夕日を背にして長い影を揺らめかせている。
「……迷惑?」
しばらく迷った後、里さんは私にそう聞いてきた。どうやら里さん的にはうっかり口走ってしまった台詞だったようだ。
「全然。むしろこれからもそう読んでくれると嬉しいかな。舞香ちゃん」
私がそう言うと、里舞香ちゃんは赤い顔をもっと、髪の色と区別がつかない程赤くして、言った。
「うん。あいらちゃん」
★☆★
夕飯の材料を買って家に戻ると、玄関のまえでくるみが倒れていた。暗くてよく見えないが、くるみの下の地面が周りより一段濃い色をしている。
(まさか、血!? なんで?)
そう思って駆け寄ると、その足音で目を覚ましたくるみは「ふぁあ……」と、大きな欠伸をした。
「ん? ああ、あいら、遅いよー。お腹すいて死ぬかと思った」
「そんなとこで倒れて死んでるかと思ったわ! アホ!!」
くるみに一発グーパンチをいれる。血だと思ったのはどうやら布団代わりに召還したモコだったらしい。こいつもぶん殴ってやりたいが、如何せん物理攻撃が効かない。
「あいらぁ〜、お腹すいたぁ〜しぬぅ」
くるみが寄りかかってくる。こうなるとくるみはもう何か食べさせるまでお腹すいた以外言わなくなる。腰に手を回すな、スカートが落ちる。
「はいはい、今から作るから中で待ってな」
くるみを引きずりながら私が玄関の鍵を開けると、くるみはモコに腋を抱えられてフワフワと入っていく。私はくるみが投げっ放したバッグと掃除機を拾うと、あとでもう一発頭にお見舞いしてやると決めて、玄関をくぐった。
夕飯を食べ終わっても、くるみは家に帰らず、私のうちでテレビを見ていた。なんでも、くるみの家はBSにもCSにも対応してないらしい。
らしい、というのは私が実際にくるみの家にいく事は少なく、テレビを見ることなんてほとんど無いからだ。
なんかそう考えると不公平な気がしてきた。この子の分の食費だって馬鹿になってないんだから。
ソファーでダラダラしているくるみの前に麦茶を置く。イライラしていたせいか、コップはコン、と音を立てて、少しの飛沫を跳ね上げるが、くるみは気にもしない。
「ねーあいら、そういやさー」
くるみはソファーの背もたれに肘をついて私の家をきょろきょろと観察している。何回も見てるでしょ?
「何よ?」
今食器洗ってるんだけど。
「あいらさー、良いリップ探してたでしょ」
たしかに。良いかどうかは別にしても、もう少し大人なつやのあるのが欲しいとは思っていた。この子には言ってないはずだけど。
「これ、使ってみなよ」
そういってリップを手渡してくる。商品名は、えーと、『Barter of Sàn Francísco. Hydro ointment』って、男性用じゃないの? これ。
「まー使ってみなって。多分あいらの好みだと思うよ?」
この子が私にくれる物は大概私のどストライクだ。現にこの時点で『海外製品』『シックなデザイン』『あえて男性用とかいう玄人っぽさ』と私の好きな要素がこれでもかと詰まっている。
そしてこういうのをいつも私の不機嫌な時に渡してくるのがずるいよなぁ。それでちょっと機嫌が良くなる私も安いと思うけどさぁ。
と、その時だった。
ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴る。ここは学生寮、平日のこの時間だ。心当たりはない。
「……?」
ドアの覗き穴から外を見るが、玄関には誰もいない。不思議に思ってドアを開けるとーー
「こんばんは」
梨花ちゃんの声でそう挨拶をする、白猫の姿があった。