あのクラスメイトは今
佐藤 雅二、13歳。中学1年生。今日は彼の1日を覗いてみよう。
1998年1月26日月曜日午前7時。彼が家を出る。玄関で母親が見送る。手に提げる鞄、背負うリュック共にパンパンに膨れている。中身は教科書やノート、資料集、問題集。
1人でバス停に佇む。彼が乗車するバスが来るのは約10分後だ。そのうちバスが来て彼はいつも通り、運転席の後ろの席を獲得した。通路を挟んだ2人掛けの席には幼稚園児を連れた女が座る。
20分弱バスに揺られ、彼は中学校に到着した。この学校では7時40分頃から生徒会が校門に立って挨拶運動をしているが、今日も彼の通過時刻が上回った。校門は静まり返っている。桜の木はまだ花をつけていない。
教室に入ると、野球部員の机に鞄が置かれている。雅二は鞄とリュックを自分の机に起き、電灯のスイッチを入れ、続いて窓の鍵に手をかけて、そこで机に戻った。夏ならば窓を開けていただろう。この教室にはエアコンもストーブもない。
リュックから本を取り出す。4月から何度も繰り返し読んでいる本だ。内容は全て知っている。実際、読み飽きているくらいだ。ただページを開いて机に置いているだけ。その姿勢を保ってホームルームの開始を待つ。
ドアが開いた。ほぼ毎日、彼に続いて2番目に登校している女子だ。2人きり、重く冷たい空気が教室を覆う。その空気を打ち破るのは、3番目に登校する生徒だ。教室の空気に音が生まれる。その後、続々とクラスメイトがやってくる。教室の人口が増え、彼は存在感を失う。教室の空気は温かみを得た。
最後に担任がガラガラと木製の古いドアを開ける。それを合図に生徒は自らの席につく。これから今日の授業が始まる。
今日の1時限目である英語は彼が特に苦手とする教科だ。授業中に教師の説明が理解できないことがある。授業を停止させて質問する勇気など無い。休み時間に職員室に入るなど尚更だ。結局、わからないまま授業は終わる。別の男子生徒が授業終了後にノートを持って教師と何か話していた。
続いての授業は社会。ほとんどの生徒は教室後方のロッカーから資料集を取り出す。中には教科書やノートまでロッカーに入れている者もいる。しかし彼は違う。全て鞄かリュックに入れている。当然ながら彼にもロッカーはあてがわれているが、他の生徒に貸してしまった。どんなに荷物が多くなっても、彼は決してロッカーを使わない。
3時限目は体育……なのだが、急遽座学に変更になった。体育の教科書はロッカーに置いて良いものだ。しかし、この教室には全ての教科書を持ち帰る人物がいる。彼は誰にも助けを求めず、忘れ物として教師に連絡した。
午前中最後の授業は数学。彼は黙って板書をノートに写す。教室のどこかから小さな笑い声が聞こえた。それを教師は聞き逃さない。今日もまた説教が始まる。必ず入る文句は「連帯責任」。
やっと給食だ。今週の彼は給食当番。主に野菜サラダなどを扱う、いわゆる「小さいおかず」係だ。今日のメニューは子持ちシシャモのフライとみかんのゼリー。もう1人の係である女子生徒が配るゼリーはフライと対照的に大人気だ。1人につき3匹あるシシャモだが、大抵2匹や1匹で良いと注文がつく。彼はその注文通りにフライを乗せる。結果として大量に余った。全員の配膳が終わり、自分の給食を自分で取った彼は席に着いた。
彼も子持ちシシャモは嫌いだ。パンに挟んだり、牛乳と一緒に流し込んだりして、何とか3匹を消化した。基本的に彼は食べるのが速い。誰とも話さないからかもしれない。
重いままの食缶を所定の位置まで運び、階段を登って教室に戻ると、彼の机ではガールズトークが展開されていた。それを確認すると、図書室に足を運ぶ。読みたい本はもう読みきってしまった。
昼休みが終わった。女子たちが移動するまで掲示板を見るふりをしている。配膳表は見ない。冷やかされないためだ。いつまで経っても女子は机を離れようとしない。一瞬だけ机を振り返った。女子の1人と目が合った。
「あっ、ほらー。佐藤くんもう帰ってるよ。ごめんねー」
ほぼ毎日同じ言葉で机は解放される。
午後の授業が終わり、清掃時間になる。今週は教室の係である。彼は極力自分の机を自分で運ぶ。置いてある鞄やリュックが異常に重いからだ。箒や黒板消しなどは他の生徒がやる。彼はもっぱら雑巾掛け。
掃除が終わればホームルームの後、部活だ。しかし彼はどの部にも入っていない。そのまま帰宅する。特に帰ってからの用事など無い。これで彼の1日は終わりだ。
最後に、現在の彼を紹介してお別れとしよう。2011年1月26日水曜日午前8時。テレビ局のスタッフになった彼はアイドルグループ『moon』の芸能活動をサポートしている。彼女たちはいずれもクラスで人気者になりそうな子ばかりだ。たまに彼女たちを羨ましそうな目で見ている。
moonシリーズ完結です。ありがとうございました。