都合の良いオンナ
私、長田 奈美は山南 亨という男と付き合っている。彼とは会社の同期だけど別部署だ。彼は結構顔は良く、そこそこに仕事ができる。
私は、と言えばそこそこに見栄えし、結構仕事はできる、と思っている。
一年前に亨に告白され、興味がないと返事したにもかかわらず強引なアタックを繰り返された。ある日酒の力もあってつい一晩共に過ごし、ついつい情が湧いて彼と付き合うことになった。
それからは一人暮らしをしている亨の世話を何となくやっていて、今では何となく半同棲という形になっている。
今日は日曜日。
月一回恒例の麻衣子さんと仁美さんと沙耶先輩と南さんとの食事会の日。
食事会に一緒に行かないかと、昨日亨を誘ってみたけれど、
「そんな女の集まりになんか行けるわけがないだろ」
と呆れ顔で毎度ながらに断られていた。
17時過ぎ。
今日はいつもよりも解散が早かったので、その足で亨のアパートに行くことにした。
私用の鍵を使ってドアを開けてみれば、あちらこちらに脱ぎ捨てられていた男物と女物の服、そして下着。
閉じられたドア向こうからは女の嬌声。
そういえば、今から行くよと連絡しないで来ちゃったな。
これはもしかして。いや、もしかしなくても。
浮気、だよね。
理解はしたものの、次にどうしたらいいのかが思いつかなかった。
亨は二股をかけてた?いつから?相手は誰?
そんな疑問がどんどん湧き上がる。
しかし、いつまでもここにこうしているのもどうなの?
見なかったことにするにはあまりに生々しく、かといってこのまま人様の喘ぎ声を一人静かに聞いてるのもなぁ、と思い、突撃。
「こんにちはぁ。お邪魔してますぅ」
とりあえず明るい声で部屋に突入してみる。
「「え!?」」
驚く二人の声が重なった。予想通り二人はベッドの上で裸になって抱き合っていた。
「きょ、今日はオマエ来ない日じゃ…」
引きつりながら慌てて女から離れる亨。
「予定より早く終わったから、亨の顔見ようかと思ってきたんだけど、お邪魔しちゃったかな?」
ちらりと女の方を見る。髪が乱れて化粧崩れてて一瞬わからなかったけど、ああ『彼女だ』と思った。
―――樋口 梢。
私の4つ下の後輩だ。上司の娘で箱入り風な子。風、というのはお嬢様学校に通っていたにも関わらず、らしくない陰口の多さと男への手の早さが女性陣の中ではかなり噂になっているから。
そういえば三ヶ月くらい前デート中に彼女と偶然街で会って、亨を紹介したんだっけ。
「この際だから、はっきり言いましょうよ、亨さん」
強気に出たのはベッド上で胸元をシーツで隠している梢。
「私たち、付き合ってるんです。もう長田さんとはやっていけないって亨さんも言ってます!」
「付き合ってる?私と亨は既に付き合っていないってこと?」
眉を顰めて亨を見れば、蒼白ながらも
「ああ、そうだ。俺は梢が好きなんだ」
彼女の話に乗った。
「お前は料理、洗濯、掃除をしてくれて、まるで家政婦のようだった。だから俺が好きになったのは、梢だ」
あら。私に『好きだ』と言って寄って来たのは、亨の方じゃなかった?
「仕事にかまけて亨さんと会っていなかったんでしょ?そもそも家政婦じゃ恋愛対象にはならないのよ。『女』じゃなきゃ!」
「そうだ。お前は家政婦にしか思えなくなって、女としての魅力は感じなくなったんだ!」
二人で掛け合いで話すから、どんどん『奈美が悪い』が声高になっていく。
会っていなかった、と言われても昨日会ってるけど。それに仕事にかまけて連絡を減らしたのは亨のほう。私は忙しいながらに料理作ったり掃除したり…それにちゃんとメイクもしてたし、服装だって気を使っていたんだけど、『女ではない』と言われるなんて。
―――心外だわ。
「つまり、お二人は料理洗濯掃除をするのは家政婦で、女ではないと言いたいわけね?」
「そうだ!そんな女に魅力なんてあるはずがないだろ?お前は家政婦のように都合の良い女だっただけだ」
なるほど。私は『家政婦』で都合の良いオンナだったということね。
「ついでに教えて。二人はいつから『付き合ってる』の?」
「二か月前に、偶然レストランで会ったんです。その日の夜には一緒にベッドへ…」
頬染めて嬉しそうに言うな、泥棒猫。
二か月前に、偶然?しかもその夜には?
なんだそりゃ。
「だから、もう亨さんと別れてくれませんか?私たち愛し合ってるんです!」
「お前の体に魅力は感じないし、最近やってもないし。別れても別にいいだろ?」
梢の後ろ盾があるせいか、かなり強気に出たな、亨。
まあ、確かにここの所夜の方はご無沙汰だし?相性も決して良かったとは言えないと今なら認めよう。
それに梢は上司の娘だしトラブルは面倒、だな。
「わかった。別れましょう、亨」
ぱあ、と華やいだ笑顔になる梢。
亨は見た目イイ男だし?仕事もそこそこできるし?
彼氏にするには自慢できる男よね。
私だって、まあ、そんな亨に『好きだ』って言われたら悪い気はしなかった。
だから私なりに亨のためにいろいろとやって来たんだけど、その結果がこれか。
「もうここには来ないから、あんたらは私に近寄らないで」
そう言い、鍵を置いてアパートを出た。
家路につきながら、先ほど二人に言われた言葉が脳裏に浮かぶ。
なんで二人に私が家政婦扱いされたの?家政婦だってちゃんと女でしょ。何あの言いぐさ!
どんどん悔しい思いが溢れ出し、どうにも止まらない。
この思いを誰かに訴えたくて、私は今日集まったメンバーにメール一斉送信をした。
「今、彼氏と別れました。浮気されてました。相手は私の後輩です。彼とその相手に料理洗濯掃除する女は家政婦だと。家政婦は女じゃないと言われました。そんな私を慰めてください」
その返信は全員からすぐにきた。
急遽、これから全員そろって私を慰めてくれることになった。忙しい人たちばかりなのに。
女の友情はとても良いものだ。
「奈美、一体お前なにしたんだっ!」
仕事中、突然現れて私に向かって叫ぶ亨に自然と眉間に皺が寄る。
「近寄らないでって言ったでしょ。話しかけないでもらえる?」
「それどころじゃない!樋口部長が俺に梢と別れろって言ってきたぞ?」
「ふうん。そんなんだぁ」
興味ないから自分の仕事を続ける。あの日皆に慰めてもらって、『男なんて当分いらない!』と思うまでに吹っ切れた。本当、いい友達だわ。
「おまえ、俺とよりを戻したくて樋口部長にあることないこと吹き込んだんじゃないだろうなっ?」
「私がそんなことするわけないじゃない」
ふざけるなとあきれ返る。
私のどこに、亨への未練があるように見えるの?
「じゃあ、なんで樋口部長は俺のことを憐れむ目で見るんだっ」
「そうね。考えられるのは麻衣子さんか仁美さんか沙耶先輩か南さんかな?」
「それってお前のいつもの食事会のメンバーか?」
亨はそれが何だという顔をしている。
「そうよ。亨知らなかった?麻衣子さんは紺野不動産会長の奥様で、仁美さんは河野専務の奥様。沙耶先輩が児島常務の奥様で南さんが山都会長の奥様よ」
「…え?」
麻衣子さんと仁美さんは親子。沙耶先輩は私の中学高校の先輩。沙耶先輩と仁美さんは大学のサークル仲間。南さんは麻衣子さんと親友なのだ。ちなみに紺野不動産は我が社と交流が深い。
『年齢、立場は違うけれど、友達で』が食事会における私たち5人のルール。
「以前、会社関連の展示会の案内で沙耶先輩に会って、他の方々と知り合いになったの。不思議と皆と気が合ってね。それ以来定期的に食事会を開いてるの。あの日、あんたと別れた後に皆に連絡したのよ。『今、彼氏と別れました。浮気されてました。相手は私の後輩です。彼とその相手に料理洗濯掃除する女は家政婦だと。家政婦は女じゃないと言われました。そんな私を慰めてください』って。皆優しいからすぐに慰めてくれてね」
口をパクパクさせている亨を横目に話を続ける。
「『浮気していたくせにそんなこと言ったの?それにその言い方は私たちも家政婦扱いになるってことよね?女じゃないってことよね?』って皆怒ってたけど。まあ、みんな専業主婦だからね。そう取ってもおかしくないなぁと思わない?」
「な、なんでそんなことするんだよっ」
「私は亨や梢に言われたことに傷ついた。それを友達に慰めてもらった。それのどこがいけないの?」
失恋の後の普通の流れでしょ、と返せば亨は言葉を無くしていた。
「何度も『一緒に食事会に行かない?』って亨を誘ったはずよ?でも私の交友関係に興味を持たなかったのは亨でしょ。今は私が亨に興味がないの。あんたにとって都合の良いオンナも終わったの。だからもう話しかけないで」
私は確かにいろいろと都合の良いオンナだったと思う。なのに、家政婦呼ばわりして、他の部分に気づかなかったのは亨だ。
私はただ立ち尽くす亨を視界から外して仕事に戻った。
お読みいただき、ありがとうございました。