霧の毒蛇 前編
「きゃぁぁぁああああッ!?」
バシンッ。
朝、アリーシャより少し早くに目を覚ましたので、彼女が目覚める待っていた時のこと。目を覚ました彼女は数秒固まって、悲鳴を上げ、そして平手打ちを俺にお見舞いしてくれた。いったい俺が何をしたと言うんですか。
「ユ、ユウキくん! 大丈夫!?」
彼女が言うには、いつも一人で寝ているせいで、昨夜自分の部屋のベッドに潜り込んできたのを忘れていたらしい。大音量の悲鳴と共に俺の頬を叩き飛ばした平手打ちに、体力の1/3を一気にもっていかれた。恐ろしすぎる。もう少しレベル差があったら今の一撃でゲームから退場しているところだった。
「だ、大丈夫……。おかげさまで生きてます……」
彼女に鍛えてもらっていなかったらと思うと苦笑いをするしかない。さて、アイテムで体力を回復して、はぁと小さくため息。頬の腫れまで治してくれるこの世界のアイテムは万能だ。
さて、今日はこのゲーム自体でも始めてとなるダンジョン効略だ。場所は最初のダンジョン《悠久の森》。推奨レベルは15、俺は今22だから、なんとかなるとは思うが、プレイヤー達をゲームに閉じ込めたりする運営だ、発売前に出回っていた情報のままとは思わないほうがいいかもしれない。
「……よしッ、ユウキ君、行こ!」
「りょうかい!」
回復アイテムで頬の腫れも引いたおかげで彼女に変な罪悪感を持たせずに済んだようだ、これから効略だというのに変に気を遣われたら戦いにくくなってしまう。宿屋を出ると外の光が眩しいのと、ひんやりと冷えた空気が心地よかった。
効略隊の集合場所は始まりの街を出てすぐ、今回は自分達を入れて12人、合計3PTで挑むことになっているらしい。ありったけのプレイヤーで突撃しないのは、ダンジョンのボスと一回に戦えるPTが3PT分だからだそうだ。つまりは現状の人数で戦力は最大に近いということになる。
「こ、これが効略、隊……?」
いざ集合場所に到着すると、既に何人かプレイヤーは集まっていたのだが、その面子に驚かされた。それも悪い意味で。レベル15以上推奨とはいっていたが、冗談か何かなのか?自分よりレベルの低いプレイヤーまでいるじゃないか。これで効略?メンバーを集めた人間は何を考えているんだ。
「おい! 先行組に何もかもやれとは言わない、だけどこの編成はないだろ!」
集まったプレイヤー達を見回し、いた。昨日効略を持ちかけてきた男が。いったい何を考えているんだ、現状、半分近くがレベル20にも達していない。何が起きるか分からないのにこれでは死んで来いと言っているようなものだ。何を考えているのか、落ち着きはらっている男の胸ぐらを掴み、睨みつけるも効果は薄いようだ。
逆に、威圧するような態度で胸ぐらを掴んだ手を振り払った。
「彼らは意欲的に効略隊に参加してくれているメンバーだ、自分が少しレベルが高いからといって、他のプレイヤーを弱いと決め付けるのはどうかと思うが。」
「な、なんだと……!」
「やめなさい、仮にも今からは仲間なんだから。問題を起こすのは避けるべき」
今にも殴りかかりそうなの俺を制止したアリーシャ。ただ、考えていることは同じなのだろう、その表情は現状に納得してはいないようだ。
いざ、メンバーが揃っても、状況は同じだった。まずPTだが、第一PTが先行組の男、レベルが36。次いで16、17、19。第二PTがレベル30、30、19、16。そして俺達のPTがアリーシャのレベル41、俺の22、そして残り二人が17だ。レベルの高い先行組は4人、ただアリーシャ以外はとても信用する気にはなれなかった。
確かに、レベル10代後半は発売日組の中で、しかもアクティブなプレイヤーの中では高い方だとは思うが……。そんな俺の不安を感じ取ったのか、ポンッと頭にアリーシャの手が置かれた。
「ユウキ君、安心して。多少強い敵が出てきても私がなんとかするわ」
やはり一番頼りになるのはレベル云々もそうだが、アリーシャだけだ。俺にできるのは彼女の手伝い程度かもしれないが、その彼女が万全の状態で戦えるよう、俺も頑張らなければ。
「それでは、出発するとしよう」
言い出しの男の声を合図に、3PTがダンジョン《悠久の森》に向かって歩き始めた。草原の中はレベル差もあり、襲ってくるモンスターはほとんどおらず、スムーズに森の入り口へと到着した。そこで、言い出しの男がメンバー達へと向き直り、号令をかけた。
「この戦いは私達が開放されるための第一歩となる、諸君の善戦に期待する。いざ、突入!」
男の掛け声と共に、プレイヤー達はダンジョンの中へと突入していった。はぁ、と小さくため息をつき、気乗りはしないが同じように駆けていった。
《悠久の森》の中は道こそ示されているが、鬱葱と植物が生い茂り、さらには濃い霧の影響で数メートル先も満足に見えなかった。これが《悠久の森》?あまりにも物騒すぎる、それともこれが仕様だというのだろうか。
「おかしいわ……モンスターが全然いない。先行の時なら、確か《フルーツビー》が……。」
アリーシャが隣で口を開いたのはダンジョンに入ってすぐだった。
「それに、先行体験の時はこのダンジョンに霧なんて出なかったはずじゃ……」
その言葉に嫌な予感がする、先行体験時と違うということは、彼女達の情報は役に立たないかもしれないということ。にも関わらず、他の高レベルプレイヤー達はうろたえる様子も無い。
さらに、嫌な予感を煽るように、モンスターや動物の鳴き声が聞こえていた草原とは違い、自分達の足音以外、何も聞こえなかった。更に言えば、敵の気配も。
そして、入り口から数10メートル進んだところ、
「うわぁぁぁぁああああッ!!」
突然の叫び声と共に、最後尾を歩いていた第二PTの30レベルの男プレイヤーが、消えた。
「て、敵!? どこから!!」
急いで剣を構え、周囲を見渡しても、敵のカーソルとHPバーは見えなかった。視界に入るのは、植物と霧ばかり。他のプレイヤー達も、同じ様に敵の姿を見つけられなかったようだ。いったいどうなってるんだ、レベル30のプレイヤーがやられたぞ、見えない敵に。これが最初のダンジョン?馬鹿げてる!
「進むぞ、死亡エフェクトは出ていない。ヤツはさらわれただけなんだろう。助け出すぞ」
それでもなお、第一PTはゆっくりと歩みを進めていった。レベル30でも満足に戦えないのに、進むのかよ、なんでそこまで…。
「お……」
我慢の限界だ、「おい!」思わずそう叫ぼうとして口を開いた瞬間、アリーシャが俺の口を押さえた。そして耳元で囁くように小さい声で喋りはじめる。
「ユウキ君、よく聞いて。霧は視界不良の効果がある、それは敵モンスターも一緒なの。それなのに最後尾の彼はやられた。おそらく、敵は音でこっちの位置を察知できる……。ゆっくり、音をたてないように移動して」
今、ダンジョンの中を進んでしまっている状況から逃げ出すことはそっちのほうが危険だ。今はこのPTと行動を共にするしかない。アリーシャの言葉に無言で小さく頷き、とりあえず同PTのメンバーにジェスチャーで音をたてないように、ということは伝えたが、はたして大丈夫なのだろうか。それにいったいどんな敵がいるっていうのだろうか。
「これ以上先になんて行けるか! 話が違うぞ、15レベルあれば楽勝なんじゃなかったのかよ!俺達は帰らせてもらうからな!」
「ま、待ちなさい! 今物音を立てては駄目!!」
恐怖の限界だったのだろうか、第一PTの10代レベル3人が、突然PT設定を解除。アリーシャの制止もきかずに今まで歩いてきた方向へと駆け出した。そして……。
「うぁぁああああッ!!」
数メートル背後でシュンッという音と共に人型の光が浮かび上がり、やがて光は砂になって空中へ消えていった。見えたのは一人だけだが、10レベル後半で一撃だった。おそらく、襲われれば自分も一撃の可能性が高い。それだけの敵が、このダンジョンにはいるということになる。
「ここが、最深部……」
初級のダンジョンということもあり、基本的には一本道。どうやらルート自体は同じらしく、先行組の男を先頭に、なんとか最深部のボス部屋へと辿りついた。だが、最初12人で挑んだのが今では8人にまで減っている。最悪、さらわれた一人を助け出して逃げ帰るのが最善策かもしれない。
「この先はボス部屋になっている、おそらく、今まで襲ってきたのもココのボスの仕業だ」
先頭の男が扉に手をかけて話しはじめる。しかし、突入時の勢いの良さはどこへやら、残った10レベル代のメンバーもすっかり弱腰だ。男も、自分と同じく先行組のもう一人でボスを倒すつもりなのか、それ以上、メンバーを鼓舞するような言葉を口にすることは無かった。
「……いくぞ」
男が扉を開け放つと、道中の霧が嘘のように空気が澄み渡り、目の前にはバトル用の大きな広場が現れた。そして、広場が姿を表すと同時に、その中心には、とぐろを巻く巨大なヘビの姿。初心者に推奨するダンジョンのボスにしては随分と強そうだ。ただ、レベルに似合わないボスがいるのは予想していた。予想していたからこそ驚かなかったのだが、アリーシャを含めた先行組の反応は少々違っていた。
「そ、そんな……《ミストスネーク》じゃない、これは……《ミストヴァイパー》!!」
目を見開き、口をポカンと開け、男は固まったままだ。武器を構えて戦闘態勢すらとっていない。そこで声を上げたのはアリーシャだった。
恐らく、霧が出て最初にプレイヤーがやられた時、先行組達はおおよそ敵の正体が分かっていたのだろう。素早く、音で獲物をとらえるヘビ型のモンスターだと。その予想は的中している、確かにヘビだ。だが、予想通りならば男の反応はおかしい。その答えは、絶望したように男が見つめる先にあった。ヘビの頭の上に表示されたアイコン《ミストヴァイパー Lv40》の文字。レベル40?何かの冗談か?ここは最初のダンジョンだぞ。未だに呆然としている男に、アリーシャが叫んだ。
「コイツはレベル40クラスのPTでようやく倒せる相手よ! 貴方達じゃとてもとても敵わない! 私が引き付けている間に全員を連れて逃げなさい!」
見れば、広場の隅に最初にさらわれたプレイヤーの姿がある。体力はまだ1/4ほど残っているが、毒状態になっている。早くアイテムで治療しなければ、体力を更に削られて命が危うい。
「聞こえなかったのかよ! さっさとアイツを連れて逃げろ!!」
アリーシャの言葉にさっさと逃げ出したレベル10台組だが、肝心のレベル30台の先行組は唖然としたままだ。その残った二人を怒鳴りつけ、ようやく広場の隅に横たわるプレイヤーをボス部屋の外まで運び出させたはいいが、肝心のアリーシャは未だにボス部屋の中、防御重視で戦闘をしているが劣勢なのは明らかだった……。