もう1人の宝石柄
「お兄ちゃん見て! この装備可愛いよ!」
少し前まではイベントの参加者しか見かけなかったデゼルトの街も、一般エリアとして開放されたことでそれなりの人々が行きかう賑やかな街になった。中でも商業区はNPCのお店よりも、プレイヤーが開いているお店のほうが目立ってきた。
露店のひとつ、店先で穏やかに「いらっしゃいませー」と笑みを浮かべる服屋のキャラもプレイヤーだ。そして、その露店の先に飾ってあるドレスのような装備にミントが食いついた。現実では着られるはずのない、お姫様のような衣装を身に付けられるのも、VRMMOの醍醐味のひとつではあるかもしれない。
「ちなみに、これ、いくらですか?」
兄として、妹が欲しがっている装備のひとつやふたつ、買ってあげるのもいいだろう。しかし、店員の女性プレイヤーに値段を聞いて、俺の決心はあっけなく崩れ去る。
「はい、此方は《グラスシルク》を100個以上使用して仕上げた目玉商品で、お値段は10,000,000Gになります」
「あ、そうですかー……。それではー」
店員のお姉さんはニコニコとした笑顔のまま、えげつない金額を口にした。そんなお姉さんに適当に笑顔を返しながら早足にその場を後にする「ま、待ってお兄ちゃん!」とミントがもっとドレスを眺めていたそうにしているが、買ってやれるはずがない。
10,000,000G? ギルドハウスとプライベートハウスを買ってもお釣りがくる金額だ。とても買えやしない。あんな高級品が露店に置かれているのもゲームだからできる方法だ。取引きが完了しなければ相手に渡る心配も無いため、万引きの類は無いといってもいい。
それにしても、どんなMMOでもそうだが職人プレイヤー達はどこからそんな大金を稼いでくるのか。職人をあまりやらない俺には一生の謎だ。
しかし、妹と一緒に商業区まで買い物に来ておいて、何も買わずにいるのも兄として情け無い。何か自分の財布に無理なく買ってやれるものは、と周囲を見回し、見つけた。此方はヤシの実のような果物ジュースのようだ。あれなら何万Gもしないだろう。
「ミント、あれどうだ? ちょっと気になったんだけど」
俺が指差す先のお店に並ぶ果物にキラキラと目を輝かせて「うんッ!」とミントは嬉しそうに頷いた。よかった、なんとか喜んではくれたようだ。
「えっと、《デゼルトココナツのジュース》ふたつください」
ミントと一緒にお店のカウンターまで歩み寄り、指を2本立ててジュースを注文。
「おや、兄ちゃん、可愛い彼女じゃないか?」
店員は海の家で焼きソバでも焼いていそうなオッサンキャラクターだ。むろん、こんな余計なことを言ってくるNPCはいない、彼もまた商業を生業にしているプレイヤーのひとりなのだろう。しかし、まさかミントのことを彼女に間違えられるとは。このオッサンの目には、きっと俺は『小さい子が好みのプレイヤー』に映っているのだろう。誤解は解いておきたい。
「えへへ、可愛い彼女だなんて、ありがとうございまーす」
俺がやんわりと否定をしようとした所を、ミントが会話を遮り、ジュースを受け取りながら嬉しそうに微笑んだ。そしてこの子のおかげで俺は、店を後にする背中に周囲のプレイヤー達からもロリコンに向けられるような冷たい視線を感じた。違うんだって、妹なんだって。
固い皮部分を器として残した、ソフトボール程度の大きさをした果物のジュースは甘く、ほどよく酸味のきいた、さっぱりとした味で美味しかった。ミントも気に入ってくれたようで、両手で器を抱えながら笑顔でストローに口をつけている。
ゲームの中とはいえ、またこうして妹と一緒に買い物をしたり散歩ができたりするのは素直に嬉しい。元々、兄妹間の仲は良いほうだったし、だから俺がゲームの中に閉じ込められ、数ヶ月も寂しい思いをさせてしまったのが心苦しかった。
もちろん、今の状況が良いわけではないが、それでもこうして、また妹と一緒に並んで歩けるのが、俺は嬉しくてつい笑みが零れてしまう。
器の中に残っているジュースを一気に吸い上げると、中身が空になった容器は光の粒となって空中へ消えていった。それから少し遅れて、隣のミントの器も光の粒となって消えていった。現実とは違い、消費されてしまえば消えてしまうアイテムに、ミントはどこか寂しそうだ。
「また今度、一緒に買いに来ような」
そんな彼女を元気付けるように、ポンポンと頭を撫でると、「うんッ!」と元気な返事が返ってきた。この子には、そんな寂しそうな顔は似合わない。
「約束だよ? またお買い物に連れてってね」
「わかったわかった」
甘えるようにして、俺の腕に抱きついてくるミントの頭を再びポンポンと叩いてやると、満足そうにエヘヘと笑みが零れてきた。俺としても、大事な妹と一緒に過ごすのは、戦いを忘れてゆっくりできる大切な時間だ。
ただ、そんな時間も突然に終わりを迎える。
「痛ッ、ごめんなさい……!」
わりと道の端を歩いていたつもりだったのだが、道の中央側を歩いていたミントの肩が誰かにぶつかったようだ。バランスを崩したミントの体を支え、ぶつかった相手方へと視線を向けると、広い道でもないというのに物騒に鎧を着込んだ団体様が横一列に並んで歩っていた。それだけなら、まだ俺の気には障らなかった。しかし、相手の中の1人の言動に、俺は思わず剣を抜いた。
「この小娘、どこを見て歩いてるんだ! この道は白夜様がお通りになるんだ! 邪魔は、す……」
ミントを相手にまるでチンピラのように体を傾けて威圧してくる青年のプレイヤー。その言動に、俺はついカッとなって抜いた剣をその男の首筋に添えていた。その、数秒の出来事に男は何があったのか理解できず、ただ呆気にとられているだけだった。
「悪いけど、あいにく白夜なんてプレイヤーは知らないし。邪魔なのはお前らの方だ。街は誰かの私物じゃないんだぞ」
「こ、このガキ……」
もちろん、街中でプレイヤーへの攻撃はできない。剣を添えるだけで、実際に攻撃をしようものなら、此方の剣が弾かれてしまう。それでも、威嚇をするには充分だし、万が一勝負を挑まれても、俺は負ける気など一切しなかった。
だんだんと頭に血が上り、怒りを露にする青年だが、その彼を制止するように背後の男が前面に出た。
「僕のギルドメンバーが失礼をしたようだね。確かに、君の言うとおりだ」
団体の中でも一際豪華な鎧を身にまとったこの男が、この青年が言っていた「フレデリク」という男なのだろう。そして彼の口ぶりからするに、周囲の取り巻きは彼のギルドのメンバーなのだろう。しかし、青年は制止をされてもなお、悔しそうに此方を睨みつけている。
「白夜様! こんな粋がったガキなど私が!」
プライドだけは高いようで、このまま引き下がるものかと団長である男に抗議をしているが、男はその言葉にも小さく頭を横に振った。
「君のその剣、宝石柄だね。ということは噂の《緑の英雄》様か、僕も似たような装備を持っているんだ」
白夜と呼ばれた男の視線は俺の剣、《ブレイブ・ターコイズ》へと向けられた。そして、見せびらかすように片手に持った大盾を店つけてくる。その盾に、俺は見覚えがあった。この盾は、確かニュースの記事で読んだ《ダイヤモンド・ウォール》。ということは、彼が写真に写っていた入手プレイヤーなのだろうけど、身に纏う雰囲気は全くの別物だった。
「自慢か何かですか? 立派な盾ですね。これでいいですか」
面倒くさそうに小さく息を吐いて心にも無い言葉を発する俺に、男は苦笑いを浮かべて盾を下げた。
「違う違う、お互い、不毛な争いは止めようということさ。僕も、君みたいな実力者を敵には回したくないからね。今回は、素直に此方の否を認めて立ち去るとするよ。それではね、《緑の英雄》様」
男は最後にそう笑みを浮かべ、団員を率いて歩き去っていった。人の忠告はちゃんと聴いたようで、道を占領しないように配慮はしているようだ。
「な、なんだか不思議な人達だったね」
隣でポカンと見送るミントとは対照的に、俺は不信感を抱きながら、彼らの後を見送っていた。




