荒野の泉
「さすがに、あっつぃなぁ……」
「あっつーぃ、汗くさくなっちゃうー」
歩き続けること約一日、フィールドの気候にも変化が感じられてきた。単純だが、熱い。フィールドの草木も少なく、岩や砂で構成された地表に太陽の光が強く照り付けていた。
俺はまだ軽装だから、額に汗が滲んでいる程度だが、モモをはじめ、鎧を着ているメンバーには相当こたえるだろう。
「うぅー……」
隣ではモモが唸り声を上げながらテトテトと弱々しく歩みを進めていた。重装甲の彼女は間違いなく、メンバーの中でもひと際大変そうだ。
とはいえ、人事ではない。メニューを開くと、町の中では見当たらなかった《ヒートゲージ》というものが出現している。これは、キャラクターの体温をゲージで表しており、90%を超えると《熱状態》、つまり現実で言う「熱中症」のような状態になる。
現れるバッドステータスは「移動速度の低下」と「体力減少」。要するにこのバッドステータスにかかり続けると行き倒れ状態になるわけだ、注意が必要になってくる。
そのことは高温エリアに入る前にザックから注意事項として話され、みんなそれぞれに適度に液体系のアイテムを口にしてヒートゲージを下げているのだが、それでもやはり熱いものは熱いに決まっている。
俺も、あまりの暑さに大きく「はぁー……」とため息をついて、事前に用意していた対策アイテム《冷却水》を口にした。これはヒートゲージを下げると共に、30分の間、ヒートゲージの上昇率を半減させてくれるらしい。
そういえば、モモ、彼女もそろそろ冷却の効果が切れるのではないだろうか。そう心配して隣に視線を向けると、
「ブフッッッ!?!?」
鎧から露出した大きな胸の谷間を流れていくモモの汗が目に入り、思わず水を地面に向かって噴き出した。
「……? ユウキ君……?」
俺が何を見たか、彼女は全く気が付いていないようだ。突然水を噴き出した俺のことを心配そうに眺めている。
「い、いや……ちょっとむせただけ、モモ、そろそろ冷却効果切れるだろ?飲んでおけよ……」
なんとか誤魔化しつつ服の袖で口元を拭い、きっと赤いであろう自分の顔を逸らしながら、冷却水を彼女に差し出した。「うん、ありがとー……」と冷却水を受け取る彼女、その瓶に口を付けて中身の水を飲むわけだが……。あーあーまただ止めてくれ! 口の端から零れた水が顎、喉、首と伝って彼女の胸の谷間を流れていく。健全な男子なんだ、彼女に悪いと思っていても見ちゃうじゃないか!
幸い、他のメンバーとは少しだけ距離が離れているおかげで、この様子は気がつかれていないようだが、この前、彼女を助けた時の頬へのキスといい、女の子としてモモを意識し始めてから、俺の心臓は事あるごとにドキドキと強く鳴り響いた。
そして歩き続けること数十分。
「お、水場があるぜ。今晩はあそこで過ごすぞ、目的の町まで半分は切った! 野郎ども気合入れろ!!」
「「おうッ!!」」
先頭を歩くザックが水場を発見したらしく、メンバー全員に声をかけた。だんだんと日が傾いてきたこともあり、どうやら今日は水場の隣で夜を越すらしい。ようやく一休みできる。その安心感からか、みなに少しだけ活力が戻ったような気がした。
「ほぉー、見ろよユウキ。コイツぁ聖なる泉ってヤツだぜ」
「これが、聖なる泉……」
いざ水場に到着すると、ザックが関心したように声を上げた。目の前には直径10メートル弱の小さな水場。
この《聖なる泉》、それはアイテムとして《空き瓶》を持っていれば、体力回復効果のある聖水を得られるポイントのことだ。確か先行体験の時には1つしか見つからなかったとか。そして、追加効果としてモンスターは泉に寄り付かないらしい。
「まったくラッキーだぜ、今晩は見張りを減らしてコイツらを休ませられる」
そこで、見張り無しで無防備にならない辺り、彼の表には出ない用心深さが現れていた。
「よし、野郎共! 明日の朝まで休憩だ!」
休憩、その言葉に俺も少しだけ緊張が和らぎ、近くの岩に背中を預けるようにしてドカッと座り込んだ。
やはり、現実の肉体でなくとも歩き通しは疲れる。「ふうぅー……」と大きなため息とともに、静かに目を閉じると、間もなく疲労による睡魔に襲われ、俺は眠りに落ちてしまった。
「ユウキ、おいユウキよぉ!」
「ん……なんだよザック……」
その眠りから起こされたのは日が昇って周囲が明るくなってからでは無かった。目を開けると、俺の肩を揺するザックと星の広がる夜空、そして少し焦げ臭いような焚き火の臭いがした。
「まだ夜じゃんか……どうしたっていうんだよ」
視界の端には20:00の時間表示。小さくあくびをして首を左右に曲げるとボキボキと骨の鳴る音が聞こえた。
「少し前からモモの奴の姿が見えねぇんだよ、お前アイツと仲良いだろ。ちょっくら探しに行ってきてくれ」
モモがいない?それを聞いて思い出したのは数日前の1人でモンスターに突っ込んでいった彼女の姿。まさか、またモンスターを見つけて1人で突っ込んだのでは……。思い浮かんだそんな展開を、眠気と一緒に頭を左右に振って払いのけ、
「わかった、ちょっと周りを見回してくる」
地面から重い腰を上げ、泉の周辺を調べるために歩きだした。
モンスターがいないからといって、危険が無いわけじゃないのだから。モモもあと少し危機感を持ってくれれば嬉しいのだが。
「おーい、モモー。どこだー?」
「ユウキ君?こっちー!!」
お目当ての人物は案外すんなりと見つかった。大きな岩陰から聞こえた声は緊迫感も無く元気そうだ。
だが、事前に言われた通り、何が起こるかわからないのだから1人での行動は慎むべきなんだ。昼間のこともある、少しお説教をしてやろうと岩陰を覗き込んだ瞬間、俺は「男メンバーの中の女子1人」という彼女の状況を忘れていたことを思い出した。
モモ、彼女は鎧を脱ぎ、ビキニタイプの下着一枚になっていた。
そうだ、男同士なら目の前で装備を着たり脱いだりは簡単かもしれないが彼女は女の子、いくらゲームの中だからって男子大勢の前で素肌を晒すのは嫌だろう。そこまで考えが及ばなかった。
「ご、ごめん! でも、みんな心配して!だから俺、モモのこと探しに…! その……!」
彼女いない歴16年、いくらゲームのアバターだからって女の子の下着姿を直視なんてできるはずが無かった。彼女から隠れるように、岩陰に張り付いて必至に理由を口にするが、ちゃんとした言葉にはならない。とにかく気が動転していたのだ。
「ユウキ君もおいでよ! ほら、冷たくて気持ちいいよ!」
そんな俺に追い討ちをかけるように、彼女は下着姿のままでヒョイッと岩陰から現れ、目の前でチャプチャプと湖の浅瀬に駆けていった。
あっけにとられた俺とは対照的に、女の子であることに気を遣った俺が馬鹿みたいとと思わせる程に、彼女はまったく気にしていない様子だ。
ただ、こちとら健全な高校男子、下着姿の女の子と一緒に遊ぶだなんて、とてもじゃないけど考えられない。
あはははと無邪気に笑い声を上げる彼女に背を向け、ウィンドウを操作し、ザック宛にメッセージを作成。『彼女は無事、大丈夫だから心配しなくていい』と、背後で遊ぶ彼女を見ないようにメッセージを作成して送信。
と、同時に俺の視界は90度真上を向き、バッシャァンッ!と派手な水音を立てた。
「いってて……モモ、なにするんだよ」
背後から「えいッ!」と服を引っ張ってきたモモに押し倒され、俺達は2人、並ぶようにして浅く水が張る泉に倒れ込んだ。
「見て見て! 水に星が映って、まるで夜空の中にいるみたいでしょ」
確かに、綺麗に澄んだ水に映った夜空の星はとても綺麗で、そこに倒れ込んでいると星空の中にいるような錯覚を覚える。
「確かに、綺麗だな……」
さっきまで、彼女の下着姿に右往左往していた俺は、泉の冷たさでようやく冷静さを取り戻した。でも、この星空も、ゲームのひとつとして造られたプログラム。夜空を眺めながらそんなことを考えていると、隣で彼女が空に向かって手を伸ばした。
「ユウキ君と一緒だと綺麗な景色たーっくさん見れるね、最初に会った時の麦畑もそうだよ。私の中じゃ全部ホンモノなんだー……」
造られたものだとしても、現実じゃなくても、それを素直に綺麗だと思ったなら本物。そう初めて会った時に彼女が口にした言葉を思い出した。確かに、誰かが造ったものかもしれない、でもそれをどう受け取るかは、きっと俺ら次第なんだろうなと思えた。
ふと視線があった俺達。どちらからでもなくフフッと笑みが込み上げ、穏やかな気持ちで笑い合いながら、しばらくそのまま星空を眺めていた。




