陛下、考える。
「陛下! 何をお考えですか!」
婚儀を早々に切り上げて雛子を部屋に送った祇琅は、自室へ帰るなり側近の圭絽に詰め寄られた。
「ご自分の立場を忘れないでください」
「忘れてなどいない。すべきことはした」
「今の今まで、一度たりともあのような抜け方はされなかったではありませんか」
「別に婚儀を抜け出したのは初めてじゃないだろう。何を怒る? お前があの場を何とかしてくれたんだろ?」
「えぇ勿論です。問題は雛子様を連れて抜け出したことです。花嫁までお連れになったのは初めてでしょう?」
何が言いたいのかは分かる。自分の行動一つで、権力争いになりかねないのもよく分かっている。先に後宮入りしている娘たちの家の中には、周家を後ろ楯に持つ雛子など最も厄介な存在とする者たちもいるだろう。
だが、あそこまで震えた彼女を残して行くのに気が引けた。可哀想だと思った訳じゃない。何となく、放っておけなかっただけだ。
「流石は周家、ということで話は落ち着くだろ」
「周家だから、ではすまされないこともありますよ。今後も特別扱いなされるなら、必ずどこからか勘付かれます」
この乳母兄弟は頭が冴える。要は、不利益を被る前に態度を改めろと進言してきた。皇帝という地位の重さを十分過ぎる程に理解しているからこそ、自分や雛子を心配し、もしかしたらの域を出ない危険からも遠ざけようとしている。
「……分かった、お前の忠告は聞き入れる」
だからそんなに怒るなと言えば、圭絽もとりあえずは納得したように頷いた。
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「雛子の元へ行く」
「もうですか? 予定より早いですが……」
雛子の準備が整っていないのでは、と言いたいようだ。
「準備すべきことはそれほど無いだろ」
「まぁ、そうなんでしょうけどね」
話をするだけなのだから対した準備は必要ないと思っている祇琅に「これは所謂、初夜というものですよ」とわざわざ言う必要もない。そう判断した圭絽が曖昧に肯定した。
そんな圭絽の考えは知らずに、祇琅は再び雛子の元へと足を運んだ。今回は正式な訪問なので、きちんと後宮内の廊下やらを通る。
案の定、予定より早い到着に驚いた侍女たちが狼狽えたが、皇帝を廊下で待たせる訳にもいかないということで部屋の中に通された。
後宮の妃たちの部屋は広い。各々の部屋に風呂や簡単な調理場も設けられている。閉じられた空間で過ごす妃たちが、お茶や湯浴みをいつでも行えるようにと、後宮創設当初の皇帝の意向からだ。部屋に入れば、簡単な応接間の様な造りになっており、この奥に寝室やらが備えられている。
今は入浴中だという雛子を待つため、近くの椅子に腰掛けた。
するとすぐに、慌てた様子で一人の侍女が年配の侍女に耳打ちした。
後者には見覚えがある。周家で長年働いていた者だ。
「何度お声かけしても雛子様からお返事が……!」
「落ち着いて。中は確認しましたか?」
「いいえ、でも……」
聞こえてきた限りだと、浴室の雛子から返事がないようだ。
……嫌な予感しかしない。「普通」ではない雛子が何かやらかしたとしても、そうは驚かないつもりでいるが、何せ予想を越えてくる女なのだ。
特に今回は不穏な台詞が聞こえてきたし、祇琅は表に動揺を出さぬまま、腰をあげた。
「陛下、私たちが見てきますのでしばらくお待ちを」
祇琅が何をするか察知した年配の侍女が止める。が、そんな悠長に構えている場合でもない。
「水と拭くもの、着替えを用意しておけ」
陛下! と悲鳴にも似た叫び声が聞こえた。声の高さ的に、若い侍女が堪らず叫んだのだろう。
いち早く状況を判断した先程の侍女が、制止をやめて祇琅の後に続いたことにより、周りの侍女たちも一斉に動き始めた。
「雛子様!」
名前を呼ぶ侍女の声にも反応がないため、祇琅は近くのタオルを掴みとり、乱暴に扉を開けた。
見ると雛子は湯に入ったまま、うつらうつらと船を漕いでいた。これほど大声で呼ばれても気付かないとは何事だ。そもそも、風呂で寝るなど前代未聞だろう。口元のすぐ下まで湯に浸かっていたが、幸いにも浴槽の淵で器用にバランスを保っていたせいで、見た限り溺れてはいない。
迷うことなく湯船に足を入れ、雛子の側に立った。そのまま持っていた布を体に掛ける。すっぽりと体を覆う大きさで良かった。自分が濡れるのも気にせず、湯から雛子を引き上げる。
引き上げられた本人はようやく目を覚ましたが、置かれている状況が分からないようで悲鳴をあげかけた。
助けてやって叫ばれるのは流石に面白くない。それを制して寝室に運びいれ、あとは侍女たちに任せるつもりでしばらく放っておいた。
(……予想の斜め上どころではないな)
濡れたままの衣服は何かと気持ち悪いが、かといって自室まで戻るのは面倒で一人ため息をついた。
どうしてこうも奇をてらってくるのか。異国人であるせいなのかは知らないが、妙なところでその意外性を発揮するのはやめて欲しい。
圭絽の言う通り、もう少し慎重になるべきかもしれない。この様子だと良くも悪くも目立つ。目立ちすぎる。後ろ楯と、本人の普通ではない性格のせいで。
現に今こうして自分は被害を被っているではないか。初夜の日に風呂場で眠りこける妃など聞いたことないが、自ら湯に入って助け出す皇帝というのも聞いたことがない。
勝手に動いてしまったのだ。雛子という女が側にいると、どうも自分はこれまでのイメージにそぐわない行動をしてしまう。
威厳が損なわれないよう気を張らなければ。そんなことを考えていると、一人の侍女が寄ってきた。
「陛下、お召し物を。侍女頭に命じられたので周陛下補佐に説明をし、新しいものを用意するように取り計らっていただきました」
「……そうか」
流石は圭絽と言うべきか、優秀な乳母兄弟だ。雛子の侍女頭はあの年配の侍女だろう。周家で長年勤めていた侍女の指示(身辺の世話役ではなく、側近の圭絽にわざわざ伝えに行かせるあたり)も的確だが、そんな人物を雛子に宛がった圭絽にも思わず感心した。
あとで礼を言わなければと思いながら着替えを受け取る。
着替え終わった頃には、雛子の方もだいぶ落ち着いた様子だったので、再び寝室を訪れた。
(今日は何とも疲れる一日だ……)
その元凶に文句の一つでも言ってやらねばと思ったが、あまりにもしおらしく謝るので気が削がれた。
それなのに、此方がわざと切り出さなかった裸を見たかどうかをわざわざ聞いてくる。苛立つというより、思考が読みにくいから困る。
(困るには困るが、退屈はしない)
雛子に「受け流す」ということを教えなければ。頭の片隅でそんなことを考えながら、まだ顔が赤い雛子を侍女の残した扇で扇いだ。




