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妃のお仕事


 「私の仕事って情報収集ですよね? 何を調べれば良いんですか?」


 部下として後宮に入り、見聞きした情報を集めることだけが、生活保護の代わりとして出された条件なので、自ずと真剣な声音になった。何もかもを与えてもらっているのだから、せめてその仕事くらいは全うしなければと雛子は意気込む。


 「何でも良い」

 「え……?」

 「どんなことでも良い。この後宮内で知ったことを全て話して欲しい」


 思った以上に漠然としているせいで、次の言葉が出ない。沈黙に陥った雛子に合わせたのか定かではないが、祇琅も口をつぐんだ。


 「……全て、ですか?」

 「あぁ」


 ようやく絞り出した台詞に、淡々とした返事。冗談じゃなくて本気なんだということがひしひしと伝わってくる。


 「そう深く考えるな。何でも良いんだ。雛子が手に入れた情報を聞いて、どれが必要か俺が選択する」


 欲しいのは量だと付け足された。


 「分かったような……、分からなかったような……」

 「後宮は俗世と離れた別社会のようなものだからな。例え皇帝と言えど、踏み込むことが難しい部分もある。そこで雛子、お前の出番となる訳だ」


 何かに切羽詰まった感じもないので、なんだか拍子抜けだ。肩の力を抜き、背もたれによりかかる。それぐらいなら何とかなりそうだと安堵した雛子は、緊張で凝った身体を解そうと、次に大きく伸びをした。


 「……お前は俺が誰だか、なかなか理解しないな」

 

 しまった、と佇まいを直す。そうだ。目の前にいるこの人は、この国で一番偉い人なのだ。彼の命令一つで、自分はどうとでもなってしまう。


 そんなことを考え萎縮した雛子を見て、祇琅は可笑しそうに笑った。


 ――面白い。この国の者とはやはり違う。


 そもそもの出会い方が普通では無かったせいで、雛子に今更「普通」を求める気にもならない。むしろ他と違うその反応が思いの外、気に入っている。


 「別に不敬の罪で牢に入れるような真似はしない。人目につかなければこの程度は許容範囲内だしな」


 出会った時が「皇帝」の休息時間だったこともあり、雛子はどちらかと言えば「昂祇琅」に近い彼と言葉を交わした。

 素ではない、初めから完璧な「皇帝」としての彼に出会っていたなら、今のようなやりとりは無かっただろう。小さな仕草でも、見逃せば周りが「この程度なら大丈夫だ」と勘違いして歯向かってくる恐れがある。自分の確固たる地位を揺らがせるようなことには、情けをかけることなく裁く必要があるからだ。雛子はその点、運が良かった。「特異」であるとして受け入れられているので、他人とは微妙に違った立ち位置にいた。


 「すみません……。今まで私の周りに、そんな偉い人って居なかったからつい……」

 「雛子が居た所では、俺の様な統治者はいないのか?」

 「うーん……。国に偉い人は居ましたよ? けど、会ったこともないし、会う機会もないだろうと思います」

 「そういうものなのか。……成る程な。なら国はどうやって治める?」

 「えーっと、国民から選ばれた代表たちが議会を開いてますね」

 「国民の代表がか? それではいざと言う時に権力が分散してしまうだろう?」

 「平等で公正にってことだと思いますよ? あ、そうか。この国って陛下が絶対ですもんね」


 祇琅が矢継ぎ早に質問して雛子の居た世界に興味を示す。答えようと考えるほど、どうしても戻りたいと思ってしまう。戻りたいけれど、それが今は叶わない。泣き言を言ってる場合じゃないと、寂しさを無理矢理、遠くへ追いやる。

 祇琅と話すことは楽しかったし、次第に暗い考えが頭を過ることも無くなった。それ程まで彼との会話に集中していたと気付いたのはもう少し後になってからだ。

 「お前の質問癖が移った」と文句を言いながらも、祇琅の楽しげな雰囲気に雛子も顔がほころんだ。










  幾分かそんな雑談を続け、ある程度の時間が過ぎたところで祇琅が腰をあげた。

 婚儀の場では思うように食事が出来ないだろうと、部屋に戻った後で夕食が用意されるのがここの習わしらしい。後宮侍女の配慮だそうだ。それは皇帝も同じようで、彼の自室にも夕食が用意されることになっていると教えてもらった。


 婚儀から時間が経っていることもあって、今までどこに居たかと探られれば面倒だと、又もや隠し通路を使って帰るらしい。

 早々に姿を眩ました後のことは圭絽が上手く誤魔化しているだろう、なんて焦る素振りも見られない陛下の台詞に合わせて、苦労しているだろう圭絽の姿がありありと浮かぶ。


 「俺は一度部屋に戻る。用事を済ませたらまた来る」

 「え? また来るんですか?」

 「あぁ。今度は正式にな」


 この短時間で雛子のずけずけとした失礼とも取れる物言いに慣れてしまった祇琅はさして気にも留めず返事をする。

 皇帝からの言葉に了承以外の、それも聞き返すという不躾な行いをした雛子も二人で会話することに慣れてしまったせいで、彼がこの国のトップだということを忘れそうになっている。「陛下」と呼んでいても、何だかそれが、ただのニックネームではないかと思える程に感覚が麻痺してきた。(勿論、彼が偉い人だということは良く分かってる)

 妙な体験をしたもの同士、打ち解けるのは以外に早かった。


 「正式にって何でまた……」

 「……お前、ここが何処だか忘れたか?」


 忘れる訳がない。ここは後宮だ。分かってますよと伝えれば、祇琅は眉間にシワを寄せた。


 「それで、お前は俺の何だ?」

 「……部下です」


 部下として後宮入り、ここまでは理解している。それでも祇琅が何を言いたいかが掴めないので、雛子も困惑する。


 「そうだな。では表向きは?」

 「…………妃、です」

 「今日行った行事は婚儀と後宮入りだ」

 「えぇ……」

 「つまり今夜は、結婚した男女が初めて二人で過ごすことになる時間だ」


 流石の雛子も、ここまで言われれば嫌でも気付く。背中から腰に嫌な汗が流れた。


 「まさか、初夜……ってことですか?」


 顔をひきつらせる雛子に、やっと分かったかと、こちらも疲れた表情の祇琅がぬるい視線を寄越す。


 「準備やらは侍女が手筈を整えるはずだ」


 祇琅の声が遠くで聞こえる。それから部屋を出ていく音がした。

 閉められた扉を呆然と眺めるしかない雛子は考えるのを放棄した頭を必死に動かす。


 ――しょ、初夜って……!?


 「嘘でしょ……」


 嘘だと言ってくれる声も当然なく、暫くの間その場から動けずにいた。

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