このお話は内密に
雛子は部屋に入り扉を閉めた。
振り返るとちょうど、祇琅が乱雑に上着を脱ぎ捨てて、部屋の中央にある椅子に腰掛けたところだった。
「あの、陛下……」
「後宮の部屋位置には意味がある」
こちらから何かを尋ねる前に話を始めたので、雛子は口をつぐんで向かい側に腰かけた。
「現在はその意味を成す部屋が少なくなってきてはいるが、ちゃんと機能している場所もある」
「意味、ですか?」
「あぁ。何も後宮に限ったことではない。城に始まり城下や家臣の為の寮も含んで、皇帝が統治しやすい造りになっている」
皇帝が統治しやすい……? と雛子が首をかしげれば「そうだ」と短い返事がきた。その後に詳しい説明が順を追って話される。
後宮で言うならば、妃の位に準じた部屋割りだ。昔は権力や派閥問題、世継ぎ問題が激化したせいもあって、皇后となる者は暗黙の了解で決まっていた。身分の高い者の部屋は、皇帝が通っていることが分かりやすいよう中心部の廊下を渡らなければたどり着かず、反対に、寵妃の部屋には抜け道や隠し通路で誰にも知られることなく通えるようになっている。
「さっきくねくねと曲がったりした道も……」
「隠し通路だ」
それであんなにも複雑な道順になっていたのかと、ようやく納得した。最初は普通の廊下だったのに、気が付いたら要り組んだような細い通路を歩いていたのも、言われてみれば合点がいく。
「この部屋も例外ではないぞ。元々この場所は、寵妃のために宛がわれた部屋のひとつだ。誰に見られることもなくたどり着けるようになっている」
「……そんなすごい仕掛けがあったんですね」
「お前の仕事の報告も聞きやすいという訳だ」
そうだ、仕事。後宮で情報を集めるという内密の仕事だから、報告場所にも気を付けなければならないのだ。
「隠し通路を使って陛下がこの部屋に来れば、私の元に通っているとか変な噂も出ませんもんね」
なるほど、と相槌を打っていたが、途中でふとあることに気付く。
「……待ってください。これって普通、あまり知られてないことだったりしますか……?」
「公にはされておらず、知っている者もごく僅かの機密情報だ」
「やっぱり! 薄々そんな気はしてましたけど……! 私、結構な秘密を聞いてたんですね!?」
「雛子では悪用出来んだろう。通路は迷路じみてるからな。皇帝以外、誰も把握は出来ん」
それはそうかも知れないが。それでも、こんな簡単にぺらぺらと話してしまって良いのだろうか。
「……私が陛下を裏切るとか、考えなかったんですか?」
その問いに祇琅は目を細めた。何を馬鹿な、と言いたげな視線に雛子は少しだけ怯む。
「俺に謀反なんぞ起こしたら、誰がお前の衣食住の保障をしてやるんだ」
代わりの誰かが保護を申し出たところで、今約束されている生活を危険に晒してまで賭けに乗るような頭の悪い女ではないだろう? と言う。
単なる損得で考えた話であったとしても、信用されている様で嬉しかった。見知らぬ場所で不安が大きいからこそ、誰かに必要とされ信頼されているという実感に、頑張ろうと思える。
「そうですよね。大丈夫です! 此処に置いてもらえるだけでありがたいんだもの。裏切ったりなんてしません!」
思わず前のめりになりながら答えれば、目の前の陛下が唇の端をあげる。
「……本当に、変わった女だな」
「そんな人を変人みたいに言わないでくださいよ」
「まさか。褒めてるつもりだ」
和らいだ様な雰囲気に、張っていた気が緩む。広間で感じた冷たさが嘘みたいだ。
だからだろうか。安心するとどうしても聞きたくなる。気になってること全部を知りたくなるなんて、小さな子供みたいだと内心で思う。
「……何でさっき、あんな風に婚儀を抜けてきたんですか?」
作法を無視して、花嫁が置くべき杯を陛下は自分で置いた。早々と立ち去ることも、あの場では好ましくなかったのではないかと、引っ掛かっていた。
祇琅が口許を引き締めた。それから小さな溜め息を吐く。先程まで笑っていた筈なのに、今は何故か苦虫を噛み潰した様な顔をしている。
「流せば良いところを……」
「そう言われても……! だって気になったんですもん」
その反応に、聞いてはいけなかったのかと不安が過るが、どうしても好奇心が勝ってしまう。
「……緊張のせいか圧倒されてかは知らんが、震えてただろう?」
まばたきを数回。それから雛子は脳内で祇琅の言葉を反復する。
「短時間で礼儀やらしきたりやらを詰め込まれてあれだけ振る舞えれば十分だ。周家からの後宮入りというだけで嫌でも目立つ。……どうせ目立っているなら何をしても変わらんだろという訳だ」
言われた台詞の意味を考える。まるで気遣ってくれたみたいではないか。
「私のため、ですか……?」
「……雛子。お前は何故受け流すということを知らんのだ。何でもかんでも知りたがるな」
渋い顔つきで不機嫌そうな声が答えだ。
――確かに陛下は私のことを考えてくれてる。あの行動も、そういうことだったんだ。
雛子はまじまじと祇琅を眺めた。冷酷だなんて嘘だ。この人はそんなんじゃない。
「……陛下は優しいんですね」
今度は祇琅が面食らう。優しいなんて言われたことがないからだ。
「……優しい訳じゃない。ボロが出る前に先手を売っておいただけだ」
「そうであっても、です」
とうとう返事もなく押し黙ってしまった祇琅に雛子は微かに笑みを浮かべる。
「優しいとだめなんですか?」
「……皇帝陛下は冷酷無比、だ。優しさは必要ない」
「なるほど」
「そんなものとはかけ離れた人物像で今までやってきた。良いか? 俺の仕事は恐れられることで成り立っているんだ」
「わかりました。……その人物像を崩すなって言いたいんですね?」
分かったならこの話は終わりだと言い、どこか不貞腐れた様子の祇琅は咳払いをした。
「ここからは、仕事についての話だ」
仕事と聞いて、雛子も自然と背筋が伸び、聞く姿勢になった。




