結婚式に必要なもの=記憶力+応用力?
案内されるまま着いて行けば、大きな広間に通された。長く真っ直ぐな絨毯が引かれたその先に、陛下が座っているのが見える。
周りにいるのは家臣の人たちだろう。彼らの目の前を、広間の中心を通らなければならない。緊張はするけど、圭絽の説明を思い出しながら心を落ち着かせる。
――確か、前の裾を少し持ち上げて……、一歩ずつ揃えながら歩くんだったよね
後ろの長い裾は侍女が持ってくれているから、引きずらないようにして前を少しだけ持ち上げる。それから、左足から前へ。一歩出したら、揃えて止まる。また一歩出しては揃えて止まる。時間をかけながら少しずつ進む。
――あそこまで行ったら立ち止まって一礼、そしたら陛下の前に進む……
何とも言えぬ視線を浴びながら、雛子はそれを意識しないよう、圭絽からの説明を反復して、この次に何をすべきか考えながら気を紛らわせる。
ゆっくりと距離を縮め、遂には彼の目前まで到逹した。
「み、……じゃない、周雛子と申します」
うっかり宮下雛子と名乗りそうになり、小声で訂正を入れる。周家のお嬢様として後宮入りするのだから、これからは周雛子と名乗らなければ。
一礼して位置された椅子に腰かける。隣を盗み見ると、彼はこちらを見向きもしていない。いくらこの婚儀が無意味なものでも、そこまで興味なさそうにされると、割と傷付くものだ。この陛下は女心をまるで分かってないと、雛子は内心で悪態をついた。
(だってこれ、いわゆるウエディングドレスでしょ? 女の子の憧れなのに、ぜんっぜんたいしたことないみたいじゃない……)
釈然としない気持ちのまま、祇琅の動作を目で追う。銀色の杯に注がれたお酒を二人が回しのみして結婚成立、らしい。(お酒は飲めないと圭絽に伝えたら、だいぶごねられたけれど、飲む真似で良いと許可を得た)
無言のまま差し出された杯を受け取り、見つめる。これを飲めば正式に後宮入りになるのだと深く息を吐いた。
口元に近付け、そっと目を閉じる。唾を飲み込み、あたかも杯の中身を飲んだかのように見せる。
杯から口を離して、うっすらと目を開ければ、雛子と祇琅の視線が重なった。
「……この時より、お前は私の妻となる。己の立場を考え振る舞うが良い」
発された声の無機質さに雛子は思わず息を飲んだ。淡々と、決められた台詞を吐いた様に、何の感情も籠っていない。初めて聞いた、底冷えする様なあの声とは違って、冷たさすらも感じられない。
「……はい」
視線を合わせていることに耐えられなくなり、目を伏せて返事をした。言い様のない不安が急激に押し寄せ、杯を持っている手が微かに震える。
震えた指先に何かが当たり、やんわりと杯が奪われた。
「陛下……?」
何か、とは陛下の指だったのだと気付いた。が、それと同時に、彼の意図が分からないので恐る恐る様子を伺う。
杯を元の場所に戻すのは、花嫁である雛子の役目だったはず。
「あとは各自好きなようにしろ」
集まった人々へ向けて、たったそれだけの短い台詞を残し、祇琅は雛子の腕を引いて立ち上がった。そのままどこかへ歩いて行こうとするものだから、急いで雛子も腰を上げる。
祇琅は今まで座っていた場所の後ろ手に見える扉を開け、一度も振り返ることなく広間を後にした。
(ちょ、ちょっと待って! こんなの圭絽さんのマニュアルになかった! どうすれば良いのよ……!)
陛下はずんずん歩いていくけれど、こっちは今どこを歩いているのかさえ分からない。右に曲がったと思えば左に曲がったり、廊下の幅も段々と狭くなっていくので、どこに連れていかれるか全くもって予想が出来ないのだ。
何か聞こうにも、陛下は前しか見てないし、どうしても先程の無機質な声がちらついて声をかけようにもかけられない。
雛子が一人で、どうしたものかとおろおろしていると、祇琅が急に立ち止まった。
そのせいで、彼に後ろからぶつかりそうになってしまい、何とかその場で踏みとどまろうとぐっと力を込める。
何もかもが突然すぎて、そろそろ文句の一つぐらい言っても罰は当たらないだろうと口を開けば、出てきたのはまったく違う台詞だった。
「……私の部屋?」
見覚えのある扉。婚儀の前に与えられた自室に他ならない。文句を言ってやろうと意気込んでいたが、驚きのあまり完全に怒気の抜けた声で、素直な疑問を口にした。
「そうだ。圭絽から場所を聞いておいた」
「そうなんですか……。え、あの、いまいち状況が理解できないんですが……」
「……思ったより頭が回らん女だな。仕方がない、部屋に入ったら答えてやる」
「あ、頭が回らないって……!」
「わかった、喚くな。確かにお前にとって慣れない環境ではあるな。そこは訂正しておこう」
――ぜんっぜん悪びれてない! この人性格どうなってんの……!?
第一印象は冷たい人、広間では無機質で何を考えてるか分からない人、今は思ったことずけずけ言っちゃう人。短時間でここまで性格が掴めないこの人が、冷酷無比の皇帝陛下?
冷酷さなんてものを感じたのは最初だけ。それもうっすらと。圭絽から話を聞いて「そう言われればそんな感じなのかな」と思い返した程度。
考え事をしていたら、掴んでいた腕を離され、その手がドアノブにかかった。勝手に扉を開けて、この部屋の主人である雛子より先に中へ入っていく背中を見つめる。訳の分からないことが多すぎて、そろそろ頭が考えるのを放棄しそうだ。
「入らないのか?」という声に背中を押されるようにして、雛子は慌てて部屋に入った。




