会わない期間も考えてしまう
「うーん……、災難だったねとしか……」
玉麗が苦笑いを浮かべながら、まだ湯気の出ているお茶を飲んだ。
「もう最近こんなことばっかりなの」
雛子が決意した予定通りに、玉麗の部屋で話を聞いてもらっている。先程のことを思い出すだけで疲れる気もするが、吐き出してすっきりしたい気持ちの方が強い。
急いで部屋を訪ねると玉麗に先客がいた。けれども彼女たちは玉麗の友達だということで雛子もそこに加えてもらったのだ。
訴えかけてきたお妃様方とは違い、優しげな雰囲気の彼女は玉麗と家族ぐるみで仲が良いらしい。雛子の来訪に驚いてはいたが(なにせ後宮派閥争いの渦中にいるし周家のお嬢様だしで、すごく有名人)少しずつ慣れてきてくれたみたいで嬉しい。
「なんと言いますか……、きっとその方々は由緒あるお家なんでしょうね」
玉麗の友達である詩美蓉が困ったようにそう言った。もちろん彼女とも打ち解けたいのでフランクな話し方を提案したが、玉麗曰く「育ちが良い」のでなかなか丁寧な言葉遣いが抜け切らないらしい。
「きっと、っていうか絶対よ」
「後宮にいるお妃様たちってそういう人たちばっかりなんじゃないの?」
玉麗も頷いて肯定するので、思わず聞き返した雛子への説明を美蓉がしてくれることとなった。
「妃として後宮へ上がる条件に明確なものはないのです。変な話、上がろうと思えば上がれます」
「え?」
「妃の家柄によって婚儀を執り行う、行わない、行った場合の規模などが決まりますけど、絶対に由緒ある家柄でなければならない訳ではないですから」
「婚儀って全員やる訳じゃないんだ……」
あの豪華で大勢の人が集まっていた婚儀にもランクがあったなんて。そりゃあ全員やろうとなると大変だろうけど、そうか。突然のことだったのにあんなにも豪勢だったのは、私が周家の令嬢として後宮へ上がったからだったのか、と雛子はその時のことを思い出して納得する。
(……なるほど。なんとなく分かってきた)
今度は、つい先程のお妃様方の訴えを頭の中で繰り返す。彼女たちは確かに言った。
「白家は商人の出である」と。
「……なら、祥蘭様は?」
雛子の問いに、玉麗と美蓉が二人して意味ありげな、どことなく遠くを眺めたような笑みを浮かべる。
「えぇ、それはもう……」
「そこらへんの貴族よりも豪勢に行ったらしいわね」
「あー、分かった。……気に入らないのか」
雛子にしてみれば「商人よりは貴族の方が偉いんだろうなー」ぐらいの感覚だが、ここでは(特にあのお妃様方にとっては)そうではなかったらしい。
「面白くはないんじゃない? 自分は貴族、相手は商人、なのに自分よりも豪華な婚儀をして、今まではほとんど後宮の頂点にいたようなものだしね」
「そこへ私がきた……」
「自分たち貴族が上にいるべき、っていう思いが爆発したんじゃないかしら」
「貴族でも祥蘭様に賛同されてる方々はいらっしゃいますし、一概にそうとは言い切れませんけどね……」
美蓉が話し終えたところでこの話題は終わりとなった。それからまた、何てことのない話題になったのだけれども、雛子はどうしてもそちらには集中しきれないでいた。頭の中で大部分を占めているのは腹立たしくも陛下だ。
何かあれば陛下に伝えるって言っても、あちらが来ないことには何も伝えられないではないか。もう何日も訪れがないから、一向に近況報告が出来ないでいる。
白祥蘭が持っている外国のものが他にあるか知りたいと言ったから、こっちも気にしてはいるのに。
(祥蘭様が他の人たちに宝石とかあげてたらしいし、一応報告しときたいんだけど……)
会話の区切りを見計らったかのように、玉麗の侍女が新しい茶菓子を出した。なんでも、美蓉が今日のお茶請けにと持参したらしく、珍しいお菓子らしい。
「あら、珍しいわね」
玉麗が一つ手にとって言った。目の前に置かれたお茶菓子に、雛子も視線をやる。薄く色がついていて柔らかそうで、こちらに来て初めて見た。
「最近じゃなかなか見ないでしょう? 知り合いから頂いたとかで母が送ってきてくれたの」
「そんなに珍しいんだ」
「隣国で作られてるお菓子なんだけど、元々あんまり出回ってなかったのが、最近は特に見ないのよね」
隣国、と聞いてもいまいちピンと来ないから、今度はこの世界の地理も勉強しなきゃいけないと雛子は思った。覚えなきゃいけないことが山積みで、これは日中に勉強する時間を作った方が良いかもしれない。
そんなことを考える雛子に、侍女がそっと話しかけてきた。
「雛子様、お話中失礼します。先程別の侍女から知らせがありまして……。先生が到着されたようです」
「え? 先生って……、朝言ってた礼儀作法の?」
「はい。予定時刻よりも幾らか早く着いてしまったとか……」
突然のことに目を丸くする玉麗と美蓉に、粗方の説明をして雛子は席を立った。珍しいお菓子に後ろ髪引かれるが、先生が到着されたなら待たせておくのも失礼だろう。
「……ということで、部屋に戻るね。二人とも、話を聞いてくれてありがとう」
怖い人だったら嫌だなぁ、なんて今更臆病に吹かれながらも、雛子は礼儀作法の先生が待つという自室へと急いだ。
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「何? 礼儀作法の講師を雛子につけた?」
仕事もなんとなく捗らない午後。それでも手を止めれば他の仕事も一気に滞りそうで出来ずにいたのだが、圭絽の一言で遂に祇琅の手が止まった。
「えぇ、秀琴先生を。……陛下、手を動かしてください」
「秀琴先生というと、あの、秀琴先生か?」
「そうですよ。あの、秀琴先生です」
促されるまま再び手を動かして書類に印を押した祇琅が、またも手を止めた。今この執務室には二人しかおらず、多少仕事から脱線したところで止めに入る人物もいない。
「確かあの人は講師を引退しただろう? 引き受けたのか?」
「頼み込みましたよ。私はあの人以上の講師を知りませんし、安心でしょう?」
「安心だが……。大丈夫か?」
さっさと手を動かせという視線を無視して祇琅は圭絽に尋ねる。無言の催促をかわされた圭絽も集中力が切れたのか、ぽすんと書類の束を机に置いた。
「心配性になりましたね」
「いや……、心配とかではなくてだな。雛子は耐えられそうか?」
「耐えてもらわなければ困ります。いくら厳しいといっても、私も貴方も耐えてこれたではありませんか」
確かにそうだが、自分たちはそれが義務だったのだ。立場上、教養を身につける必要があったし、それを放棄することは許されなかった。
雛子に同じことをさせるのは酷な気もするが、今後ここで生活していくなら必要になる。
「途中で嫌になって脱走しなければ良いがな」
「……まさか。流石に雛子様でも……」
「……無いと言い切れるか?」
押し黙った圭絽との間に嫌な沈黙が流れる。
(仕方ない。今度様子を見に行くか……)
圭絽には茶会まで会わないと言ったが、そういう訳にもいかない予感がする。
会わないなら会わないで存分に思考を占めてくれる雛子に、祇琅は仕方なく窓の外、遥か遠くを眺めた。




