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この疲労の原因とは


 祇琅が釈然としない気持ちのまま自室の椅子に腰掛けると、見計らったかのように扉が開く。


 「随分とごゆっくりなお戻りで」


 額に青筋こそ見えないが、怒りが隠しきれない静かな声を聞いて、一つ小さく息を吐いた。今夜は面倒なことばかりだ。


 「圭絽か」

 「一応聞きますが、どちらへ行ってらしたんですか?」


 聞かなくても分かるだろうに、今夜は妙に突っかかってくる。


 「雛子のところだが?」

 「なるほど。陛下は私が以前申し上げたことをもうお忘れですか」

 「忘れてなどいない。公務の方へ影響は出してないだろ」

 「急遽書類の差し替えを行いたいと、無謀にも政務官が貴方の部屋を訪れる寸前でした。私が見つけて受け取った書類がこれです」

 「……これは」


 差し出された書類の元がどこのものだったかすら記憶になく、じっと凝視する祇琅に圭絽が口を挟む。


 「えぇ、たいしたことはない書類です。急を要して夜に貴方の部屋まで訪れる程のものではない」


 圭絽は厳しい表情を浮かべたまま、後を続けた。


 「政務官に成り立ての仕事熱心な分をわきまえぬ愚か者かもしれませんが、誰かの命令で貴方の行動を把握しようとした輩かもしれません」


 まさか、と鼻先で笑えるような空気ではない。その可能性だって無くはないのだ。

 夜に皇帝が部屋に居ないとなれば、行き先は後宮か。それならば寵妃がいるのでは。いっそ寵愛などいなくとも、話を都合よく作ってしまえば良い。ほんの少しの信憑性があれば噂話は瞬く間に伝わっていく。

 作り上げられた噂はじわりじわりと国家転覆の隙を狙う。綻びはいとも簡単に全てを覆す力になり得てしまう。


 「確かに貴方がたは特殊な関係にありますが、あまり肩入れすればいつかは露見します。それがどれほどのことか貴方であればお分かりになるでしょう」


 圭絽の心配するところも分かるし、それを突っぱねるつもりはない。婚儀の時に忠告されて確かにそれを聞き入れた。だとすれば自分は雛子(あのおんな)の雰囲気にのまれ、注意を怠ったことになる。

 これまでなら考えられもしない失態だ。


 「……悪かった」

 「……今度こそ本当に分かって下さったと言うのなら、ここまでにいたします」


 興奮冷めやらないのか多少息巻いてはいたが、とりあえずの納得をみせた圭絽にもう一度悪かったと謝った。

 こんなに言ったってどうせまたやらかすんですよ貴方という方はね! 知ってます! という不機嫌丸出しの一言を最後に頂戴したのは痛かった。その通りだと思う。関わらざるを得ないのだが(言っておくなら、通い過ぎているつもりはない)どう頑張っても、雛子という一風変わった女が皇帝という肩書きをぺりぺりと剥がしていくのだ。


 (厄介なことこの上ないな)


 あの日自分はとんでもないものを膝の上に乗せていたものだ。

 フン、と鼻先で笑えば圭絽が不審そうな目線をこちらに向けてくる。何でもないと言う代わりに少しだけ肩をすくめて見せた。


 「茶会までは控えよう」

 「茶会? あぁ、後宮のですね」

 「今回から堂々とお前を視察にやれる」

 「まさか私が後宮に足を踏み入れることになるとは思いませんでしたが、良い機会です」


 圭絽の目がそれまでのとは違う、何かを狙うような鋭いものになる。不敵に笑う幼馴染の恐ろしいことといったら。


 「じっくりと見てきますよ」

 「あぁ。頼んだぞ」


 どちらからとなく表情を緩ませたおかげで、張り詰めていた空気が溶けていく。


 「それで?」


 てっきりそのまま部屋を下がると思っていた圭絽が、その場にとどまって突然別の話題を切り出した。


 「……は?」

 「は? じゃありませんよ。どうしたんです?」

 「だから何がだ?」

 「分からないから聞いてるんじゃないですか」


 いくら促されても圭絽の台詞の意味が分からない。そんな祇琅を前にしながら、頭の切れる乳兄弟は「私もそろそろ寝たいんでさっさと話してください」と崩れた敬語の合間に欠伸をしている。


 「何かまでは分かりませんが、貴方の様子が違うことぐらい分かります」

 「特にない。普段と変わりないつもりだ」

 「ほんっとうに貴方は……。何年一緒に居たと思ってるんです? 乳兄弟として同じように育てられ、これまで貴方の補佐をしてきたんです。私が異変に気付かないとでも言うんですか?」


 お見通しだと言わんばかりに食いつかれては、なかなか否定もしきれない。


 「ふむ、……分かりました。雛子様のことですね?」


 (……何を言い出すんだこいつは。どうしてそんなことになる)


 確かに苛立ってはいたが、もう過ぎたことだ。いつまでも雛子について考えることで思考を奪われるのはごめんだし、一人の家臣にしか過ぎないあの女にどんな理由で調子を狂わされなければならないのか。反論しようと口を開く前に、圭絽がうんうんと頷いている。


 「当たり、ですね」

 「何一つ当たってない」

 「雛子様に何されたんです?」

 「だから話を聞け! 何もされていない!」

 「何もなくてそんな風に苛立つ訳ないでしょう。誰にも言いませんから。ね?」

 「ね? じゃない! お前絶対に楽しんでるだろう!」


 腹立たしい気持ちが再びむくむくと膨れ上がっていくが、圭絽は対照的に涼しい顔のままで、それが一層祇琅の怒りを加速させていく。


 「隠したいなら構いませんが、どうせ茶会で雛子様と会うんです。貴方の怒りの原因は筒抜けになると思っておいてくださいね」


 茶会、雛子、会う、という言葉にぴくりと反応してしまった。圭絽の何とも言えぬ視線に居心地が悪くなる。しまった、と後悔するには遅かった。こんな簡単にバレるなど、今日はかなり疲れてるのだ。そうに違いない。


 「なるほど。私が雛子様と会うのが気に入らないと」

 「誤解を招くような言い方はやめろ」

 「事実、そういうことなんでしょう? たった数日で随分と執着されるようになられましたね」


 嫌味の感じ取れない純粋な疑問に言葉が詰まる。どうせだったら笑ってなじられたほうが、まだ反論しやすいというのに。


 「……執着などしていない。圭絽、お前と雛子が会ったところで俺には関係のないことだ」


 こちらが衣食住を与え、あいつは俺に情報を伝える。それが取り引きだから様子を気にかけているだけなのだと説明するのも逆効果のように思えて、それ以上は口を噤んだ。


 「なら、そういうことにしておきましょうか」


 圭絽も深く追求することはしないつもりだったのか、話をそこで切り上げて部屋を出て行った。


 一人残された祇琅も、どっと押し寄せてくる疲れに抗えず、今夜は残っている仕事に取り掛かることなく眠りについた。

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