お互いに思うところはあります
何日かぶりの陛下の来訪を嬉しいと思ってしまった自分は何なのか。いや、ほんの少しだけども! 決して心待ちにしていた訳ではない!
陛下の訪問なんて何時になるのか分からないし、気にしないって決めたのに。これではまるで待ち望んでたみたいじゃないか、と考えだした自分を否定する。変化の少ない後宮生活に久しぶりの刺激だからだ、そうに違いない。
悶々とする雛子の心境を知らないだろう祇琅が涼しい顔をして尋ねる。そんな彼の態度が、雛子のイライラに拍車を掛けた。
「何か変わったことは?」
「前に報告した時とほとんど変わりないです」
「ほとんど?」
「後宮に派閥ができました。祥蘭様と私のです。時々小さな喧嘩はありますけど、それ以外は何も」
「そうか」
雛子のツンとした素っ気ない態度に祇琅は眉をひそめた。機嫌の悪い時に来てしまったかもしれないと、そこまで考える自分に呆れてしまう。
(……いや、何故俺が機嫌など気にせねばならんのだ)
自分は曲がりなりにも皇帝で、目の前でむすっとしてる女は妃であり部下だ。主君である俺を前にしながらその態度は何だと問い詰めることだって出来るのに、何故こうも、腹立たしい程気になるのか。
「……それで?」
何がですか? と言いたげな雛子を視界に捉えたまま、祇琅がどすりと椅子に座り込んだ。
「何を怒っているかと聞いてるんだ」
「……別に、怒ってません」
居心地悪そうに視線を逸らした雛子がしぶとく答えを隠すので、祇琅は彼女が折れるまで待つことにした。幸い、時間はたっぷりある。立て込んでた事案も一区切りついたところで、今夜は急いで自室へ戻る必要もない。
それから少しの沈黙を経て、雛子が祇琅の真正面におずおずと座った。根負けした雛子は相変わらず目線を他所へやったままだが、小さな声で「すみません」とだけ呟いた。
「その謝罪は?」
「……ぴりぴりした空気なので」
ピリピリしてるのはお前だけだろう、という言葉を飲み込む。珍しくしおらしい雛子の姿に、茶化す様な真似はしないでおこうと決めたからだ。
「せめて陛下がこの部屋に来る時ぐらいは、仕事や毒の心配をしないで、安心して過ごせるように頑張ろうと思ったんですけど……」
「ちょっと待て。……話が飛躍し過ぎて分からん。毒が何だって?」
神妙な面持ちで話し始めた雛子を制したが、急に毒がどうだの言いだした所為で頭が追いつかない。
「だって、陛下は毒物の心配もしてるんですよね?」
「してるにはしてるが……。そう取り立てて言うことでも無いだろう?」
「そんなことないですよ! 普通は毒なんて怖いものの心配はしません!」
言い切った雛子に祇琅が目を細める。此処とは違う世界で育った雛子には、それが馴染みの薄いものだったのだろうと想像できた。随分と平和な暮らしをしていたものだ。
「何があったかは知らんが、毒など俺たち皇族や貴族にとって日常の一部だ。その為の検査も勿論、日常の一部になってる」
だから取り立てて心配する必要などないと付け加えても、雛子は眉を下げたままで何も言わない。
危険物は身近なものだが、それの対処法も確立されている。何をそこまで心配する必要があるのか祇狼には理解できなかった。しかも自分のことではなくて、他人である祇琅のことを案じているのだ。
(怖いなら自分の身を心配すれば良いものを……)
雛子が膝の上で両手をぎゅっと握っている。別に震えてる訳ではないのに、何処となく……。
(そんな訳ない。おかしいだろ)
儚げで心許なく見えたのは目の錯覚だ。そうに決まってる。人の膝の上に現れて風呂場で寝るような女が儚いわけあるか。
「……後宮に運ばれるものも、きちんと検査がされている。俺のもだ。そう心配するな」
家臣が見たら何と言うだろうか。あの皇帝が妃(それも部下)の一人を励ましてるなんて滑稽だと言われても仕方ない。
「そう、ですね。気にし過ぎるのも良くないですよね……」
「あぁ」
「では適度に! 気をつけますね!」
「……もうそれで良い」
立ち直りが早いのは結構だが、元に戻るとそれはそれで面倒くさい感も否めない。
調子が戻った雛子は明るい声でがらりと話題を変えた。
「それにしてもお腹空きません? 玉麗から貰った焼き菓子があるんですけど、陛下も食べましょうよ」
「この時間にか? あとは寝るだけなのに?」
「だって頭使って考え事するとお腹減るじゃないですか。たまになら平気ですってば」
太るぞ、とは言えなかった。ここでまた機嫌を損ねるのは得策じゃない。
手渡された菓子と、早々に頬張る雛子を交互に見た祇狼は小さく息を吐いた。呆れた様な溜め息ではなく、幾分か柔らかいものを。
「たまには、な」
上機嫌な雛子が「そうですよ!」と賛同した。一口齧ったが、まぁ確かに、上手い。
「でも後宮ってすごい所ですよね。色んなものが豪華でびっくりしました」
「俗世とは違う世界染みてるところはあるな」
「それに綺麗な人ばっかりだし、着ているものもきらきらしてます。祥蘭様とか特にそうですよ。宝石が盛り沢山だったり……、今日は外国から取り寄せた布で作った服だとか」
「外国から……」
祇狼の顔付きが僅かに険しくなるのを雛子は感じ取り、思わず背筋を伸ばした。叱られる訳でもないのに緊張が走る。
「他に、異国のものを身に付けていたりしなかったか?」
「えぇっと……。身に付けてはないですけど、実家から花瓶が届いたらしいです。この国では珍しいものらしいって噂は聞きました」
祇琅は納得したと頷いて、口を開く。
「白祥蘭が持つ異国のものとやらを詳しく知りたい」
「調べてはみますけど……。気になるんですか?」
「気になるな」
短い返事だけで、詳しい事を話そうとしない祇琅が暗に「理由を聞くな」と言っている様に思えた雛子も「分かりました。調べます」とだけ返した。
「一度、茶会を開くか」
そうしてくれと言って話を切り上げた祇琅が続けた言葉に、雛子は目を丸くした。
「茶会……ですか?」
「茶会だ」
にやり、と笑う祇狼に雛子は思わずどきっとしてしまった。そういう風に笑っても絵になるからイケメンってずるい。そんな気持ちを悟られまいと、手に持っていた焼き菓子を口に運ぶ。
雛子を見た祇琅もつられるようにして一口。
やはり後宮に部下が居ると動きやすいかもしれない。そうは思いつつも、今夜もまた雛子に振り回されたことが気にかかる。というか、若干気に入らない。この部屋に来ると皇帝の威厳が剥ぎ取られるから不思議だ。
素の自分が簡単に出てきてしまうのも如何なものかとは思うが、深く考えるのはやめた。




