来ない夜
「さ、起きてくださいませ」
侍女頭の彩英に起こされ、雛子はようやく目を覚ました。
「……おはようございます」
「おはようございます。雛子様、お届け物がたくさんございます。朝食後にお持ちしますので確認してください」
届け物って? と疑問に思いつつ着替えを済ませる。本日は桃色を基調にした、これまた豪華な服なのだ。
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朝食後、侍女達が列になって運んできたその量に雛子は唖然とした。
「届け物って……、これ全部そうなんですか?」
「はい。後宮の皆様やそのご家族の方々から贈られてきたものです」
綺麗な刺繍の入った敷物や、淡い色で染められた布、宝石の装飾、果物やお酒、口紅といった化粧品までありとあらゆる品が積み上げられている。
「……お返しとか困りますね」
「お返しは必要ないかと思いますよ。地位の高いお妃様の庇護下に入ろうとする手段ですから。果物やお酒は一応、毒物の混入が心配されますので検査が済むまでお口をつけない方が宜しいかと」
やんわりと、しかし当たり前のように返事をする侍女の台詞が恐ろしい。ここではこれが普通なのだと自分に言い聞かせても、受け入れられる自信がない。
「あの、毒物って……?」
聞き慣れない物騒な単語に顔をしかめた雛子を安心させようと、隣に控えていた彩英がにっこりと笑った。
「万が一、ということに備えてですよ。ここで出すお料理やお茶には、運ばれるまでに何度も検査が入りますので混入の心配はありません。頂き物はこれから順を追って、生産地や搬入路をお調べしますね」
(毒物って、よく命を狙ったりする時に使われるあの毒物……?)
そんな小説みたいなことが現実に、それも身近にあるという事実から血の気が引いて目眩がした。くらっときてその場にしゃがみ込めば、侍女たちが慌てた様子で近寄ってくる。
「雛子様、お休みになられますか?」
「大丈夫です……。少し、びっくりしただけなので……」
後宮の(寵愛を受けていない)妃でさえ毒物の心配があるなんて、この世界は恐ろしいと身震いして気が付いた。
「……もしかして、陛下も普段から毒物の心配をされてるんですか?」
きっと彼もそうだろう。聞かなくても答えは予想出来るのに、もしかしたらを望んでしまう。
疲れた顔で執務に戻って行った陛下の姿が浮かんだ。私が知る以上に大変な思いをしてるのかもしれない。
(……待って。私は、陛下の何を知ってるっていうの?)
「陛下は勿論、圭絽様とてそうですよ。身分が高ければ高いほど気を遣わねばならないのです」
やっぱりかと気落ちした雛子は、のろのろと立ち上がった。元いた世界では凡そ関わることのなかった危険物に対しての恐ろしさより、常に警戒しなければならない陛下の生活の方が気になってしまう。
何とかしてあげたくても自分の力では何ともならないし、ましてそんなことを考えるのは余計なお世話だと突き放される気もする。
「そうですよね……」
それならせめて、報告を聞きに訪れる夜だけでも肩の力を抜いて安心してもらえる時間にしたい。
そんな雛子の密かな決意は、早々に出鼻を挫かれた。
その日の晩、陛下は雛子の部屋に訪れなかったのだ。
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(結局、一睡も出来なかった……)
幾ら待っても陛下は訪れそうにないし、諦めて寝ようと思っても眠気すらも来ない。
ごろごろと寝返りを打っていると、空が明るんできてあっという間に朝になっていた。
毎日来るなんて約束じゃない。分かってるけど、二日と続いた訪問が無いのだ。よくよく考えたら、こちらから陛下を呼ぶ方法は知らないし、来るのを待つしかないなんて勝手過ぎるにも程がある。
相手は陛下で、そんなのは当然で、それこそ自分の勝手な言い分にしか過ぎない。
なら、こっちだって待ってやるものか。来ない前提で過ごしてやる、と意気込めばほんの少し悲しくなったけど、その理由は考えないことにした。
(陛下が次来た時、びっくりするような情報を用意してやるんだから! ……そんな情報あったら後宮も陛下も大混乱、よね)
何か聞けるかもと思って、毎日散歩は欠かさないと決めたが、その他にすることといったら玉麗と話をする位だ。他の妃たちに話しかけられることもあるけど、大方は興味本位と後宮内における権威への羨望。侍女が言っていた「庇護下に入ろうとする」ことの意味が、何となく分かってきた頃には、影でこそこそっと言われることも出てきた。
そうやって陰口を叩くのは祥蘭派らしいけど、雛子としては自分にも派閥があったことにげんなりした。雛子派と祥蘭派。これが今現在、後宮の二大派閥らしい。
「じゃあ私は雛子派ね!」なんて面白そうに笑って言う玉麗みたく楽観視出来ないし、雛子の知らないところで細々とした争い(実家を馬鹿にされたとか、着ている服の色が被ったとか、割とどうでも良いこと)が起きてるのは本当に困る。
(売られた喧嘩は買うって言ったけど、あまり大事にはするなって言われてるし……)
目ぼしい情報もないのに、問題だけが膨れ上がっていきそうで怖い。陛下に合わす顔が無いと落ち込み始めた雛子の元へ祇琅が訪れたのは、それから三日後のことだった。




