二番目の夜
「今日は玉麗と仲良くなりました。えーっと、宗家の方です。後宮内を散歩して、ちょっとお茶したぐらいですけど」
「宗家は特に問題を起こしたこともない家だ。まぁ危険はないだろうな」
こんな報告で良いのかとどきどきしていたが、文句を言われたり叱られたりとはいかなかったので雛子は安堵した。
「それと陛下! 嘘つきましたよね。陛下の寵愛を欲しがってる方いましたよ! 宣戦布告されたんですから!」
この女、とうとう嘘つき呼ばわりか。と祇琅が内心で呆れた。
「嘘ではない。今の今までそんな話は聞いていなかった。後宮に呼び出されたこともないしな」
とんでもない不敬だということに気付いていないのはもう良い。陛下と呼ぶくせにそれをあだ名程度にしか思ってないのも許せる。
「……後宮って、お呼び出し制度なんてあるんですね。皇帝を呼び出すなんて流石奥様方! って感じですかねー」
話が逸れていくのも、その奥様方に自分を含んでいないだろうことも、さして問題ではない。
「まぁ、呼び出されるといっても後宮侍女から身辺世話役に話が通される程度で強制力はないがな。もしくは、身内から頼んでもらうかだ。雛子なら圭絽にだ。そうしたら圭絽から俺に話が通る」
なるほどー、と他人事みたいに納得している雛子が問題ではない。雛子を通して見えた自分の今の状態が問題なのだ。公務では勿論だが、私室に居たとしても、ここまで他人を寄せ付けたり気軽に話しかけるのを許したりはしない。自分の立場を重々理解しているし、この国の今の皇帝としてあるべき姿がどんなものかを忘れている訳でもない。
どうしてこうも、雛子と話していると気が抜けるのか。つい先程まで引き締めていた筈の気持ちが、ゆるやかに解かれるみたいに素に戻ってしまう。
この国の内情を知らないから? 裏切る心配がないから? 初めに完璧な皇帝の姿で出会って居なかったから?
(……知ったところで何になる)
考えても無意味だと自分に言い聞かせ、祇琅は脱線した話を元に戻した。
「それで、急に寵愛が欲しいなんて言い出した命知らずは誰だ?」
「確か……。祥蘭様、という方だったと思います」
「……白家だな」
一瞬だけども、祇琅の目付きが険しいものになったのを雛子は見逃さなかった。どうしても、婚儀でのあの表情が思い出されて身震いしそうになる。
「確かそうです! 白祥蘭って名乗ってました! あの、どういった方なんですか?」
「……白家は最近勢力をつけてきた家だ。今では周家に迫るなんて言う奴らもいるな。大方、周家から入宮したと聞いて焦ったのだろう」
焦る? と首を傾げた雛子に説明しようとしたが、ふと考えて言葉を濁した。
「あー、今のまで後宮の最高権力を持ってたのに横から掻っ攫わらて面白くないんだろうな」
後宮と政治は切り離せない。一番の問題とは世継ぎについてだが、それを雛子に伝えては、動揺するのが目に見えている。白家が自分たちの娘を次の皇帝の母親に、と狙っているのだろう。だから急に出てきたお前が今一番の候補になってしまって邪魔なのだ。などと言うのは気が引ける。
知らなくてもさして問題はないし、気付いたら気付いた時だと思うことにして誤魔化した。勿論、先程の理由も嘘ではない。
「えーってことは私、後宮という女の世界でどろどろの争いを繰り広げることになるんですか?」
「……繰り広げたいのか?」
「出来れば遠慮したいです……!」
「そう表立っては悪化しないだろうが、何かあれば圭絽に言えば良い。正面きって圧力かけるだろうしな」
「え、圭絽さんってそんな性格でしたっけ……?」
あの幼馴染は若くして皇帝補佐なのだ。世襲で皇帝になった自分とは違い、その地位に収まった手腕とそれなりの理由がある。権力争いを苦手とする方がおかしな話だ。
「そもそも私は陛下の部下ですし、寵愛を奪い合う必要ありせんもんね! 勝手にやっててもらえば良いだけの話ですよね?」
「……勝手にやられると俺が面倒ごとに巻き込まれるのだが」
面と向かって、寵愛を奪う必要が無いと言い切ったのに少々腹がたつ。確かにそんなものを得る必要はないが、はっきりと言われてしまえばそれはそれで面白くない。
「それは……困ります、よね?」
「困るな。ただでさえ忙しいのにそんなことまで考えてられん。が、そうも言ってられない」
はぁ、と小さなため息をつく陛下の姿を見て、言い表し難い気持ちになる。
皇帝の仕事がどれ程のものか分からないけど、大変だろうことは想像がつく。今朝だって、雛子より早く起きていて、ちゃんと寝たかどうかも怪しいぐらいだ。冷酷だろうが何だろうが、彼も普通の人間であることに変わりはない。疲れるに決まってる。
(情報収集と生活保護じゃ、ギブアンドテイクに差がありすぎるよね……)
「……陛下、私、頑張りますね」
「どうした急に。……ちなみに、頑張るとは?」
「要は祥蘭様の寵愛どうこうが無くなれば、一先ずの心配事はなくなりますよね? 陛下の負担が軽くなるよう、売られた喧嘩は買おうと思います」
売られた喧嘩は買うだなんて、おおよそ妃に似つかわしくない発言が飛び出したせいで祇琅の口元が思わず緩んだ。
本当に面白いし、飽きない。淑やかさの欠片もない台詞がますます興味を持たせる。
「それは良いが、あまりやり過ぎて権力争いを本格化するのは困る。そうなれば圭絽も巻き込むことになるしな」
「わ、分かりました」
以外に加減が難しいのでは? と気付いたけど、宣言した以上は後に引けない。助けてもらってることに見合うだけのお礼をしたいのだ。
「本来の仕事を疎かにしなければ、後宮内での行動を特に制限はしない」
好きにすれば良いと言われ、俄然やる気が出てきた。がんばろう。見聞きしたことを伝える以外は暇だと思っていた後宮生活も、忙しくなりそうだ。
そんな決意を雛子がしていた時、座っていた祇琅が立ち上がった。
「陛下?」
「そろそろ帰る」
「え、帰るんですか?」
聞き返せば怪訝な顔をされる。それはそうだ。泊まっていくと思ってたと捉えられても仕方ない台詞だった。てっきり昨日みたく、ここで寝て早朝帰るのかと思っただけなのに、妙な誤解を受けたかもしれない。
「あ、いや、泊まっていって欲しいとかではなくてですね……」
「基本的には帰るつもりでいるが」
「ですよね! その方がありがたいです! 緊張しますし!」
「緊張……? あんなに爆睡してたのにか?」
「それは、疲れてたから……!」
「疲れてたから、ね」
「本当ですよ! 昨日は疲れてただけで、普段は花も恥じらう乙女ですよ!?」
「花も恥じらう……?」
「聞き返すのやめてください! 恥ずかしいじゃないですか!」
「乙女と言ったか?」
「陛下ぁあ!」
恥ずかしさのあまり、とうとう雛子が顔を伏せて呻き始めたところで祇琅が満足そうに鼻を鳴らした。
「また来る」
そのまま扉にむかって行くので、雛子は慌てて後ろ姿に声をかけた。
「陛下! あの、おやすみなさい」
振り返ったその顔に驚きが見えた。
「あぁ。……おやすみ」
一瞬の間があったものの、ちゃんと返事が返ってきたことにほっとする。
それから祇琅が出て行くのを見届けて、雛子もベッドに潜り込んだ。




