はじめまして後宮
「雛子」
体を揺すられて目を覚ます。重たい瞼を持ち上げれば視界いっぱいに広がるその人。
「起きたか。まだ早いから寝てても構わんが、俺は戻る。今日の夜もう一度……、って聞いてるか?」
「う……」
「う?」
「うわぁぁぁぁあ!」
雛子が突然あげた悲鳴は隣の部屋に控えている侍女にも当然聞こえただろう。
「何を寝ぼけてる!」
「だって、だって……! あ、陛下……? そうか、ここ後宮で……」
今気付きましたと言わんばかりの雛子に舌打ちしそうになりながら、祇琅は部屋の扉へと向かう。
「雛子様、いかがなされましたか!?」
やはり心配した侍女から扉越しに声をかけられる。流石は周家の侍女、行動が早い。
「何でもない。寝ぼけていただけだ」
大丈夫だと言い含めて下がらせた後、祇琅は額を押さえながら雛子の側に寄った。
「すみません陛下、一瞬ここが元居た自分の部屋かと思って……」
「だろうな。何となくそんな気はした」
すみません、ともう一度謝り、改めて話を聞いた。窓から見える空はまだ仄かに薄暗く、早朝からとんでもない迷惑かけてるなぁと反省。昨日に引き続き、陛下にも侍女の皆さんにも。
「陛下、もう着替えてるんですか? 早いですね」
「政務が溜まってるからな」
そう言う陛下の顔色は悪い。
「あの、眠れましたか? 気分悪そうに見えます……」
「眠りが浅いだけだ。そもそも他人といて警戒せずに眠るのは職業柄無理なところだしな」
「……大変なんですね」
眠る姿は誰でも無防備だから、何か危険な目に合う可能性は高い。それが国の頂点に立つ彼なら尚更なのだろう。
「まあな。仕方ない」
困り気味に薄く笑った表情が絵になっていて、少しだけ見とれてしまう。それが恥ずかしくて、悟られまいとしながら祇琅を送り出した。
部屋に一人残された雛子は二度寝する気にもなれず、窓の外を眺めて時間を潰した。
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その後定刻になり、着替えやら朝食やらを済ませて一段落ついた頃、後宮についての説明諸々を受けた。
「雛子様の侍女頭を勤めます陽彩英
(ようーさいえい)と申します」
流れるような仕草で頭を下げて挨拶する姿に思わず綺麗、と口に出た。
「何かありましたらお申し付けくださいませ」
品良く微笑んだその人は、周家でも侍女として働いていたらしい。圭絽が直々に指名したらしく、雛子の事情(異世界から来たというのは伏せておいて)もおおまかに理解をしてもらっている。
「私たちは雛子様の後宮入りに際して城に入った専属侍女になります。城で働く侍女もまた、お世話に加わりますのでご了承ください」
嫁いできた妃の連れる侍女を専属侍女、元から城で働いている侍女を公務侍女というらしい。後宮で働く侍女は総じて後宮侍女と呼ばれることもあるそうだ。
何も知らないというのは予め伝わっていたようで、丁寧に一から教えてもらった。
「後宮って、案外やることなくて暇なんですね」
「基本は自由ですから、お妃様たちは各々お好きなことをされているようですよ」
なるほどー、と相槌を打ちながら今日の予定を考える。これといった用事はないけれど、せっかく綺麗な格好をさせてもらったのだから閉じ籠りっぱなしでは勿体無い。上品なエメラルドグリーンの衣で全体的に緑色の系統だ。装飾品は翡翠らしい。
着飾ればそれなりに見えてしまうから、ここの侍女たちは腕が良すぎる。
「後宮内を見てみたいし、とりあえず散歩することにします!」
本当は一人でも良かったけど、お付きの者なしでの行動はあまり喜ばれない様だ。大人しくここのルールに従おうと侍女頭の彩英、ついでにもう一人連れて外に出た。
流石、女の園。後宮は隅々まで掃除されているし、庭には色とりどりの花。小さな池に橋が掛かってたりと優雅なことこの上ない。
「行き届いてるわぁ……」
ほんと、何から何まで。こちらに来てからこんなにゆったりとした時間は初めてだ。
「まぁ、初めて見るお方ですわね」
景色を眺めることに夢中で、近付いてくる姿を認識するのが遅れた。彩英たちが軽く頭を下げた。それが作法なのだろう。
「はじめまして、周雛子と申します」
「貴女様が周家からお越しになられたお方なのですね。わたくしは白祥蘭と言いますの」
何だろう、違和感。向けられる笑顔は優しいし、品の良いお嬢様にしか見えない。それなのに、だ。
「貴女様より先に陛下の寵愛を頂くには、わたくしも今以上に頑張らなければなりませんわね」
「え?」
「陛下に近いお家ですもの。家柄で勝負は難しいでしょうからわたくし自身、魅力をつけませんと」
にこやかに笑ったまま、祥蘭と名乗った彼女は宣戦布告と取れる発言をした。
紐解けば、「家柄でしか勝ってはいない」ということだ。
(後宮で陛下の寵愛を欲しがるような人はいないんじゃなかったの?)
後宮入りが決まった時に、確かにそう言っていた。
でも、この人は寵愛を望んでる。黙っていれば良いことなのに、わざわざ表明してきたのだ。
何か返さなければと口を開いた雛子だが、思わぬ形でその必要がなくなった。
「あら、祥蘭様。昨夜はこの方の元に陛下が訪れたというのに、わざわざそれを伝えなくとも……」
「玉麗様ではありませんか。陛下の訪れもない貴女様に言われたくありませんわね」
「それは貴女も同じでしょうに」
知らない女性が加わって三つ巴になるかと思いきや、早々に話を切り上げた祥蘭が去ったおかげで二人(それとお互いの侍女)残された。
「えぇっと、あなたが新しい方よね? 基本的にここはそんなに殺伐としてはいないからお気になさらないでね。ごく一部が異常なのよ」
彼女の綺麗な黒髪を結ってある簪の装飾が揺れる。
「基本的に、直接貶める様な発言がなければ侍女たちは諌められないの。女だらけの世界だし、暗黙の決まりってやつね」
目尻にある泣き黒子が印象的だ。
「あの、助けて頂きありがとうございました! 周雛子と言います。お名前をお聞きしても宜しいですか……?」
「宗玉麗よ。助けたなんてとんでもない。むしろ盗み聞きしたみたいでごめんなさいね」
たまたま声が聞こえて様子を見てみたらねちっこい挨拶してるんだもの。放っておけなくなっちゃって、と付け足された。
「ここで会ったのも縁だろうし、お茶でもどう?」
「ぜひ!」
玉麗の自室へお茶をするために向かう途中、すっかり意気投合してしまって話が弾みに弾んだ。
「雛子って名前、変わってるわね」
「よく言われる。遠い異国が出身だから」
「それで。通りで周家にお嬢様なんて居たかと話題になったのね」
異国から訳あってこの国にきた、そう濁しておけというのは圭絽の案だ。訳ありなら深くは聞かれないだろうし、何より嘘はついてない。
隣国の名前は知っていても、更に遠くの国のことなど知らなくても不思議はない。これで出生を誤魔化せとは荒業過ぎる気もするが、何せ周家擁する雛子に面と向かって「どこの者かも分からぬ下賤の血め!」等と言える者はいないだろうということでまとまった。
ちなみに玉麗とは敬語をやめた。お互い煩わしいということで一致。何でも彼女は、お見合い話が嫌で入宮したらしい。
陛下は妃に興味を示さないし、後宮に入ってしまえば当分は好き勝手できる。
玉麗はたぶん、良いところのお嬢さん何だろう。本人も自覚してる通り、さっぱりとした性格で所謂、姉御肌。美人なのにさばさばしていて同姓にも好かれそうなタイプだ。どうしてこう、自分が出会う人はみんな美形なのだろうか。
玉麗の面倒見の良さが発揮されて雛子も助けてもらえた。正直、直ぐに言い返せなかったのでありがたかった。
自分の行動が周家の品位に関わると思うとどうしても行動を抑制してしまう。
言い返すにしても目安がなければ、どこまでが許されるもなのか玉麗に相談してみたら「言い負かしても良いんじゃない? ここ、女社会だもの」と簡単にまとめられたのでそれもそうかと思うことにした。
「大半は花嫁修業だったり私みたいに縁談から逃げてきたり、好きなことやってたいっていう妃ばかりなんだけどね、たまーに居るのよ。本気で寵愛狙ってる人も」
(やっぱり陛下の寵愛を欲しがってる人いるじゃんか……!)
穏便に済まないでしょ。絶対に何かおこるに決まってる。今晩そこのところ問い詰めなきゃ。
とりあえずその後は何事もなく過ぎていき、雛子は後宮生活一日目を終えれそうだと思った。あとはもうじき訪れるだろう陛下を待つだけだ。
陛下のお忍びは侍女にも内緒。もしかしたら……、と思うことがあっても正式に訪問を聞かされてなければ、それは何も無いことと同じ。気付いてても絶対に口を滑らせないのが侍女の品位らしい。
もっと言うなら、圭絽の名の元に集められた侍女は皆とても優秀なのだ。主である雛子の為にならないことはしない。
話そうと思ったことをメモし終えたところで、祇琅が寝室を訪れた。抜け道は本当に便利だ。雛子の部屋のすぐ脇に出るから誰にも見られることがない。
抜け道の利用が可能な立地の部屋だからこそできる特権だ。
用意しておいた椅子に座った陛下が、初報告で緊張気味の雛子に告げる。
「さて、とりあえず今日の成果を聞かせてもらおうか」




