きっかけは突然のことでした
「……お前、どこから現れた」
底冷えするような声だった。ぞくりと背筋が凍る。何をどう説明しようか。私にも理解不能なんだけど、信じてもらえるのだろうか? 間近にある顔は整っていてカッコいい。でもおかしい。さっきまでこんな至近距離にに男の人の顔なんてなかった。それどころか、学校の図書室に居た筈なのに今は見慣れない部屋にいる。
おかしいことばかりだけど、きっと今の状況が一番おかしい。
「……何で私、貴方の……、その……、膝の上に乗ってるんでしょう?」
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宮下雛子は女子高生だ。そこそこの。顔も並、学力も並なら体力も並。一般的な高校生だった。物怖じしない性格だということを除けば、いや、除かなかったとしても平均的であることにはさして変わりはないだろう。
授業が終われば真っ先に家に帰るのに、その日は課題をこなすため図書室に寄った。必要な資料を引っ張り出しては戻す、といった作業を繰り返して何とか課題は終わったものの、ついつい色んな本に手をだして読み耽ってしまった。
もうそろそろ暗くなってきたし帰ろうかと思った時、奥の方の窓が開いているのを見つけた。
(窓なんて開いてたっけ?)
不思議に思いつつも閉めようと近付いて行けば部活動をしている生徒が目に入る。その生徒たちも、聞こえてきた部活終了のチャイムに合わせて帰る支度を始めだした。自分も早く帰ろうと窓を閉めた瞬間、ちょうどチャイムの最後の音とマッチした。別に合わせた訳でもないのに何というタイミング。
(あれ……?)
今しがた自分が閉めた窓の隣に、もうひとつ窓が見える。ここは部屋の角で、これが一番端の窓なのに。すぐ隣にあった壁も心なしか先程より遠い。明らかに、スペースが現れている。雛子は首を傾げながら、一歩隣へと足を出した。
普通なら気味悪がって近付かないかもしれないが、なにせ物怖じしない性格なので「放っておいて帰る」という選択肢が抜け落ちてた。
無かった筈の床に足をつけた瞬間、その場が徐々に光だした。窓も本棚も何もかも消え、目を開けていられない程の眩しい光が辺りを包む。雛子はぎゅっと目を瞑った。
「……お前、どこから現れた」という声に、おそるおそる目を開けば、目と鼻の先に見慣れない男の人の顔がある。
まずこの時点で頭の中はパニックなのに、状況を把握出来ない雛子に追い討ちをかけたのは今の自分の体勢だ。
(し、知らない人の膝に乗ってる……!)
働かない頭にくらったとんでもない衝撃。笑えもしないこの状況、いったいどうなってるのか分からないまま、とりあえずは一番おかしいと思ったこの体勢について尋ねてみたのだ。
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昂 祇琅は瀏庵国を治める皇帝だ。即位してまだ間もないが、一国の当主として執務をこなしている。先代が早くに逝去してしまったことをきっかけに、若くして家督を継いだこの皇帝陛下はまだ二十代半ば。
古参の家老たちと水面下で対立してみたり側近に山のように仕事を持ってこられたりと苦労が絶えない。弱味を見せぬよう毅然として振る舞っていれば、何かの噂話が尾ひれを引いたのか、冷酷無比とまで言われる始末。恐れられてるお陰か、今のところ謀反を起こすような者もおらず、これはこれで便利なイメージだということでそのままにしてある。
そんな若き皇帝は午後の公務を行う前に自室へ寄り、どさりと椅子に座りこんだ。何時如何なる時でも「皇帝」として見られているせいで、落ち着けるのは自室しかない。
今日は時間に余裕があるので、規定の時刻まで身体を休めるつもりだった。
つもり、のままで終わったのは仕方のないこと。予定が狂ってしまったせいだ。
祇琅は軽く息を吐き、午前中に酷使した目を休ませておこうと瞼を閉じた。
その直後、自身の膝の上に重みを感じて目を開ければ、先程までいなかった少女がそこに居たのだ。
「……お前、どこから現れた」
白昼堂々、刺客でも送られてきたのかと警戒する。しかし目前の少女は、祇琅をその瞳に捉えた後、目を白黒させて辺りを見回した。
祇琅の問いに答えず、彼女はこちらの様子を伺いながら質問を返してきた。
だがその質問はむしろ、此方の台詞ではないか。
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「……何で私、貴方の……、その……、膝の上に乗ってるんでしょう?」
お互いに向かい合う形となって、名前も分からぬ青年の膝の上に座っている雛子は、自分を見据える冷たい視線に耐えながら声を振り絞った。
「……質問に答える気はない、か。それならば警吏の者を呼ぶまでだ。お前は皇帝の部屋に無断で侵入した。この罪は重いぞ?」
「……警吏? 皇帝? あの、ごめんなさい。私、いまいちこの状況が理解できないんですが……」
肝の座った女だと祇琅は思った。自分を前にして畏まるどころか、未だに膝の上から退かない。……単に神経が図太いだけなのかもしれないが。
「もういい、先ずは名乗れ。お前は何者で、どこから現れた」
知らない人に、むやみやたらと個人情報を教えて良いものかなんてどこか冷静に考えてしまう雛子は悩む。が、黙っているままでは状況が悪くなる気がして、仕方なしに話してみることにした。
「宮下雛子、です。さっきまで学校の図書室にいたんですけど、気付いたらここにいて……」
「変わった名だな。……異国人か?」
「異国? いえ、日本人ですけど……」
「知らんな。この近隣では聞いたことがない」
意味が分かんない! と叫びかけたが、何とか思いとどまる。嫌な予感はしていた。この部屋と言い、目の前の男の人の格好と言い、まるで現代日本では無いようだった。普通に生活してたらまず見ない。短髪かと思いきや後ろ髪の一部だけを伸ばし、袖口の広がった、洋服……ではなく、例えるなら着物の遠い親戚のような服。どことなく、なにか物語で見たような中華風。でもチャイナ服とは違うような、とにかく自分とは違うその格好に、失礼だと分かっててもじろじろと見てしまう。相手も雛子の服装にだいぶ興味が沸くらしく、じろりと眺められる。
「わ、私はもう名前言いました! 次は貴方の番ですよ!」
「俺の話を聞いてなかったのか? この部屋は皇帝の自室だ。そこにいる俺が誰なのか、馬鹿でも分かるだろう」
「分かりませんってば。……あのですね、とりあえず貴方のことを教えてもらわないと、私、判断できません」
眉根を寄せて睨み付けてくるから怖いけど、半信半疑なことをなんとか解決したい一心で、怯むことなく視線を合わせた。
「……俺は瀏庵国皇帝、昂祇琅だ」
(……あぁ、やっぱり。ここは日本じゃ無いのね)
薄々感じてはいたが、ここでようやく把握した。
私、違う世界に飛ばされてる……!
話が合わなかったのも、図書室から移動してたことも、彼の格好も、名前も、国名も、すべてに納得がいく。祇琅と名乗った彼の後ろに見える調度品は、細やかな装飾が施してあり、過去の時代の技術だとは思えない。この国独自の文化があるのだと感じた。それもかなり高い水準の。単なるタイムスリップじゃなく、住む世界そのものが違う所へ飛ばされたことは明白だ。
信じたくは無い。だからといって嘘をつかれてるとは思えない。向こうも同じくらい驚いていたのがその証だと雛子は考えた。
「なんだつまらん。もっと驚かないのか?」
「すっごく驚いてます。えぇーっと、落ち着いて聞いてください」
頭がいかれてるとかそういうんじゃないです、と前置きしておく。
「私……、こことはたぶん、違う世界から来たんだと思います」
祇琅は面食らった。当然だ。目の前の女は妙な妄想癖があって、触れてはいけない部分に触れてしまったと思った。
だがしかし、全くもって信じてないということでもない。突如として目の前に現れ、あろうことかこの国の当主である自分を知らない。おまけに服装も見慣れない格好である。
「そんな話を真に受けて信じろと? 何を根拠に?」
「私のこの格好! 制服なんだけど、見たことないでしょ? ……それしかないの。私だって信じれないんだから、貴方に信じろっていうのも無理な話だよね」
急にしおらしくなって泣きそうな声を出すものだから困る。とりあえず、危害を加える恐れもないしと少しだけ警戒を解いた。
「……まぁそう気を落とすな。もしそれが本当だとするならば、帰り方は分からんのか?」
「分かりません……」
まずい、と祇琅は心の中で呟く。雛子という名前の女は、俯いて話さなくなった。喚いて暴れられてもごめんだが、ここでぼろぼろと泣かれるのも困る。
「雛子、と言ったな。とりあえずお前の置かれてる状況についてもう少し話す必要があるな」
「……信じてくれるんですか?」
「夢だと思いたいが、お前が飛ばされてきたその瞬間に俺も居合わせてしまったんだ。全ての辻褄を合わせるにはそれを信じるしかないだろう」
問題が増えて物凄く面倒だが、いきなり警吏につき出すのも可哀想に思えてきた。「冷酷無比な皇帝陛下」が身元不明の女を気にかけるなど、笑ってしまう。
「俺の治める国へ飛ばされてきたからには仕方ない。国民のためを思うのも皇帝の役目だ。民ではないが、お前のことを気にしてやったとしても罰は当たらん」
やれやれ、と言わんばかりの祇琅の台詞を黙って聞いていた雛子は、自分の顔がひきつっていくのを感じる。
最初の印象よりも、だいぶ違って感じるだとか、そんなことはどうでも良い。
それよりもだ。
(皇帝陛下……?)
自分のことで精一杯で聞き流していたが、彼は確かにそう言った。偉そうな態度もそのせいだ。この国のトップ……。目の前のこの青年が、不可抗力だが膝の上に乗ってしまったこの青年、が。
「こ、皇帝陛下……!?」
「……だからそう言っているだろう」
(じゃあ何!? 私はこの国で一番偉いであろう、皇帝陛下の膝の上に飛ばされたってこと……!?)
本日二度目のパニックに、雛子の頭は勿論、追い付けるはずもない。