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最初で最後の夜

夕方、十六夜は自分達の部屋に膜を張り、維月は自分も膜を着た。

「さ、これでお前がどこへ行こうと維心には分からねぇよ。」

維月は複雑な顔をした。

「なんだか、維心様がおかわいそうな気が…」

十六夜は眉を寄せた。

「いいんだよ。あいつはそれでなくても人の嫁を横からふんだくって自分の家に囲い込んで、連れて帰ると言ったらグダグダぬかしやがる困った奴なんだからよ。しかも、実家に帰った嫁の動向を逐一監視カメラで見てるようなもんなんだぞ?それを人の世でやったらどうだ?完全にストーカーだろうが。」

維月は眉をしかめた。

「そんな風に言ったらそうだけど…。」

「そんな風に言わなくてもそうだ。」十六夜は言った。「オレが同じことをしたらどうだ?文句言って来るんじゃないのか。義心はここまで我慢して来たんだから、一晩ぐらいいいだろうが。」

維月は、ため息を付いた。

「どうして私なのかしら。私、大したことないでしょ?人の世に居た時は、こんなにモテなかったわよ。」

十六夜はう~んと唸った。

「見た目だけが重要視の学生の時は結構寄って来てたじゃねぇか。気が強いのが、神にとって珍しいのかもしれねぇな。それに月になっちまったし…お前は、たった一人の貴重な月の女なんだぞ。自覚がないが。」

維月は頷いた。

「陰の月の事件から、少しは自覚してるつもりよ。私は月だもんね。わかってるわ。」

維月は、着物の裾を蹴捌いて窓の方を向いた。

「相変わらずこんな格好をしたら着物も簪も重いけど、がんばる。義心にとってはたったひと夜のことだもの。私、これで義心が少しでも楽になってくれるなら…。」

十六夜は頷いて、維月の額に口付けた。

「じゃあな。明日はオレの所に戻って来い。」

維月は頷いた。

「わかってるわ。愛してるわ、十六夜。」

「オレもだ。いつまで経っても、お前はオレの一番大事な女だ。」

二人はしばらくじっと抱き合って立っていたが、そのうちに維月は、膜を被ったまま、部屋の膜から出て義心の宿舎へと飛び立って行った。


義心は、宿舎の部屋に張った膜越しに暮れて行く日を見ながら、半信半疑で待っていた。維月は、本当に来るのだろうか…自分が、王に罰せられるのをただ案じていてくれていた。王がそれほどに維月を手元から離さず、そして義心の視線にすら敏感になっていたのを知っていたからだ。

散策の時も、維月は義心を気にして時にチラチラと、脇に控える義心を振り返る。維心と共に散策している自分を見て、義心が辛くないのかと思っているようだった。維心はそれを気取って不機嫌な顔をして、よく義心から見えない木々の間にわざと入ったりしているのは知っていた。維月を困らせるつもりはなかったが、それでも、そうして気遣ってくれるのが、義心には嬉しかった。そんな形でも、自分が維月の心の中に居ることが出来るというのが、幸福だったのだ。

日がかなり傾いた頃、綺麗に着飾って、大きなベールに覆われた維月が、まるで天女のように窓の前に舞い降りるのを見た。義心はすぐに窓を開けて、維月を迎え入れた。

まさか、ここまできちんと妻を娶る時と同じ形にしてくださるとは思わなかった…。

義心は、驚くほどに美しい維月に、ただ見とれた。

維月が居心地悪そうに言った。

「あの…義心?」維月は、被っていた膜を取り去って言った。「その…ベールこのままでいいの?」

義心はハッとした。今まで、どんなに美しいと思って見ていても、触れることなど許されなかったので、そんなことは思いつかず、ただじっと見ていたのだ。

義心は維月に近付くと、婚姻の時に被る大きなベールに手を掛けて、それを引いて下へ落とした。

維月が、ためらいがちに義心を見上げた。

「義心…。」

義心は、胸が熱くなるのを感じた。きっと、本当に婚姻の夜を迎えたら、こんな感じだったのだろう。花嫁のベールを取り、対面して、そして共に過ごす。そうして、婚姻関係は成り立つのだ。

「維月様…。」

維月は首を振った。

「今夜は、私は妻なのだから、「様」は要らないの。」と、下を向いた。「こんなことしかしてあげられなくて、ごめんなさい…。義心、私…」

義心は首を振った。

「良い。」と、維月を抱き上げると、寝台へ降ろした。「維月…我の妻よ。」

「義心…。」

義心は、維月に口付けた。維月の気が一気に自分に流れ込んで来て、自分を酔わせて、翻弄する。これに皆は惹かれ、神の王達は維月を手に入れようと躍起になるのだ。だが、自分は違う。維月がまだ神として成長し始める前に、維月を見とめ、愛して来た…。それは恐らく、王も同じ…。

「愛している…。」

義心はその夜、何度も維月の耳元にそう呟いた。


次の朝、義心は維月を腕に抱いたまま、言った。

「…我が縁談を受けなかったのは、維月様のせいではなかったのですよ。」義心は言った。「あの縁談は、古く我がまだ200歳の時に、父が存命で父から持って来られたもの。我はその時断って、父もそれを断ると申しておったのに、友の娘であったからか、待てるのなら娶るというような返事を返しておったようで…父が亡くなってから、その娘本人からそれを聞かされ、知った次第です。その時もお断り申し、相手が食い下がりで、あのように。我は、維月様を愛する前から、断り続けておった縁談であったのです。なので、ご案じなさいますな。」

維月は、義心を見上げた。

「でも、何度も打診があったのだと聞いたわ。それでも、あなたが首を縦に振らないと。それだけ、相手のかたはあなたを愛していたのでしょう。」

義心はしばらく黙ったが、頷いた。

「こんな我を愛してくれたこと、我は感謝しておりまする。しかし、朱音は早くに死んで逝った。結局、我らには、そんな縁は無かったのだと思いまする。」

維月は黙った。義心を愛して、愛したまま報われずに死んでいったなんて…。でも、世の中にはどれほどにそんな恋愛が存在するのだろう。報われない想いは、どうなって行くのだろう…。転生しても、持ちこされるのだろうか。そうして、報われるまで想い続けるのだろうか。

義心は、物思いに沈む維月を見た。

「我は、幸せものぞ。十六夜が我を気遣ってくれ、こうして願うものを一夜だけとはいえ手にした。これで、我の妻だと心の奥底で思い続けることが出来る。」

維月は義心を見上げた。

「義心…。」

義心は維月に口付けた。

「愛している。願わくば、主の口からもそう言ってはくれぬか。」

維月は少しためらったが、じっと義心の目を見て、言った。

「愛しているわ、義心。」

義心は微笑むと、きっとそれが最後だと、もう一度維月をその腕に抱いた。

そして、維月は十六夜の元へと帰って行った。


「あのな、四日目の昼だって言っただろ!まだ一日しか経ってねぇだろうが!」

義心が訓練場から宮のほうへ戻って来ると、十六夜のそんな声が聞こえた。間違うはずのない、強大な王の気がする。王が来られたのか。

「主が、維月を膜に篭めたりするからぞ!」維心の声が言う。「なぜにそんなことをする…維月に何かあったら、我には気取れぬ。」

十六夜がフンと横を向いた。

「やっぱり見てたんだな。お前、ちょっと維月に構い過ぎなんだよ。ストーカーめ。人の世では犯罪だぞ。オレだって、お前が見てると思ったら、夜もおちおち維月と仲良くしてられねぇだろうが。だから膜を張ったんだ。お前、あんな所が見たいなんて悪趣味だぞ。」

維心は眉を寄せて首を振った。

「見ておらぬ!腹が立つゆえ、そんな雰囲気になったら接続を切るのだ。なのにあんな風に中が全く分からない状況だと、我も気になって…。」

十六夜はため息を付いた。

「そうか、結界自体を強化して、中が全く透視出来ねぇようにするべきだな。そうしたら、お前も慣れるだろう。」

維心はグッと黙った。それをされたら、全く中身が分からなくなってしまう。維月と離れているだけでも不安なのに、維月が今どうしているのかも分からないなんて、耐えられない…。

「…維月は、今どうしておる。」

十六夜は答えた。

「部屋で寝てるよ。いや、もう起きてるかもしれねぇな。」

維心は、踵を返した。十六夜は慌ててそれを追い掛ける。

「こら、維心!ちょっと結界を通してやったからっていい気になるな!放り出すぞ!」

維心はトンと軽く足を踏み込むと、軽く飛んで維月と十六夜の部屋へぐんぐんスピードを上げて飛んで行く。十六夜もそれに倣った。

「維心!人の嫁をなんだと思ってやがる!」

「我の妃ぞ!」

維心も叫び返している。義心はそれを見送りながら、ため息を付いた。我では、とてもあんな争いの中に表立って参戦するのは無理だ。

昨夜の記憶に頬を緩めながら、心の奥で、あれは我の妻ぞ、とつぶやいて、義心は自分の宿舎へと向かった。


そんな平和な諍いの中、闇の足音は確かに聞こえていた。

龍の宮にも、月の宮にも黒い霧は勢いを増して発生し始めていた。

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