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王の妃

維心は、まるでひとが変わったかのように、その妃を片時も離さず傍に置き、手離す事はなかった。月の妃ではあったが、月が王に許したことを聞いて、皆は驚きつつも感謝していた。

毎回必ず出席していた宮の会合も、重要な事以外は皆で決めよと言って、出て来ることは無くなった。

そんな様子であったので、当然の事ながら驚くほどすぐに子が出来、またそれが男であることがわかり、宮は祝いムード一色になった。

あれほどに険しい顔で、逆らう者を斬り捨てた王が穏やかになり、時に笑うようになった。

維月は元は人で、宮の決まりごとなど皆目分からないようであったが、洪達が辛抱強く教えて、段々と神らしくなってきた。

そうは言っても人として育った維月は、王の妃でありながらよく宮の中を歩き回った。

義心は、それでも顔を見る事すら禁じられている妃のことであるので、まだまともに顔を見た事はなかった。

王が、自分に人の世のことを聞いたのは、あの妃のためだったのか…。

義心は、今更にそう思っていた。しかし、あの時からはもう4年以上経っていた。維心は、その間ただじっと、月の妃である維月を想っていたのかと思うと、義心は感心した。なので、あれほどに執心なのも、頷けると思っていた。


世継ぎの皇子、将維が誕生して間もなく、一年という約束だったにも関わらず、王が強く乞い、維月自身も願ったこともあって、月は維月が引き続きここに残ることを許した。

ただ、時に月の宮へ帰すことが条件であったので、維月は何か月かに一回あちらへ帰った。維心はすぐにそれを追って宮を出るので、義心も供をして宮を出ることが多くなった。義心がすっかり月の宮の蒼とも懇意になった頃、維心は、北の領地を月に下賜すると言い渡した。

そして、義心達軍神を、そこに宮を建てることに貸し出すという。全ては、妃の里の守りを強化し、神の世に大きな宮として周知させることを考えてのことだった。

前代未聞の、恐らくは結納の品に、臣下達は王の維月に対する執心の深さを思い知り、更に維月を尊重するようになった。

その時既に三人の皇子を生んでいた維月は、どちらにしても宮での地位は高かった。


義心は、相変わらず職務に忠実に従っていた。朱音は、控えめにだがやはりまだ義心に近付いて来ては、茶だ何だと世話をしたがったが、義心はそれを断っていた。身を固めるつもりなどない。それが、義心の決まり文句のようなものになっていた。

そんなある日、義心は王の妃の顔をまともに見てしまった。

本来ならあり得ない事だったが、人の世から来た維月は顔を見ないのが逆に失礼な事と映るらしく、命じられて仕方なく顔を上げたのだ。

その時に間近に見た維月が、思いの外美しく、慕わしい気であったのをもろに受けて、義心は自分の気が大きく跳ね上がるのを感じた。

その日は慌てて宮の自分の部屋へ逃げ帰ったが、それから義心の心は、激しく維月にとらえられ、どうしようもないまでに成長してしまった…。


慎怜がそれに気付いたのは、全くの偶然だった。

宮は王と月が諍いを起こしたせいで損傷し、その片付けをしていた時のことだ。

筆頭軍神の義心は、妃の命で動けぬので、慎怜がそれを指示していた。

しかし、一応義心にも聞いておいた方が良いかと、義心の屋敷に出掛けて行った時…二人は友であったので、出入りは庭から簡単におこなっていた。

いつもの居間に義心の姿がなかったので、慎怜は裏の客間の方へ回った。義心は、そこにいた。

「義心…、」

窓の方から声を掛けかけて、慎怜は止まった。 誰か居る…女?

慎怜が思わず隠れて様子を見ていると、様子が義心らしくない。どうも、気が大きく跳ね上がっているようだった。

相手は横を向いたが、義心はそれを引き寄せて顔を自分の方へ向け、口づけた。慎怜は驚いた。義心が、ついに誰かを妻に迎える気になったのか。

「ダメよ、義心…」

聞いたことのある声が言う。この声、まさか…。

「維月様…我は他言致しませぬゆえ…どうか。」

やはり王の妃!

慎怜は身を縮めた。何よりも王が恐ろしいと分かっているはずであるのに。確かに月と諍いを起こされて、維月様は怒って宮を離れていらっしゃるとは聞いた。それが、ここに…!

慎怜の目の前で、義心は維月を抱いて寝台に沈んだ。

慎怜はそこをソッと出て行った。


「義心、本当にダメ!あなたが大変なことになるわ。」

義心は首を振った。

「良いのです。あなた様を見た時から、我は囚われてしまったようなもの。一度でも、この手にすることが出来たなら…。」

義心の手と唇が、体中をはい回る。維月は何よりもその義心の心を感じて強く抵抗出来ずにいた。ここに置いてもらっているのは、私達のわがままから。義心の心を弄ぶつもりなどない…。なら、身を任せた方が良いのか…。

維月は迷った。義心は腰ひもをするすると解いて行く。お互いの肌が触れるのを感じた。義心はそのまま維月を抱き締め、深く口づけた。

「維月様…愛しております。」

「義心…。」

そのまま更に先へと進もうとした時、侍女の声がした。

「義心様…蒼様がお越しでございます。」

維月はハッとした。蒼が…。

義心は、ため息を付いた。

「…すぐに参る。」そして身を起こすと、維月の襦袢の前あわせを閉じた。「蒼様がいらした。あなたを連れ戻るお話をなさるのでしょう。」

維月は頷いた。

「義心…私…。」

義心は、苦笑すると維月を抱き締めた。

「良い。我が我を忘れてしもうただけのことです。どうか…戻られても、我をお忘れにならないでください。」

義心は、維月に唇を寄せた。戻られたら、もう、このようには過ごせない。ここに、二度と戻る事はない…。

義心は、そのあと蒼に連れられて帰って行く維月を、せつない気持ちで見送った。これから、我は何年こうやって影から見守り続けることになるのだろう。愛してしまった王の妃を、胸ひとつに留めて行かねばならぬ…。

義心は、維月の残り香を自分の腕のなかに感じ、その夜は眠れなかった。


義心が普段通り任務に付いていると、慎怜が寄って来た。そして、真剣な顔で言った。

「義心、話があるのだ。本日時間を取れるか?」

義心は、慎怜を見た。

「何だ?あらたまって。良い。我の屋敷へ来るか?」

慎怜は首を振った。

「我の屋敷へ。待っておる。」

義心は何事かと思いながら、頷いた。慎怜があのように切羽詰まった顔をするのは珍しい。

義心は任務が終わるのを待って、すぐに慎怜の屋敷へ赴いた。

慎怜は、義心と同じように軍神の序列の高い家系の生まれで、その屋敷も父親から譲り受けた大きなものだった。慎怜は長く人の女に通っていたが、その女は何年も前に、子を産んで失っていた。人をめとる事は王に禁じられていたので、これは義心しか知らない。そんなわけで、慎怜はまだ義心と同じように独り身だった。

しかし、今日はそこに女の気がするような…。

義心はその事だろうかと、その屋敷に足を踏み入れた。

慎怜が迎えに出て来て、言った。

「我の居間へ。」

義心は頷いて、黙ってついて行った。慎怜は義心に座るように身ぶりすると、自分もほど近い場所に腰掛け、言った。

「義心…主、維月様をめとったの。」

義心は目を見開いた。慎怜はあくまで真剣な顔でいる。義心は首を振った。

「何を申す。我らには何もない。王の妃であるぞ。」

慎怜は素早く首を振った。

「我は見た。主が維月様と褥へ倒れ込むのを。」

義心は眉を寄せた。あの時か。見られておったのか…。

義心は、ため息を付いた。そして、慎怜を見返した。

「慎怜、あの時は、あの後蒼様が来ての。あれ以上のことはなかった。主が何を懸念しておるのか分かっておる…王のご勘気を被ると、それを言いたいのであろう?」

慎怜は義心を見た。

「そうだ。義心、主はいつも、維月様を見ておるであろう。今日もそうだった。主の視線の意味は、意識して見ればいくら武骨な我でも分かる。分かっておろう…王のご執心を。気取られたらいくら主でも斬られてしまうやもしれぬ。我は友を、そんなことで失いとうない。」

義心は、視線を落とした。分かっている。言われなくても、分かっているのだ。だが、込み上げる気持ちはどうしようもない。あのお姿を目にするだけで、身の内を震えが走るような感覚は、きっと誰にも分かってはもらえないだろう。維月様…今すぐにでも、お側に飛んで行きたいものを。この腕に抱いて、屋敷へ連れ帰り、そのまま離さず傍に置き…。

義心は、目を閉じた。叶わぬと思うからこそ、想いは募るのかもしれぬ。

慎怜が、立ち上がって、言った。

「義心、主、妻を迎えよ。」義心が驚いた顔をして目を開いた。慎怜は続ける。「このままでは、王に気取られるのも時間の問題ぞ。それからでは、遅いのだ。」

隣室から、慎怜に呼ばれ、女が入って来た。美しく装ったそれは、朱音であった。

「主は知っておるだろう。長く主を思うておる、同じ軍神の家系。本日連れ帰り、妻にせよ。さすれば、変な噂も当面は立つこともなかろう。」

義心は、朱音を見た。いくら愛せないと言っても、我を求めて来た女。だが、こうなって初めて、義心は朱音の気持ちが分かった。そうか…朱音はいつも、これほどまでに苦しくつらい想いでいたのか。

「…すまぬ。」義心は、朱音に言った。「我は主を苦しめて来た。我には今、やっと主の気持ちが分かるのだ。だが、主を迎える事は出来ぬ。我が心に置くのは、生涯掛けてあのかたのみ…。例え叶えられずとも、この心に偽りを申すつもりはない。」

朱音は、涙ぐんだ。

「義心様…。」

慎怜も、義心を見た。

「義心…主…本当に…。」

義心は、涙を浮かべて慎怜を見た。

「主ならば分かるであろう。なぜに、触れる事も出来ぬ人の女を愛していた。女が病で世を去ると分かってから、やっと子を成したのであろう?それは、我のこの気持ちと、同じ想いからおこなった事ではなかったか。」

慎怜は息を飲んだ。確かにそうだった。愛していた…例え触れられなくとも、間違いなく。義心も、そうなのか。

「そうか…まさかと思ったが、心底想っておるのだな。」慎怜は、同じように涙ぐみながら、言った。「すまぬ、義心。もう、我は何も言わぬ。」

義心は頷いて、そこを後にした。

朱音とは、それから会う事はなかった。

その数年後、病で世を去ったからだ。まだ、400歳にもならない若さだった。

義心は、ただただ冥福を祈った。そして、こんな自分を愛してくれたことに、感謝して朱音を送ったのだった。

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