転生、そして
夢の中でものすごい圧迫感に襲われたことは無いだろうか。子供の頃小さな自分が果ての無い平面に押し潰されて動けなくなっているというようなどうしようもない夢だ。うなされて目が覚めると体が動いて助かったと思った記憶がある。
今回俺が体験したのはそれに似たようなものでマニュアルに飲み込まれたと思ったらホースの水やカニの足みたいに細長くなって延々と吸い出されていくような感覚だった。こうチュルっと飲まれるならすぐ終わりそうなものだが体感時間にしてみると気持ちが悪くなるってレベルじゃない。
「おお、もう……吐きそう」
鬱蒼と茂る樹木と草の匂いの濃い空間に放り出されて死にそうになっていた。ファンタジーらしいとは思うが実際に体験したいかといわれたら絶対にNO! 世界観はともかく転生場所の指定が無かったのはこういう罠があるからなのかよ。あたり一面木草土ばかりで文明の欠片も無い。SLGなら初期配置が糞でリセットするレベル。
とりあえず人間型生命体に転生することができたのはわかったがあらかじめ言っておいて欲しい。サバイバル経験必須、と。小学校のキャンプ以外したことねーよと毒づきながら立ち上がる。装備品がついてきたのかいかにも”たびびとのふく”といった服装をしているようだ。皮の帽子にマント、リュック、水筒に財布、小刀といかにも冒険してますといった感じ。
全体的に土ぼこりにまみれているのは元からなのか転がってたせいなのかは不明だが汚いな。
「いや冒険とかいいから、街中スタートがいいから」
といったところで状況は変わらない。荷物を確認しながらどこかに道はないかと見回すがそもそもそんなスキルは持って無かった。コンパスや地図が無いかとリュックを探っていたところ出てきたのは毛布と紙に包まれたビスケットのようなものに金属製の鍋とコップにフォーク、それから謎言語の本が2冊。最後に出てきたのはあの”マニュアル”の大きさをB5サイズにしたような真っ黒な本だ。
大分くたびれていて端が擦り切れかすれているが表紙にN? DC9thと書いてあ……る。
「なん……だと」
まさか再び見ようことになろうとは。
私の記憶が確かならばこれは日本十進分類法(Nippon Decimal Classification)新訂9版。アメリカのデューイ十進分類法(Dewey Decimal Classification)と展開分類法(Expansive Classification)、アメリカ議会図書館分類表(U.S. Library of Congress Classification)を参考に日本で作成されたこの分類法は日本では圧倒的なシェアを誇り、ある程度の規模以上でよほど古い大学や研究所以外では大抵この形式に則って資料を目録、管理している。使い込んでいるのは見ればわかるけど色は茶色と緑色を混ぜたような色だったはずなんだがこんなに黒いのもあるのか? 改訂版や増補版ということなのかもしれないが真っ黒って。中を見ればわかるかな。
書誌を同定するときはまず本の標題紙(表紙から数ページ先のタイトルや著者が載っているところ)、奥付、背、表紙、裏表紙と確認して……あれ? 中身がないというか白紙? 落丁とかそういうレベルじゃなくて全部白いってどういうことだよ。本の形したメモ帳じゃないか。事務長か教授の立替請求なら通るんだろうけどこれは書店に返品ですね。日本文学の教授が小人物語のDVD持ち込んで研究費で落とそうとした時以来の衝撃だわ。
「じゃなくて、俺もうそんな仕事してないから! ある意味で自由だから」
身についた習慣は消えないということがよくわかったよ。気がついたら謎の本まで仕分けようと手が動いてるからな。謎言語のほうは何が書いてあるかまったくわからない。
日中韓を始めに英語やヨーロッパ圏、ロシア、アラブ系ぐらいなら特定できるはずなんだが……まあ特定できるといっても字面で地域がわかる程度だ、それにしたってまるで見たことが無い字だ。
ということはまずい。
「ちょっ 転生特典で言語系は標準でついてないんですかやだー」
ジョブが司書でも字が読めないとか致命的過ぎる。我が国が誇る識字率とはいったいなんだったのか。MP0の魔法使いが素手で殴りかかるぐらいの戦力しかない。いや筋力0の鍛冶屋とかそういうレベル。
「読めないってことはひょっとして話せないもセットになってるんじゃないだろうな」
難易度高すぎワラエナイ。とにかく文明だ、町につけばなんとかなるというか確認するには人間に遭わないといけない。荷物をリュックに詰め込んで歩き出そうとしたがそもそもここはどこかもわからないんだった。
「すいませんチュートリアルお願いします マジで」
先代転生者やもっと前の黒歴史時代の連中はこんな苦労したのか? 空飛ぶぐらいできそうな狂った時代なら俺TUEEEとハレムUMEEEとか普通だったんだろうな。くそう魔法使い舐めんな! なんかだんだん腹が立ってきたぞ。もういい、こんな木だらけの場所にいられるか! 俺は部屋に帰らせてもらう。とりあえず明るい方に向かってみよう。道に出れば辿って町まで行ける筈だ。
そんなわけで転生初日の俺は歩き出すのだった。山歩きとか曾爺さんの米寿の祝いで山奥に行った時以来だな、白寿の祝いが終わったと思ったら大往生したと聞いているが曾爺さんは転生できたんだろうか。この場合異世界転生じゃなくて輪廻転生の方だとは思うが。森の中といっても全部木が生えてるわけじゃないので草とか岩とか背の低い部分から光は入ってくる。そういうところは地球と変わらないんだなと思いつつ進んでいくと道のようなところに出た。ようなというのは現代の舗装路のように塗り固めてあったり線が引いてあるわけでもないからだ。そこだけ草が生えていなくて溝のようなものが続いている。舗装してない道を車輪が通ると凹んで繰り返されて溝になるとか西部劇でやってたような気がする。
「獣道にしては広いしこれで町までいけるかな」
ベリーハードからハードに変わったぐらいの安心感を持ちつつ進もうとしたところ困ったことがあった。どっちが町なのかわかりません。2択をはずすと精神的にきついものがあるし肉体的に死ぬ可能性も大だ。
「転生初日は村娘に出会うとか盗賊を倒すとかそういうイベントで町までいけるんじゃないのかよ! 放置つらすぎる悪魔か」
神(的な存在)が放置するような場所から転生するとこういった不具合があるんですね。修正されて! どうしようもないから右に進む。勘だけど止まってるよりはましだろ。こういうとき召還獣とかいれば乗ったり乗れなくても癒し系だの護衛だのしてくれるに違いないんだろうがリアル魔法使いじゃファンタジー魔法使いの魔法は使えない。そもそも召還術師ってジョブにはなれなかったしな。ファンタジーならではの……そうだよステータスどうなったんだよ。こういうときは呼べば出てくるのがお約束だ。
「ステータス」
何も起こらない、叫べばいいのか。
「ステータス!」
Oh…
「すいませんステータスお願いします」
キーボードを押す操作をしてみたり考えると浮かんでくるか試したりしたが無駄だった。冷静になって考えてみる。歩きながらステータスだのインベントリだのスキルだの叫んでる奴には贔屓目に見て係わり合いになりたくない。警察機構が存在するのかどうかはともかくぶっちゃけ通報されるレベル。
「またベリーハードに戻ってんじゃねーか。自分が何できるかワカンネって致命的じゃね」
中二パワーが無いと不便どころか死ぬと、そんなふうに考えていた時期が俺にもありました。まず荷物を背負ってる時点でインベントリやアイテムボックス、倉庫なんかの収納系チートは存在しないんじゃなかろうか。レベルが足りない可能性もあるがそもそもレベルはどうやって確認するんだよとなるし。教会とか王様がおしえてくれるのか? 営業妨害で逮捕されかねんな……あれだギルドシステムで登録するとわかるとかそういう感じか。近年の流れならそれであってるはずなんだが確証の持ちようが無い。
「レベル上がってもステ振りどうなるんだよ。自動であがると地雷になるんじゃね」
そもそもダンジョン探索ゲーだと思ったら普通に外歩いてる時点で何ゲーなんだよ。ネトゲとかだと極気味なステにしないと中途半端になって効率が出ない行方不明。特化する効率がいい彼女ができる。
ほらこんなもん。
なんかもう無理だわー死ぬわーと思いながらとぼとぼ歩いていると森がまばらなってきた。早く町につきたい、こんなにも人間が恋しくなるなんて知らなかった。無職になってからはハロワとスーパーと家を往復するだけの日々だったけど今なら言える。
「早く人間に遭いたーい」
自分で言ってて引いた。やっぱり人間そうは変わらないわ。
そんなことを言ってると煙が見えてきた、火事じゃなければキャンプか町があるに違いない。どれくらいの距離があるのかわからないけど目標があるのは大きい、明るいうちにたどり着けなかったらやばかったな。少しだけ希望を持って歩くと気持ちも晴れやかになってきた。この坂を上りきれば町並みも見えるかなと気がつけば早足になってくる。上りきったところで目の前に広がったのは
「どう見ても農村です。本当にありがとうございました」
森のそばの村といったらこんな村だと想像できる村だ。小さな柵と畑、家が並んでいて特徴を挙げるのが難しいぐらい普通だ。大体が木造のようだが石造りの家もちらほら見える。人影も見えるがこの距離だとよくわからない。
宿屋があれば野宿はしなくてすみそうだと考えたところ財布の中身が気になる。取り出してみると銅貨らしきものが10枚と銀貨らしきものが5枚あった、うん貨幣価値がわからない。古銭だとか外国の金だとかというオチがついてるんじゃないかとすら思う。これも出してみないことには確証が持てないんだよな。
何から何まで手探りとか本格的にレトロ時代ゲーじみてきた、緩やかな坂を下っていくと目に付いたのは畑だ。麦のような穀物が揺れているところを見ると今は秋なんだろうか。転生前が春だったのにいくらかずれてるんだなと思いながら進む。休憩時間なのか無人の畑が続いているが文明があると思うと安心感がある。第一村人に早く遭えないかと進んでいくと家が並んでいる区画になってきた。
頑丈そうな石造りでビールらしきグラスが描かれた看板付きの家を見つけた。昼間から飲んでる奴は御大尽か遊び人ぐらいな気もするがお約束だからな。
「こういうときは酒場とか宿屋に行くと誰かいるに違いない。昼間だけど」
入ってみようと扉の前に回りこむと西部劇によくあるウエスタンドアだ。完全に閉じてるとしり込みしてしまったかもしれないがこれなら入れる。
「こんにちはー」
挨拶しながら入ると薄暗くてよく見えない、目が慣れるのを待っていると奥に誰かいるようで物音がする。
「準備中ですかー?」
「うちは日が落ちてからだよ」
第一村人発見、恰幅のいいおばさんでエプロンと三角巾をつけている。言葉が通じるのは本当にありがたいことですね。
「旅の人なら三軒隣が宿屋だからそっちに行っておくれ。夜ならうちも空いてるからさ」
「これはご丁寧にどうも。夜にまた来ます」
おばさんは奥に戻っていく。後姿を見ているとエプロンから毛皮が覗いていたがそれは衛生的にどうなんだと思いながら酒場を後にする。コミュニケーション能力は何とかなることが判明したため続いて宿屋へ。こちらも石造りで周りにくらべると大きな家だ。ドアをあけて入る。
「こんにちはー」
「いらっしゃいませにゃー」
「一泊おいくらです……か」
「うちは素泊まりで銅貨5枚ですにゃ。食事はローラさんの酒場でどうぞにゃ」
ネコミミ!? ネコミミ!?
俺の脳内でNRS(ネコミミリアリティショック)が起こった。