第二幕 第二場 《怪談》
壁に映るいくつもの影が明滅する光を受けて、大小をくり返していた。
夜の校舎。誰もいないはずの場所に異様な集団がいた。
彼らは皆、周囲の暗闇を固めたような黒のライダースーツにヘルメットをかぶっている。
ただでさえ暗い部屋の中で黒い服を着た人影を把握することが難しい。そのうえ、ヘルメットを装着しているために彼らを区別することはできない。
場所は〈第一会議室〉。
校舎にある多目的教室の一つだ。普段は放課後、手芸部が活動の場としている。
だが、今回は《風紀委員》が集まっていた。
暗い部屋も揃いの黒いスーツとヘルメットも彼らの素性を隠すための措置だった。
パソコンに一番近い男が声を出した。
『今から第一回《風紀委員》会を開く。議題は「集団失踪事件」についてだ。各自、調査結果を報告してもらいたい』
男の声は変声機で変えられてあり、誰のものか判別することができない。
《風紀委員》のヘルメットは様々な機能が設けられてある。
その一つが変声機能だ。《風紀委員》の活動の際、一般の生徒に話しかけなければならないときがある。だが、《風紀委員》は素性を隠して活動しなければならない。そんな時、ヘルメット越しに話しかけると、声が機械音のような無機質なものへと変わり、個人を特定することができないようにしている。
男は自分を除く八名の《風紀委員》の姿を一つ一つ確認する。そして誰になく告げた。
『だが、その前に。《風紀委員》「C」。ここにいるか? 返事をしろ』
『はい』
彼女は声を上げた。
《風紀委員》は各学年に三名いる。そして、「A」から「I」までのアルファベットで互いを呼びあい、新入生は卒業して抜けたアルファベットを与えられる決まりだ。
彼女は「C」を与えられている。
『お前は昨日、俺に報告を怠っていたな? 何か言い訳はあるか?』
『いえ、ありません』
彼女は言い訳したい気持ちを抑えて声を張り上げた。
《風紀委員》は匿名性が高いため、弊害を抱えている。
それは休息がないということだ。病気になっても怪我をしていても変わらずに活動しなければならない。周囲に素性を調べる手がかりを与えないためだ。
今回のように「C」が意識を失って活動をしなければ、昨日授業に出なかった生徒を調査すれば、「C」、すなわち彼女を特定することが可能となるからだ。
だから、言い訳をすることができない。もしも言い訳をすれば《風紀委員》の自覚がないと言われて叱られるだろう。
彼女は、それをまるで体育会系の部活の指導みたいだと思いながら、次に飛んでくる説教のために心を構えた。
『ならば、お前の心が弛んでいたのだな。お前には《風紀委員》の自覚がないのか? 自戒を込めて腕立てを五百回しろ。いいな』
『はい』
彼女は叫ぶと自分のした回数を数えながら腕立てをし始めた。
しかし、二百回を過ぎた辺りから回数が増えにくくなった。彼女は毎日体を鍛えているわけではない、腕に乳酸が溜まり、身体を支えることすら難しくなった。
それを表情の見えないヘルメットをかぶった集団が囲むようにして見ている。
何も知らない生徒が目撃していたら、いじめの現場に立ち会ったかと思うだろう。
『どうした? お前の反省はその程度か?』
男は蔑むような声で彼女を挑発する。
『いえ。まだできます』
彼女は必死になって体を支えながら叫ぶ。だが、力が入らずに床に突っ伏した。
それを見て、男はさらに怒鳴る。
『お前は口だけの存在か? そんなのでは《風紀委員》は務まらないぞ』
彼女は床に顔を付けながら、この男、《委員長》はひょっとして自分を苛めるために集会を開いたのではないかと勘繰り始めた。
『どうした。返事を返すこともできないのか? ええ?』
《委員長》は彼女が内心思っていることなど気づかずになじる。
『いえ、できます。やります』
彼女は意地で声を絞り出すと再び腕立てを始めた。
結局、彼女が五百回するまでに一時間ほどかかった。
彼女が腕立てを終えると《委員長》は鼻を鳴らしながら彼女に呼びかけた。
『どうだ。これで懲りただろう。これからはきちんと報告しろよ、いいな?』
彼女はヘルメットの内側で苦虫を噛み潰したような顔をした。《委員長》はミラーシールドの向こう側で得意げな顔をしているのだろうと内心で言い捨て、体を起こして地面に手を置いて立ち上がろうとする。だが、腕に力が入らずに支えを失い転びそうになった。
それを近くにいた《風紀委員》が支えた。彼女の背中に手を当てて姿勢を整えさせると、今度は両脇に手をやり立たせてくれた。
彼女は恥ずかしくて顔を赤くしていたが、相手には見えない。
その《風紀委員》は彼女が真っ直ぐに立つのを見ると声をかける。
『大丈夫? しんどかったでしょう。アレは伝統なのよ。毎年、誰かが必ず報告ができない状況に陥るわ。そして、その後に開かれる《委員》会でああやって罰を与えられる。そうやって新人の気を引き締めているの。《委員長》に悪気があるわけではないのよ』
無機質な音声でやさしく諭された。彼女はそのときになって初めてその《風紀委員》を観察した。
その《風紀委員》は女性だった。まずは露出した胸の谷間が目に入る。《風紀委員》のライダースーツはツナギのように腹側にファスナーが取り付けられてあり、それを豊かな胸を見せるように胸元まで開いているのだ。そして視線を上へと向けると、ヘルメットからパーマがかった金髪がはみ出しているのがわかった。全体として体にメリハリがあり、相手が豊満な肉体をもつことがわかった。
彼女は相手の身体を見た後に自分の身体を確認し、自分の胸を擦ってみる。
その様子を窺っていたのだろう、その女性の《風紀委員》は彼女に向かって告げた。
『気にすることはないわ。これからよ、大きくなるのは』
《風紀委員》がそういうと、その周囲で男性の《風紀委員》たちが笑い声を上げた。
彼女は面白くなさそうに唇を噛んだ。
『ごめんなさいね。からかったつもりはないのよ。許してね』
豊満な体の《風紀委員》は彼女が気分を害したことに気がついたのだろう、詫びの言葉を言うと、彼女に向けて手を差し出した。
『私は「花」よ。よろしくね』
彼女は相手が、自分の素性が分かる呼称を使ったことに驚き、手を握り返すのを忘れていた。
そのことに気がついたのか、「花」は補足説明をする。
『別に「学園」内の呼称ではないわ。《風紀委員》として活動するときに用いるコードネームよ。これで新人かそうでないかを判断するの。あなたは「C」と呼ばれていたから、新人さんでしょ?』
「花」は首を傾げて彼女の方を向く。ヘルメットがなければ可愛らしい姿だっただろう。
彼女は説明を受けて、自分のコードネームを考えた。
『わたしは新人の「猫」です。よろしくお願いします』
彼女は「花」の手を掴み握手した。
その様子を見ていた《委員長》が咳払いをして、注目を集める。
『それでは、これから「集団失踪事件」について報告してもらう。それでは「蟻(Ant)」から頼む』
『わかりました』
「蟻」と呼ばれて声を上げた影は大きかった。
『わたしは行方不明者の寮の部屋を調べました。それぞれの寝室を女子の「アヒル(Duck)」と分担して調査しましたが、制服がないこと以外に異変はありませんでした』
大きな声で調査の説明をしたが、手がかりらしき情報はない。
隣の影が「蟻」の方へと話しかけるように動いた。
『「アヒル」も同様だったようです』
どうやら、隣にいる影が「アヒル」のようだった。
彼女は「Duck」というくらいだから「おしゃべり」な人かと想像していたので驚いた。
ひょっとすると、コードネームは皮肉るものなのではないか、と彼女が考えていると隣にいた「花」が話しかけてきた。
『《風紀委員》のコードネームはその人の特徴を表したものよ。「蟻」は「勤勉」で、「アヒル」は「おしゃべり」。そして私は「花(Blossom)」。「開花する」よ。学校に来てから体が成熟したから名付けたのよ。』
「花」は暗に彼女に「これから成長する可能性は十分にある」と伝えたいらしい。
『だけど「アヒル」は「おしゃべり」ではないみたいですが?』
『違うわよ。話し始めたら止まらないから、今は「蟻」に代弁してもらっているのよ』
彼女はその話を聞いて、自分は「猫(Cat)」だから「陰口を言う女・意地悪女」と自称したことに気がついた。他の《風紀委員》にそのように思われることに不服を感じたが、自己責任であるため何とも言えない。
『次は「花」。頼む』
『はい』
彼女は返事を返すと前へ進み出た。
『私は「学園」のメールサーバーにアクセスして行方不明者の送受信メールを確認しました。すると、奇妙な内容のメールを自分の恋人に送っていることが分かりました。こちらです』
「花」はそう言うと、パソコンへと向かい、操作する。そして、操作が終わると投影機によりメールの内容が表示された。
『 件名:(件名なし)
いきなり長いメールを送って悪い
だけど、仕方がないんだ
俺も消されるかもしれない
最近、俺の周りで奇妙なことが起きる
だから、俺たちが経験したことをここに書く
始まりは五日前の夜だった。班の奴らと季節外れの肝試しをしたんだ
深夜の校舎を一周回る、定番のやつを
玄関から入って、順番に教室を開けて、じゃんけんに負けた奴が中を確認する
それを何度もくり返して、流石に飽きてきた時だった
ヤツが現れたんだ
ヤツは俺たちの顔をそれぞれ眺めると、突然に告げたんだ
「お前たちはこの学校の《怪談》を知りたくないか」と
俺たちは肝試しに飽きていたから、笑いながら頷いたんだ
すると、一つの《怪談話》を教えてくれた
その《話》が面白くて、皆で探すことにしたんだ
俺たちはヤツに「おもしろかったよ」と言ってその場を離れようとした
するとヤツが俺たちに言うんだ
「気をつけろ」って
その時は、俺たちはその言葉を笑ってその場を離れた
そして、歩き回って探したけれど見つからなかった
次の日の晩も俺たちは探した
だけど、見つけることはできなかった
俺と○○は諦めたけれど、△△は諦めなくて次の日も探したらしい
すると、その次の日の朝、△△が顔を蒼くして帰ってきたんだ
「見つけちまった」って
俺たちは驚いた。「何処にあったんだ?」って尋ねたら、
「言えない。言えない」ってくり返すんだ
俺たちが「俺たちにも秘密かよ」って笑いかけたら
△△は蒼い顔のまま言ったんだ
「ああ。知らない方がいい」ってよ
俺たちはその言葉に腹が立って、その日の晩に探しに行ったんだ
しつこく△△は止めたけれど、それを無視して
すると校舎の中でまたヤツに会ったんだ
ヤツは俺たちに「見つかったか?」と尋ねてきた
だから、俺が「ああ、一人が見つけたよ」って返したら、
「昨日、校舎に来たやつだろ? それなら手助けをしてやった」って言ったんだ
俺たちはそれを聞いて、「なら、俺たちも手助けしろよ」って返したら、
ヤツは「わかった。それなら、ヒントをやろう」って言って、
恐ろしいヒントを教えてくれた
俺たちはその内容が恐ろしくて、恐ろしくて部屋に戻ることにしたんだ
そしたら、△△が消えていた
俺たちは△△を夜通し探したんだが、見つけることができなかった
結局、△△は消えたままだ
だけれども、それで終わらなかった
他の生徒に「△△を知らないか?」と尋ねると
「△△?そんな奴いないだろ?」って返してくる
俺と○○は恐ろしくなって、部屋に籠って昨日を過ごした
多分、ヤツに消されたんだ
だから、今日、俺たちはヤツと会うことにした
もしも俺が戻らなかったら、《風紀委員》に見せろ
このメールと深夜の校舎の防犯カメラの映像を
詳しい内容を書かないのは万が一のためだ
俺の無事を祈っていてくれ』
『このメールを受けた恋人は恐らく《風紀委員》の誰かに同じ内容のメールを見せていると思います。このメールの内容によれば、防犯カメラを見れば詳しい情報が手に入るようです。防犯カメラの映像の閲覧許可を頂きたい』
「花」は《委員長》の方を向いて許可を仰いだ。
『その件は既に「狐(Fox)」から報告を受けており、閲覧を許可する』
《委員長》はパソコンを操作しながら返事を返した。投影機から件の映像が映し出される。
——生徒たちが失踪する五日前、校舎の中。
『お前たちは「学園」の〈怪談〉を知っているか?』
表示された映像には一人の男が机の群れを背景にして立っていた。
場所は〈化学室〉だった。黒い机とそれぞれの机の上に置かれたガスバーナーで分かる。
男は黒いマントのようなものを羽織り、顔には黒い塗料を塗っている。
深夜の〈化学室〉には明かりがないため、男の姿をはっきりと視認することは現場にいた生徒たちにはできず、恐らく、暗闇に隠れた生徒が一人立っている程度の認識だっただろう。
彼女たちは暗視カメラ越しに見ていたために男の全体像を把握することができた。男がただの学生ではないことが分かる程度には。
男の正面には三人の学生がいた。
『「学園」の怪談? 『学園』内で広まっている怪談話のことか?そりゃあ、知っているぜ。何たって今、俺たちは怪談話をした後に校舎内で肝試しをしているんだからな』
その中の一人の男児生徒は胸を張って、男の質問に答えた。
『まぁ、当たらずと雖も遠からずと言ったところだな。勿論、『学園』で広まっていた話だが、《それら》は唯の怪談じゃない。『学園』が舞台の怪談さ。どうだ、知っているか?』
男は相手の興味を引くような話し方で学生たちに確認する。
男の話を受けて、三人の学生たちはそれぞれ顔を見合わせると、目を輝かせた。
『『学園』が舞台の怪談? 何だよそれ、そんなものがあるのか。おい、聞いたことあるか?』
『いや、わたしはないわね。あったら、来る前に話しているわよ』
『面白そうですね。丁度、ただ校舎を回るだけでは飽きてきていましたし・・・教えてくれませんか?』
三人とも似たような反応を示し、男の意図した通りに答えが返る。
男はにやりと暗闇の中で嗤い、物語を始めた。
『昔々のその昔・あるところに「学園」と呼ばれる学校があった。
そこには優秀な生徒たちが集められて、学校生活を送っていた。
どの生徒も『学園』に来る前の土地では「神童」や「天才」と呼ばれてもてはやされていた。
そんな彼らが一つの場所に集められたのだ。
周囲は彼らが切磋琢磨し、更なる高みへと成長することを期待していた。
生徒たちは期待通りに成績をのばした。中には子供であるにもかかわらず、専門家と比べても見劣りすることの無いほど、思考を働かせることができる生徒も現れ始めた。
周囲は期待通りの成果に満足した。
だが、彼らは見落としていることがあった。
それは集められた生徒たちの多くは高い自尊心を持っていたことだった。
集団に優劣ができることは仕方がない。
皆が同じ能力であることはないからだ。必然的に集団の中で能力に差が生じる。
今回、『学園』内でも同じことが起きた。
優秀だと呼ばれ続けていた生徒たちの中に「落ちこぼれ」と呼ばれる生徒が出てきたのだ。
別に、彼らは落ちこぼれではない。むしろ、世間的には優秀な部類だ。
だが、『学園』は生徒たちに三年間の郊外との交流を禁じたために、彼らは気がつくことができなかった。
よって、生徒たちは自分を「落ちこぼれ」であると認識し、そのような態度をとる。
「落ちこぼれ」の中には周囲が優秀であるから仕方がないと話す者もいたが、一方で自分は相対的に優秀ではないことを認めることができない者もいた。
彼らは高い自尊心に阻まれて、認めることができなかったのだ。
図書館で勉強をする一人の男子生徒がいた。彼は「落ちこぼれ」だった。
それも認めることのできない「落ちこぼれ」だった。
彼は優秀な生徒を憎んだ。
自分が「落ちこぼれ」と呼ばれる原因を彼らにすべて押し付けたのだ。
ある日、彼は突発的に優秀な生徒に暴力をふるう。そして、その結果、被害者は亡くなった。
彼は恐れた。自分がしてしまったことと自分の社会的な地位が無くなることを。
だから、逃げた。寮の自室へ逃げ、毛布にくるまって丸まり、震えた。
だが、その時に死体を置いてきたことを思い出した。
彼は戻った。彼が過ちを犯した場所へと。
すると、現場には複数の生徒達が集まっていた。
彼は自分の罪が明らかになったことを悟った。
生徒たちは死体を白い布で包むと数人で持ち上げて、何処かへと運ぶ。
彼は罪が明らかになったことで、ようやく自分の罪を認めて、被害者に謝ることにした。
彼は被害者を運ぶ生徒達を追った。
すると、彼らは一つの部屋へと入っていった。
彼は部屋のプレートを読んだ。〈霊安室〉。彼の聞いたことの無い部屋だった。
だが、『学園』の部屋には三年間の学校生活で彼と縁のない部屋が数多く存在している。
彼は気にせずにその部屋を覗いた。
生徒たちは被害者の死体を箱のようなものの中に入れ始めた。
彼はそれが「棺」と呼ばれるものであると信じた。彼は「棺」を見たことがなかったのだ。
作業を終了して、生徒たちが扉へと近づく。
彼は慌てて物陰に隠れ、生徒たちが〈霊安室〉を出て行くのを見送った。
そして、誰もいない部屋に入ると、ゆっくりと「棺」の蓋を開けた。
すると、その中には先ほど入れられた死体が見当たらない。
彼は狼狽した。そして、部屋を飛び出すと生徒達を追った。
だが、生徒達を見つけることはできなかった。
結局、彼は被害者に謝ることができずに、《風紀委員》に自首した。
だが、《風紀委員》は彼の言葉を信じない。死体がないので証拠がないのだ。
彼はその後、自戒の意味を込めて寮の自室に籠り、卒業を待ったという。
おしまい。
これが〈死体のない霊安室〉と呼ばれる《怪談》さ。どうだいおもしろいだろ?』
男は三人の顔を見た。だが、三人とも何とも言えない顔をしていた。
その中の女子生徒が男の方へと話しかけた。
『別に。不思議ではあるけれど、そこまで怖い話ではないわね』
その女子生徒は涼しげな顔で男の期待を裏切った。
『つれないな。まぁ、「死体」に馴染みのないお前たちじゃ、恐ろしさもわかるまい』
時間の無駄だったという風に男は言い捨てた。
その言葉を受けて、三人は頭に来たのだろう。男に向かって言い寄った。
すると人影が徐々に濃くなり、生徒たちの前に怪しげな恰好の男が顕になる。
生徒たちは目を瞬いた。今まで自分たちと会話していた相手が制服を着ていないのだから。
『学園』の生徒たちは好んで制服を着用する。
それは身分証という意味もあるが、別に生徒だらけの敷地内で必要なものではない。
彼らが制服を着ることを好む最大の理由はやはり〈金色の薔薇〉だ。胸の校章を身につけることで自分が〈金色の薔薇〉であることを意識する。制服を着ない生徒は『学園』の生徒ではないと糾弾するくらいだ。
三人のうちの一人が制服を着用していない男を非難した。
『あなたには〈薔薇〉の自覚がないんですか? なぜ制服を着ないんです?』
男は「薔薇」という言葉を聞くと鼻で笑った。
『おいおい。いくら俺でも流石に制服を着るようなことはできないよ。恥ずかしいだろ?』
男は自分を非難した眼鏡の男子生徒の顔を見ながら平然と答えた。
『なんだと? あなたは本当に「学園」の生徒ですか?』
眼鏡の生徒は顔を赤くしながら吠える。
『まったく。一体いつ俺が自分を「学園」の生徒だと言ったよ? 俺は部外者だぞ?』
的外れな指摘を受けて困っています、と男の声が主張する。
眼鏡の生徒は乾いた笑い声を漏らすと、真面目な顔で男を問い詰める。
『部外者? 一体なにを言い出すのやら。ここは『学園』ですよ。「センセイ」以外には生徒しかいません。それなのに、あなたは生徒ではないという・・・では、あなたは何ですか?』
『俺か? 俺は、そうだな、怪談に出てくる怪人といったところだ。どうだ?深夜の校舎の中で怪しげな男から『学園』の《怪談》を聞く。ドラマチックだろ?』
生徒たちは男の言葉を聞いて、真面目に話を聞くことをやめた。男がふざけていると思ったのだ。現に、男の態度は真面目とは言い難い。
『ああ、そうだな。ところでその〈霊安室〉はホントにあるのかよ? あるなら最後に肝試しに
行くから教えろよ』
男子生徒は軽く返事を返して、〈霊安室〉の所在を聞いた。
『あるね。場所は知らないけれど、知っていた人を知っている。頑張って探すといい』
生徒たちは男の答えを知ると、もう関わりたくないと踵を返す。
その背後に向けて男は呼びかけた。
『くれぐれも気をつけろよ? 判断を間違えると災いが降りかかるぞ』
その言葉を生徒たちは鼻で笑い、先の見えい廊下に消えた。
彼女は映像を見て頭痛が止まらない。
男子生徒のメールを見たときにもチクリと一瞬の痛みが走ったが、前回同様にすぐに治まった。ひょっとすると、昨日の疲れが残っているのかもしれないと考えていたくらいだ。
だが、この映像を見始めると、痛みが自己主張するように存在を示し始めた。
特に痛みが大きくなったのは生徒が男を問い詰めた時だった。それから彼女は立っていられず、近くのパイプ椅子に腰かけて体を休めると、映像に集中することができなかった。
彼女は顔を上げて《風紀委員》の面々の顔を見る。
彼らはそれぞれこの映像に対してどう対処すべきか判断しかねている様子だ。
《委員長》は腕を組み、「花」は首を傾げている。「アヒル」は隣の「蟻」にひたすら話かけ続けているようだった。
彼女も同じだった。今の映像だけではただ生徒の一人が夜中に怪談を話せて聞かせただけだ。
《風紀委員》として本腰を入れて生徒を調査するには少々証拠としての価値がない。
彼女は次の映像を静かに待った。
——生徒たちが失踪する三日前、校舎の中〈化学室〉。
『おや? どうしたんだい? 一人でここに現れて。他のふたりは一緒じゃないのかい?』
男は変わらずに〈化学室〉の中にいた。
黒い机に腰掛けて、まるで眼鏡の生徒が来るのをまっていたように出迎えた。
眼鏡の生徒は顔中に汗をかいて、男に向かって叫んだ。
『本当に〈霊安室〉はあるんですか? あれから三人で、二晩も探したが見つからない。二人が飽きた後、今日一日中探したけれど見つかりませんでした。本当に存在するんですか?』
男はその言葉を聞いて、不思議そうに答えた。
『見つからないのならば、存在しないのかもね。俺は「ただ知っていた人を知っている」とだけ言ったはずだよ。別に存在を保証したわけじゃない』
男の言葉は正論だが、なぜか騙されたような気持ちにされる。
眼鏡の学生も同じだったのだろう。男へと近づき襟を掴んで揺すった。
『僕をだましたんですか?』
『別に騙していないよ。ただ《怪談》を話してあげただけでしょう?それとも何か〈霊安室〉がないと困るわけでもあるんで?』
男は飄々とした態度を崩さない。だが、男の瞳は何かを狙うように輝いていた。
『実は・・・僕は「落ちこぼれ」なんだ。だから、その・・・』
眼鏡の生徒は渋々語り始めた。相手を「現実」の存在と既に認識していないのかもしれない。
『実際に、生徒を殺してしまっても罪に問われない方法があるかもしれないと考えた。お前は認められない「落ちこぼれ」なのか?自分で自分を「落ちこぼれ」だと言うくせに?』
男は眼鏡の生徒の言葉を続けた。
『いや。僕は認められない「落ちこぼれ」じゃない。ただ、消したい生徒がいるんだ』
『消したい生徒?』
『ええ。僕のことを「落ちこぼれ」だからと苛める生徒を。そいつは自分を『学園』の「主人公」だと言って、「落ちこぼれ」た生徒たちを馬鹿にして毎日楽しんでいる。しかも、《風紀委員》の目がないところで。だから・・・僕は消したい』
『なるほど・・・「主人公」か。わかった、それなら、見つける方法を教えてやろう』
『えっ。方法があるんですか?』
『ああ。まぁ《話》通りにするだけだがな』
『どうするんですか?』
『簡単だ。死体を作り、見張っておけばいい。そうすれば誰かが《霊安室》へと運ぶだろ?』
男の話す「ヒント」は乱暴で倫理に背いた方法だった。
『・・・いや、それは、ちょっと・・・』
眼鏡の生徒も少し引いている。
『なに、死体にするのをその生徒にすればいい。後でしようが先にしようが結果は同じだ』
男は特に気にせずに言葉を口にした。
『いや、それでも、僕は「殺し」はしたくありません』
『俺がするから心配するな。いいな?』
男はそう告げると机から飛び降り、〈化学室〉の扉を開けた。
そして、その後ろを眼鏡の生徒が追って消える。
《風紀委員》の間に嫌な沈黙が流れている。
理由は明白だ。失踪した生徒に犯罪を行う意思があったことが、目の前の映像で明らかになったからだ。その上、恐らく成功したのだろう。実際に死体が衆目に晒されていないのだから。
眼鏡の生徒はその人道的ではない手段で〈霊安室〉を見つけたかはわからない。
だが、眼鏡の生徒の望みが叶ったことは間違いない
〈霊安室〉を探していた理由もある生徒を消すためなのだから。
この映像に出てくる男は危険だ。
《怪談》と称して『学園』内の生徒たちに話を聞かせて、犯罪を煽っている。
恐らく、この場にいる《風紀委員》たちは皆同じ意見に行きついたのだろう。
誰もが黙って互いを見合い、そして頷きあう。
彼女は独り椅子に座ったまま頷くと、男は〈影〉のようだと感想を抱いた。
すると、彼女の頭をかつてないほどの鋭い痛みが襲う。
『俺は生徒じゃない。そうだな。ここでは生徒たちは自分たちを〈薔薇〉と呼ぶ。それならば、俺は〈影〉だな』
映像の中の男と同じ声が頭の中で響いて消えた。
そして、夜の教室。倒れた「先輩」。溜まりに映る月。《怪談》。そして、〈影〉。
「ああ・・あ・・あああ・あああああああ、ああああああああああああああああああ——」
彼女は頭のなかが混乱し、叫び声を上げていた。
消えていた記憶が蘇り、現在の記憶と混ざり合う。
それはシロとクロの絵の具が混ぜ合うように絡み合い、そして反発した。
事実に矛盾が生じていた。
昨晩死んだはずの「先輩」と今生きている「先輩」。
彼女は「先輩」がモノへと変わる場面を見ていたし、「ニコ」が嘘を言う理由はない。
そして、彼女の混濁する意識の中で男の声が聞こえてくる。
『『学園』では生徒の間で六つの奇妙な噂が流れていた。
一つ目は(蘇る死者)二つ目は〈死体のない霊安室〉三つ目は〈もう一人の自分〉四つ目は〈読んではいけない禁書〉五つ目は〈開かずの校門〉六つ目は〈存在しない生徒会室〉。
・・・こうして七つ目の奇妙な噂〈消える生徒〉ができた。』
彼女が昨晩聞かされた〈消える生徒〉。
そして、今見た映像の中で語られた〈死体のない霊安室〉。
もしかすると、「先輩」は〈蘇る死者〉と関わりがあるのかもしれない。
彼女はせめぎあうシロとクロの濁流の中で、最後に一つの結論へと行き着いて、再び意識を失った。