幕間 『金色の薔薇と影』
むかしむかしの物語。
蒼い空と青い海だけが広がる場所に一つの小さな島があった。
そこには金髪の美しい女性が独りで住んでいた。島には森と浜辺しかなく、毎日、鳥や魚と遊び、楽しく過ごしていた。
女性が毎日楽しく遊んでいると、ある日、浜辺に男が流れ着いた。彼女は慌てて男を浜辺に引っ張り上げると自分の家で介抱した。雨の日も風の日も彼女は一生懸命に男の看護を続け、男が流れ着いてからひと月が経とうとした、そんなある日。男は目を覚ました。
男は自分がどこにいるのかわからなかった。だから、目の前の女性に対して話しかけた。
だが、目の前の彼女は黙っていた。再び話しかけるが彼女は黙ったままだった。男が困った顔をすると、彼女も同じく困った顔をした。彼女は言葉を知らなかったのだ。
男は女性が言葉を話せないと分かると、それから何日も何日も彼女に言葉を教え続けた。そして、彼女と会話ができるようになると、自分が浜辺に流れついていたことを知った。
男は運送業を生業とする商人の子供として生まれた。男は体が大きくなるにつれて、自分で船を動かして両親の手伝いをし始めた。そして、船の扱いに慣れてきた頃にそれは起きた。
男がいつものように船を操縦していると今までに経験したことの無いような大きな嵐が起きた。嵐により、海は荒れて波が船へと押し寄せる。男は必死になって船を扱うが、荒れる海の前では無力だった。荒波にされるがまま流されて、船は大破してしまった。男は船から押し出されると近くにあった船の残骸に掴まり、そして海を漂った。それが男の思い出せる最後の記憶だった。
男は命の恩人である女性に尋ねた。
「あなたは何かほしいものはありませんか?お金が欲しいなら家にあるすべてのお金を差し上げます。宝石が欲しいのならば世界で一番大きな宝石を差し上げます。美しい服が欲しいのならば世界中の美しい布を集めて、世界一美しい洋服を差し上げましょう」
男の問いに対して彼女は美しい声で答えた。
「それでは美しい薔薇をください。話してくれたような美しい金色の薔薇を」
男は彼女に言葉を教える際に、様々な話を聞かせた。
その中に黄金の好きな商人と意地悪な錬金術師の話があった。
その内容は次のようなものだった。
ある国の商業が発達した都市での話。都市の中お金持ちの商人がいた。
商人は黄金が大好きだったので、使用人に屋敷や机、椅子などすべてを黄金でつくらせた。
だが、できあがった屋敷の中で黄金の花瓶に活けてある薔薇だけが黄金ではなかった。商人は怒って、使用人たちをクビにしてしまう。その話を街中で聞いた錬金術師はその商人の屋敷を訪れて次のように言った。
「わたしは黄金の薔薇を作ることができます。ですが、大変お金がかかるのです。もしもわたしにお金を渡していただけたなら、ひと月後にご主人にご覧に入れてみせましょう」
商人はその話を聞き、二つ返事で承諾した。
だが、次の日から錬金術師は豪遊し始めた。酒や女や賭け事に商人から貰ったお金を湯水のように使った。そのことを聞いた商人は怒って、錬金術師のいる酒場に乗り込み、文句を言った。
錬金術師はそれを聞いて、次のように返した。
「わかっています。必ずご主人の望みどおりの薔薇を作って見せますから、ひと月経つまでお待ちください」
主人は疑いながらもひと月待つことにした。ひと月経つまで錬金術師は遊び惚け、真面目に黄金の薔薇を作る素振りを見せなかった。
そして、約束の日が来た。屋敷の前で待つ商人の前に錬金術師は現れて告げた。
「これが、ご主人の依頼なさった黄金の薔薇でございます」
そう言うと背中から黄金色の薔薇を取り出した。花弁は勿論のこと、茎や葉まで黄金色のその薔薇は美しく、太陽の光を浴びて輝いていた。
商人はそれを受け取ると大喜びし、黄金の花瓶に活けた。そして錬金術師に謝礼を渡した。
そして、錬金術師は黙って行き先も告げずに都市を出て行った。
錬金術師が去って次の日のこと。
商人お屋敷の前にひとりの男が訪ねてきた。男は商人に会うや否や謝礼を請求した。
商人は何のことか分からずに男に説明を求めた。
男は、自分は彫刻家で、黄金の薔薇の作者だと告げた。
黄金の薔薇は黄金のような薔薇ではなく、黄金でできた彫刻だった。
男は錬金術師を名乗る男から薔薇を作るように依頼されたと言った。
依頼内容は本物と見間違うような薔薇の彫刻であること、材料に黄金を使うこと、材料は錬金術師が準備すること、彫刻の謝礼は彫刻の送り主である商人に請求することだった。
商人は自分が黄金の薔薇を受け取っていたので、錬金術師に腹を立てながら、仕方なく彫刻家に謝礼を渡した。
商人は黄金の薔薇を見ると錬金術師に騙されたことを思い出すため、黄金の薔薇を売ることにした。商人が美術商を訪れて、黄金の薔薇を売ろうとすると、美術商は錬金術師に騙されて失った金額と同じだけ提示して買い取った。
結局、商人はお金を失うことはなく、彫刻家は名声を手に入れ、美術商は黄金の薔薇を手に入れることができた。
錬金術師は結果、何もないところから周囲を幸せにする金色の薔薇を作った、という話だ。
彼女はこの話を聞いて、黄金の薔薇を見てみたくなったのだ。
「分かりました。必ず金色の薔薇を持ってきましょう」
男は彼女に約束した。それに対して、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
次の日から男は森の木を使い、いかだを作り始めた。
そして、いかだが完成すると男は島を出て行ってしまった。
男が島からいなくなると、女性の話し相手もいなくなってしまった。
女性は以前と同じように鳥や魚と遊ぶようになった。彼女は寂しくなったときに鳥や魚に話しかけてみる。だが、鳥も魚も返事を返してくれはしない。そして、鳥も魚も言葉を話す彼女から次第に距離を取り始めた。彼女は一人ぼっちになってしまった。
彼女は何日も独りで過ごした。始めは頑張って独りで生活していたが、次第に俯き、最後にはしゃがみ込んでしまった。寂しかったのだ。彼女は地面に向かって、話しかけた。何日も何日も話しかけ続けた。すると、地面に動くモノがあることに気がついた。彼女の影だ。
彼女の影は彼女が俯き話しかける内容を静かに聞いていた。
彼女は男以外で話を聞かせる相手ができたことを喜んだ。何日も何日も多くのことを話しかけた。そして影はそれらを静かに聞いていた。
晴れの日は森の中を駆けながら話しかけ、雨の日は木の下でポツポツと水滴のように話した。
良いことがあったときは笑いながら報告し、悪いことがあったときには泣きながら嘆いた。
女性が一方的に話すだけだったが、彼女は不思議と寂しい気持ちになることはなかった。
そして長い年月を女性とその影は共にした。
彼女と影の生活が久しく続いていたある日のこと。
島の浜辺に大きな船が近づいてきた。男が戻ってきたのだ。男は船の上から島にいる女性を見つけると大きく手を振って、大きな声で叫んだ。
「おーい。おーい。戻ってきたぞ」
女性は男の声を聞くと、急いで浜辺へと向かった。途中で何度か転んだが、気にすることなく走った。浜辺から大きな船の上に男が見えると、彼女は大きな声で返事を返す。
「おーい。おーい」
男はその声を聞いて、何度も頷くと島に船を寄せ、上陸した。
上陸した男は年を取っていた。若々しかった肌には皺が寄り、腰は曲がっていた。その姿は長い間苦労して過ごしたことがうかがえた。男は薔薇を探す間に老人となっていたのだ。
それに対して、女性は年を取っていなかった。彼女は男と別れたときのまま美しかった。
男は始め、彼女が年を取っていないことに驚いたが、特に話題に上げることなく話しかけた。
「約束の薔薇を持ってきました。これを一緒に育てましょう」
男はそう言うと、船の中から一本の金色の薔薇の苗を持ってきて彼女に見せた。男が見せた薔薇は彫刻ではなく生花だった。
彼女は嬉しそうに笑うとそれを受け取った。
男は金色の薔薇以外にも多くの薔薇の苗を船に載せており、それらを育てる園を作り始めた。
作り始めの頃は男も元気に作業していたが、次第に体力が無くなり、代わりに女性が働くようになった。そして、薔薇園が完成を見ることなく男は永い眠りについてしまった。
それでも彼女は悲しみを堪えて、薔薇園のために働いた。
そして、ついに薔薇園が完成した。薔薇園には赤、白、黄色と色とりどりの薔薇が咲き乱れたが、なかでも一際目がいくのはやはり、金色の薔薇だった。
金色の薔薇の木には九十九もの蕾がつき、あと少しで咲き乱れようとしていた。
彼女はそのひとつひとつに元気に育つように話しかけた。男との思い出や男が話してくれた世界中の話を。すると、薔薇たちは美しく育ち、まるで物語に出てくる黄金の薔薇の彫刻のように光り輝く花弁を開き、その美しい姿は世界中へと広まるほどだった。
世界中から金色の薔薇を見るために多くの人が女性の元を訪れた。彼女はそれを喜んで迎え入れる。彼女は再び会話の相手ができたことを喜んだ。
だから、その切っ掛けを作った金色の薔薇にさらに多く話しかけた。
その一方で、薔薇たちを妬むモノがいた。彼女の影だ。
影が話しかけられる回数は男が上陸したときから徐々に減り、薔薇園ができて以前の半分以下になった。そして、金色の薔薇が美しく育つにつれて、彼女は影の存在を忘れてしまった。
以前は毎日のように女性に話しかけられていた影はいまでは忘れ去られ、話しかけられることはなくなっていた。
影は彼女に話しかけられないことを悲しんだ。言葉を話せない影は静かに悲しんだ。そして、自分も金色の薔薇になることができれば、彼女に話しかけてもらえると考えた。
次の日、いつものように彼女が金色の薔薇に話しかけている間に、影は金色の薔薇を一つ手折り、その姿を模倣して成りすました。
その日、彼女は影だと気がつかずに話しかけた。次の日も、その次の日も。
影は話しかけられたことを喜んだ。
だが、徐々に影が成り変わった周囲の薔薇たちの育ちが悪くなり、なかには病気にかかる薔薇まであらわれ始めた。
薔薇にとって影は毒だったのだ。
始めは気がつかなかった女性も、育ちが悪い場所が顕著になるにつれて不思議に思い、金色の薔薇の木をよく観察するようになった。
すると、弱弱しい金色の花弁が咲く中に漆黒の花弁の薔薇が一輪、美しく咲いていた。
彼女は気味悪く思い、その一輪の薔薇を園の外に捨てる。
その漆黒の薔薇こそが影が模倣した薔薇だった。結局、影は金色の薔薇になることはできなかったのだ。
影はそれでもあきらめずに何度も、何度も薔薇に成り代わることを試みた。
だが、その度に彼女に見つけられて捨てられた。
だから、影は考えた。薔薇が彼女を奪うのならば、薔薇がいなくなればいいと。
その日の夜に影は幾つかの薔薇を手折った。
翌朝、手折られた薔薇を見た彼女は悲しんで涙を流す。
だが、その日の昼には悲しみは晴れ、いつものように薔薇に話しかけ始めた。
その代わりに、影の大きさが大きくなっていた。
晩になると、再び影は複数の薔薇を散らした。
そして、彼女は朝のうちは散った薔薇を嘆き悲しむが、昼になると元通りに話しかける。
そして、彼女の影は大きくなった。
実は、彼女には男と会った当初は影がなかった。だが、彼女の心に陰ができると彼女の足元にも影ができた。影は彼女の負の感情の塊だったのだ。
影は話を聞きたいという彼女の心の表れだったため、彼女が影に話しかける度に話したいという欲求も話を聞きたいという欲求も満たすことができていた。
だが、彼女が金色の薔薇に話しかけることで彼女の心のバランスが崩れた。
彼女はそうとも知らずに、薔薇へと話しかける。
次第に影は大きくなり、そして最後は薔薇園を覆うほどの大きさになった。
太陽の光が当たらない薔薇たちは次第に枯れ、最後には彼女だけが残された。
彼女は涙を流し悲しんだ。いつまでも、いつまでも。
そして、遂に島は彼女の涙で沈み、誰の声も聞こえなくなった。
おしまい。