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第一幕 第二場 遭遇

「ねぇ、もう転校生の話、広まっているみたいよ」

「ニコ」が話しかけてきたのは、午前中の講義が終わり、昼食の時間に入ってからだった。

 彼女が教室で調理部が配布する豆腐ハンバーグ弁当を食べていると、どこからか突然に現れて、隣に座りパンをビニール袋から取り出しながら言ったのだ。

「えっ、もう。今朝のことでしょ」

「当然でしょ。『先輩』と一緒に『学園』内を回っていたんだから。学校中の女子が注目するわよ」

「学校中は言い過ぎだと思うけど…」

「学校中よ。それと、新入生排斥運動の主だった上級生が騒いたいかららしいわ。なにか新しい動きがあるかもしれないわね」

 新入生排斥運動とは「新入生を『学園』の生徒と認めない」と主張する上級生が起こす活動のことだ。最近は《風紀委員》が取り締まりを強化していて、過激なことはしていないけれど、入学当初は暴行事件が起きるほど激しかった。

 彼女にしてみれば、ただケチをつけて暴れたい上級生が勝手に騒いでいる程度の認識で、「新入生排斥運動」と名前を付けるほどの大それた活動ではないと思っている。

「別に、動きなんてないでしょ。転校生が来て、新入生の数は三十三人。『学園』の生徒は『金色の薔薇』と同じ九十九人になるのだから。新入生は暴力を振るわれない。上級生は満足する。皆幸せで終わりでしょ」

 彼女が興味ない態度で小さく両手を上げて万歳する。

それを見て苦笑いを浮かべたまま「ニコ」は話しかける。

「『猫』ちゃんはホントにこの件に興味ないよね。普通は『やった』とか『うれしい』とか言って喜ぶわよ。まぁ、それも空騒ぎになるでしょうけど。」

 「ニコ」は口元をあげたまま笑いかけた。だが、その相手は彼女ではなく近くで同じような会話をしている生徒たちに向けられていた。

「ちょっと。どういう意味よ。転校生が来て、万事解決じゃないわけ。」

「それが違うのよ。排斥運動の一人が『転入生は影だ』とか騒いでたって話よ。」

 その話を聞いて、彼女は今朝の「影」との会話を思い出した。もしかすると、「影」が自ら自己紹介で名乗ったのだろうか。彼女は嫌な予感がして自分では気づかずに眉を寄せる。

 その姿を見た「ニコ」が何かあるのかと質問をした。

「ねぇ。何か心当たりでもあるの?できれば教えてほしいんだけど。」

「いやよ。あなた口軽いもの。噂好きで有名だって知らないの?」

「わたしは何でもしゃべらないわよ。言っていいことと悪いとこは区別しているつもり。」

「嘘ばかり。この間、上級生が泣いていたらしいじゃない。なんでも裸族であることを彼女に隠していたら、ルームメイトがあなたにしゃべって、『秘密にしろよ』と言われていたにも拘らず、次の日の朝には『学園』中の生徒が知っていて、その人彼女に振られたって。」

「あれは、情報源の上級生が暗に『広めろよ』って顔して教えてくれたからよ。わたしは心の内まで読みとって行動したまでよ。わたしは無実よ。」

「よく言うわ。そういうのを口が軽いっていうのよ。まぁ、無意識でないだけまだマシだけど。」

「それで、どういったことがあったのよ」

「嫌よ。教えないわ。私が火種になるなんてまっぴらよ。そんなに知りたければ、自分で調べることね」

「『火種になる』ようなことなんだ。それは益々知りたくなったわ。」

 「ニコ」のの発言を受けて彼女は渋い顔になった。自分が余計なことを言わなければ、「ニコ」は今のように興味を掻き立てられなかったのではないか、と考えてすぐに否定した。彼女がどのような反応をしてもいずれ「ニコ」は知っていただろうと思い直し、自分の罪悪感を消した。

「あら、丁度いいところにいるわ。本人に確認してみようかしら。」

 「ニコ」は廊下に「影」の存在を見つけると、止める暇も与えずに本人の元へと向かった。

 「影」は所在なさげに廊下を歩いていた。

 恐らく「先輩」との『学園』内の見学が終わり、暇を持て余しているのだろう。

 彼女はゆっくりと「ニコ」の後を追った。

 彼女が追いついた時には「ニコ」の自己紹介は終わっていた。今まさに「影」が自己紹介を始めようとするところだった。

「僕は今日から『学園』に来た『影』です。よろしく」

 「影」は今朝受けた彼女からの忠告を無視して自分のことを「影」と紹介していた。

 その言葉を受けて、廊下の時間が数瞬止まる。

 次に皆が動き始めると、周囲から奇声が聞こえ始めた。

 彼女は頭を痛そうに押さえながら「影」の手を引くとその場を離れた。

 手を引かれてついてくる「影」は何が起きたのかわからないという表情で、ふたりの後を追う「ニコ」は心底楽しそうに笑いながら歩いている。


 三人は校舎に囲まれた中庭に来ていた。

 中庭に着くと、彼女は「影」に向かって叫んだ。

「あなたね。わたしが今朝言わなかったかしら。『上級生側に付け込まれるような発言は控えてください』って。せっかくあなたが来たおかげで『学園』内の争いが鎮火できる目処が立ったというのに、鎮火する前にあなたが油を注いでどうするつもりですか。この学校の平穏を壊しに来たのですか。もしそうならば、あなたは正しく『影』でしょうね。」

「い、いえ、そんなつもりはありません、でした。ただ、あなたとの自己紹介のときに『影』と名乗ると、食い付きが良かったので。もしかすると他の人にも同じように言えば、同じ様に反応してもらえるかもしれないと思って…。」

 「影」の言葉を聞き、はぁとため息を漏らす。

 「影」は「影」なりに『学園』に溶け込もうと努力したみたいだった。そのことを否定するつもりはないが、もう少し方法を考えてほしかった。自分にも最初に「影」という言葉にリアクションをした責任はある。そう考えて彼女は「影」に提案した。

「それならば、わたしたちがあなたの傍にいますから独りではありません。同じ班の仲間としてこれから一緒に頑張りましょう。それと、もう『影』という呼称を自分に使わないでください。わたしたちで呼称を考えますから」

「ありがとうございます。そんなに『影』という言葉は恐ろしいのですか?」

「あなたは『金色の薔薇と影』を呼んでいないのですか?」

「実は・・・まだです。」

「それならば、どうして『影』なんて呼称を自分に付けたのですか?」

「『学園』に来る途中に船の乗組員が教えてくれたのです。自分が転校生であるというと、その方が『まるで物語中の影のようだな』と。それで、あなたと会った時に使ってみたのですが…」

 彼女は言葉もなかった。唯一彼女の心の中で「影」を評価していた部分が崩れ落ちていった。そして、目の前の男子学生が何も考えずに『学園』を引っ掻き回していることに腹が立った。

「なら、どうしてわたしの言葉を受け入れなかったの。そしたら、こんなにも『学園』に波紋が起つことはなかったのに。一体どう責任とるつもりよ。」

 彼女は胸の中の苛立ちを耐えられなくなり、気がつくと怒鳴っていた。

 彼女の変貌に驚いたのか、「影」は眼を見開いて口を開けて立っていた。

「いきなり大声あげて悪かったわよ。でも、あなたが悪いのよ。自分がどういう行動をとっているか自覚がなさすぎるのだもの。わたしが怒鳴りたくなって当然よ」

 彼女は「影」が正気を失っている様を見て、冷静さを取り戻した。そして、一度地を見せたために今更、猫かぶることが馬鹿らしくなり、そのまま会話を続けることにした。

 彼女の声量が小さくなっていることに気がつき、「影」も正気を取り戻した。そして、今、目の前にいる彼女が本当の彼女であることを悟り、嬉しそうに返事を返した。

「今の姿が本当の『黒猫』さんなのですね。どうもすみませんでした。無理して気を使ってもらっていただいていたなんて、知らなくて」

「別に無理して使っていたわけじゃないわよ。普通に猫かぶっていたって言ったら?気を使われているみたいでイライラするのよ」

「わかりました。では猫かぶって『先輩』に媚び売っていたなんて、がっかりです」

「あなたね。そこまで言っていいとは誰も言ってないのだけれど。それに『先輩』に媚びなんて売ってないわ。地を出す相手がいままで『ニコ』くらいしかいなかっただけよ」

 彼女が反論すると後ろの方から笑い声が聞こえた。

「それでは二人の仲間入りをさせてもらえたわけですね。光栄です」

「別にいいわよ。どのみち同じ班であるわけだし、いつかはバレたことよ。それはいいのだけれど、あなた、これからどうするつもりなの」

「僕は『影』という呼称を変えようと思います。先ほど怒られたように、自分のことしか見えていませんでした。これからはもっと周囲に気を使っていこうと思っています。」

「そうね。それがいい——」

「悪いけれど、それは無理よ」

 彼女が彼の言葉を肯定しようとした時、「ニコ」が口を挿んだ。

「どういう意味よ、『ニコ』」

「言葉通りの意味よ、『猫』ちゃん」

「それは、どういう意味ですか」

 「影」が疑問を投げかけようとすると、校舎の中から拡声器の声が聞こえてきた。

『我々、上級生は転校生の入学を認めない。彼は自らを影と名乗り、我々、薔薇たちに対して宣戦布告した。よって、新入生は三十二人である。我々は新入生が『学園』の生徒であると認めない』

 その声の内容を聞き、彼女は開いた口が塞がらない。その内容の根拠が稚拙な論理に基づいており、聞いていて馬鹿らしくなったのだ。

「あなたは今、ここにいるべきではないわ。これから寮の部屋へ戻りましょう」

 「ニコ」は冷静な判断を下して、「影」へと呼びかけた。

 拡声器の声が響く中庭を後にして、三人はこそこそと追われるように自分たちの部屋へと向かった。


 部屋に戻ると、三人が三人ともため息をついてソファに寄り掛かった。

 拡声器の声で高まった転入生の排斥運動は上級生だけではなく、新入生も巻き込んだ。転校生の余計な一言で解決するはずだった新入生排斥運動の和解の目処が立たなくなったために、上級生の矛先を転校生に向けることで自分達が攻撃されないように転校生の捕縛に協力し始めたためだ。今では『学園』内の生徒のほとんどが敵対者になってしまっており、彼女たちは気づかれずに寮へ辿り着くだけで一苦労だったのだ。そのうえ、寮内では上級生が見回りをしており、なかなか自分たちの部屋に近づくことができなかった。

 つい先ほど、彼女たちの部屋の近くを回っていた上級生がトイレへ行ったのだ。彼女たちはその隙に部屋へと転がり込んだ。

「どうもすみません。僕のせいで巻き込んでしまって」

「『まったくよ』」

 彼女と「ニコ」は声を揃えて、同意した。

「でも、丁度良かったわ。最近、『学園』内も物騒だから。今日はこのまま部屋に籠っていましょう」

 「ニコ」が生徒として不真面目な提案をした。

「物騒って…。それは新入生排斥運動のせいじゃないの。暴力事件のことでしょ」

「違うわよ。耳にしてないの?集団失踪事件について」

「集団失踪事件?そんなのが『学園』内で起きているの?」

「あら、珍しい。地獄耳の『猫』ちゃんに知らないことがあるなんて」

「別に、地獄耳じゃないわよ。それで、どんな内容なの?」

「教えてあげようかな? どうしようかな? やめておこうかしら」

「なんで意地悪するのよ。いいから教えなさい」

「でも、昼休みの時にわたしに情報提供してくれなかったじゃない? だから、わたしも教えてあげない」

「何よそれ。別にわたしは意地悪して教えなかったわけじゃないでしょう? 今の状態を見てみなさいよ、今みたいな状態になるのを回避しようとして教えなかったわけで…」

「でも、『猫』ちゃんが教えなかったから、今みたいな状態になったのよ。あの時教えてくれたら、少なくとも今日中は授業を受けることはできたわね」

「うっ。そんな意地悪言わないで、ねぇ、教えてください『ニコ』さま」

「うーん。今晩、私が好きな豚の角煮を作ってくれるならいいわよ」

「えっ。うーん。豚の角煮は時間かかるから面倒臭いのよね」

「あら、そんなこと言っていいの?教えないわよ」

「わかったわ。つくってあげる。つくりますから教えてください」

「よろしい。集団失踪事件はね、昨日起きたのよ。なんでも班の人間が丸ごと『学園』内から失踪しているの。聞いた話だと数日前から様子がおかしくなったみたいよ。失踪する前日に彼女と会っていた人がいたみたいだけれど、彼女が言うには『うそだ。そんなわけがない』って連呼していたみたい。原因も手段もはっきりしていないし、今、新入生排斥運動が起きているじゃない? 火種になりかねないから、《風紀委員》が情報規制しているって話よ」

 彼女は内心、情報規制されている情報をどのようにして手に入れているのか気になったが、尋ねてもいつもの調子で『乙女の秘密よ』と言われて誤魔化されるに違いないと確信し、自分の頭の中から疑問を消した。

そして、先ほどから会話に参加してこない「影」に向かって、話しかける。

「あなた、さっきから会話に参加しないけれど、どうしたの?」

「いや、僕は今日、学校に来たばかりだから、二人の会話を聞いて少しでも『学園』について教えてもらおうと思って」

「それなら、いろいろと質問したらいいじゃない。何かわからないこととかある?」

 彼女が、教会で年下の子供に接する様に「影」へと尋ねた。

「それなら、この『学園』を主導する立場の人は誰なんですか?今日、いろいろな場所を巡りましたが、お会いすることがありませんでしたから、気になって」

「それは・・・」

 彼女は「影」の質問に言葉を濁し、若干俯く。

その様子を見て、「影」が自分の質問が彼女の気分を害するような類のものであったのかと慌て始めると、違う方向から答えが返ってきた。

「《生徒会》よ」

「『ニコ』」

 彼女は慌てたように、「ニコ」に対して大声を上げた。その表情はかなり焦っており、普段の彼女らしからぬ面持ちだった。

 「ニコ」は彼女の言葉を受けて平然と答える。

「別にいいじゃない。『影』くんも『学園』の生徒なわけだし、どうせいつかは知ることになるわよ。

 この『学園』ではね、運営に関わる役職が入学以前から決められているの。と言っても、《風紀委員》と《生徒会》ぐらいだけれどね。彼らは普段は生徒の顔をして学校生活を送っているから、誰がどの役職か、本人以外は誰にも知られていないわ。いや、知られてはいけないのよ。

 彼らの仕事の中には生徒達から恨みを買うような仕事があるの。学校の運営方針を決めたり、学校生活を取り締まったりするから当然なのだけれど。だから、自分たちの身を守るために誰が役職についているかは秘匿されているの。

 噂によると数年前までは役職を明らかにしていたみたいだけれど、ある日問題が起きたのよ。当時《風紀委員》に所属していた生徒たちが連日暴行を受ける事件が起きたの。犯人の動機はその数日前に《風紀委員》に検挙されて、実刑を食らったからだったのよ。確か、《風紀委員》の目の届かない場所で生徒数人を殴ったとかで。だから《風紀委員》を逆恨みして次々に襲ったと捕まったときに自供したらしいわ。

 一応、言っておくけれど、実刑を食らうということは、将来の世界を主導する人材を育むという目的をもった『学園』ではあってはならないことなのよ。だから、実刑を下された生徒は卒業までは『学園』に居られるけれど、卒業後には『学園』出身ではなくなるの。だから、『学園』内で実刑を与えられることは、その人にとって将来の社会的死そのものなのよ。別に、その犯人に同情するつもりはないけれどね。

 それから重要な役職はすべて秘匿され始めたと言われているわ。

 話が逸れたわね。『影』くんが聞きたいのは、《生徒会》についての話よね。さっきの話から分かる通り、《生徒会》のメンバーは誰にも知られていないわ。だけれども、活動は皆に知られている。さっき『猫』ちゃんが遮ろうとしたのはコレに関係するのよ。

 《生徒会》の活動が今年はチグハグしていることで有名なの。例えば、最初は新入生排斥運動に対して活動を認めるような宣告をしていたのに、突然に新入生補充の嘆願書を理事に送るとかね。始めから嘆願書を理事に送ってくれていれば、今ほど新入生と上級生の溝が深まることはなかったはずだわ。行動に一貫性がないのよ。普通に生活する上では《生徒会》に関わることはないから、別に問題はないのだけれど。

一部の生徒の間ではこう結論づけられているわ。《生徒会》のメンバーは入れ替わっているのではないか、と。実は秘密裏に《生徒会》の役員を監禁ないし、殺害した誰かが成りすましているのならば、今年の《生徒会》の不揃い活動も頷ける。

このことが更に上級生と新入生の溝を広めているのだけれどね。だって、ある日を境に新入生排斥運動を是認していた《生徒会》が突然に新入生を擁護するような動きをしたのだもの。当然、新入生が疑われるわよね。

さきほど『猫』ちゃんはあなたにこの件に関わって欲しくなかったし、知られたくもなかったのよ。『学園』に来たばかりのあなたが、現在『学園』の上層部が怪しいと知ったら余計不安になるでしょう?だから、『猫』ちゃんは悪気があって教えるのを躊躇ったわけではないのよ。許してあげてね」

彼女の方を温かい目で見ながら、「ニコ」はいつもの笑顔でさらりと「影」に教えた。

「ニコ」の言葉を聞いて、決まりが悪くなった彼女は温かい視線を無視して、だが顔を赤くしたまま目の前の自分のパソコンを起動させる。

「あ、あの、ありがとう。『黒猫』さん」

 「ニコ」の言葉を受けて、「影」が恥ずかしそうに彼女へお礼の言葉を言う。

「別に、いいわよ。お礼なんて。それから、今度からわたしのことは『猫』でいいわ」

 パスワードを打ち込みながら、彼女は「影」の顔を見ずに素っ気なく返事を返した。

「あらあら、よかったわね『影』くん。『猫』ちゃんからお友達認定されたわよ。親しい相手にしか『猫』と呼ばせないの『猫』ちゃんは」

 「ニコ」が笑顔で彼女の言葉を補足説明する。

その言葉を聞いたのか彼女の顔が更に赤くなっていることに気がつき、「影」は再び、彼女へと礼を言った。

「ありがとう。『猫』さん」

 「影」の言葉に返事を返さずに、少しだけ首を縦に振ると彼女は目の前の画面に集中した。

 彼女は今朝と同じようにメールボックスを開く。そこには『新着メール二件』と表示された画面が映る。彼女は慌てて、件名を見た。

 一件目は「先輩」からのメールだった。

 内容は、今夜、八時頃に一年の教室に来てほしいというものだった。

 彼女は「先輩」からの呼び出しを嬉しく思いながらも、自分が捜しているメールではなかったので、すぐに閉じた。

 二件目のメールこそが彼女の求めるメールだった。


『 件名:調査指令

  

  《風紀委員》全員に通達する。

  本日より「集団失踪事件」に対する情報を収集せよ。

  「集団失踪事件」の内容は次の通りである。

  昨夜、○月×日の午後八時ごろ、二年生生徒三名が行方不明となった。

  行方不明となった生徒は以下の通りである。

  学籍番号A‐006、A‐012、A‐030

  

  現在、要因や手段は判明していない。心して調査するように。諸君の無事を祈る。


                                     《委員長》』

彼女は《風紀委員》の一員だった。

このことは「ニコ」にも知られていない。知られるわけにはいかなかった。

彼女は友達に隠し事をしていることを心苦しく思いながら、《風紀委員》として活動してきた。

《入学式》前に《風紀委員》に任命するというメールが来たときには驚いた。だが、それと同時に自分も『学園』のために仕事ができることを嬉しく思い喜んだ。

だが、実際に『学園』に入り、「ニコ」という友達ができた今では多少、後ろめたい気持ちになる。自分が《風紀委員》ではなければ良かったのに、と思いながら眠る夜もあった。

その度に、彼女は『しょうがないわよ。だって自分ではどうすることもできないんだから』と言って笑いかけてくれる「ニコ」を想像して、弱気になる自分の心を奮い立たせている。

彼女は内心、ごめんねと呟きながら《風紀委員》として活動を開始した。

「『ニコ』、『影』、悪いけれど用事があるから、外に出るわね。『ニコ』がいるから大丈夫だと思うけれど、『影』絶対に部屋から出ちゃダメよ。わかった」

「はーい、『猫』お姉ちゃん」

「わかりました。気をつけます」

 「ニコ」がおどけて彼女を茶化す。「影」は真面目な顔で深刻そうに答えを返した。

 二人の態度の違いに苦笑しながら、彼女は部屋の扉を開けて、校舎へと向かった。


 時刻は午後七時半。日は既に沈み、群青の空が『学園』を覆っている。

 彼女は女子トイレの個室の中にいた。

 《風紀委員》として活動するために専用の制服が存在する。黒のライダースーツにヘルメットだ。この服装が『学園』内における《風紀委員》の身分証明書であり、彼ら自身の素性を守る盾だった。

 だが、この服装を持っていると自分が《風紀委員》であることがバレてしまう。そのため、各員それぞれに《風紀委員》の制服の隠し場所が存在する。それらは代々受け継がれており、新入生には卒業した生徒の隠し場所が与えられるのだ。

 彼女の場合は女子トイレの個室の壁だった。ここならばトイレから入るときに気をつければ、自分の素性がバレる心配はない。《風紀委員》の制服から学生服に着替える時も同様である。

 彼女はライダースーツとヘルメットを脱ぐと、制服に着替えて個室のドアを開けた。

 この時間に校舎内に学生はいない。

 ほとんどの学生が課外活動を終えて、寮の自室に帰る。この時間まで残っている人間は、何か後ろ暗いことをしているか、約束をして相手を待つ生徒のどちらかだった。

 教室にいたのは後者の方だった。「先輩」だ。

 約束の時間までまだ三十分もあるのに、教室の窓に身体を預けるようして立っている。たまに自分の腕時計を見ながら、頭をかいたり鼻をかいたりして落ち着きがなかった。

 彼女が「先輩」のそんな様子を教室の入り口の傍で黙って見ていると、「先輩」が気がつき、もう一度頭をかくと彼女に声をかけた。

「よう。早かったな。約束の時間までまだ三十分もあるぞ」

 自分のことは棚に上げて、彼女が早く到着したことを示した。照れ隠しなのかもしれない。

 彼女はそんな「先輩」の姿にクスリと笑うと返事を返した。

「『先輩』の方こそ早くありませんか?わたしが〈教室〉に着いたときには、既にいらっしゃったみたいですけど・・・」

 彼女が指摘すると、「先輩」はバツが悪そうにもう一度鼻をかいて答えた。

「まぁ、俺から呼び出したのに、今朝みたいに遅れたら恰好がつかんだろう」

「そうですか?それにしては早すぎる気がしますけど」

「別にいいじゃないか。早く着くことは悪いことでもないし」

「それで御用はなんでしょうか?」

 彼女は普段通りの顔で答えた。だが、内心では期待している自分がいることに気がついている。彼女は「先輩」から告白されることを期待していた。誰もいない教室に二人きり。夜の空に輝く月が教室の窓から覗き、それを背景に立つ男女。割とムードのある雰囲気だと彼女は思っていた。だから、黙って口をもごもごと動かす「先輩」が意を決したように口を大きく開けたときには心臓が口から飛び出るような心境だった。

「俺は、お前に伝えたいことがあるんだ。俺はおま、え、・・・」

 彼女は期待した言葉を聞くことができなかった、永遠に。

 窓を背にして立っていた先輩が血を吐いて、倒れたのだ。

 背後の窓ガラスには蜘蛛の巣ができており、その中央には穴がある。

 彼女は理解できなかった。一体、「先輩」の身に何が起きたのか。

 彼女の時間は現実から切り離された。彼女を残して時間は進む。

 彼女にはサイレントムービーを見ているようだった。

 「主人公」が手をこちらに伸ばす。口を何度も動かして「赤」を吐く。

 何かを訴えるように見つめて、ラストには「主人公」は死んだ。

 彼女の時間が進み始めたときには、「先輩」は過去のモノとなっていた。

 彼女はただ茫然とソレを見つめる。

 ソレの周りに溜まりができる。溜まりには夜の空の月が映る。映った月は夢現——。

 彼女は目の前で『殺し』があったことを受け入れることができなかったのだ。

 彼女たちが生きる時代には「戦争」という言葉は存在しなかった。人類は互いに殺し合うことなく、理知的に話し合うことができる唯一の生物だと子供たちは教えられた。

同様に「殺人」や「死刑」といった言葉も消えていった。人々が『殺し』にふれる機会がなくなったためだった。ふれることがなくなれば、免疫もなくなる。免疫がなくなれば、『殺し』を生理的に嫌悪する。よって世間の間で「殺人」や「死刑」を撲滅する運動が広まった。

子供たちの間では『殺し』は剣や魔法のようなファンタジーの世界の言葉となっているほど、現実的に馴染みがないものだった。

 そのような時代を生きてきた彼女の目の前で『殺し』があった。今の状況は「物語」だ。これから剣や魔法、怪物やお姫様が現れても不思議ではない「物語」。

 そんな彼女を置いて事態は進む。

 突然に窓ガラスが割れて、男が侵入してきた。

 男はまず「先輩」の身体を蹴ると傷口にナイフを刺すとナニカを取り出した。

 そして、彼女の方を向くと静かに尋ねた。

「お前は『学園』の《怪談》を知っているか?」

 彼女は恐慌状態に陥っており、返事を返すことができない。体が震えて身動きを取ることすらままならないのだ。

 彼女のそんな姿を見て、男はため息を吐くと一歩一歩と彼女に近づいていく。

「あ・・・あ」

 彼女は悲鳴を上げようと声を出そうとするが、口はパクパクと開き喉から吃音が漏れるだけだった。

 彼女の抵抗しようとする素振りを意にも介さずに一歩一歩近づく。

 彼女との距離が近づくにつれて、彼女は自分の運命を悟った。力いっぱいに瞼を閉じて運命の瞬間を待つ。だが、命運は尽きなかった。

 男はもう一度静かに尋ねた。

「もう一度聞く。お前は『学園』の《怪談》を知っているか?」

 男の声は意外にも優しかった。彼女はどうにかして首を横に振り、「否」の返事を返す。

 男は心底残念そうな顔をして、俯いた。その姿はつい先ほど『殺し』をした人間のものではなかった。そのことが、男の優しい声で恐怖がひいていた彼女の心を硬くする。彼女の眼に警戒の色を見てとると、男は寂しそうな瞳で彼女を見据え、静かに言った。

「お前に《怪談》を一つ教えてやろう。最近、生徒が何人か消えただろう? それに関係する《話》だ。知りたくないか?」

「どうして・・・どうしてあなたは生徒が消えたことを知っているの? 生徒の間ではまだ広まっていないはずよ?」

 彼女は警戒心を顕にして男に尋ねた。

彼女は未だに状況についてゆくことができていなかった。だが、「現実」に関係する言葉を耳にした。『生徒が消えたこと』という言葉が彼女を現実へと引き戻した。

彼女は冷静になろうと必死に努めた。そして、自分の推測を口にした。

「あなたが、消したのでは、ないの?」

 彼女は『殺し』という言葉を「現実」で口にすることはできなかった。

「俺が?あいつらを?冗談だろ」

 男は信じられないものを見たような顔で彼女の推測を否定する。

 だが、彼女は男の言葉に気になる言葉を見つけて、さらに追い打ちをかけるように尋ねた。

「『あいつら』、と言ったわね。消えた彼らを顔見知りのようね」

「まぁな。俺はあいつらに会ったことがある。だが、それとあいつらが消えたこととは関係がない——とも言えないか」

 男は自ら否定の言葉を打ち消した。

 彼女は男の言葉を聞き漏らすまいと耳を澄ませる。

 彼女は寮の部屋を出てから、生徒たちの間で聞き込み調査をしていた。だが、消えた生徒たちに関する有益な情報を得ることはできなかった。

 しかし、今、目の前の男が失踪事件との関係を匂わせたのだ。彼女は《風紀委員》としてこの場を退くわけにはいかなかった。彼女は男に切り込んだ

「それはどういう意味かしら? 自分の犯行だと認めるの?」

「いや、別に俺が消したわけではない——直接的にはな」

「もう少しわかりやすく答えてくれる? あなたの言葉は理解できないわ」

「おいおい、俺はきちんと公用語を話しているぞ。それを理解できないのなら、お前の勉強不足だ。そうだろ?」

 男は勿体つけた態度で彼女の言葉を弄ぶ。

 男の煮え切らない態度に業を煮やして、口調を強めて彼女は言う。

「はっきりと言いなさいよ。あなたが消したの? それとも消していないの? どっちなのよ」

 彼女の怒った顔を見て、口元を歪めて答えた。

「俺はあいつらに『種』を与えた。災いを呼ぶ火種にもなるし、育てれば実を結ぶ種を。だから、俺があいつらを消してはいないが、間接的に消したことにはなる。わかるか?」

 物わかりの悪い子供を諭すように男は優しく確認した。

「つまり、あなたは生徒たちが消えた原因を作ったということね」

「その通り。俺にその気があったわけではないが、結果として彼らは消えた。親切がお節介で留まらずに、災いを呼んだわけだ」

 やれやれ、自分は被害者なんだと言いたげに両手を広げる。

 彼女はそれを見て、お前が元凶だろうが、と男を睨みつけた。

「それで? 彼らに何をしたのよ」

「ただ《話》を聞かせただけだよ。先ほども言った『学園』の《怪談》をね」

「それなら、わたしにも話してくれる? 彼らに話した《話》とやらを」

「それはできない。もう既に話した《話》はできないんだ。こちらの事情でね。代わりに、消えた彼らに関する《話》を聞かせてあげよう」

「?・・・いいわ。消えた生徒に関係する《話》を聞かせて頂戴」

「ありがとう。物わかりが良くて助かるよ」

「それじゃあどうぞ」


「それは今よりも昔の『学園』の生徒たちの話。

『学園』では生徒の間で六つの奇妙な噂が流れていた。

一つ目は(蘇る死者)二つ目は〈死体のない霊安室〉三つ目は〈もう一人の自分〉四つ目は〈読んではいけない禁書〉五つ目は〈開かずの校門〉六つ目は〈存在しない生徒会室〉。

それらの噂は先輩が後輩へと話してきたため、何代も何代も消えることなく生徒たちの間で受け継がれていた。

 生徒たちのなかには噂の火元を探ろうとする者もいたが、代々受け継がれてきたために火元まで辿り着くことはできなかった。

 そんな中で、一人の生徒が「噂の元となった事件の被害者を探ればいいのではないか」と。

 彼は〈図書館〉に籠り、『学園』で起きた事件の記録を探り始めた。

 だが、起きた事件の中には噂に関係するものが一つもなかった。

 それではと、今度は事故についての記録を探った。それでも、噂に関係する記録を見つけることはできなかった。

 彼は不思議に思った。噂として流れるからには何かしらの原因があったはずだと考えていた。だが、原因となる事件や事故は存在しない。つまり、彼の推測が間違っていたのだ。

 彼は間違いを認めたくはなく、さらに別の視点から探ることにした。

 彼は入学者と卒業者の数を比較することで、『学園』内からいなくなった生徒の数を割り出し、不自然に消えた生徒を見つけようと考えた。その当時から実刑を受けて名前を剥奪された卒業生は何人もおり、彼は過去の事件と照らし合わせることで削除された卒業生の記録を補完した。

 彼は何日も何日も図書館に通い、記録の調査をした。

 そして、ついに不自然に消えた生徒達がいることを見つけた。

 だが、彼を次の日から見かけた者はいなかった。

 周囲の生徒たちは、彼は図書館で記録を整理していると考えており、彼を見かけなくなったことを気にかけなかったのだ。

 結局、彼が『学園』からいなくなったことに周囲が気がついたのは卒業式の日だった。

 同期の生徒たちは彼がいなくなったことを知り、こう考えた。

 『噂を調べた者は消える』と。

 こうして七つ目の奇妙な噂〈消える生徒〉ができた。おしまい。」


「・・・つまり、生徒が消えたのはあなたが話した《話》を調べたからだと言うの?」

「その通りだ。理解が早くて助かるよ」

「では、結局のところ、原因はわからないということじゃないの」

「いや、《話》が原因であることはわかっているだろ?」

「それは間接的な原因でしょ? 《話》のせいで生徒が消えたなんて誰が信じるのよ」

 彼女は男にからかわれていると感じた。

結局はイタチごっこなのだ。《話》が原因であるという《話》が存在する。

《話》の内容が真実であると仮定した場合は原因であるが、《話》の内容が空想であった場合は原因が判明していないことになる。つまり、《話》の虚実で《話》が原因であるかないかが決まるのだ。

噂を根拠にするなどは非合理的だ。

それならば、この男を疑った方が十分に「現実」的だった。

「あなたの学籍番号を言いなさい。《風紀委員》に連絡するわ」

「おや、俺の話を信じていないのかい?」

 男は意外そうに彼女を見つめた。どうやら、彼女は話を信じると思っていたようだった。

「当然でしょう?噂を根拠にするなんて非合理的だもの」

「現実は非合理の集合体だよ。子供にはまだ分からない話かな?」

 また男は相手を煙に巻くようなことを言う。

「今は関係ない話だわ。早く学籍番号を言いなさい」

「弱ったな・・・学籍番号など忘れてしまったよ」

「何を言っているの? あなた、『学園』の生徒でしょ?」

「俺は生徒じゃない。そうだな。ここでは生徒たちは自分たちを『薔薇』と呼ぶ。それならば、俺は『影』だな」

 男は上手いこと言ったというような顔で彼女の反応を見ていた。

 男の発言を受けて、彼女は再び「現実」感を失った。

 『学園』の中に生徒以外がいるはずがない。それが彼女の「現実」。

 彼女は消える意識の中で、自分が夢か現か分からずにゆらゆら揺れる蝶になったような気分を味わっていた。


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