序幕 物語前話
駄文ですが読んでいただけたら幸いです。
これからご覧いただきますのは、聞くも涙、語るも涙の恋の物語。
物語は我々の先祖の時代から始まります。
海原にポツンと浮く《島》が一つありました。木々が生い茂る森と波が寄せてはかえす浜辺、そして広々とした平野だけがある島でした。森では小鳥がさえずり、浜辺の波の音が静かに島中に響く。そんな穏やかな毎日が繰り返されている、平穏な「島」でした。
そして《島》は穏やかな日常を愛していました。
そんなある日、一人の男が浜辺に打ち上げられました。
男は遭難者でした。体を巻き込むように海藻が絡み、体中に小さな傷を無数につけ、顔には豊かな髭が蓄えられてあり、肋骨が浮き出るほどやせ細っていました。男に意識はなく、このまま衰弱死するのも時間の問題でした。
《島》は初めて見たモノに興味を抱き、助けることにしました。浜辺に頼んで男を引き上げてもらい、波に頼んで真水を作ってもらいます。森に頼んで食べ物を分けてもらい、男を介抱しました。
男が《島》に流れ着いて数日が経ったある日のこと、男は目を覚まします。
始めは自分が何処にいるのか分からずに混乱していましたが、自分の周りに食べ物と真水が置いてあることに気がつくと、安堵したように落ち着きました。遭難した自分を介抱してくれた存在がいることに気がついたのです。男はそのまま横になり、介抱してくれた相手が現れるのを待ちました。しかしそのまま眠りについていまいます。
次の日、男が目を覚ますと新しい食べ物と真水が置いてありました。相手を待つ間に自分が寝ていたことを恥じ、再び相手が来るのを待ちました。しかし、いつの間にか男の後ろに食べ物と真水が置かれてあり、男は相手に会うことができませんでした。
同じことが次の日も、その次の日も、そのまた次の日も続きました。
そうして時間が経つと男の体も全快し、動き回ることができるようになりました。そこで、島中を駆け巡り相手を探しました。ですが、それでも見つかりません。それもそのはず、まさか自分の足元に自分の探す相手がいるとは思っていないのですから。
男は言いました。
「 そろそろ姿を見せてはもらえませんか。あなたはわたしの命の恩人なのです。恥ずかしがらずに出てきてください。
私は今、とある挑戦をしています。最低限の食料、装備でこの海原を渡り、隣の大陸へ行くことができるか、というものです。この挑戦に成功することができれば大金を得ることができます。
その大金であなたの望みを叶えます。お金がほしいのならば、その賞金を差し上げましょう。宝石がほしいのならば、世界で一番大きな宝石を探し出し、あなたにプレゼントいたしましょう。美女がほしいのならば、世界で一番美しい女性を連れてここへと戻ります。あなたの望みは何ですか。」
次の日も、その次の日も、そのまた次の日も彼は姿のわからぬ相手に話しかけ続けました。
しかし、返事が返ってくることはありませんでした。
《島》は男の言葉の意味が分かりませんでした。いままで「言葉」の存在を知らなかったからです。島中に存在するものとは心で思いを伝えることができたため、《島》には「言葉」が必要ありませんでした。
そのため男が叫び続けるのをただひたすらに聞き続ける日々を過ごしました。《島》はそれが男の趣味であると思っていました。
男の叫びに《島》が飽きてきた頃、鳥から男の叫びが「言葉」であることを教えてもらいました。「言葉」とは一つ一つの音の集まりに意味があり、相手に自分の思いを伝えたいときに使われること、そして男のような「人間」と呼ばれる生き物だけが使うことを《島》は知りました。
《島》は興味を持ち、鳥に「人間」について尋ねました。自分も「言葉」を使うことができれば男の叫びの意味も理解することができると考えたからでした。しかし、鳥は言葉を濁します。ただ一言『人間には関わらない方がいい』とだけ伝えて飛び去ってしまいました。
そのときの鳥の想いはその一言と共に《島》にも伝わりました。それは美しい「人間」の女性へと向けた思いでした。鳥は昔、「人間」に飼われたことがあり、そして捨てられた経験があったのです。
男と意思疎通をするために、《島》は鳥のイメージした女性を元に自らの分身を作ることにしました。森から頑丈な枝をもらい「骨」として、波から塩水を分けてもらい「血」の代わりとし、平野から土をもらい「肉」として自分の分身を作りました。その姿は鳥の昔の飼い主である女性にそっくりでした。
男は叫び疲れ、相手が現れないことに失望していました。そんな時に、《島》は分身で男の前に姿を現しました。
男は始め全裸の美しい女性が現れたことにひどく狼狽し、すぐに顔を真っ赤にしながら視線を逸らしました。そして、ふと気がついたように自分が来ている上着を《島》に渡しながら着るように言いました。しかし、《島》が一向に着ようとしない様子から相手に言葉が通じていないことを悟ります。
男が身ぶり手ぶりで自分の服を着るように促す様子で《島》はその意図に気がつきました。
そのようなことがあり、男と《島》の身ぶり手ぶりを交えた交流が始まったのです。
始めは「食べる」や「寝る」、「トイレをする」など日常で用いる言葉を説明するだけで多くの時間を要しました。しかし、数日のうちに《島》は『おはよう』や『こんにちは』のあいさつから「話す」「書く」などの動作まで、普段男が使う言葉は理解できるまでになりました。
《島》が言葉を理解した次の日、男は《島》に尋ねます。
「あなたの【ほしい】ものはなんですか。あなたはわたしの【いのち】の【おんじん】です。あなたの【ほしい】ものをもってきましょう。」
それに対して、《島》は少し考えて答えました。
「わたし、《はな》ほしい。あなた、はなす《はな》うつくしい。みたい。」
男と《島》の交流が進むにつれて、男は自分について話して聞かせていました。自分の生い立ちや暮らした街の様子、挑戦の過程で見たものなど様々なことを話しました。その話の中に一輪の《花》の物語が混じっていたのです。
それは世にも珍しい《黄金の薔薇》についてのものでした。
とある商業で盛んな都市に一人の強欲な〈男〉がいました。その男は「黄金貸し」と呼ばれており、金貸という職業のなかでも有名でした。他人にお金を貸し、そして利息をあわせて貸した相手からお金を返してもらう、それが金貸しの仕事でした。ただし、〈男〉は金貨のみを取り扱う金貸しでした。そのため「黄金貸し」と呼ばれていたのです。
〈男〉は黄金を集めることが好きでした。人々が高価だと認めるモノを自分が多く所有しているということは彼の自尊心をくすぐり、〈男〉に満足感を与えるのです。
その日も〈男〉はお金を貸した相手へと催促に行きました。
相手は都市の繁華街から少し離れたスラム街に住んでいる《錬金術師》でした。《錬金術師》は自分の実験の費用と材料として、この都市で一番大きな屋敷が買えるほどの黄金を借りていました。スラム街に住むような《錬金術師》が返せるはずがありません。ですが、〈男〉は貸し出しました。研究が成功した場合、《錬金術師》の研究成果を譲り受けるという条件付きで。
そして今日が〈男〉の提示した研究成果を待つ期日の最終日だったのです。〈男〉は逸る気持ちを落ち着けて、ゆっくりと地面を噛みしめるように《錬金術師》の元へと向かいました。
〈男〉が向かうと《錬金術師》は家の前で待っていました。横には荷物の入った大きなカバンが置いてあり、これから都市を出ていくことがわかります。
それを見て〈男〉は顔を赤くしながら言いました。
「このろくでなしめ。研究が上手くいかず、都市から逃げ出すのか。俺に研究成果を渡す約束だぞ。都市から出ていくなら、早く成果をよこせ。さもなければ、お前を監禁してでも研究を続けさせる。都市から逃がすわけにはいかない。」
それを聞いて、《錬金術師》は涼しい顔で答えました。
「それは誤解です。私の研究はある程度まで成功しました。それでも貴方の満足ゆく程度の成果ですよ。都市から逃げ出すのは、ただ恥ずかしくて仲間と顔を合わせることができないからです。だから、わざわざ家の前で貴方が来るのを待っていたのですよ。これをどうぞ。」
《錬金術師》は自分の羽織る白い服のポケットから一つの小瓶を取り出して、差し出します。その小瓶の中では無色透明な液体が揺られて、波をたてていました。中で跳ねた液体が外光を受け黄金色に輝きました。
それを受け取りながら、〈男〉は〈錬金術師〉に質問しました。
「どういうことだ。お前が求めた『成果』ではなく、俺が欲しがる『成果』だと。俺が欲しいのはお前の求めた『成果』のはずだぞ。詳しく説明しろ。本当にコレで黄金に変わるのか。」
〈男〉は掴みかかろうと《錬金術師》の襟元へと手を伸ばす。しかし、《錬金術師》はそれをヒョイと避けると言葉を返します。
「暴力はやめて下さい。私が求めたのは『すべてのものを黄金に変える手段』ですが、あなたが欲しかったのは『大量の黄金を手に入れる方法』。結果として黄金を生むのですが、目的が違います。
貴方に渡したソレは〈有機物を黄金に変える液体〉です。わたしが求めた『モノ』と少し似ていますが『すべて』ではありませんから、私にとっては失敗作ですよ。満足していただけませんか。」
〈男〉は空を切った自分の手をしばらく見ていたが、顔を挙げるとニヤリと顔を歪ませて答えました。
「いや、満足だ。ご苦労だった。それなら使い方を教えてもらおうか。」
「簡単ですよ。液体は気化しやすいので、瓶のフタを素早く開けてかけるだけ。気化した液体に触れたものはすべて黄金へ早変わり。簡単でしょ。ただし、対象は有機物のみですけどね。」
〈錬金術師〉はおどけたように手を広げながら説明します。そんな様子を見ながら、ふと〈男〉は質問をした。
「お前の望みはなんだ。『すべてを黄金に変える手段』を手に入れて何をしたい。」
「私の望みはシンプルです。ただ黄金に変わった都市の中を歩いてみたいだけですよ。黄金が夕日に照らされて輝く様は神々しいでしょうね。想像するだけで私の心は表現したいという欲求で
はち切れそうだ。」
目を輝かせて答える《錬金術師》に対して〈男〉は同じような風景を思い描きました。ただし、〈男〉の場合は自分の周囲の黄金はすべて自分の所有物であったのですが。
「それなら俺が周囲を黄金に変える様を見ていればいい。お前には苦労をかけたからな。しかし良いものを作ってくれた。お前みたいな錬金術師に会えて俺は幸運だった。類は友を呼ぶってヤツか。」
「いえ。お誘いはありがたいですが、他の錬金術師の仲間に気づかれる前にこの都市を去らなければならないので。貴方の名声を遠くで聞かせていただきます。それでは失礼。」
〈男〉は上機嫌に誘いましたが、《錬金術師》は急ぐようにその場を離れました。《錬金術師》は〈男〉に聞こえないほど小さな声で呟きました。
「私と貴方が同類ですって。違いますよ。私と貴方は月とスッポン、いえ月とそこらの石ほど違います。貴方は強欲な『商人』ですが、私は誇り高い『芸術家』ですからね。」
《錬金術師》の呟きは風に流され、空へと消えました。
一方で《錬金術師》と別れた〈男〉は自宅で何を黄金に変えるか悩んでいました。ものを黄金に変える機会は一度だけ。そのため、一度に大量のものを黄金に変えようと〈男〉は考えていました。
しかし、気化した液体に触れなければ、ものを黄金に変えることはできません。中途半端に黄金に変えてしまっては黄金としての価値が下がります。そこで〈男〉が考えた方法は密閉空間の中で瓶のフタを開けることで満遍なく液体を行き届かせる方法でした。
次に何を黄金に変えるかで悩みました。
最初に象やキリンなどの大型動物を検討しました。黄金の象やキリンは迫力があり、高値が付くと考えたからでした。しかし、大型動物の身体は大きく、大きさに合わせた密閉空間を作ることにお金がかかる上に、液体がいきわたるか疑問がのこるため断念しました。
次に考えたのはネズミやリスなどの小動物でした。数多くを密閉空間に入れることで質の高い黄金のネズミやリスを大量に作る作戦です。しかし、数が少なければ逃げ回られ、多ければ液体が触れない場所ができるため作戦のリスクが高く、これも結局は断念することになりました。
そんな風に悩んでいると〈男〉の元に一人の〈少年〉が訪れました。
〈少年〉は病気で寝込んだ母親の治療代として、〈男〉にお金を借りていたのです。〈少年〉のお金を返す期限は今日まででした。しかし、お金を稼ぐことができず、期限の延期を求めて〈男〉の元を訪れたのでした。〈少年〉は扉が開くと持っていた籠を床に落とし、勢いよく床に両手を付いて情けを乞いました。
「お願いします。あと5日でいいですから、期限を待って頂けないでしょうか。」
〈男〉は無言で立っていました。〈少年〉の言葉を受けて一言も返事をしません。〈少年〉は恐る恐る顔を上げて〈男〉の様子を窺いました。すると、〈男〉の目線は床に突っ伏す〈少年〉ではなく、〈少年〉の落とした籠へと向いていました。
その籠の中には〈少年〉の売っている薔薇が入っていました。〈少年〉の実家は花屋を営んでいました。今は母親の治療費と借金の返済のために父親が店に立ち、〈少年〉が路上で薔薇を売るようにしていました。そのため今日も〈少年〉は路上で薔薇を売った直後に〈男〉の元へと向かったのです。
〈男〉は籠の薔薇を見てひらめきました。密閉空間の中に大量の薔薇を入れておけば大量の黄金が手に入るという考えです。黄金の薔薇は美しく、きっと付加価値が付くに違いないと〈男〉は思いました。
そこで〈男〉は床ひれ伏す〈少年〉に向けて言いました。
「払えない借金分の薔薇を持って来い。それでお前の借金は許してやる。」
〈少年〉は驚き、慌てて実家へと向かいました。〈男〉は期限に厳しく、自分は借金の質として奴隷の如く働かせられると確信していたからです。
〈少年〉は実家から九九本の薔薇と今まで稼いだお金を持って再び〈男〉の元を訪れました。
(男)はそれを見て満足気に頷くと〈少年〉を無視して家の奥へと引っ込みました。
〈少年〉は奥へと進む〈男〉をにじむ視界の中で見ながら、何度も何度も頭を下げました。それは〈男〉が視界から消えるまで続きました。
家の奥で〈男〉は作業を始めました。まず木製の四角い箱を机の上に用意しました。上手くいけば黄金の箱が手に入ると思い準備したものでした。その箱の蓋を外して、左右に丸い穴を開けて、九九本の薔薇を中に入れました。蓋を閉じて釘を打ちつけ、左の手には例の小瓶を握ったまま左右の穴にゴム手袋を着けた両腕を入れます。そして緊張した面持ちで小瓶のフタを開けました。
外から見るうえでは箱に変化はありません。〈男〉は固唾を飲んで蓋の釘へと指を動かします。蓋に打ち付けた釘の本数は十本。〈男〉は一本一本ゆっくりと慎重に抜いていきます。
五本抜いたところで〈男〉は自分の喉が渇いていることに気がつきました。ゆっくりと姿勢を正すと軽くため息をつき、水道へと向かいます。蛇口を捻り、コップいっぱいに水を入れると〈男〉は勢いよく飲み干しました。自分が思っていた以上に喉が渇いていたようでした。コップを近くの台の上に置くと〈男〉は作業場へと戻ります。そして再び残りの釘を抜く作業に取り掛かりました。
釘が残り一本となったとき、〈男〉はまた喉の渇きを覚えました。つい先ほど水分を摂取したはずだと考えながら、再び水道へと向かいます。その途中で体がかたくなったような、皮膚がカサカサに乾燥したような、〈男〉はそのような感覚を抱きました。それらの感覚を錯覚だと切り捨て、〈男〉は蛇口を捻り、またコップいっぱいの水を飲み干しました。そして、作業場へと消えました。
最後の釘に手をかけて、壊れ物を扱うようにゆっくりと、ゆっくりと引き抜いていきます。わずか一本の釘を抜く間、自分の心臓音と口から吐く呼吸音が異様に大きく聞こえ、〈男〉は自分が生きていることを実感していました。
最後の釘を抜き終え、蓋に手を触れさせながら〈男〉は何か大事なことを見落としているような気がしていました。頭の中で輪郭のはっきりしない風景を思い出すときのように、漠然とした「何か」が〈男〉の頭の中で引っかかり〈男〉の注意をひきつけるのです。
気がつくと〈男〉は集中が散漫になっているなかで蓋を開けていました。箱の中から白い煙が濛々と立ち込め、〈男〉の家を覆います。白い煙は〈男〉も巻き込み次から次へと箱の中から出てきます。
煙の先に黄金の薔薇がありました。〈男〉はそれを手に取ろうと手を伸ばそうとします。しかし、何かに抑えられたかのように身体の自由が利きません。〈男〉は黄金になっていました。
その時、〈男〉は頭の中で引っかかっていた事柄を思い出しました。液体が気化した後どれくらい効果を発揮するのか《錬金術師》に確認していなかったことでした。〈男〉は自分の欲望を叶える方法を手に入れて浮かれており、自分に襲い掛かる危険に対して身を守る方法を教えてもらわなかったのです。
〈男〉は《錬金術師》の顔を思い浮かべて内心「してやられた」と毒づき、黄金へと変わる自分の身体の様子に酔いしれながら視界が暗くなるまで笑い続けた。
〈男〉が小瓶のフタを開けてから時間が経ち、朝日が昇ると〈男〉の家の中には黄金が広がっていました。黄金の机、黄金の椅子、黄金の箱。それから黄金の像に黄金の箱。そして黄金の箱の中には黄金の薔薇が入っていました。
そんな黄金の屋敷の中に〈少年〉が一人で立っていました。〈少年〉は黄金の像に向かって小さく呟きました。
「ごめんなさい。どうしてもお金が必要だったのです。貴方から借りたお金では母の治療代が足りません。この家のなかの『黄金』を盗ませていただきます。ですが、貴方への恩は忘れません。だから、せめて貴方自身だけは盗まれたりしないように何処かに隠しておきます。身勝手なことだとは重々承知していますが、お許しください。」
〈少年〉は深く頭を下げると〈男〉のもつ『黄金』を運び出し、裏口に置いてある台車の上に乗せました。そして、最後に箱とその中身へと手を伸ばします。九十九本の黄金の薔薇は朝日を浴びて黄金色の光を放ち、〈少年〉の涙で濡れました。
〈少年〉がどのようにして〈男〉の結末を知り、『黄金』を何処へ運んだのか、知る者はいませんでした。
それが物語の内容でした。そして、それに関する噂が至る所で飛び交っていたのです。男はそのなかの幾つかを《島》に話して聞かせました。そのほとんどが《黄金の薔薇》が〈少年〉の手を離れた後の話でした。とある国の王様の元まで渡り、そこで「金色に輝くその美しさを知ってしまったら、世の中のすべてのものが味気ないものに見えてしまう」と叫びながら王様が自害した話や一本の《薔薇》を巡って国家間で戦争が起きた話。一本の《薔薇》を手に入れたことでその美しさに惹かれ、残りの九十八本を手に入れようとして破産した世界一の大富豪の話など。
《薔薇》に関わる話にはその美しさを称える一方で、一度手に入れたならば良い結末を終えることができない、呪われた品として有名となっていました。
そのため《島》が《はな》が欲しいと言ったとしても、本物を探し出して贈ることに対して躊躇いが生じました。そこで男は自分の考えを話しました。
「わたしはあなたに【ふこう】になって【ほしく】ありません。あなたが【のぞむ】なら【さがしだして】もってきますが、もしも【ほんもの】ではなくてもいいのならば、わたしは【しょうがい】を【かけて】つくりましょう。」
男は真剣な面持ちで《島》の顔を見つめた。《島》はその眼差しを受けて笑顔をつくると返事を返しました。
「はい。ほんもの、なくて、いい。」
その返事を受けて男は安堵で頬を緩ませました。そして続けて告げます。
「わたしは【ちょうせん】の【つづき】をしなくてはいけません。【ちょうせん】が【おわれ】ば【ふたたび】ここへもどります。どうか【しんじて】【まっていて】ください。」
男は《島》の言葉も聞かずにその場を急いで離れました。
《島》はその言葉をしみじみとかみしめ、男の消えた先をただぼんやりと眺めていました。
すると、近くの木の上に鳥が立っていました。鳥は《島》の分身の近くにやってくると《島》の分身を一通り眺め、そして呆れた雰囲気で伝えました。
『どういうつもりで、そんな姿をしているの。自分に対する嫌がらせかしら。』
《島》は自分の分身が鳥のイメージを元に作られていることを思いだし、慌てて首を横に振りました。《島》が欲しかったのは「人間」の姿であり、特別、鳥のイメージを必要としたわけではなかったからです。
『違います。わたしは「人間」の姿かたちが欲しかっただけです。鳥さんを怒らせるつもりはありませんでした。ですが、とても助かりました。おかげで「人間」とコミュニケージョンをとることができました。ありがとうございます。』
『やっぱりね。以前に比べて意思の伝え方や思考の仕方が人間に近づいているもの。昔は漠然とした感情や心象風景を伝えていたのに、今では言葉となって伝わるわ。あなた、「人間」の影響を受けすぎよ。忠告したでしょ。「人間」に関わらない方がいいって。どうして関わったの。』
鳥は自分の忠告を無視したことを咎めました。鳥は《島》のことを心配していたようだった。自分の小さな体を右へ左へ忙しなく動かします。
『長い間、変わることなく過ごしてきて、刺激に飢えていたのかもしれません。平穏な日々は今でも好きですが、「人間」の話を聞くととても面白く、人間社会は刺激に満ちていることがわかります。そこへ関わる気にはなれないけれど、遠くから話を聞くだけでもいいかもしれないと思ったからです。』
『ふーん。別に本人が納得しているのなら、とやかく言うつもりはないわ。ただ、覚えておきなさい。「人間」と関わったからには人間社会から逃れることはできないわ。自分は遠くから眺めるつもりでも、向こう側からこちらへ寄ってくるのだから。いい、「人間」と約束してはいけないわよ。』
『約束ってなんですか。』
『約束っていうのは、将来の行動について言質を取ったり取られたりすることよ。自分は将来、このように動きます、みたいな。』
『それなら、既にしたかもしれません。「人間」がわたしのために《薔薇》を作ってくれると言いました。ですが、なにか問題でもあるのですか。』
『もう既にしちゃったの。まぁ、今から言っても遅いかもしれないけれど、約束は人間社会で基本となることなの。私たち、自然界ではしないでしょ、言質を取ること。だから、約束をするっていうことは人間社会に組み込まれたっていうことなのよ。』
『ですが、人間社会もそれほど悪くはありませんよ。様々なものが豊かに流れていますし。どうして関わらない方がいいのですか。』
『それは言ってもわからないわよ。これから経験することね。』
鳥はそう伝えると再び空へと消えました。《島》の元には疑問だけが残されていました。
次の日、男を森の中で見つけました。男は森の中の大きな樹を自分の腕くらいの太さの棒で叩いていました。
『痛い。痛い。叩くのをやめてくれ。』
男に叩かれている樹が痛みを訴えて叫んでいます。男はそれに構わずに何度も何度も叩き続けます。その様子を見て、《島》は男へ尋ねました。
「どうして、き、たたく。き、いたい、さけぶ。」
男は不思議そうに答えます。
「【き】が【いたがる】わけがないだろう。わたしは【ちょうせん】を【つづける】ために【ふね】が【ひつよう】なのです。あなたとの【やくそく】のためにもここにある【き】で【いかだ】をつくらなくては。」
男は使命感に燃え、先ほどよりも強く樹を叩きます。
この時《島》は男には自然の声が聞こえていないことに気がつきました。男たち「人間」にとって自然のものとはただ自分達が利用するためのものでしかないことを悟ったのです。《島》は波に、急いで男の船を運ぶように頼みました。
波に頼みごとをしている間、《島》の心の内に昨日の鳥の言葉が湧き出てきます。
『人間社会から逃れることはできないわ。自分は遠くから眺めるつもりでも、向こう側からこちらへ寄ってくるのだから。』
《島》は自分の行いに対して早まったかもしれないという感想を抱きました。
《島》は男の元へ行き、男の船はこの島の浜辺に打ち上げられていることを伝えました。
男は始めのうちは疑いながらも、命の恩人の言葉だからと嫌々ながら従っていましたが、浜辺に近づくにつれて自分の船のシルエットが浮かび上がり驚きながらも喜び、《島》に対して感謝を述べます。どうやら、昨日《島》の元を飛び出していったのは自分の船を探すためだったらしく、自分が見つけることができなかった船を見つけたことで《島》を褒め称え始めました。
それを聞きながら、《島》は薄気味悪いものをみたような心境でした。「人間」の心理を理解することができなかったのです。《島》は男にできるだけ早く島から出て行ってもらおうと決めました。
男は浜辺から水平線の上空を見ながら呟きました。
「わたしは【あした】【しま】を【で】ます。いまから【でて】いきたいのですが、【しょくりょう】を【じゅんび】せねばならない。そのうえ、どうやらこれから【てんき】が【あっか】して【うみ】が【あれる】ようです。【きけん】ですから【かいがんぞい】に【ちかづかない】ようにしてください。」
《島》は男に早く島から出て行ってもらいたいため、森に頼んで食料をわけてもらい、波に頼んで海が荒れることがないようにしてもらいました。すると、水平線の天気は良くなり、温かい日差しが差し始めました。
「てんき、よくなった。いま、ふね、だす、いい。たべもの、ここ。」
《島》は急いで、男に話しかけました。右から食料、左から真水を取出して男に差し出しました。
男は目を剥き、数秒口を開けて立ち尽くしていましたが、気を取り直すとどちらも受け取り、船の中へと詰め込みました。そして、忘れることがないように繰り返し約束の言葉を口にしました。
「わたしは【ふたたび】ここへ【もどって】きます。あなたのために。」
そして、船に乗り込み、帆を紐で操作しながら男は海へと旅立ちました。
その姿を見送りながら再び、鳥の言葉を思い出します。
『約束をするっていうことは人間社会に組み込まれたっていうことなのよ。』
《島》は既に約束したことを後悔し始めていました。自分がしたこの約束がいつの日か自分の愛する平穏な日常を壊すような、そんな予感を心の中に残しながら、いつまでもいつまでも男が消えた水平線を見ていました。
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