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白い砦

作者: 相花

 夜、俺は布団に入り、ぼんやり天井を見ていた。もうかれこれ一時間が経つ。目が慣れてしまい、闇のなかで天井にぶら下がる電球の形さえ見分けられるくらいだ。

 ここ最近、毎晩夢を見る。俺はそれが嫌で、どうにか寝ないようにと頑張っているが、いつの間にか眠ってしまう。

 目が覚めた後、体がだるくなって、何もする気が起きない。自分でも驚いたのだが、家から一歩も出ないのにも慣れてしまった。なかなかないことだ。

 しかし、一番辛いのはそれが俺の体の一部と思っていたものが次々に削り取られていく夢だからだ。妙に現実味のある夢で、起きた後には全身がどっと疲れている。俺はすぐには動けず、瞳をきょろきょろさせるのが精一杯である。

 俺がその夢を恐れるのは、俺の空っぽの内側を守っている砦を壊されるのを快く思っていないからだろう。無防備になった俺の内側なんて、きっと醜いだけに違いない。それに、白い砦を失った俺は身を守る術をもたない。丸裸になった俺の感情は相手に筒抜けで、取り繕うことさえもままならなくなるのは目に見えている。


 目を薄く開けると、開け放たれたカーテンの隙間から射し込んでいる光が眩しい。光が白い軌跡を描いて、俺に届く。あれから寝てしまったみたいだ。

 

 部屋には薄く靄がかかっている。

 手をのばして靄に触れてみると、水で濡れたみたいに、うっすらと手のひらに何かがついた。俺はふと疑問を覚えた。

 夢は実際にこの部屋で起こっていることかもしれない。実際に俺の体は徐々に削られているんだ。

 嘘だと思うだろうが、靄は俺から生まれたもの、否、僕から削り取られたものなんだ。口から発せられた言葉が俺のものかを疑うようなあり得ないこと。俺はそう感じた。直感だ。


 今まで目のかすみとしか思っていなかったが、そうではないみたい。たしかにこの靄は存在するんだ。


 散らばった俺の欠片を必死に集めた。汗で髪が顔にへばりついて気持ちが悪かった。赤、黄、黒、灰色。かさかさに乾いたそれらは、体中にまぶしても一体となることはなかった。


 家の外へ出た。あることを思いつき、早速実行してみようとしたからである。小さい家を取り囲む細長い庭を覗いた。奥に空地があったはずだ。

 俺は布袋を取り出した。先程かき集めたものが入っている。不思議と靄同士は磁石のように引かれ合い、簡単にくっついていくつかの結晶になった。ちょうどヒマワリの種くらいの大きさ。いろんな色が交じっていて、それは光に透かしてみてもごちゃごちゃと雑多な感じでとうてい綺麗とは思えなかった。俺はそれを蒔いた。思いの外、少ないような気がした。俺という存在だって、案外些細なものなんだろうか。

 少し迷って、結局水をやることにした。芽が出るなんて期待していない。出たところで、気味が悪いだけだ。赤茶色の土が徐々に湿り、濃い色へ変わってゆく様を何ともなしに見ていた。


 ひと通り作業を終え、手持ち無沙汰になった俺は散歩に出かけることにした。立ち並ぶ家々。人影はどこにも見当たらない。

 ケータイで親友を呼び出そうとした。ひとりでいるのにはあまりにも寂しい朝だった。


 おかしい。電話が繋がらないなんて。いつもワンコールで出る彼が俺の電話を無視するのはあり得ない。じゃあなんでだよ。苛立ちが抑えられなくなって、乱暴に髪を掻き回した。

 親友だって言っても結局は薄っぺらい仲なんだ。家が一番近くて、一番遊ぶ回数が多いだけ。親友への日頃の鬱憤は、一度溢れたら止まらなかった。しばらく、親友を小声でののしりながら町を歩き回った。


 日が暮れてきたので家に帰った。結局誰とも会わなかった。こういう時、家に明かりがついていると温かい気持ちになる。明かり? いつ俺は明かりをつけたのだろう。家を出る前としか考えられないが。

 朝の部屋は十分すぎるほど光に満ちていて、それに反射する靄が無数に見えた。光量は十分だった。だから起きてから明かりはつける必要はなかった。

 変だとは思いつつ、俺は家に入った。鍵を差し込んだところで、何かの気配を感じた。家の庭の奥のあたりから。

 そうだ。今朝蒔いた俺の欠片はどうなっているのだろうか。

 玄関の前で、首だけ横に出し、庭の奥を覗いた。植え込みの陰にぼんやり見える影を目で捉えた瞬間から嫌な気がしていた。朝ぼんやり夢想したことが現実になったのだ。それはつまり、あの結晶から芽が出たってこと。信じられない。俺は自分の頬をつねってみた。……痛い。

 影はゆらゆら動いている。明らかに植物ではない。気楽に蒔いてみようなんて変な気を起こすべきではなかった。一体何があの結晶からうまれたのだろう。影はふらりと立ち上がり、俺の方を見た。俺は唾を飲み込んだ。


 玄関に灯る明かりに照らされ、へらりと笑った影の顔が浮かび上がった。俺だった。息をするのを忘れるくらい驚いた。そして止めていた息を吐き出す間に影は俺の目の前まで来ていた。

「おかえり」

 俺たちは向かいあった。そっくりだった。嘘だ、と俺は呟く。

「君はあれから生まれたのか」

「ああそうだよ。ボクさ」

 俺はしげしげと、ボクだという俺を見つめた。

「……悔しいけど、似てるな」

 ボクは満足そうに大きく頷いた。

「来る気はなかったんだけど。君が悩んでいるみたいだったから」

「何をだ?」

 俺は尋ねた。まったく心当たりなどなかった。

「君の本当の姿はどこにあるの」

 え、と俺は固まった。僕の言葉が深々と胸に突き刺さったからだ。しかし、俺はすぐに気を取り直し、乾いた声で取り繕った。

「お前は俺が見えていないの?」

 そして、ひとり笑った。笑い声は行き場をなくして、宙に留まり、気まずい空気をなした。

「そうだ、聞いてもいい?」

 何も言わないボクに少なからず動揺して、早口になった。

「今日、外歩いたんだけど、誰にも会わなかったんだ。どうしてか知っているか。まあ、分からないと思うけどな」

 こんなに辺りは真っ暗だというのに、他の家に明かりは灯っていない。俺の家の玄関だけが、ぼうと光っている。

「分かるよ。ここはボクと君しかいない。そんな空間だからだ。気づかなかった? もう何日もこの場所にいることを」

「お前の目的は何だよ。そんな意味不明なことを俺が信じるとでも思ったか」

「別に何も。君がボクを呼んだんだ。さみしい、さみしいって。そうだ、寂しかったんだろう? 君の奥底に踏み込んでくる人がいなくて。ボクは入っていくよ。だって君の深い意識の底から現れたんだから。君の気持ちくらい、手に取るようにわかるんだ」

「うるさい。俺はさみしくなんかない」

 そう言い捨て、家の扉を勢いよく閉めた。これ以上ボクと向き合っていると、自分を見失ってしまいそうだ。頑丈に構築された、俺の砦に絡みつき、壊そうとする。俺はそれに耐えられなかった。扉に背をもたせかけ、外から開かないようにする。ドンドン、という音とともに振動が伝わってきた。

 しばらくして静かになったので俺は部屋に向かった。部屋のドアを開けて、呆然とした。どうしてボクが部屋の中にいるんだよ。

 ボクを部屋から出そうとあらゆる手をつかったが、結果疲れただけだった。どっぷり闇に包まれた夜がカーテンから覗いていた。


 嫌な朝だった。目覚めるとすぐ側にボクがいる。ボクはだらしない表情で眠っていた。よく言えば、安心しきった顔。俺と同じ顔で、そんな表情をするな。ボクに対する憎らしさがこみ上げた。それとともに俺の内側の深い場所が小さく揺れた。


 また部屋にボクが零れ、広がっている。いつのまにかボクへの憎しみは消え、後には何も残らなかった。いうなれば虚無だ。もう何度同じ夢を見たか。指で数えてみる。いち、に、さん。もう少し多いかな。なな、はち。ボクの言葉と俺の記憶を信じると、これまでずっと俺はこの空間に閉じ込められいたらしい。体が削られているように最初に感じたのはいつだ。きっとそれが始まりだ。なんで今まで気づかなかったんだ。俺の体はもう半分ほど削れている。手足を見てもあまり気づかないけれど、鏡を見ると一目瞭然だ。頬がこけて、目が落ち窪んでいる。俺はこのまま消えていくのだろうか。俺の内の醜態をさらしながら。その情景を事細かに想像してしまい、嫌になって、新たに削れた靄はそのまま放置して部屋を出た。


 窓からの太陽の光がとても眩しい。俺の気持ちの陰りなんかとは真逆だった。

 俺は外に出た。僕がいる家の中に籠っていては、気が持たない。

 最近世話をしていないせいか、庭の花は枯れかけていた。その先には昨日、靄を集めた塊を埋めた場所がある。できれば見たくない。

 あの色の混ざりあった汚い結晶はボクになったんだろうか。もしそうなら、俺の心の奥から現れたという僕には、それが詰まっているんだ。

 ボクを俺の分身だと仮定する。それはつまり、俺だってあんな汚い結晶から出来ているってことか。俺はそこまで考えて、鼻を鳴らした。俺の内側はやっぱり醜いんだと確信する。別に確かめたくもなかったが。


 色とりどりの欠片は消えていた。覚悟していたので、取り乱しはしないが、胃がむかむかした。感じるのと、実物として見るのはかなり違う。

 しかし違和感を感じた。何だろう。俺の思い違いかもしれない。さらに近づいてみる。昨日から何かが異なっている。

 地面をなめるように見渡し、ようやく合点がいった。俺は思わず微笑んでいた。自然と握りしめた拳に力が入った。ボクを消して、もとの場所に戻れるかもしれない。俺がさみしいって? そんな馬鹿な。

 一刻も早くボクと離れたかった。どんなに自分が醜いと感じても、ひとりよりはましだ。


 部屋に飛んで戻った。呑気な顔で寝ているボクを蹴り起こす。

「いきなりどうしたの?」

 俺は黙って、驚いた顔のボクを庭まで引っ張っていった。そして突き飛ばす。ボクは地面に派手に尻餅をついた。はからずして、そこはあの結晶を埋めた場所だった。

「なんだよ。怖い顔をしてさ」

「俺はさみしくない。ひとりが怖いだけだ。だから、お前は消えてくれ。俺は戻るから」


 俺は無言で、草陰に隠しておいたバケツの水をボクの上にぶちまけた。

「何するんだ。やめて」

 ボクは水を吸って、次第に黒ずみ、それとともに悲鳴も小さくなっていった。やがてただの湿った土に還った。

 一日もたたずに、ひと一人分の結晶を作れる訳がない。俺から削れていった結晶さえ、とても小さく、爪一つ分ほどなのだ。そして、俺が感じた違和感。前より少し庭がへこんでいるように感じたのだ。ボクが生まれる際に、足りない空間に土をいれたのだろう。

 すぐに気づけなかったのは迂闊だった。

 皆が消えたことなんて、すぐに解決する。俺の甘い心が作った逃げの場所。自分で作ったのなら、簡単に壊せる。俺の意思ひとつで。


「簡単なことだったんだ」

 僕は土の中から手のひら大の、結晶を探し出した。

 僕から出たものだ。俺はそれに向かって、罵った。

「所詮俺なんだ。返してもらう。どんなに汚くても俺のものだ」


 が、思いもよらないものを目にして、目を疑った。恐る恐る手で土を払うと、虹色の輝きが現れた。蒔いた時よりさらに大きくなっている。これは何だ。この綺麗な虹色の結晶は何だ。


 不意にその結晶がにたりと微笑んだ気がした。それも僕の顔で。

--所詮俺なんだろ。君だって所詮は僕さ。この輝きは何だい? これが醜いか。

 俺の意識に直接語りかけてきた。

--思い込みって怖いね。醜くもないのに、そう勘違いしてさ。


 いつの間にか、俺の内側は無防備になっていた。白い砦は粉々に砕け、もはや俺を守るという機能をしていなかった。


 俺は何かに導かれるように、その輝く結晶をゆっくり飲み込んだ。生温かさを残し、喉元を通り抜けていった。これは人の温もりかもしれない。漠然とそう思った。

 俺は深く息を吐いた。体中に力が蘇ってきた。体の中にボクがいるのを感じた。いつか俺とボクは一体となるのだろう。


 部屋に入って気づいた。白い砦の残骸が隅で丸まっている。俺は理解した。俺を醜く思わせていたのはこのせいだったんだ。どんな透明な液体も、牛乳を入れると濁る。俺の目を曇らせていたのはすべて、白い砦のせいだったのだ。俺を守ってなどいなかったんだ。


 布団に滑り込む。俺を守ってくれる白い砦の残骸が部屋の隅で淡く光っている。気のせいだろうか、白い砦が取り払われた俺は嘘みたいに素直で、親友に会いたくなった。そしたら明日、今日起こった不思議なことを話すんだ。一体どんな反応が帰ってくるのだろうか。馬鹿にされてもいい。ただ伝えたいだけだった。

 心地よい温もりに包まれ、俺の瞼は自然に閉じていった。

まだまだ未熟なので、感想など、頂けたら嬉しいです。

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[一言] 最後まで読ませて頂きました。 大変雰囲気のある作品で、どこか虚ろな、夢の中を散策しているかのような気分の残る文章、そしてお話でした。 ハッピーエンド(?)である為か読後感も良好で、最後の方は…
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