彼女が二人の思い出をゴミ袋に詰めて出ていった日、俺の時間が巻き戻る
短編「恋の終わりを決めた日から、私の時間が巻き戻る」の another ver. (男性視点)です。
この小説単体でも読めるとは思いますが、先に美咲(女性視点)の物語を読んでからお読みになると、わかりやすいと思います。
【 side: 蓮〜別れの日】
「もうこんな時間か」
時計の針は、23時20分を指している。肩を回し、飲みかけのコーヒーを全部のどに流し込む。
帰り支度を済ませ、会社のエントランスを出る。
頬に触れる空気は冷たい。こんな日は温かいスープが飲みたくなる。
ふと、家で帰りを待ってくれている彼女の顔が思い浮かぶ。
今日もご飯を食べずに待っているのだろうか。
残業で遅くなるから先に食べていてくれと頼んでも、頑なに自分の帰りを待って食事をとろうとしない彼女。 体に悪いから、やめてくれと頼んでも、それはあなたも同じでしょう?と返されてしまう。
いつからか、一緒にいる時間が息苦しいものに変わっていた。
俺たちはどこで間違ってしまったんだろう。
どうすればいいのか、もうわからなかった。
__
家につき、鍵を開ける。いつもなら部屋の明かりがついているはずなのに、室内は真っ暗だ。 玄関にあるはずの靴がない。もうわかっていたけど、声が出た。
「美咲、寝てるの?」
返事があるはずない。人の気配がないのに寝室のドアを開ける。
きれいにベッドメイクされている部屋が、そこにあるだけ。
テーブルの上には、俺の好きなコーンポタージュスープ。
いつもなら、どんなに遅い時間に帰っても温かいスープが用意されていた。
今日はすっかり冷めきっていた。
リビングの片隅に、2つの大きなごみ袋が目に入る。近寄ってみると、ゴミ収集日が書かれた付箋が付いていた。
彼女はこんなところまできっちりしている。
俺との時間と日々の暮らしは、彼女にとってもう不要品になった。
首元のネクタイを緩め、ダイニングの椅子にドカっと音を立てて座る。
追いかけようとは思わなかった。 二人とも、もうずっと終わり方を探していて、彼女の方が先に決断しただけだ。
袋の付箋をしばらくボーッと見つめ、美咲との日々を思い出していた。
【 side: 美咲 〜現在から半年前 】
「どこに行こう」と考えて、スマホの連絡先を見る。そこにあるのは、彼の名前だけだった。友達の名前も、よく開いていた店の番号も何もない。
夜の冷たい空気が、肺の奥まで届く。新たな始まりにふさわしいようで、気持ちよく染みた。
まっすぐ自宅に帰る気になれなかった。半年前まで通っていたカフェで一杯だけお茶を飲んでから帰ろう。
蓮の家でほぼ過ごしていたけど、契約を切らず残しておいてよかった。
美咲は自宅最寄りの夜遅くまでやっているお店に向かった。定休日だったらそれまでだ。
電車に乗り込み、イヤホンから流れる音楽を聴く。少し前から繰り返し聞いてきた曲が流れ始めた。スマホの画面で曲の横にあるアイコンをタップして、「このプレイリストから削除」を選ぶ。 もうこの曲を聴くのをやめる。
液晶に映り込む自分は、彼好みである地味なメイクと髪型をしている。グロスの艶も、まぶたのグラデーションも、何もない。素顔風どころか、ほぼ素顔。
彼が好きなのはストレートのロングヘアだから、切らずにずっと伸ばしてきた。
でも、週末は美容室に予約を入れよう。ずっとしたかったショートカットにすると決めた。
肩にかけた新しいかばんはまだ馴染んでないし、今日初めて履いたかわいいパンプスも見慣れない。
でも気持ちが浮き立った。
流れていく街並み。夜の暗がりに灯がともる景色を眺めながら、電気を消して出てきた部屋とこの半年間を思う。
__
蓮とつきあって半年が経つ頃には、半同棲の状態になっていた。
最初は好きな人とずっと一緒にいられることが、うれしくてたまらなかった。
でもすぐに状況が変わり始めた。
私は蓮のために何でもしたいと思っていたけど、蓮はそれがうれしくないようだった。
帰りが遅い彼のために、食事を作って待っていた。作っているときに味見をしているから、それほどお腹もすいていない。彼と二人で一緒に夕食を食べることの方が大事だった。
でも蓮は、頼むから先に食事を済ませてくれという。 一緒に暮らしていても、朝早くて夜が遅い蓮の時間に私が合わせなければ、一言も話さないで一日が終わってしまう。
「美咲の体が心配なんだ」と蓮は言うけど、それは彼も同じだ。
そう言ったら黙ってしまった。
二人でいる時間を少しでも作ろうとしていることが、うまく伝わらなかった。
__
二人の予定があった休日に、蓮に何をして過ごしたいか聞かれた。
必死に「蓮の好きな方でいい」「蓮がしたいことでいいよ」と伝えても、蓮の表情は曇っていく。
どうしたらいいか全然わからず、焦りだけが強くなっていった。
少しケンカっぽい雰囲気になったときに、蓮が言った。
「何でもかんでも俺任せじゃん。たまには美咲がしたいことを言ってよ!」
私のしたいことは、「蓮とずっと一緒にいること」
蓮の楽しいことが、「私の楽しいこと」
素直にそう言ったら、蓮は部屋から出て行ってしまった。
何が気に障ったのか、見当がつかない。
だけど、一つだけわかったことがある。
私たちはうまくいかないかもしれない。
二人の関係を絶対にうまくいかせたいと思う気持ちと裏腹に、何をやっても裏目に出ている気がしてならなかった。
【 side: 蓮 〜つきあって3か月目】
付き合ってすぐ、俺の誕生日があった。美咲と一緒にどこか旅行に行きたいと考えて、会社の昼休みに旅行サイトをあたった。
サプライズにしたいけど、お互い社会人、仕事の都合がつかない恐れもある。
最近美咲の職場は忙しい。繁忙期というわけではなくて、退職者が続けて出たらしい。
彼女の職場は取引先だから何となく事情を知っているけど、癖が強い上司がいるし、なかなかにブラックな会社だ。今日のデートだって久々だ。
仕事が忙しいのは俺もわかるし美咲に無理をさせたくはないけど、やっぱり直接会えるのはうれしい。
そんな多忙な彼女へのねぎらいの意味を込めた、完璧な旅行プランだ。
自分の誕生日だけど、彼女の喜んだ顔が見たい。
「美咲〜。俺の誕生日なんだけど、前日から1泊2日で温泉にいかね?」
食事が美味しいと評判の、宿のHPを彼女に見せながら誘った。
「うん、いいね。私、ご飯が美味しい所がいいな〜」
「だよな、ここは部屋食でカニ三昧だって」
「それ、すっごくいいね」
一瞬、美咲の表情が陰った気がしたけど、俺は深く考えず旅行プランの説明を進めた。
ようやく会えた平日夜の貴重な時間を、気まずいものにしたくなかった。
何か問題があれば言ってくれるはず。
美咲はちゃんと自分の意見が言えるカッコいい女性なんだから。
__
ある日の食事のあと、俺の部屋で二人で過ごしているときに、美咲のスマホの着信音が鳴った。
電話に出なよと促し、さりげなくキッチンへ向かう。冷蔵庫に冷えている缶ビールを片手にリビングに戻ると、寝室から美咲の声が漏れてきた。
盗み聞きするつもりじゃなかったけど、どうやら幼馴染と会う話をしているらしい。前に聞いたことがあるかも。
幼稚園の時から仲良くしていた親友で、今は距離があるからなかなか会えないと言ってたっけ。
でも何やら揉めてる? いや、調整が難航しているような口ぶりになってきた。
大事な予定が入っているから無理とか、次の日は?と聞こえてくる日付からして、俺とコンサートに行く日と重なってしまったのだろう。
結局、今回は会うのをなしにしようと、話がまとまったみたいだった。
「ごめん、聞こえちゃった。友達と遊んできていいよ。久しぶりに会うんだろ?」
すごく楽しみにしていたコンサートで、チケットを取るのがすごく大変だったから、できれば二人で行きたかった。でも、俺たちはいつでも会えるし、昔ながらの友達との関係を大切にしてほしくて、そう言った。
美咲はじっと俺の顔を見つめた後、なぜか安心したような顔でこう言った。
「ありがとう。でも私も蓮とコンサートに行くのを楽しみにしていたから大丈夫。彼女には、今度私の方から会いに行くから」
話はこれで終わりになったけど、俺の中に少しの違和感が芽生えた。
最近美咲から、友人と会ったり遊んだという話を、めっきり聞かなくなった気がする。
俺と会うのを最優先にしてほしいという気はない。もちろん、俺との時間を大切にしてくれることはうれしい。でも、友達関係も大事だと思うんだ。
美咲は自分の時間や交友関係を楽しめているのかな?
彼女が何も言わないことを、「問題なし」と流してしまっていた。
【 side: 美咲 〜つきあって1か月目】
付き合って1か月記念日。
私の好きなイタリアンレストランでお祝いをする予定で、少し気合の入った服とメイクをしてきた。
ただ、定時の少し前に書類の修正が入り、会社を出る時刻が遅くなってしまった。
蓮との待ち合わせに遅れそうで、すごく焦る。連日、直属の上司に目をつけられている新人の子をサポートしていて、昨日帰ったのも深夜零時を回っていた。
(目の下に隈とかできてないかな)
お化粧直しもそこそこに慌てて退社してきて、今は汗をにじませながら走っている。
せっかくの記念日デートにこれはない。本当はもっときれいに整えた髪やメイクで蓮とデートをしたかったが、今は遅刻しないことで精一杯だった。
予約していたイタリアンのお店に着く。入り口で待っていた蓮が、笑顔でこちらに駆け寄ってきた。
「美咲、走ってきたの?急がなくても大丈夫だったのに」
彼の優しさに胸がジーンと温かくなる。手ぐしでササっと髪を整えながらお店に入ると、信じられない言葉を告げられた。
「大変申し訳ございません。お席のご予約をいただいておりません」
えっ?慌てて予約システムをみると、完了メールが届いていない。
確か、一昨日の昼休みに予約をしようとして......涙目になった新人の子に声をかけられて。
申し込みボタンを押した記憶がなかった。
一気に血の気が引いていく。どうしよう、予約できていなかった。
いつもなら前日に確認するのに、ここ数日バタバタしていて。
何も言い訳できない。完全に私のミスだ。
(どうしよう、失敗してしまった......)
恐る恐る、蓮の顔を見る。表情から何を考えているのか読めないけど、彼は淡々とお店の人に対応してくれた。
ちょうど金曜の夜ということもあり、おしゃれなレストランはどこも満席だった。
安くて美味しいのが売りの、コスパのいいチェーン店に入る。お酒と料理をいくつか頼んで一息ついたところで、あらためて蓮に謝った。
気にしなくていいよと笑ってくれたけど、ため息交じりに漏れた彼の本音が、胸に突き刺さる。
「あ〜あ、あの店のリゾット食べたかったな」
蓮は私を責めなかった。 私は、1か月記念の夜を台無しにしてしまった。
後悔で胸がはちきれそう......
「ごめんね蓮、ダメな彼女で」
その後、会話でどんな相槌を打ったか、覚えてない。
笑えていたかも、定かではない。
こんな失敗をしていたら、蓮に呆れられ振られてしまう。
出しゃばって予約を取るなんて、言うんじゃなかった。
蓮に任せていればよかった。
終わらない後悔の波に溺れそうだった。
【 side: 蓮 〜告白から初デート】
今日こそ、誘う。
俺は固い決意を胸に、取引先の企業を訪問する。担当者へ挨拶しながら、フロアをチラッと横目で見渡す。
いた!
問題はどうやって二人で話す機会を作るかだが、天が俺に味方してくれた。
「ちょっと清水さん、先日のA社の資料を持ってきて」
「はい、直ちにお持ちします」
憧れの彼女が机の引き出しから分厚いファイルを取り出し、こちらへ向かってくる。
刹那、目が合う。
恥ずかしそうに彼女はすぐうつむいてしまうけど、よく目が合うということは脈ありって思っていいよな?
というか、そう思わないとこの先の言葉を発する勇気が持てない。
「課長、こちらのファイルでよろしかったですか?」
「あぁ、これこれ」
その時、フロアから課長へ声がかかる。
「課長、至急のお電話です!」
俺の対応中であることがその社員から見えなかったようで、課長は苦笑いを浮かべながら彼女へ指示を出した。
「清水さん、悪いけどお客様を第一会議室にご案内してくれるかな?」
「かしこまりました」
彼女に先導されて会議室に向かう。俺の心拍数は最高潮を迎えていた。
「それでは、少々こちらでお待ちください。ただいま、お茶をお持ちいたします」
彼女が一礼をし、会議室を出る前に、俺はありったけの勇気を振り絞って言った!
「お食事にでも行きませんか?」
彼女は頬を染め、笑って「はい、ぜひ誘ってください」と言ってくれた。
事前に用意していた、プライベートの電話番号が書いてある名刺をそっと渡すと、今度こそ彼女は会議室を出て行った。
俺は有頂天になって、その後の課長の無茶ぶりやごり押しに、すべて「承りました」と答えていたらしい。
会社に戻って、上司に叱られた。
その日のうちに彼女からスマホに電話があり、食事の日が決まった。
俺は、毎日ご機嫌すぎて同僚に引かれた。
なんとでも言ってくれ!俺は今、かなり心が広い。
そして迎えた、食事の日。
「突然、誘っちゃってすみません。ご迷惑じゃなかったですか?」
「すごく驚きましたけど、お誘いうれしかったです」
「マジですか、よかった〜〜〜。一生分の勇気、振り絞りました!」
彼女の、花が綻ぶような笑顔が素敵だと思った。
女性が喜ぶお店TOP30から、厳選したお店の料理は外れがなく、彼女も美味しいと言って喜んでくれた。
少しずつ打ち解けた雰囲気になり、会話も盛り上がっていった。
「前にそちらの課長にむちゃ振りされた時、さりげなく調整してくれて。しかも落とし所を見つけて案を取りまとめてくれた時、カッコいい女性だなって思ったんです」
「カッコいい……ですか?」
「はい!カッコいいです。あのしつこそうな課長を上手にあしらい、手のひらの上で転がすと言うか、はっきりミスマッチのところを指摘するところとか」
「課長を上手く転がせてるかはわかりませんが、性格がしつこいのは当たってます、ここだけの話ですけど」
二人で笑い転げた。
満腹になって、そろそろ帰ろうかとなったとき、本日最大のイベントを前に俺の緊張はピークに達していた。
お店を出て、最寄りの駅まで彼女を送る。
(今だ、今言うんだ!!)
この前振り絞ったはずの勇気をもう一度かき集めて、彼女の目を見てしっかりと言う。
「好きです、今日もっと好きになりました!俺と付き合ってくれませんか?」
沈黙が流れる。たぶん時間にして1秒くらい?
でも、俺にはもっとずっと長く感じた。
「はい!」と答えてくれた後、恥ずかしくなって俯いている姿が可愛すぎる。
思わず心の声がダダ漏れになり、「可愛い……」と声に出してしまった。
驚いて顔を上げ、目を見張る表情もしぐさも、全部が俺の心を揺さぶるんだ。
「これからよろしくお願いします。俺のことは蓮って呼び捨てで呼んでください」
「じゃあ、私のことは美咲で」
俺はこの日、最高に幸せな男になった。
__
つきあって初めてのデート。悩みに悩んで決めた街ブラプラン。
最近評判のカフェに行って軽く食事した後、レトロな商店街を二人で回って買い食いしたり、小物を贈りあうのもいいねと話していた。
冬だけど今日は小春日和といえそうな、日差しが柔らかな日。
はやる心を抑えながら、待ち合わせ場所に向かった。
美咲の姿をとらえた瞬間、時が止まる。
え?可愛い。
何?ピンクのスカート、可愛い。
語彙力が可愛いで埋め尽くされる。
職場で見かける彼女はパンツスーツばかりの印象なのに、自分とのデートにスカートをはいて来てくれている。
吸い寄せられるように、スカートからのぞく足に釘付けになる。
やばい、足から目をそらさなければ。
俺は無理やり笑顔を作り、美咲に声をかける。
「今日、何だか雰囲気違うね」
「え? なんか変??」
「いや、別にいーけど」
俺はドギマギして、自分の下心が美咲に伝わらないことを、初詣の時にだけ祈る神に祈った。目当てのお店に向かう途中、美咲が一歩後ろを歩いているのを、照れているからだと思っていた。
フワフワの毛がついた真っ白のコートを着る美咲はすごく可愛い。
口もいつもよりツヤツヤしていて、キスとかしたら......初デートでするべきじゃない妄想を打ち消していると、ある恋人同士の姿が目に入った。
幸せそうに手を繋ぐ二人。いいな、俺も美咲と手を繋ぎたい。
告白してOKをもらえてから、なかなかデートの日取りが合わず、主にSNSでやり取りしていた。
今日は、もう少し二人の距離を縮めたい。美咲は手をつなぐの、嫌かな?
初デートで手繋ぎなんて、早すぎるって思うかな?
思考が手繋ぎデートでいっぱいになっていたため、美咲の小さな変化に気がつかなかった。
ふと振り返ると、俺と美咲の距離がけっこう開いていた。
表情が暗く、口を固く結んでいる。
「美咲、体調が悪い?」
「......ごめん、ちょっとつらいかも」
楽しみにしていた初デートだったけど、体調の悪い彼女に無理をさせられない。
家まで送るといったけど、美咲は頷かず、最寄りの駅まで送って別れた。
最初に顔を見たときは元気そうに見えたけど。
体調を心配する気持ちと落胆で、感情が忙しい。
俺が何か気に障ることを言っちゃったのかな?
俺の今日の格好、気に入らなかったかな?
割と研究して、社内でもモテる同期にお店を聞いて、買い揃えたんだけど。ダサすぎて隣を歩くのも嫌になるくらい......そういえば美咲は隣に並ばず、すっと後ろを歩いてついてきていた。
やっぱり、俺がダサすぎて......
ダメだ、泣きそう。間違いなく、初デートは失敗だ。
こんなダサい男とは付き合えないと、美咲が別れるといってきたら?
想像だけで死ねる。
センスが悪いのは努力で何とかするから、もう少し長い目で見てくれないかな。
でも、もう愛想をつかされているかもしれない。
——いやだ、別れたくない。
【 side: 蓮 〜別れの日から一年前 】
「本当は......」
自分の声に驚いて目が覚める。夢を見ていた。
頭がまだぼんやりしている。
あの後に続く言葉は、なんだったんだろう。
さっきまでものすごくクリアに見ていた夢は、目が覚めるとあっという間にその輪郭を失って、霧散してしまう。
すごく悲しい夢を見た。
心がちぎれるくらいつらい......
昨夜の記憶が徐々によみがえってくる。
美咲は昨日、出て行った。二人の関係をはっきりと終わらせて、去って行った。
何もする気になれなくて、スーツも脱がずに寝た気がする。
たぶん皴がひどいことになっているだろう。こりゃクリーニングに出さなきゃな......
重くだるい体を起こして違和感に気づく。
あれ、俺パジャマに着替えたっけ?
しかもこのパジャマ......確か美咲と一緒に暮らしているときに、もうボロボロだから買い替えようと話して、断捨離したやつ。なんで俺はこのパジャマを「今」着ている?
スマホを探したが見当たらない。昨日、カバンから出さずにそのままだったっけ?
俺はいま、混乱している。
ローテーブルの上に置いてあったスマホを見つけて開くと、待ち受け画面が違っている。実家で飼ってる犬の画像。
見覚えがあるが、美咲と付き合ってからは、二人の写真を待ち受けにしていたはずだ。昨日、壁紙の変更なんて俺はしてない。
急いで、ネットニュースのサイトを開く。おかしい......
——どうして日付が一年前なんだ?
落ち着きたくて、丁寧にドリップコーヒーを淹れて飲む。
これは、美咲にカッコいいと思われたくて購入した、イタリア製のコーヒーメーカー。付き合って3か月目に壊れて、今はオブジェと化しているはずの。
ちっとも落ち着かない。俺はまだ寝ていて、夢を見てるのか?
だけど、ほろ苦いコーヒーの味も、へたってきたパジャマの布の質感もリアルだ。
検索サイトで色々調べた結果、今の俺の状況は「タイムリープ」というやつらしい。精神疾患には当てはまらなかった。
意識が過去に巻き戻り、記憶を持ったまま人生のやり直しができるとある。
つまり、1年間の記憶をうまく使って、未来を変えることができるということだ。
果たして、俺にやり直したい人生や変えたい未来があるのか?
という問題だが、ある。
変えられるものなら変えたい、昨日までは「現実」だと思っていた「未来」が。
もう一度スマホの日付を見る。忘れもしない、今日は「初デート」の日だ。
何の夢を見ていたかは覚えていない。
でも、「本当は......」の言葉の続きを俺は知っている気がする。
本当は、美咲とずっと一緒にいたい。
初デートの日も、別れの夜も、俺の本音は全部同じなんだ。
__
待ち合わせの場所に着く。
あの日と同じように、フワフワの毛がついた真っ白のコートを着て、ピンクのスカートをはいた美咲が駆け寄ってくる。
それだけでもう、泣きそうだった。
「今日、何だか雰囲気違うね」
「え? なんか変??」
この瞬間、美咲の顔色が変わった。
前の俺は浮かれすぎていて、色んなことを見落としていた気がする。
何が悪かったのかを確かめたくて、前と同じセリフを口にする。
記憶がおぼろげだけど、こんな感じだったかな。
「いや、別にいーけど」
「それはどういう意味でいったのか知りたいな。教えてくれない?」
あれ、前はこんな会話したっけな?
でも、聞かれたことにはしっかり答えたいから、「今」の俺の言葉で「過去」にどう思っていたかを、美咲に伝える。
「だって顔がニヤける。俺のためにおしゃれしてきたのかなとか思っちゃって、表情取り繕うのに必死で、正直何て言ったか覚えてない。俺、いま何て言った?」
多少言葉が違っても、時間の流れに影響はないだろう。
前の俺はこの後のことをよく覚えていない。
店に向かって美咲が少し後ろをついてきて、気がついたら体調が悪いと言ってきたんだ。美咲の顔をじっと見つめる。
体調が悪そうな気配はない。
「いや、別にいーけどって言って無表情だったから、洋服やメイク失敗したかなって不安になっちゃった」
「えぇっ、まじでそれはない。すごく可愛いし、めっちゃ似合ってるし、何なら大好物だし!」
言い間違えがないように、記憶を探ってたから変な顔しちゃっていたかもしれない。1度目の俺は、下心を隠すのにいっぱいいっぱいで、やっぱり変な顔をしていたんだろう。
でもそれを美咲があんな風にとらえるなんて、思わなかった。
すごく可愛いよって、伝わったかな?
美咲の顔は真っ赤だった。つられて俺の顔も赤くなる。
カフェでランチするために今度は並んで歩きだす。
美咲の体調の変化には、いち早く気づきたい。
お店に向かっていると、1度目と同じ恋人同士とすれ違う。
「なんか今の二人、気になるの?」
「えっ?いやその......あの」
手を繋ぎたいなって思ってたけど、できずに終わった後悔。
前回と流れは変わるけど、やり直すためにここにいるんだ!
思いきって美咲と手を繋ぐ。
嫌がられないかな......すごく不安だけど、これが初デートで俺のしたかったこと。
繋いだ手を放したくない。
「手を繋いでて、いーなーって思ってた」
美咲の顔をのぞき込む。瞳に嫌悪感は浮かんでいない。
念のため、確認する。すでに具合が悪くなってきてるかもしれないし。
「手を繋ぐの、イヤ?」
「嫌なわけない、自分の手汗が気になっちゃうけど、うれしいよ」
「よかった!今日は絶対手を繋ごうって決めてたんだ」
美咲が笑う。俺は美咲が笑ってくれるのが心の底からうれしくて、笑う。
思えば、俺は初デートを成功させたくて、でも経験値が足りなさ過ぎて、美咲のことを見ていなかった気がする。
自分の妄想だとか、手繋ぎだとか、自分一人で考えて、美咲の気持ちを聞いたりしなかった。
美咲の顔が赤くなって、俺の顔も赤くなるように。
俺の無表情が気になって、美咲が不安になるように。
お互い違う人間だから考えることが違うのは当たり前だけど、一緒にいるからこそ影響しあう。
だから、一人ではなく、二人で向き合わなきゃいけないんだ。
そんなことを考えていると、美咲がいたずらっ子のような顔をして聞いてくる。
「ねぇ、蓮ってコーンポタージュスープ好きだよね?」
「好きだよ。何で急に? 俺、美咲に好きって教えたっけ?」
食事会の時に、話したっけかな?
まさか......まさかね。
「ふふ、そんな顔してるの。私はパンプキンスープが好きだよ」
「顔?どんな顔だよそれ。でも女子って、芋栗カボチャが好きだよね」
「これから行くお店、美味しいスープがあるといいね〜」
美咲がパンプキンスープが好きなんて、初めて知った。
1年間一緒にいたのに、知らないことだらけの気がする。
俺はやり直しのチャンスをもらえた。
美咲の好きなこと、俺の好きなこと。
二人共通の好きなことや嫌なこと。
それを見つけるために、たくさん話をしよう。
二人でしっかり手を繋ぎながら、お目当てのカフェで
2度目の初デートを、もう一度やり直す。
骨太の長編(?)を連載しています。
「ルール国のロミジュリ20XX」
https://ncode.syosetu.com/n7948mo/
どうぞよろしくお願いします!




