表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/46

第五話 悪習


 この国では長きにわたり、知を魔道師が司ってきた。


 科学では解き明かせない超常的な魔術を操る魔道師の知見が、その時代の常識を左右した。魔道師の祈祷や進言ひとつで国家の方針が定められたことも、歴史上を見れば枚挙にいとまがない。


 この数百年、皇族や貴族の間で全身入浴の習慣がなかったのも、その影響である。


 かつて疫病が猛威を振るい、多くの国民が命を落とした時。当時、絶大な権勢を振るっていた特級魔道師が、こう断言した。


『入浴することで全身の毛穴が開き、そこから水中や空中の病原が体内に侵入する。湯浴(ゆあ)みは疫病の元凶となる不浄の行為である』


 この言葉を国家は受け入れた。以来、湯に浸かる行為は忌み嫌われる。水を浴び、石鹸で身体の表面の拭い落とすことが正しき清潔法とされた。悪臭が不浄ではなく常態とされる時代である。


 先帝の治世までは、皇宮内においてもそれが揺るぎない常識だった。



 だがその長き旧習に、真っ向から争い続けた者がいる。


 西域の恭順国の王家から嫁いできた后。現在の皇太后である。


 砂塵にまみれるその祖国では、身を清潔に保つ法が発達していた。そのような地域で生まれ育った彼女の美への感性は若き頃から先鋭的であり、入内直後から率先して入浴で身体を整えていた。


 魔道師たちからの咎めも非難も意に介さず、命よりも美を選ぶ覚悟で入浴を極めた。そんな彼女は先帝に愛され渡御(とぎょ)は多く、三子に恵まれ、第二皇后へと駆け上がった。


 十二年前に先帝が崩御し、二十五歳で帝位を継いだ現皇帝もまた、母の影響で無類の風呂好き。皇帝の発案で帝都には公衆浴場が作られ、入浴文化は徐々に民へと広がっている。だが燕該曜の一派のように、いまだに入浴を忌み嫌う旧態の人間もまだまだ世に多い。



「愚か者が。魔術を軽んずれば、国は滅ぶ。知の無き蛮国は、国にあらず」



 口を閉ざした牛堅儀(ぎゅうけんぎ)に代わり、燕該曜(えんがいよう)が錫杖を鳴らしながら訓薫鳳(くんくんぽう)へ重々しく言葉を放つ。


 場を呑み込まんばかりの圧を持つ声。頭を下げたまま聞く玻璃(はり)は、背筋が凍る思いがした。


 ところが、薫鳳は平然と切り返す。



「あんたの言う知とは、魔術の領域の中の後付けの理屈に過ぎねえんだよ。愚劣な知に操られる国なら、知の無き蛮国のほうがまだマシだ」


「魔術を愚弄するか」


「魔術そのものは別にいい。便利ではあるからな。それを変に政治利用する魔道師の老害どもがこの国の進化を阻んでると言ってんだ。魔道師なんていなけりゃ、この国の文化と科学は百年は先に進んでたぜ。現にこの十年、重商主義が進んでうちの国家財政は大陸史上最大の豊潤だろ」


「たかが調香師の浅い思考よ。おぬしの仕事など、香りのお遊びに過ぎぬ」


「そのたかが調香師の香りのお遊びが、莫大な利益と豊かさをこの国にもたらしてんだよ」



 薫鳳はじゃらじゃらとうるさく小刻みに鳴らされる燕該曜の錫杖の金属輪を、閉じた扇子の先でパシパシと小突き、反論を続ける。



「オレはな、四千以上の草花の香りを緻密に組み合わせて、次の時代に残る芸術品を生み出してるんだ。それに比べりゃ、たかだか火水木金土の五元素を混ぜ合わせてるだけの魔道のほうが、お遊びにしか見えねえぜ」


「魔術を知らぬ者に、その奥深さは理解できぬわ」


「その奥深さってやつを、魔術師連中がそんなに雁首並べてこねくり回して、それでどれだけの国益を生み出してるんだ。一銭も生まねえ魔術など、オレから見ればただの手品みたいなもんだ。いや、手品師のほうがよっぽど投げ銭で稼ぐ」



 飄々と語る薫鳳に対し、燕該曜は威厳を保ちつつも苛立ちが見える。知を司ってきた魔術府の人間に、ここまで愚弄する論戦を仕掛けてきた者はいないのだろう。愚かな若気の戯言と無視すればいいものを、燕該曜は議論こそ自身の得意な戦場とばかりに、論戦に乗ってしまった。



「訓薫鳳。おまえは世の上辺しか見えておらぬ」


「世の上辺とは?」


「我が帝国の発展は、魔術によって護られているからこそである。魔術無くば、この国はとっくに魔界の魔物どもに食い潰されておる」



 薫鳳は呆れたような溜め息をつく。その程度の論拠しか出せないのか、とでも言いたげである。またも燕該曜の杖先を扇子で叩いて、畳み掛ける。



「魔術はその魔物どもの魔力ってのを応用してるんだろ。はびこる魔物は撃退してきたかもしれないが、その魔物の数が減るに従って、魔術界隈も魔力の補給のしどころが不足してきてるじゃねえか。魔術府の官僚が揃ってわざわざ遠出して魔物退治なんかに出かけてよ」


「……」


「水も木材も食糧も、香水だって、帝都内で買えるぜ。魔力は売り買いできてるのか? 永続する供給源もねえだろ。魔術なんてそんな矛盾を孕んでいる過去の遺物だってことに気づけよ。古臭い魔術なんかなくとも、この国は利益で護られて、文化と芸術で発展していくんだよ。退場しねえならおとなしく手品してろ」


「おのれは……」



 無礼な訓薫鳳の暴言に、燕該曜は声を振るわせる。それ以上に憤怒している牛堅儀が青筋を立て、薫鳳の肩に杖を向ける。いつでも攻撃魔術が出せるという脅しである。


 薫鳳は全く臆せず、閉じた扇子を牛堅儀の杖に当てて横に押し払う。皇宮内での無闇な魔術の使用は問題視されることをよく知っている。


 牛堅儀を無視するように首を伸ばし、その後方にいる魔術師の中の一人に視線をやった。



「堅儀どのの後ろの後ろの、そこのあんた。そう、少し背の低いあんただ」



 牛堅儀と曹牙陵(そうがりょう)以外の魔術師全員が(かぶ)り付きの外套(がいとう)を身につけ、顔は隠れている。薫鳳が話しかけたのは、他よりは小柄の魔術師だった。



「あんたも入浴厳禁の習慣を断れないみたいで、かわいそうだな。オレはさすがに陛下の公衆浴場ほどの広さではないが、山に自前の温泉を持ってるぜ。そんな臭えだけの悪習はやめて、(うるわ)しく(かぐわ)しき湯に癒されないか。若い女性なら、大歓迎だ」



 薫鳳の言葉に、魔術師一同がざわつく。頭巾で顔が見えないはずのその魔術師を女性だと見破った薫鳳の洞察への驚愕。薫鳳の嗅覚の異常さを、改めて突きつけられた動揺である。


 俯いて顔をさらに隠そうとしている小柄の魔術師に、薫鳳はさらに言葉を重ねる。



「若き才女がオッサンどもの悪習に従う必要もないだろ、もったいない。女に生まれたんなら、もっと綺麗好きを目指したらどうだ。女が香りを磨けば、男は喜び、女はもっと生きやすくなるぜ。女ならもっと芳しくなれよ。そもそも女は男に比べて身体の構造上、汚れが溜まりやすくなっ……、ん?」



 薫鳳の言葉の調子が乗ってきた時。横から飛びかかってくる若者の影が目に入る。玻璃である。


 右手を大きく振りかぶって飛び込んできた玻璃は、地に左足を強く踏み込むと、平手で薫鳳の左頬を打ち抜いた。本日二発目の渾身の張り手である。


 乾いた音が響き、薫鳳はよろける。玻璃はさらに右足で蹴りを入れようとしたが、慌てて祖父の玻丈が背後から手を回して玻璃を抱き止める。


 玻璃の興奮は止まらず、絶叫に近い怒りの声を上げる。



「あなたねえ、どれだけ鼻が利く偉い奴か知らないけど、女性を何だと思ってんの。ふざけないで!」



 玻璃は薫鳳の偏見の発言が許せなかった。祖父に羽交い締めにされながらも獰猛に食いかかろうとする。


 赤くなった頬をさすりながら目を瞬かせる訓薫鳳。何を見せられているのか分からず呆然としている燕該曜の一行。


 庭園の一角は、変に張り詰めた空気に包まれた。




(つづく)



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ