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第四十五話 育ての親


 皇太后が青龍宮(せいりゅうきゅう)で皇后時代の記憶に浸っている頃。


 訓薫鳳(くんくんぽう)もまた、朝萌山(ちょうほうざん)の高台から広大な香料原料の花畑を見渡して、過去を想い出していた。


 大恩ある蕭孔来(しょうこうらい)と出会った、あの二十数年前の日からのことを。



「親父どの……」



 薫鳳は脳裏に浮かぶ恩人の顔に、これまで何度投げかけたか分からない敬称を、感謝の念と共につぶやく―。




 蕭孔来とは、郊外の山麓で小さな花畑を持ち、植物の研究に没頭している本草学者(ほんぞうがくしゃ)である。当時、(よわい)は六十一。


 西国から嫁いできた第二皇后は香水への深い造詣を持ち、かつて花弁の香りについての相談を受けたことがある。それをきっかけに、孔来は独学で調香の研究を始めた。既に流行り病で妻と幼齢の男児を亡くしており、以来独り身であった。



 そんな蕭孔来の独り住む質素な小屋に、一人の衛兵が訪れた。第二皇后の書状を携え、薄汚れた五歳ほどの白髪の男児の手を引いていた。


 見慣れぬ子を押し付けられながらも、蕭孔来は膝をついて皇后への敬意を表し、書状を受け取って封を開ける。


 そこには、この五歳の孤児を引き取って育ててほしいという依頼が、皇后の直筆で書かれてあった。鼻が利く子であり、花に囲まれた環境がこの子の心を癒すだろうと、皇后は述べている。



「向日葵と薔薇のにおいのするきれいなおばさまから、しばらくコーライさんのところに行きなさいって言われました」



 まだ知らない大人を信じきれていないようだが、どうすることもできず困惑している様子も見られる。だがその子も生きるために必死である。頭を下げて懇願する。



「すぐに、どこかお家を見つけてきますから。それまでここに居させてください。少しの間でいいです。お願いします」



 蕭孔来の目から、涙が落ちる。膝を折って目線を合わせている孔来は、思わず孤児の痩せ細った体を抱きしめた。



「いつまでも居ていいんだよ」


「いいの?」


「こんな老人と一緒でもよければ、こんな小さな家でもよければ、自分の家だと思って居ておくれ。君の名前は……」


「クンポウです」


「そう。君の名前は、薫鳳(くんぽう)……。(くん)薫鳳だ」



 蕭孔来が握る書状には、皇后が与えた名が記されていた。


 本名のクンポウの字は不明だが、その響きを大切にしつつ、皇后自らが考えた名。(しょう)の姓を与えなかったのは、その子の中に真の父母の記憶が生きているからだという。なぜこの国に存在しない「訓」という姓にしたのか、という理由には言及はなかった。


 血は繋がっておらず、姓も異なる。それでも蕭孔来は、深い慈しみをもって訓薫鳳を育てた。また薫鳳も孔来を育ての父として敬い、「親父どの」と呼んで師と仰いだ。



 薫鳳は皇后の見立てに違わず、類稀なる嗅覚を持っていた。孔来の教える植物学を瞬く間に吸収し、独特な感性で見事な創香を成していく。十歳を過ぎる頃には、孔来が教えることはほとんどなくなってきた。


 ただ、自由奔放に育った薫鳳はやんちゃが過ぎた。端正な顔立ちを無自覚に武器として、近隣の娘たちに声をかけては好意を寄せられる。男にはたくさん敵を作ったが、女には大いに好かれた。女に惚れられるというのもまた、一種の才能である。


 素行不良として噂されながらも、薫鳳は育ての父である蕭孔来に反抗することはなかった。



「わしは五歳で子を失った。だが薫鳳、君はその後の子育ての時間をわしにくれたね。それだけでも幸せだった。わしらを引き合わせてくれた皇后さまへの感謝の気持ちだけは、何があっても忘れてはいけないよ。それさえ守ってくれれば、あとはどう生きようと、君の自由だよ」



 それが「親父どの」蕭孔来の伝え続けた教えであった。




 薫鳳が十八歳になったある日のこと。


 薫鳳はいつものように近隣の村の若い娘たちを誘って遠出をしていた。


 夕刻に自宅に戻って来た時、信じられない光景が目に映った。


 小屋も花畑も全てが燃やし尽くされ灰と化していた。そしてその灰燼の中に、無数の裂傷を刻まれた孔来の亡骸(なきがら)が無惨に転がっている。



「親父どの……」



 薫鳳は膝から崩れ落ち、ガクリと項垂(うなだ)れた。





(つづく)

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