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第四十三話 青龍宮


 官服に身を包んだ玻璃(はり)は、部屋の隅で両手をつき額を床に伏せ、擦り付けるように土下座し、全身を小刻みに震わせている。


 随行してきた玲花(れいか)小雅(しょうが)は、あまりに痛々しい玻璃の姿を見て、思わず顔を見合わせる。薫鳳(くんぽう)の代役として一応同行した衣装師の紫喬(しきょう)もまた、同情の入り混じった溜め息をつき苦笑を浮かべる。



(こう)玻璃(はり)。ひれ伏してないで、こちらに来なさい!」


「ひ、ひぃぃぃ」



 皇太后の鞭打つような喝破の声が室内に響き、玻璃は嗚咽を漏らしながら四つん這いで皇太后への前へと這い寄る。



 青龍宮(せいりゅうきゅう)


 男子禁制の後宮内に点在する宮殿群の中で、最も東に位置している宮殿である。西の白虎宮(びゃっこきゅう)と対を成し、現皇太后が一帝二后時代から好んで居住してきた。元々はその名の通り群青色の屋根であったが、赤色を好む皇太后によって紅蓮の屋根に塗り替えられている。


 玻璃は新作の香水を皇太后に献上し、設計した香水瓶の意匠について自ら説明するよう、薫鳳から指示を受けていた。


 紫喬が用意した男性用の匠官服を身に纏った玻璃は、またも宮仕えの女官たちから歌劇団の男役にも劣らぬ熱烈な視線と歓声を受けて、少し良い気になっていた。だが青龍宮に入り皇太后を前にした瞬間、たちまち過去に刻まれた心傷が蘇って、土下座人形と化した。


 皇太后はこの日も、ただならぬ威厳と気品を放っている。齢七十には到底見えない、五十前と言っても疑われぬほどの妖艶な若さ。その輝きが玻璃には眩し過ぎて、まともに視線を合わせることができない。立てと言われても立てずに震え伏すばかり。


 皇太后は椅子から立ち上がると、そんな玻璃の前に膝をつき、その小さな肩にそっと手を添えた。



「玻璃……。玻丈が亡くなって、つらくはない?」


「え……」



 皇太后の言葉に、玻璃は床につけていた額を浮かせる。薫鳳から祖父の死について伝えるように言われていたことを思い出す。だが、まさか皇太后の口から祖父の名を聞くとは思わなかった。



「帝国美術学院の着色硝子(グラス)の窓。あれは、玻丈が作ったものでしょ」


「え、え……?」


「やっぱり……。玻丈は伝えてなかったのね。本当に謙虚で欲のない職人だこと。玻丈といい、紅計嘉(こうけいか)といい……」


「え、ええ……?」



 玻璃はさらに驚愕して目を見開く。紅計嘉とは亡き父の名前である。


 偉大なる皇太后が身内の名を知っている。その事実は、玻璃の理解をはるかに超えていた。



「も……申し上げます……。こ……皇太后さまは、私のことが……お嫌いなのではないのですか……」


「どうして?」


「だって……、皇太后さまは……、薫鳳先生に、私を潰せって……」


「言ってないでしょ」



 皇太后は即座に否定する。



「薫鳳には、この国に巣食う悪逆の連中を潰せ、って言ったのよ。あの子ならきっと、それができる。そして玻璃」


「は、はぃ……」


(おん)玻丈(はじょう)や紅計嘉の血を受け継ぐあなたが、あの薫鳳を支えてくれていること、心から嬉しく思っているわ」



 皇太后の優しい声。玻璃はその言葉の表す意味をすぐには飲み込めない。長らく自分は皇太后から嫌われ疎まれていると信じてきただけに、優しい言葉をかけてもらえること自体が信じられない。



「皇太后さまは……、私のことをお怒りなのかと……」


「あなたが私を恐れていることは、分かってた。でも、どうして私は恐れられているのか分からない。正直、困ってるわ」


「え……、だって……、私は学院の入院式でも卒院式でも、皇太后さまの前で酷い失態を……、そして皇太后さまは、すごく怖い形相で……」



 絞り出すように話しながら、玻璃はまだ泣いている。だが、皇太后は正反対で、堪えきれずにぷっと吹き出した。



「だって、玻璃ったら、入院式を乳輪式なんて言うんだもの。威厳を見せなきゃいけないあの厳粛な場で笑わせに来るの、ずるいじゃない」


「……はい?」


「卒院式の時だって、いきなり転げ回って燭台倒して小火(ぼや)まで起こすなんて。笑っちゃいけない場であんな傑作を見せられたら、笑いを堪えるのに必死で厳しい顔にもなるでしょ?」



 皇太后はとびきりの明るい表情で大笑いしている。


 甄沁泉(しんしんせん)をはじめとする侍女たちは、ここまで爆笑している皇太后を初めて見たのか、戸惑いながら互いの顔を見交わす。


 玻璃の顔は瞬く間に真っ赤に染まる。十年近く抱き続けた誤解を知らされ、恥ずかしさが頭上から湯気のように立ち昇る。


 ふと横に視線を向けると、玲花と小雅までが「入院式を乳輪式」の一言に笑いの壺を刺激されたようで、腹を抱えて笑い転げていた。


 玻璃は涙に濡れた顔を上げ、思わず皇太后に問いかけてしまう。



「こ、皇太后さまっ」


「なあに?」


「こ、皇太后さまは、薫鳳先生のお母様でいらっしゃるのでしょうか……?」



 玻璃の質問に、先ほどまで笑いに満ちていた空気が、一気に凍りついたように静まり返る。一番唖然としているのは、玻璃本人だった。



(え、え、私、何を言ってる……? なんで私、そんなこと言った……?)






(つづく)



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